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5.モブ役者は大手の荒波に呑み込まれる

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 あれから数日がすぎ、特に変わりばえのしない日々が続いていた。
 淡々と仕事をこなし、僕の場合は合間にコンビニのバイトもあって、あっという間に日々がすぎていくような感覚だった。

 あいかわらず世間での東城とうじょうの人気は絶大で、コンビニの雑誌コーナーを見ても、表紙を飾っていることも多いし、街中を歩いていても、至るところに彼がCMキャラクターを務める看板だのポスターだのが掲示してある。
 正直、少し前ならばこれだけ見かけることに食傷気味になっていたかもしれない。

 だけど。
 ふとした瞬間、長らく本人に会えていない事実に気づいて、ため息が出そうになることもあった。
 おかしいな、前ならこんなことはなかったのに……。

 だって相手は大人気のスター俳優で、スケジュールはいつだってみっちり詰まってて、活躍する場があまりにもちがいすぎて、本来ならこうして会うこともないような相手のはずなんだ。
 それなのにこれまで、あんなに頻繁に顔をあわせていたのは、それだけ東城のほうから合わせに来てくれていたからにすぎない。

 その東城本人からは、映画の撮影のために地方ロケが続くと聞かされていたから、こうして会えないのなんて、あたりまえのことのはずだった。
 なのに……寂しい、なんて思ってしまっている。

羽月はづきさん』
 そう呼びかけられる声が、耳の奥に響くような気がして、胸のあたりがキュッとなる。
 案外僕も、認めてしまったら好きな相手に依存するタイプだったのかな……。

 と、そのとき、携帯が着信を告げた。
「っ!」
 ひょっとして、なんて思ってあわてて取り出したその画面には、残念ながら東城の名前ではなく、僕の所属するプロダクションの名前が表示されていた。

 ───別に、声が聞きたいとか思ったわけじゃないし!
 だいたい東城が、分刻みのスケジュールで動かなきゃいけないくらい忙しいのなんて、言われるまでもなく知っているから。
 なんて、だれに聞かれたわけでもないのに、心のなかでいいわけをする。

「はい、羽月です……」
 それでもどこかガッカリしてしまった気持ちを悟らせないように、しっかりと声を作って応答すれば、相手はマネージャーの平山さんだった。

 うちの事務所では、僕のような万年脇役ばかりのモブ役者を多く抱えていて、おかげでマネージャーさんは複数の役者やタレントのマネージメントを担当していた。
 だから基本的には、東城のところの後藤さんのように、付きっきりで面倒を見ることもない。

 僕にしても、仕事をとってきてくれるのと、その仲介なんかも平山さんにしてもらっているけど、ある程度のスケジュール管理になると、自力によるところもあるわけだ。
 今回は、そのスケジュールについての連絡だった。

『ということで、羽月ちゃんはいきなりだけど、明日は例の開局記念舞台の顔合わせになるんで。さすがに今回は大型のお仕事なんで、迎えに行きますから待っててください』
「わかりました、ご連絡ありがとうございます」
 お礼を言って電話を切ろうとしたところで、呼び止められる。

『あ、ちょっと待って羽月ちゃん!連絡くれた向こうのスタッフが、たしか……役が変わったとか、どうとか言ってたよ?』
「はいっ?!そこ、結構重要だと思うんですけど!?」
 え、役が変わるって、大きな変更点だと思うんだけど!?

『……相手が早口だったから、うまく聞き取れなかったんだよねぇ。ま、でも明日呼ばれてるのはたしかだから、遅れずに行けば大丈夫っしょ』
 平山さんは、案外大雑把なところがあるせいで、たまにこういう大事な伝言が抜け落ちることがあった。

 うん、うちの弱小芸能事務所じゃ、マネージャーさんがついてくれるだけ、マシだと思ったほうがいいのかもしれない。
 それに平山さんは大きくはなくても、途切れることなくお仕事を持ってきてくれるという意味では、有能だと思うし。

 うぅん、不安しかないけど、本当に大丈夫なのかな……?
 役が変わるって、そもそもがあれ、半年かけたオーディションで決まった役のはずなんだけどなぁ。

 変わるなら、それこそ『なんのためのオーディションなんだ!?』って話になるわけだけど。
 とにもかくにも、わきあがる漠然とした不安にさいなまれつつ、翌日の初顔合わせに臨むことになるのだった。


   * * *


 テレビ局の開局記念で、特別興行する舞台の出演者が一堂に会して、あいさつをする初日。
 その後にメインの出演者が制作発表をかねた囲み取材を受けるというのが、本日のスケジュールらしい。

 といっても、監督と主演キャスト、それと目玉となるようなキャストくらいしか呼ばれないものだし、僕には関係のない話ではあった。
 だけど、少し早めに現場についた僕は、その顔合わせのための会場から、早々に別室へと呼び出されていた。

「おはようございます、岸本監督。監督とまたお仕事をご一緒できて光栄です」
 岸本監督は、何度か現場をご一緒したことのある人だ。
 それこそ、東城がデビューしたときの連ドラの監督を務めていた人で、その前からも僕はお世話になっている。

「ごめんっ!眞也しんやくん!!このたびは、本当になんと言っていいのやら……いや、全面的に悪いのはこちらだ。私に力がないばっかりに……」
 まずは日頃のお礼をかねてあいさつすれば、いきなりあたまを下げられ、いきおいよくあやまられた。

「えぇと……?」
 なんだろうか、僕にたいして監督があやまるようなことなんてあっただろうか?
 そう考えたとたん、ふいに嫌な予感が胸のうちに広がる。

 この岸本監督は、業界のなかでも相当に誠実な人柄で、それでいて面白い作品をつくりあげることに関しては、一切の妥協を許さないことでも知られていた。
 なにより監督としての役者への指示は的確で、とてもわかりやすい。
 その監督が、うまく説明できずに言葉に詰まっている。

 僕にとっての監督は、お世話になった人でこそあれ、こちらがあやまられるようなことをされた記憶は一度もない。
 それなのに監督は、僕なんかを前にあたまを下げたまま、動こうとしなかった。
 だからこそ、ただあやまってきただけだというのに、なんとなく察してしまった。

「ひょっとして僕は降板、てことですか?」
 キリ……と胸が、ひき絞られるような痛みを訴えてくる。
 せっかくつかんだ役とチャンスが、するりと手のひらから逃げていく。

「本当にすまない……っ!!」
 僕からの問いかけに、監督は否定をしなかった。
 そのことが、よりいっそう僕が口にした推論が、ゆるぎない事実であるのだと告げていた。

「これが……今日の初顔合わせで、皆に配られるものだ」
 それはこの舞台の、役の相関図やキャスティングが書かれたレジュメのようなものだった。
 ただし、きちんと印刷されたとは言いがたい、コピーをホチキスで綴じただけの簡易的なものだったけれど。

「拝見します……」
 テーブルの上に出されたそれを、手を伸ばして引き寄せる。
 だけどその手は、無様なくらいにふるえてしまっていた。

 ペラリとめくれば、そこには役名と並んでそれを演じる役者の名前が書かれている。
 主役を演じるのは、過去に年末特番の時代劇でも主演したことがある、殺陣には定評のある人気の若手実力派俳優だ。
 彼が主役に据えられている時点で、ここのテレビ局が、どれだけこの舞台に力を入れているのかがわかる。

 それ以外のキャストにしても、舞台をメインに活躍している主役級の俳優さんが、ゴロゴロと列記されていた。
 あぁ、豪華だな……これだけのキャストをそろえるんだ、この舞台はきっとすごいものになるんだろうなぁ。

 どんな仕上がりになるのか、観てみたい。
 なにより、そんなワクワクするような舞台なら、僕もいっしょに作り上げたいと願う。
 だってそうだろ、役者なんてお仕事をしていたら、そう思うのがふつうだろ。

 だけど───やっぱり、何度見直したところで、その紙面のなかに僕の名前はなかった。
 僕が内定を受けたはずの役のところにあったのは、大手の芸能事務所に所属する、運動神経が抜群であることを売りにした若手イケメンタレントの名前だった。

 あらためて目にした瞬間、ギュッと心臓をにぎりつぶされているような痛みを覚える。
 あぁ、やっぱり僕ははずされたんだ。
 なんで、どうして───!?

 こちらに、なにか落ち度でもあったんだろうか?
 それともこの彼は僕なんかより、もっとうまくあの役を演じられるんだろうか?
 考えるほどに、思考は闇にとらわれていく。

 ズキズキと心臓は痛みを訴えたまま、心のなかは怒りだの悲しみだのの感情の波が、激しく飛沫をあげて荒れ狂っていた。
 叫びだしたいほどの衝動に突き動かされ、どうしてこうなったのだと、監督へと詰め寄ってしまいそうになる。

 けれど実際には、突然すぎる告知に感情は内にこもったまま、表情は凪いだ湖面のようにみじんも動かなかった。
 だって、こんなとき、いったいどんな顔をすればいいっていうんだよ……。

 もちろん、ここで『くやしい』と泣くことは簡単だ。
 いまだに心臓は、にぎりつぶされているような痛みを覚えていたし、鼻の奥だってツンとした刺激を感じている。
 だから、ほんのすこし気をゆるめるだけでいい、そうすれば簡単に涙腺は決壊するだろう。

 せっかく半年にわたるオーディションの結果、もらっていた役の内定を取り消されたんだ。
 どんな役者だって、くやしさを覚えるだろうし、泣いたって仕方がないと思って同情してもらえるかもしれない。
 でもそれをしたら、岸本監督にも、きっと迷惑がかかってしまう。

 そんな攻防が内心で起きていたせいで、ろくに言葉を発することもできなかった。
 そんな僕の様子に、岸本監督は深々とため息をつく。

「本当に眞也くんには、申し訳ないことをしてしまったと思っているよ。いつかこの借りは返すつもりでいるから、どうか気を落とさないでもらいたい……」
 こちらを見るまなざしは、罪悪感がたっぷりと籠められたものだった。

「……………………」
 本当なら『わかりました』と、物わかりがいいフリをしたほうがいいってことは、もちろんわかっている。
 でも監督に対して、なんと返していいか余計にわからなくなっていた。

「───実は昨日、スポンサーの意向で、君にやってもらうつもりだった役を、どうしても演じてもらいたいタレントがいるから、そちらにしろと指示をされてね。私としては、すでにオーディションは終わっているのだからと、お断りしたかったんだが……」
 そこで岸本監督は、苦々しげな表情のまま、ななめ下を向く。

「それに彼の事務所といったら、この業界のなかでも3本の指に入るくらいの大手だからね。彼を使ってくれなければ、自社のタレントは今後一切こちらの局の番組には出させないなんて言われてしまえば、うなずかざるを得ないだろう……」
 あぁ、なるほど、ゴリ押しか。

 大手の芸能事務所の新人だとか、大企業をスポンサーをつけた場合には、やたらといい役が来ることがある。
 芸能界っていうのは、そういうところだ。
 実力があるから人気が出るわけじゃない、人気が出たものだけが、実力を認められるんだ。

 そのためにコネを使えるのならば、それも本人の実力に代わる、ひとつの立派な力となり得る。
 今回の話は言うなれば、僕の演技力が、その彼の持つ力に負けたというだけの単純な話だった。

 羽月眞也なんていう役者は、しょせん弱小プロダクション所属の、売れない万年脇役俳優なんだ。
 そうそうたるメンバーぞろいのキャストを見たら、いちばん追い落としやすかったんだろう。

 あぁ、『力』のない自分が、なによりもくやしい。
 僕の演技力では、大手事務所の横やりに抵抗することすら、できなかったんだ。
 その苦みを噛みしめ、ただひたすらに荒れ狂う心の内を鎮めようとすることくらいしか、今の僕にはゆるされていなかったのだった。

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