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6.誠実な監督は苦悩する

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 せっかく、オーディションで決まったはずの大型舞台の配役も、大きなコネクションという力の前では、実に無力なものだ。
 つかみとれそうだった成功の欠片は、夢のように消え失せた。

 こんなとき、すなおに泣ける人間だったらよかったのに……。
 だけど僕は、泣けなかった。
 それこそ、ここで泣いたら、負けを認めてしまうことになるから。

 僕の実力では、演技力が劣る相手にも、まったく歯が立たなかったのだという、芸能人としての格のちがいだとか、人を魅了する才能のちがいだとかを受け入れたことになる。

 そんなのは、嫌だった。
 僕は僕のやり方で、この世界を生き抜くと決めたんだから、その信念を曲げる気はなかった。
 くだらないことに見えたとしても、それこそが僕の矜持なんだ。

 ……うん、我ながら頑固だとあきれるしかないよな。
 でもまぁ、しょうがない。
 万年脇役ばかりのモブ役者である僕にとって、特筆すべき外見を持っているわけでもないんだから、武器になるのは演技力くらいしかないわけで。

 たとえば東城とうじょう宮古みやこさんのように、そこにいるだけで周囲の人の視線を集め、見るものを魅了するかがやきを放つことができるタレントを、『華』のあるタレントなのだというのなら、それを今さら望んだところで、僕では持ちようがない。
 この場合の『華』とは、すなわち『スター性』と言い換えてもいい。

 あれは、持って生まれた恵まれた容姿を伴うことが前提になるものだ。
 当然のように僕は、そんな恵まれた容姿を持っているわけではないし、容姿に関して言えば、芸能界なら掃いて捨てるほどいる、凡庸な外見でしかない。

 強いて僕の強みをあげるなら、地味な顔だからこそ、化粧のりがいいことくらいしかなかった。
 だからどんな役だろうと、メイクひとつで他人のように切り替えられることくらいしか、このモブ顔での利点というものも思いつかなかった。

 それになにより、僕にとっての武器は、その『どんな役にでもなれる演技力』だと自負している。
 演技力ならば努力で磨いていくこともできるからこそ、己の武器たり得るんだ。

 あとは、演じるとき身のこなしの軽さというのにも、そこそこ自信がある。
 元々役者の道を目指したのも、幼いころに戦隊もののヒーローにあこがれたからだし、その夢を叶えたくて、アクションにしても、しっかりと基礎からの稽古は重ねてきている。

 いくら演技力が高くても、それを表現するための身体能力が低ければ、結局意味がなくなってしまうものだから、運動神経がいいというのは、ひとつの強みになる。
 だから、本当なら今回の舞台は、僕にとってまたとないチャンスだった。

 テレビ局の開局記念の特別舞台、そうそうたるメンバーが出そろうなかでのあの役なら、とてもおいしいと思う。
 本当に、このキャストの一覧表を見たあとだと、僕にとってはよくオーディションで残れたものだと思ってしまったくらいだ。

 ………まぁ、結果的には、こうして真っ先にはずされてしまったわけだけど。
 それにひきかえ、昨日ねじ込まれたタレントさんとやらは、すごい武器を持っているんだろうなぁ。

 監督の反応を見れば、たぶん演技力はさほどあるわけでもないのでは……なんて想像がつくんだけど、それをさておいたとしても、その彼は別の才能を持っている。
 そう、世間に名前が知られ、売れている点では彼には僕にないような『華』があるんだろう。

 こんな無茶なねじ込みをさせてしまうくらいなんだ、よほどそのスポンサーにとって、お気に入りだったんだろう。
 ある意味で、それだけの強力なコネをもって役を奪えるのなら、それはそれで本人の才能に代わる力となる。

 だって岸本監督は、作品をつくるときに一切の妥協をゆるさない人だ。
 そんな監督が、いかなる理由であれ、オーディションの結果をくつがえしてまで採用したキャストなんだ。
 きっとこの彼には、僕にはない『なにか』があるにちがいない。

 それこそ東城のような、『華』だとか。
 あとは下世話な話になるけれど、集客能力だとかも、舞台を上演する上では重要な要素になる。
 テレビとちがって、舞台はチケットを買って観に来てもらわなきゃいけないんだから、平日にどれだけの集客ができるのかというのも、配役を決める上で参考にされていたりする。

 その点、テレビで人気のタレントは、ふだん舞台を観ないような客層をかかえているからこそ、こういう大型舞台では重宝されたりする。
 いわゆる舞台のファンだけでは売りきれないチケットも、そういうちがう客層持ちのキャストがいればさばけるんだ。

 その点だけでも、僕よりも彼のほうが優位だ。
 ましてそこに、業界大手の芸能事務所所属で、スポンサーのひいきのタレントだという肩書きがついたとしたら、よりそれは強固なものになる。

 商業的視線で見たら、集客面にしても事務所の力にしても、どう考えても力のない僕を降板させたほうがいいという結論が出るしかない。
 でもどうしてだろう、監督のことを信頼しているというのに、この降板をすなおに受け入れるには、どこか引っかかりのようなものを感じてしまっていた。

「君には、せめてこれを渡しておこうと思って……このまま差し替えの脚本が刷り上がれば、きっとこれはお蔵入りになるだろう」
 そう言って差し出されたのは、しっかりと印刷され、製本されたこの舞台の脚本だった。
 本来なら今日のために用意され、キャストやスタッフに配られるはずのものだったのだろう。

 ふるえる手で、そっとページをめくれば、たしかにそこにはオーディションで内定をもらった役のところに、僕の名前がある。
あぁ……夢じゃなかったんだ。
 こっちはこうしてしっかり製本された脚本で、彼の名前がある人物相関図と配役一覧表は、コピーの束をホチキスで綴じただけのもの。
 どちらが正式なものだったのかは、火を見るよりもあきらかだ。

「今日ほど、コネが通用するこの世界に、憤りを感じたことはないよ……」
 にぎりしめられた岸本監督の拳は小刻みにふるえ、よほど強くにぎりしめられているのか、白く筋が浮かんでいた。

 ───あぁ、そっか、監督もくやしいんだ。
 きっとこの人は、その新しいキャスティングに納得できてないんだろう。
 でも今回のスポンサーは、このテレビ局にとってはお得意様だから、そしてその交代するタレントの所属事務所も業界最上位に近いところだから、機嫌を損ねるわけにいかなかったというところだろうか。

 そう思ったとたん、重く沈んでいた気持ちは急に浮上する。
 だれかひとりでも、僕の降板を本気でくやしがってくれる人がいるのなら、それだけでいいと思えてくる。
 僕にあの役を、ちゃんと演じさせてくれるつもりはたしかにあったんだと、そう思えればこそ、荒ぶっていた気持ちも落ちついてきた。

「ありがとうございます……岸本監督のお気持ち、たしかに受け取りました。僕は僕にできることをやるだけですし、精一杯舞台が成功するよう、お手伝いをさせていただきますね」
 不自然さもなく、きちんと笑えていたかな……?

 そりゃ、いきなりの降板命令には、受け入れるには抵抗がないわけじゃないし、傷ついてはいるけれど。
 僕の力を信じて、採用しようとしてくれていた人たちがいたこともわかったから、そこで手打ちにするしかない。

 そうして心の整理がついてみれば、狭まっていた視野も徐々に開けてくる。
 監督にとってもこのタレントが、納得できないキャスティングなのがわかるからこそ、きっと昨晩は折り合いをつけるのに苦労したであろうことは、想像に難くなかった。

 だって、よく見れば監督の目の下には、うっすらとクマができている。
 きっと受け入れるしかない命令だと、頭では理解していても感情が追いつかず、悩んでしまって、ろくに眠れなかったんだろう。

 僕だってくやしいけど、ここで駄々をこねたところで、そのタレントのような強力なコネクションもない僕では、結果はもうくつがえしようもない。
 ただ監督が、僕への罪悪感とテレビ局の意向との間で、板挟みになってしまうだけだ。

「はぁーー……わかりました、というしかないですね。僕はどうすればいいでしょうか?アンサンブルとして出ればいいのか、それともこのまま帰ったほうがいいのか……」
 深いため息をついて、意識を無理やりに切り替えると、そうたずねる。

「あぁ、本当に、なんと言ったらいいのか……眞也しんやくんには申し訳ないことをしてしまったが、恥を承知でお願いできるのなら、ぜひその力を私に貸してもらいたい」
「僕にできることなら、なんでもやります」
 ふたたび深々とあたまを下げられ、あわててそう請け負う。

「あぁ、助かる。業界内のウワサでは、彼は高い身体能力を持っているらしいから、身のこなしは心配していないんだけどね。たぶん演技に関しては、ほぼ初心者なんだ……」
「なるほど」
 たしかにバラエティー番組だとかでは目にすることはあっても、演技をしているイメージはないな。

「おそらく商業ベースにのせられるレベルに達するまでは、相当稽古が必要になるだろう。だから眞也くんには、アンダーとして彼の指導を手伝ってもらいたい」
「……わかりました」
 そうこたえるしか、僕にはできなかった。

「万が一のときには、彼の穴埋めをする人も必要になるだろう?私としては、あの役を演じられるのは眞也くんしかいないと、そう思っているからね。頑固な年寄りの、ワガママを押しとおすようですまないが……」
「いえ、そのお気持ちだけで十分です」

 アンダーというのは、主に稽古期間中、本キャストが参加できないときに代わりに入って練習を進めさせるための『稽古専用代役』みたいなものだ。
 だけどもうひとつ重要な役割として、本番で本キャストになにかあった際には、その代役としてすぐに入れるようにするための、スペアとしての機能もある。

 大きな舞台や、公演期間が長いものに関しては、比較的穴を空けるわけにいかないからと、主要なキャストにはこのアンダーをつけることが多い。
 とはいえ、本番中にもなにごともなく、役者本人もマジメに稽古に通えるならば不要となる存在だから、コストをかんがみて設定しないこともあるものだった。

 ある意味で、僕を追い落とした彼が主要キャストにいるからこそ、アンダーを自在に雇えるほどにスポンサーから出る資金が潤沢に使えるわけで。
 そう考えると、なかなか皮肉が利いている。
 きっとそれは、岸本監督も同じように思っているんだろう、苦々しい表情のままに空を見つめていた。

「ちなみにこのキャスト変更のことは、ほかにどなたがご存知なんでしょうか?」
 どれだけの人が知っているのかで、稽古場での僕の居心地も変わる。
 せっかくこうして気持ちを切り替えたんだ、下手に同情なんてされたくなかった。

「あぁ、オーディションにかかわったものは、知っているだろうね。でも出演者たちは、皆知らないはずだ。なにしろ本人ですら、だれの代わりなのか知らないくらいだからね」
 岸本監督は、苦笑いを浮かべる。

「それじゃあ、僕は『監督が個人的な伝手で呼んだ稽古要員』ってことで、いきましょうか」
「あぁ、承知した。本当にすまない、眞也くん!」
 なんなら監督のほうが、今にも倒れそうな顔色だった。

「どうぞ気になさらないでください、僕は大丈夫ですから!」
 だからあえて僕は笑みを浮かべ、気丈にふるまう。
 本当の気持ちを押し隠したまま、悟らせないことこそ、プロの役者の力の見せ所と信じて。

 こうして、当初の予定とはちがう形ではあるけれど、たしかに僕はオーディションで勝ち取ったはずのその役を演じることになったわけだけど。
 そしてここからがまた、困難な道のはじまりになるのだった。

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