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9.モブ役者はイケメン座長にからかわれる

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 どうやら僕は気づかないうちに、大事なキャストのひとりである矢住やずみくんを怒らせてしまったらしい。
 直接なにかをしたというわけではないだろうけれど、それにしたって対応がまずかったのはまちがいない。

 顔を洗ってくると言って、レッスンスタジオを出ていってしまった彼の背中に、とっさにかける言葉も見つからなくて、ただ見送ってしまった。
 なんだか落ち込んでる雰囲気はしていたから、あとでうまいことフォローしておかないといけないかな……。

「気にしなくていいと思うよ、君は悪くない」
「えっ……?」
 いきなり後ろから声をかけられ振り向いた先にいたのは、この舞台の主演を務める若手実力派俳優と名高い、相田あいだ裕基ゆうきさんだった。

「ヒロとは何度もいっしょに仕事してるからわかるんだけど、アレはたぶん不貞腐れてるだけだから。というか、ひょっとしたら、はじめての挫折感を味わってるのかもしれないな」
 やわらかな笑みを口もとに浮かべたまま、相田さんがそんなことを口にする。

「はじめての挫折って……」
 デビューしてから1年くらいだとはいえ、それってスゴいことなんじゃないのか!?
 僕なんて、もう何度も挫折感を味わってきてるし、なんならつい最近だって己の無力さを痛感したくらいだ。

「いやぁ、ウワサには聞いてたけど、君が湊斗みなとくんの言ってた『羽月はづきさん』なんだろ?想像以上にハイスペックだねー」
「………はい?」
「湊斗くんとは、前にドラマでいっしょになったんだけど、そのときは口を開けば、ずーっと君の話題ばっかりだったからね。一度どんな人なのかって、生で会ってみたかったんだ」

 えええええ、なんだよ、それ。
 ていうか東城とうじょうのバカヤロー、なに僕のことを現場の話題にしてるんだよ?!
 僕の話なんて、ネタにもならないだろうに……。

「それは、東城が大変失礼しました……!まさか相田さんのような方にまで、ご迷惑をおかけしているとは……お耳汚しをしてしまい、申し訳ありませんでした!」
 あわてて、あたまを下げてあやまる。
 まったく東城のバカ、なにしてくれちゃってるんだよ?!

「いやいや、湊斗くんがあまりにも面白かったから、聞いてる僕も楽しかったし、気にしなくていいよ。というか、なんで君がそこであやまるの?まるで『うちの東城が失礼しました』っていう感じ、奥さんからの謝罪みたいだよね」
 にこにこと笑みを深くした相田さんが、とんでもないことを言い出した。

「えぇっ?!な、な、なんでそうなるんですか……っ!?東城はデビューのときから面倒を見ていたからってだけで……っ!」
 別に僕と東城のことを知っているはずもないのに、うっかり動揺して挙動不審になってしまう。

「うそうそ、冗談だよ。そんなにあわてなくても、大丈夫だってば」
「アハハ、そうですよねぇ」
 ケラケラと笑う相田さんに合わせ、僕も愛想笑いでごまかしたところで、相田さんが一歩踏み出し、顔を寄せてきた。

「まぁ、君との共演が決まった時点で、しっかり湊斗くんからは牽制の連絡が入ったからね。ホント、愛されてるよねぇ」
「え……っ?あの、相田さんはどこまで知って……」
 意味深な耳打ちに、心臓がドキリと跳ねる。

 まさか……僕と東城の関係を知っているのか!?
 それに、ひょっとしたら僕の降板のことも。
 いや座長なら、ほかのキャストの方々は知らない話でも、知らされていてもおかしくはないのか……。

 一瞬にして、いろんなことがあたまをよぎる。
 油断をしていたとはいえ、目の前でほほえみを浮かべたままの相田さんは、こちらの出方をうかがっているようにも見えた。
 すなおに肯定すればいいのか、それとも冗談として受け流すべきか、その判断ができかねて無言のままに時がすぎていく。

「イヤだな、そんなに深刻な顔をしなくても、僕は言いふらすつもりもないし、安心して?本当にあの湊斗くんが絶賛する君に、ちょっと興味があっただけだから」
 パッと離れて朗らかに笑う相田さんには、そのセリフの額面どおり、裏はないようにも思えた。

「そんなわけで、湊斗くんからも頼まれてることだし、僕は君の味方のつもりだから、なにかあったら遠慮なく相談してね」
「ありがとうございます……」
 相田さんは、パチリとウィンクをしてくる姿も、様になっている。

 相田さんと言えば、若手実力派俳優なんて言われているけれど、それ以前にこの人もまたイケメンではあるんだよなぁ……なんて、しみじみと思う。
 そりゃさわやかスポーツマンタイプの東城や、キラキラ王子様系の矢住くんとは方向性がちがうけれど、穏やかなほほえみが似合う相田さんも、貴公子然としている。

 なんだろう、自然とただようロイヤル感というんだろうか?
 貴公子、なんて言うとさっきの雪之丞ゆきのじょうさんも大衆演劇界の貴公子プリンスだけど、あちらがヤンチャな『若殿』なら、こちらは大店おおだなの跡取り的な『若旦那』というんだろうか。
 とにかく、余裕を感じさせるんだ。

 相手は演劇賞をいくつも獲っているようなすごい俳優さんなのに、こうして話していても圧迫感はなくて、まとう空気はやわらかいままだ。
 それでいえ、どことなくにじむ大物感は、内からあふれる自信に裏打ちされているように思えてくる。
 さすがは座長、といったところだろうか。

「そういえば知ってる?さっきの月城つきしろくんさ、ふだんこういう外部舞台だと、めちゃくちゃ気むずかしい子で有名でさ。まずだれに対しても、適当なあだ名で呼ぶだけで、名前を覚えようとしないんだよね。あと自分の名前も同じで、身内以外には彼が認めた相手にしか『雪之丞』って呼ばせないんだ」
 そんなことを思っていたら、相田さんの口から、衝撃の事実が語られる。

「いまだに僕ですら、『月城くん』としか呼ばせてもらえないし、彼からも『おい』とか『そこのイケメン』としか呼ばれないしね」
 そんなことを言う相田さんに、口があんぐりと開いてしまう。

「え、そうなんですか……?」
 かなり上機嫌に話しかけられたから、てっきり取っつきやすい人だなぁ、くらいに思っていた。
 えぇぇ、実はちがうのか……?

「君の場合、一発で名前も覚えられて、自分も下の名前で呼べとか、しかも呼び捨てにしろとか言われるなんて、ものすごくめずらしいことなんだよ」
「そう、なんですか……」
 予想以上の高評価をもらっていたことに、正直おどろきを隠しきれない。

「ちょっとうらやましいかな、なんてね。だからヒロにとって、はじめて敗北を喫した人なんじゃないかな、君は。それで拗ねているんだと思うけど」
 冗談めかした言い方ではあったけれど、それはたしかに相田さん自身の嫉妬の感情までもがにじむセリフだった。

「でも、矢住さんは僕なんかよりも、ずっとすごい才能をお持ちだと思うんですけど……それこそライブだとかでファンの方々をあれだけ熱狂させられるとか、どうやっても僕にはできないことですし、殺陣初心者なのにあの身のこなしだって、本当にすごいことだと思うんです」
 そう口にしながらも、キリ……と胸のあたりが苦しくなる。

 ひとことで『人気者』と言っても、矢住くんや相田さんの人気は、出会った一般人が黄色い悲鳴をあげるレベルなわけで、それはつまり認知度も高ければ、生で会えたという、ただそれだけなのに相手が手放しでよろこんだってことだろ?
 芸能人としての格は、僕とは比べものにならないくらいに高い。

 そんなことはあらためて口に出すまでもなくわかっていることなのに、いざこうして言葉にすると、越えられない壁のような隔たりを感じてしまう。
 僕のようなモブ役者には、とうてい敵いっこない相手なのだと、そう言われている気になる。

 今はまだ演技も殺陣もからっきしだけど、演技は初心者だけに伸びしろがあるし、なにより殺陣に関しては元々のポテンシャルが高い。
 だから矢住くんは、きっと本番までに、もっといい役者さんに化けると信じられた。

 そう思わないと、いまだに降板させられたという事実に泣きたくなってしまうから……。
 我ながら、思った以上にこの役を失ったのは痛かったらしい。
 こんな理不尽、今までだってあったことだし、これからだってあるだろうに。

 なのに、今回やけにくやしく感じているのは、僕に『東城のとなりに立つのにふさわしい俳優になりたい』なんて欲が生まれたからだ。
 あれだけのスターとなった東城と、釣り合うだけの実績が欲しかったんだ。

「才能ねぇ……僕からすれば、その才能にあふれるヒロにはじめての敗北を味わわせたんだから、君も十分才能ある側の人間だと思うけどね」
「相田さんのような方にそう言っていただけるのは、本当にありがたいことなんですが、僕なんてまだまだです。世間での知名度も低いですし……」
 相田さんは、人を誉めるのがうまい。

 たしかな演技力を持ち、魅力ある役作りをする彼もまた『華』のある俳優さんであることは、もはや疑いようもない。
 そんな人に『才能ある』なんて言われたら、うっかり認められたのだと、うぬぼれてしまいそうになるだろ。

 本当に才能があるのなら、制作者サイドに降板させられることなんてないのに……。
 ───って、やっぱり今回はいつまでも引きずって、すぐにぶりかえしてるな。
 ここは、気を引きしめておかないと。

「でも、なんだか湊斗くんが心配するのも、わかる気がするな。君自身は自分の価値に気づいてないというか、己に厳しすぎるというか……まわりから狙われてることに気づいてないせいで、つけこむ隙がありすぎるんだよね」
 たとえばこんな感じに……と、言われたとたんに抱きしめられた。

「はっ?えっ??」
 なにが起きたのか、とっさに理解できなくて、リアクションがとれなかった。
 いや、だっていきなり正面から抱きしめられるとは思わないだろ!?

「あ、あの……?」
 相田さんは東城ほどじゃないにせよ、そこそこ身長もあるせいで、すっぽりとその腕のなかに収まってしまっていた。
 どういう意図なのかと、その顔を見上げてたずねれば、うっすらと口もとに笑みを刷いた相田さんと目が合う。

「こんな風に、簡単に襲われかねないから、気をつけなきゃね?」
 こちらのくちびるを、指先でゆっくりと何度もなぞってくる。
 そのいたずらに、まるでキスをねだられているような、そんな錯覚に陥りそうになった。

「っ!」
 今の相田さんからは、なんてことないセリフのはずなのに、ゾクリとするほどの色気が醸し出されていた。
 それにあてられたのか、一瞬にして頬がカァッと熱くなる。

「あ……………」
 稽古中で動いていたからか、少し高めの相田さんの体温と、それによってふわりと鼻をくすぐる、香水のいい匂い。
 そしてこちらを抱く腕や胸板も、うっすらとした無駄のない筋肉におおわれている。

 その挑発的な笑みは実に蠱惑的で、思わず視線は釘付けにさせられそうだった。
 それは、相田さんがいつもまとっている若旦那的なふんわりとした雰囲気とは、似ても似つかないもので、なんなら今の彼からは、野性的な雄の気すら感じさせられた。

 本来なら、『どうにでもして』と身を任せたくなってしまうようなカッコよさなのかもしれない。
 ドラマのなかのヒロインなら、まちがいなく今の一瞬で落とされているだろう。

 ───なのに僕が最初に抱いたのは、違和感だった。
 その匂いも感触も、そして抱きしめ方も、なにもかもが相手が東城じゃないと告げている。
 そう感じた瞬間にせりあがって来たのは、まぎれもない嫌悪感だった。

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