上 下
17 / 96

17.閉じ込めた感情の行き場

しおりを挟む
 嵐のような宮古みやこさんの来訪があってから数日がすぎ、あいかわらずに舞台の稽古はつづいていた。
 最近は、ようやく矢住やずみくんもそれなりに演技ができるようになってきたわけだし、たまにハッとさせられるような表情なんかもできるようになってきたように思える。

 もちろん元から運動神経のよさに定評はあったけれど、それがきちんとした殺陣の習得にもつながってきているし。
 矢住くんは稽古熱心で、まだ荒削りだけど、岸本監督や殺陣師の先生とも話し合って、矢住くんにしかできない悠之助というキャラクターができあがりつつあるのをいちばん近くで見守るのは、とても楽しかった。

 舞台の幕があがり、悠之助という役が日の目を見るときが来るのを僕もとても楽しみにしていた。
 諸事情あって、僕自身が舞台上で悠之助を演じることはできなかったけど、それでも矢住くんの演じるキャラクターをいっしょに作りあげて、それが舞台で演じられるならそれでいいと、そんなふうに思えるようになってきていた。

 ───いや、なっていたと、そう思い込んでいただけなのかもしれなかった……。
 そんな僕の思い込みがくずれたのは、久しぶりに地方ロケから帰ってきた東城とうじょうと会ったときのことだった───。


   * * *


羽月はづきさん……会いたかった……っ!!」
 感極まったような声とともに、思いきり抱きしめられる。
 もちろんその目はうるみ、今にも泣き出してしまいそうなほどだ。

「ん、僕も……その、会いたかった……」
 久しぶりのこの感触に、そして匂いにホッとして、力を抜いて相手にからだをあずける。
 そりゃ僕だって東城に会いたかったのは事実だけど、そういうことを口にするのは、少し照れくさかった。

 おかげで、頬が熱い。
 きっと、真っ赤になってしまっていることだろう。
 それでもあえて口にしたのは、それだけ本心から会いたいと思っていたからなんだけど。

 こんなドラマのワンシーンみたいなやりとりをするのは照れくさかったけれど、久しぶりに会えたうれしさで、それはすべて帳消しになっていた。
 だって、こうして会うのは、まるっと2ヶ月ぶりくらいなんだ。

 東城のロケのスケジュールは、本人から事前に教えられていたこともあって、だいたいのところは知っていても、いざ撮影となれば、その時間進行なんて、あってないようなものだ。
 だから連絡を取るとしても、もっぱらメッセージアプリばかりで、それにしたってすぐには既読にならない。

 そうなれば必然的に、おたがいのスケジュールがあわなくて、通話なんてできっこないし、そうしているうちに、気がつけば月日は経ってしまっていたというわけだった。
 だから東城に会うのは、本当に久しぶりで、なんなら宮古さんとのドラマの最終回を見るために、この部屋で会って以来だったことに気づいた。

「あーー、羽月さんの匂いだー!落ちつく~~!!それにこの抱き心地……って、羽月さん前より少しやせた?こう、なんか前よりも腰のあたりが細くなったっていうか……」
 さりげなく腰のあたりをなでられ、首をかしげられた。

「そう、かな……?自分じゃ、わかんないもんだけど」
 見るからに激やせしたとかじゃないかぎり、毎日の微妙な変化の積み重ねになるから、自分じゃそういうのって気づきにくいもんなんだよなぁ。
 ……つーか、よく気づいたな。

「少なくとも、俺が最後にこうして抱きしめてから、会えない間は毎日エアハグして、その感覚を忘れないようにしてたんで、まちがいないですって!」
「『エアハグ』……??」
 なんだよ、それ。
 ワケわかんないこと言い出したぞ、コイツ!?

「で、ついでに言うと、久しぶりの本物の羽月さんとのハグは、欠けていたものが満たされるというか、とにかくむちゃくちゃ癒されてます」
「あー、そりゃ良かったな」
 思いっきり息を吸っている東城がおかしくて、思わず苦笑がもれた。

 見た目以上に残念なイケメンだよな、なんて感じさせる東城の言動は、これでこそコイツだという気がしなくもない。
 こういう飾らないところが、好感度高いんだよなぁ。

「ありがとうございます、羽月さん!おかげさまで、全然足りてはないですけど、羽月さんチャージできてます!」
「ん、そっか、それならいいんだ」
 まるで大型犬がなつくように、頬をすり寄せてくるのがくすぐったくて、身をすくめる。

 東城との身長差もあって、その腕のなかにすっぽりとおさまってしまっているのは、なんとなくくやしい気もするけど、実は僕だって東城不足が一気に満たされていくような気がしていたから、なんだ、おたがいさまじゃん、なんて思った。

「あぁ、でもやっぱり少し細くなってますよ!筋肉もついて引き締まったと言えなくもないんですけど、なんとなく無茶してそうなからだになってますって!羽月さん、ちゃんと寝てます?」
「そうかなぁ?東城が気にしすぎなだけだと思うけど……」
 首をかしげて、あいまいに笑う。

 まるでそれは、気のせいのような言い方をしたけれど、本当は少しだけ心当たりがあった。
 なんとなく最近は、舞台の稽古と映像のお仕事ともにできるだけ入るようにしていたし、それに可能なかぎりコンビニのバイトもシフトを増やしていた。

 だって、ボーッとする時間があると、よけいなことばかり考えちゃいそうだったから。
 僕だって東城に会えないし、気軽に電話もできないのって、色々心配になってたりしたんだぞ?!

 僕のことを好きだと言ってくれた東城の気持ちを信じたくても、国民的な大スターになったコイツには、選択肢なんていっぱいあるんだ。
 今回の映画の地方ロケだって、当然のようにヒロイン役の女優さんも、東城とおなじようなスケジュールでまわっていたわけだろ。

 そんな美人がそばにいて、しかも演技とはいえ全力で愛し合っているような関係でいたら、いつか役の上の気持ちと、自分自身の気持ちがごっちゃになっちゃうんじゃないか、とか。
 行く先々でファンに囲まれて、なかには東城の好みの子だっていてもおかしくないだろう、とか。

 ありていに言えば、めちゃくちゃ不安だった。
 ひょっとして東城が僕のことを好きなのは、いわゆる刷り込みみたいなものなんじゃないか、って思ってしまったんだ。

 芸能界に入り立てで、右も左もわからないときに、やさしくされたから僕のことを好きになっただけで、いつかその魔法は解けてしまうんじゃないかって思ったら、怖くてたまらない。
 その刷り込みによるフィルターがはずれたとき、はたして僕は東城にとっての『特別』でいられるんだろうか?

 でもこんなこと考えてクヨクヨしてるのなんて、東城には知られたくなかった。
 だって東城は、意地っぱりで頑固な僕のことを『東城の前では弱音も吐かないし、カッコいい人だ』なんて言ってくれてるんだ。

 だったら、その期待を裏切りたくない。
 本当はこんなにも不安になっているし、相手を信じ切ることもできない小心者で、全然カッコよくなんかないのに。
 そう、僕は自分を良く見せたいなんて、そんな情けないことを考えてしまっていた。

「羽月さん、今日は稽古ないんでしょ?」
「うん、そうだね」
「じゃあその……、今日はゆっくり話せるね」
 こちらをうかがう東城は、やっぱり飼い主の顔色をうかがう犬のようにしか見えなかった。

 ……でもさ、そんなところもふくめて、好きなんだからしょうがないだろ?
 それに東城は見た目も外面も完ぺきなのに、僕の前でだけ、こうしてちがう顔を見せてくれるのが、うれしかったりするから。

 さっきまで感じていた不安には、気づかないふりをしてほほえむ。
 たぶん、なんの不自然さもなく、ごまかせていると思う。
 だって、東城の鼻の下が伸びているし。

「そっちの地方ロケは順調だった?結構長かったよね、お疲れさま」
「えっ、羽月さんが心配してくれ…っ?!」
 いたわるように、東城の背中をなでさすりながらそう言えば、相手の声が上ずった。

「失礼な、僕だって東城の心配くらいするよ!」
「うわあぁ、もしこれが夢なら醒めないでほしいです~!!」
「バカ、現実だよ!」
 こんな他愛のないやりとりですら、いとおしい時間に感じられる。

「でも、それを言うなら、俺もずっと心配はしてましたから!」
「え……?」
 だけど、ふいにかけられた東城からの声色は、思っていた以上に硬質なものだった。

「羽月さんに変な虫がついてないかなら、月城つきしろさんを筆頭に、相田あいださんだとか矢住くんだとか、その他諸々の共演者をふくめたらキリがないです。でも俺が、いちばん心配してたのは───降板のことです」
 はじめはいつもの東城のノリで話していたはずなのに、最後にはびっくりするほど真剣な顔になっていた。

『降板』
 それがなんのことを指しているのかなんて、確認するまでもなかった。
 だって、今まさにその作品の演者さんたちの名前が出されたから。

「あの件については正直なところ、俺、めちゃくちゃ怒ってます。あっちの都合で、オーディションの結果で決まってたはずの配役までいじって降板させたくせに、さらにアンダースタディで縛るとか、最低だろって!」
 そう口にする東城は、たしかにセリフのとおりに怒りがにじんで見えた。

「岸本監督に『羽月さんのこと、どこまでバカにするつもりですか?!』って、危うく苦情を入れそうになったくらいには、本気で怒りを覚えました。でもそんなことをしても、かえって羽月さんの迷惑になるのはわかってたから、とにかく必死に耐えて我慢しましたけど……っ!!」
 その声は、怒りにふるえている。

「羽月さん本人は、そんなあからさまにスポンサーの意向を斟酌した無茶な降板劇に巻き込まれて、憤りとか覚えなかったんですかっ?!」
 東城からの問いかけは、ド直球で投げ込まれた。

「それ、は……っ」
 とっさに『そんなことはない』とこたえたかったのに、言葉に詰まってしまった。
だけどそれが、なによりの僕の本音をあらわしていた。

 なんて理不尽な、だとか、いくら僕が無名なモブ役者だからって、バカにしすぎだろ!だとか、思わないと言ったらウソになる。
 それくらいには、僕にとっても忸怩たる思いをしたことだった。

 最初に『自分よりも実力に劣る相手だろうと、しょせんその知名度には敵わないのか』と、そんな失礼なことを考えてしまったのは言うまでもない。
 僕以上にストレートに怒りを示す東城に、心の奥底に閉じ込めたはずの感情が、ゆり動かされそうになった。

「……そりゃね、最初は受け入れがたいと思ったし、理不尽だなと感じたけど、この世界ならよくあることだし……」
 というより、そう思わないとやってられなかっただけかもしれなかった。

「それに、今は矢住くんといっしょに悠之助っていうキャラクターを作り上げてるところなんだけど。2年前の東城みたいに、どんどん吸収して良くなっていってるんだ。だからその成長を見守っていくのが、僕の楽しみにもなってるっていうか……」
 こっちのセリフも、ウソじゃない。

「羽月さんの、そういう前向きなところ、すごく尊敬してますし、俺には真似できない立派なところだと思ってます。でも、あんなにその役を演じることを楽しみにしてた、羽月さん自身の気持ちはどうなるんですか?」
 東城が言わんとしていることは、僕がこの前この部屋に泊まったときに口にしていたことについてだ。

「───どうせ羽月さんのことだから、泣いたら負けを認めたことになるとか、監督に迷惑がかかるとか思って、意地張って泣かなかったんでしょ?」
 図星だった。
 なんで東城は、こんなに僕のことをわかってるんだろう。

「俺、羽月さんのことなら、ホームズにだって負けないくらいの名探偵になれますよ!そういう羽月さんだから、俺が甘やかしてあげたくなるんです!」
「東城……」
 どうしよう、気づかないうちに、こんなにカッコよくなってたなんて。

 いや、見た目だけなら昔からすごくカッコよかったけど、これはそうじゃなくて。
 内面からして、男前すぎる。
 思わずその胸にすがりつきたくなるくらい、頼もしく見えた。

 いつの間に、こんなに頼り甲斐のある人間に成長していたんだろうか?
 こんなの───惚れ直すしかないだろ?!

 顔がカァッと熱くなって、きっと耳まで赤くなってると思う。
 だけどそれ以上に、熱くなっていたのは、目頭だった。
 鼻の奥がツンとなる。

「とう、じょ……っ!僕、めちゃくちゃくやしいっ!!」
「うん、羽月さんの思い、全部受け止めるから。吐き出して?大丈夫、ここには俺しかいないから」
 こらえきれずにその胸に飛び込み、僕は久しぶりに声をあげて泣いた。

 ───あぁそうだ、必死に前向きになってがんばろうとしてたけど、役を降ろされたことは、ものすごいくやしくて、悲しかった。
 そんなあたりまえの感情すら、心の奥底に閉じ込めて、僕は必死に虚勢を張っていたんだ。

 その壁を取り払ってくれた東城のあたたかい腕に抱かれながら、胸のうちにしまい込んでいた澱のような、そのドロドロした感情を涙とともに流しつづける。
 そんな僕の背中を、東城はそっとやさしくなでてくれていた。

しおりを挟む
感想 135

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

弟が生まれて両親に売られたけど、売られた先で溺愛されました

にがり
BL
貴族の家に生まれたが、弟が生まれたことによって両親に売られた少年が、自分を溺愛している人と出会う話です

イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です

はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。 自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。 ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。 外伝完結、続編連載中です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。

処理中です...