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17.閉じ込めた感情の行き場

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 嵐のような宮古みやこさんの来訪があってから数日がすぎ、あいかわらずに舞台の稽古はつづいていた。
 最近は、ようやく矢住やずみくんもそれなりに演技ができるようになってきたわけだし、たまにハッとさせられるような表情なんかもできるようになってきたように思える。

 もちろん元から運動神経のよさに定評はあったけれど、それがきちんとした殺陣の習得にもつながってきているし。
 矢住くんは稽古熱心で、まだ荒削りだけど、岸本監督や殺陣師の先生とも話し合って、矢住くんにしかできない悠之助というキャラクターができあがりつつあるのをいちばん近くで見守るのは、とても楽しかった。

 舞台の幕があがり、悠之助という役が日の目を見るときが来るのを僕もとても楽しみにしていた。
 諸事情あって、僕自身が舞台上で悠之助を演じることはできなかったけど、それでも矢住くんの演じるキャラクターをいっしょに作りあげて、それが舞台で演じられるならそれでいいと、そんなふうに思えるようになってきていた。

 ───いや、なっていたと、そう思い込んでいただけなのかもしれなかった……。
 そんな僕の思い込みがくずれたのは、久しぶりに地方ロケから帰ってきた東城とうじょうと会ったときのことだった───。


   * * *


羽月はづきさん……会いたかった……っ!!」
 感極まったような声とともに、思いきり抱きしめられる。
 もちろんその目はうるみ、今にも泣き出してしまいそうなほどだ。

「ん、僕も……その、会いたかった……」
 久しぶりのこの感触に、そして匂いにホッとして、力を抜いて相手にからだをあずける。
 そりゃ僕だって東城に会いたかったのは事実だけど、そういうことを口にするのは、少し照れくさかった。

 おかげで、頬が熱い。
 きっと、真っ赤になってしまっていることだろう。
 それでもあえて口にしたのは、それだけ本心から会いたいと思っていたからなんだけど。

 こんなドラマのワンシーンみたいなやりとりをするのは照れくさかったけれど、久しぶりに会えたうれしさで、それはすべて帳消しになっていた。
 だって、こうして会うのは、まるっと2ヶ月ぶりくらいなんだ。

 東城のロケのスケジュールは、本人から事前に教えられていたこともあって、だいたいのところは知っていても、いざ撮影となれば、その時間進行なんて、あってないようなものだ。
 だから連絡を取るとしても、もっぱらメッセージアプリばかりで、それにしたってすぐには既読にならない。

 そうなれば必然的に、おたがいのスケジュールがあわなくて、通話なんてできっこないし、そうしているうちに、気がつけば月日は経ってしまっていたというわけだった。
 だから東城に会うのは、本当に久しぶりで、なんなら宮古さんとのドラマの最終回を見るために、この部屋で会って以来だったことに気づいた。

「あーー、羽月さんの匂いだー!落ちつく~~!!それにこの抱き心地……って、羽月さん前より少しやせた?こう、なんか前よりも腰のあたりが細くなったっていうか……」
 さりげなく腰のあたりをなでられ、首をかしげられた。

「そう、かな……?自分じゃ、わかんないもんだけど」
 見るからに激やせしたとかじゃないかぎり、毎日の微妙な変化の積み重ねになるから、自分じゃそういうのって気づきにくいもんなんだよなぁ。
 ……つーか、よく気づいたな。

「少なくとも、俺が最後にこうして抱きしめてから、会えない間は毎日エアハグして、その感覚を忘れないようにしてたんで、まちがいないですって!」
「『エアハグ』……??」
 なんだよ、それ。
 ワケわかんないこと言い出したぞ、コイツ!?

「で、ついでに言うと、久しぶりの本物の羽月さんとのハグは、欠けていたものが満たされるというか、とにかくむちゃくちゃ癒されてます」
「あー、そりゃ良かったな」
 思いっきり息を吸っている東城がおかしくて、思わず苦笑がもれた。

 見た目以上に残念なイケメンだよな、なんて感じさせる東城の言動は、これでこそコイツだという気がしなくもない。
 こういう飾らないところが、好感度高いんだよなぁ。

「ありがとうございます、羽月さん!おかげさまで、全然足りてはないですけど、羽月さんチャージできてます!」
「ん、そっか、それならいいんだ」
 まるで大型犬がなつくように、頬をすり寄せてくるのがくすぐったくて、身をすくめる。

 東城との身長差もあって、その腕のなかにすっぽりとおさまってしまっているのは、なんとなくくやしい気もするけど、実は僕だって東城不足が一気に満たされていくような気がしていたから、なんだ、おたがいさまじゃん、なんて思った。

「あぁ、でもやっぱり少し細くなってますよ!筋肉もついて引き締まったと言えなくもないんですけど、なんとなく無茶してそうなからだになってますって!羽月さん、ちゃんと寝てます?」
「そうかなぁ?東城が気にしすぎなだけだと思うけど……」
 首をかしげて、あいまいに笑う。

 まるでそれは、気のせいのような言い方をしたけれど、本当は少しだけ心当たりがあった。
 なんとなく最近は、舞台の稽古と映像のお仕事ともにできるだけ入るようにしていたし、それに可能なかぎりコンビニのバイトもシフトを増やしていた。

 だって、ボーッとする時間があると、よけいなことばかり考えちゃいそうだったから。
 僕だって東城に会えないし、気軽に電話もできないのって、色々心配になってたりしたんだぞ?!

 僕のことを好きだと言ってくれた東城の気持ちを信じたくても、国民的な大スターになったコイツには、選択肢なんていっぱいあるんだ。
 今回の映画の地方ロケだって、当然のようにヒロイン役の女優さんも、東城とおなじようなスケジュールでまわっていたわけだろ。

 そんな美人がそばにいて、しかも演技とはいえ全力で愛し合っているような関係でいたら、いつか役の上の気持ちと、自分自身の気持ちがごっちゃになっちゃうんじゃないか、とか。
 行く先々でファンに囲まれて、なかには東城の好みの子だっていてもおかしくないだろう、とか。

 ありていに言えば、めちゃくちゃ不安だった。
 ひょっとして東城が僕のことを好きなのは、いわゆる刷り込みみたいなものなんじゃないか、って思ってしまったんだ。

 芸能界に入り立てで、右も左もわからないときに、やさしくされたから僕のことを好きになっただけで、いつかその魔法は解けてしまうんじゃないかって思ったら、怖くてたまらない。
 その刷り込みによるフィルターがはずれたとき、はたして僕は東城にとっての『特別』でいられるんだろうか?

 でもこんなこと考えてクヨクヨしてるのなんて、東城には知られたくなかった。
 だって東城は、意地っぱりで頑固な僕のことを『東城の前では弱音も吐かないし、カッコいい人だ』なんて言ってくれてるんだ。

 だったら、その期待を裏切りたくない。
 本当はこんなにも不安になっているし、相手を信じ切ることもできない小心者で、全然カッコよくなんかないのに。
 そう、僕は自分を良く見せたいなんて、そんな情けないことを考えてしまっていた。

「羽月さん、今日は稽古ないんでしょ?」
「うん、そうだね」
「じゃあその……、今日はゆっくり話せるね」
 こちらをうかがう東城は、やっぱり飼い主の顔色をうかがう犬のようにしか見えなかった。

 ……でもさ、そんなところもふくめて、好きなんだからしょうがないだろ?
 それに東城は見た目も外面も完ぺきなのに、僕の前でだけ、こうしてちがう顔を見せてくれるのが、うれしかったりするから。

 さっきまで感じていた不安には、気づかないふりをしてほほえむ。
 たぶん、なんの不自然さもなく、ごまかせていると思う。
 だって、東城の鼻の下が伸びているし。

「そっちの地方ロケは順調だった?結構長かったよね、お疲れさま」
「えっ、羽月さんが心配してくれ…っ?!」
 いたわるように、東城の背中をなでさすりながらそう言えば、相手の声が上ずった。

「失礼な、僕だって東城の心配くらいするよ!」
「うわあぁ、もしこれが夢なら醒めないでほしいです~!!」
「バカ、現実だよ!」
 こんな他愛のないやりとりですら、いとおしい時間に感じられる。

「でも、それを言うなら、俺もずっと心配はしてましたから!」
「え……?」
 だけど、ふいにかけられた東城からの声色は、思っていた以上に硬質なものだった。

「羽月さんに変な虫がついてないかなら、月城つきしろさんを筆頭に、相田あいださんだとか矢住くんだとか、その他諸々の共演者をふくめたらキリがないです。でも俺が、いちばん心配してたのは───降板のことです」
 はじめはいつもの東城のノリで話していたはずなのに、最後にはびっくりするほど真剣な顔になっていた。

『降板』
 それがなんのことを指しているのかなんて、確認するまでもなかった。
 だって、今まさにその作品の演者さんたちの名前が出されたから。

「あの件については正直なところ、俺、めちゃくちゃ怒ってます。あっちの都合で、オーディションの結果で決まってたはずの配役までいじって降板させたくせに、さらにアンダースタディで縛るとか、最低だろって!」
 そう口にする東城は、たしかにセリフのとおりに怒りがにじんで見えた。

「岸本監督に『羽月さんのこと、どこまでバカにするつもりですか?!』って、危うく苦情を入れそうになったくらいには、本気で怒りを覚えました。でもそんなことをしても、かえって羽月さんの迷惑になるのはわかってたから、とにかく必死に耐えて我慢しましたけど……っ!!」
 その声は、怒りにふるえている。

「羽月さん本人は、そんなあからさまにスポンサーの意向を斟酌した無茶な降板劇に巻き込まれて、憤りとか覚えなかったんですかっ?!」
 東城からの問いかけは、ド直球で投げ込まれた。

「それ、は……っ」
 とっさに『そんなことはない』とこたえたかったのに、言葉に詰まってしまった。
だけどそれが、なによりの僕の本音をあらわしていた。

 なんて理不尽な、だとか、いくら僕が無名なモブ役者だからって、バカにしすぎだろ!だとか、思わないと言ったらウソになる。
 それくらいには、僕にとっても忸怩たる思いをしたことだった。

 最初に『自分よりも実力に劣る相手だろうと、しょせんその知名度には敵わないのか』と、そんな失礼なことを考えてしまったのは言うまでもない。
 僕以上にストレートに怒りを示す東城に、心の奥底に閉じ込めたはずの感情が、ゆり動かされそうになった。

「……そりゃね、最初は受け入れがたいと思ったし、理不尽だなと感じたけど、この世界ならよくあることだし……」
 というより、そう思わないとやってられなかっただけかもしれなかった。

「それに、今は矢住くんといっしょに悠之助っていうキャラクターを作り上げてるところなんだけど。2年前の東城みたいに、どんどん吸収して良くなっていってるんだ。だからその成長を見守っていくのが、僕の楽しみにもなってるっていうか……」
 こっちのセリフも、ウソじゃない。

「羽月さんの、そういう前向きなところ、すごく尊敬してますし、俺には真似できない立派なところだと思ってます。でも、あんなにその役を演じることを楽しみにしてた、羽月さん自身の気持ちはどうなるんですか?」
 東城が言わんとしていることは、僕がこの前この部屋に泊まったときに口にしていたことについてだ。

「───どうせ羽月さんのことだから、泣いたら負けを認めたことになるとか、監督に迷惑がかかるとか思って、意地張って泣かなかったんでしょ?」
 図星だった。
 なんで東城は、こんなに僕のことをわかってるんだろう。

「俺、羽月さんのことなら、ホームズにだって負けないくらいの名探偵になれますよ!そういう羽月さんだから、俺が甘やかしてあげたくなるんです!」
「東城……」
 どうしよう、気づかないうちに、こんなにカッコよくなってたなんて。

 いや、見た目だけなら昔からすごくカッコよかったけど、これはそうじゃなくて。
 内面からして、男前すぎる。
 思わずその胸にすがりつきたくなるくらい、頼もしく見えた。

 いつの間に、こんなに頼り甲斐のある人間に成長していたんだろうか?
 こんなの───惚れ直すしかないだろ?!

 顔がカァッと熱くなって、きっと耳まで赤くなってると思う。
 だけどそれ以上に、熱くなっていたのは、目頭だった。
 鼻の奥がツンとなる。

「とう、じょ……っ!僕、めちゃくちゃくやしいっ!!」
「うん、羽月さんの思い、全部受け止めるから。吐き出して?大丈夫、ここには俺しかいないから」
 こらえきれずにその胸に飛び込み、僕は久しぶりに声をあげて泣いた。

 ───あぁそうだ、必死に前向きになってがんばろうとしてたけど、役を降ろされたことは、ものすごいくやしくて、悲しかった。
 そんなあたりまえの感情すら、心の奥底に閉じ込めて、僕は必死に虚勢を張っていたんだ。

 その壁を取り払ってくれた東城のあたたかい腕に抱かれながら、胸のうちにしまい込んでいた澱のような、そのドロドロした感情を涙とともに流しつづける。
 そんな僕の背中を、東城はそっとやさしくなでてくれていた。

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