機械仕掛けの最終勇者

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第十章 俺が守る

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 武芸大会当日。太陽が真上から異世界アルヴァーナを照らしていた。ソブラにある円形闘技場のすり鉢状の観覧席は多くの人々で埋め尽くされ、大会の参加者達も既に舞台袖で出番を待っていた。

 着物姿の男が、闘技場近くの受付に歩み寄る。

「よう。勇者と女神もコレに出んのか?」
「あっ、はい。えぇと、後半に出場予定ですね」
「なら俺も出てやるよ」
「残念ですけど、参加者の申し込みはもう終わってるんです」
「つれねえこと言うな。せっかく来たんだからよ」
「うーん。では辞退者が出たらってことで、とりあえず此処に名前を……」
「ひはは。名前。名前か」

 受付嬢に差し出された羽ペンを受け取らず、男は背中の鞘から剣を抜いた。

「戴天王界覇王――暴虐のサムルトーザ!」
「ひぃっ!?」

 受付嬢が金切り声を上げた、その時。

「そこは受付だ。剣を見せる場所じゃない。そんなことも分かんないのかよ?」

「ああ?」と着物の男が振り向く。そして、輝久と輝久のパーティを睥睨した。片手に持っていた懐中時計のような探知機を見て確認すると、覇王サムルトーザはにやりと口元を歪める。

「そうか。てめえらが勇者と女神か」

 輝久の隣、ユアンとクローゼが神妙な顔を見せる。

「た、確かにテルの言ってた通り、危なそうなのがいるね」
「ああ! 何だよ、コイツの禍々しいオーラは……!」

 怯えたネィムがクローゼの背後に隠れる。だが、サムルトーザは、輝久とマキしか目に入っていないようだった。輝久を睨み付けながら話を続ける。

「黒の長卓がざわついてたぜ。二体連続でやられちまったもんだから。まぁ、覇王にも色々いるわな。ガガもボルベゾも、クソ弱ぇえ世界の頂点だったんだろ」
「あん? 何の話だよ?」

 訝しげに問うたクローゼに、サムルトーザは嗤う。

「黙ってろ。てめえらが気にするこたぁねえ。どうせ、すぐに消えちまうんだからよ」

 そしてサムルトーザは受付嬢に対して抜いた剣を、輝久達に向け直して叫ぶ。

「弱小世界のクソカス共! てめえら、一人残らず皆殺しだ!」

(皆殺し……)

 輝久は心の中でサムルトーザの言葉を反芻した。連続して見た――いや見せられた悪夢から一日が経過して、その内容はもはやおぼろ。光の女神の名も思い出せない。

 それでも、多数の刃に体を貫かれた観客の惨殺シーンが、断片的に切り取られた写真のように輝久の脳裏を過る。

(呼吸が速い……体が熱い……)

 目の前にいるのは、ガガやボルベゾ級の強敵。それでも、恐怖とは程遠い、漲るような気持ちが胸の内から込み上げてくる。

「下がってろ、テル。コイツはかなりヤバそうだ」

 危険を察知したクローゼが輝久に歩み寄る。クローゼとユアンが、輝久とマキをかばうように前に出た。ネィムもまた勇気を振り絞った表情で、輝久とマキの隣に陣取る。サムルトーザがベロリと舌舐めずりしで、剣のグリップに力を入れた。

「え!? て、テル!?」

 不意に、クローゼが驚いた声を出す。ユアンとクローゼの間を抜けるようにして、輝久が前に進み出たからだ。

「……コイツらさ。すげー良い奴らなんだよ。弱くても俺を守ろうと必死でさ」

 輝久はサムルトーザに語りかけながら、次に闘技場観客席を見渡す。人間に混じって、ゴブリン、エルフ、ゴーレムなどの魔物も演技を見ようと駆けつけていた。

「魔物だって、本当に悪いモンスターなんていない。住んでる人間も、俺が元いた世界より純粋な奴ばっかなんだ。なのに……」

 溜まった怒りをぶつけるように、輝久はサムルトーザを睨み付ける。

「こんな平和な世界でムチャクチャやってんじゃねーよ」
「ああ? 俺ァ、まだ何も――」

 言いかけたサムルトーザは、口を三日月にした。

「ひははは! そうか! 砕け散る寸前の魂の! 残滓の記憶か!」

 輝久に理解不能な台詞を吐きながら、サムルトーザは哄笑する。ひとしきり笑った後、サムルトーザもまた周囲を見渡した。

「知ってるぜ。この世界に住む奴らが、生きる価値もねえカスばっかってことは。だからこそ選ばれた。『可逆神殺かぎゃくしんさつの計』の舞台に」
「アルヴァーナに来てから、よく分かんないことだらけだ。けど、お前が最低最悪のクソ野郎だってことは分かる」
「ひは……ひははははははは!」

 またしても笑う。だが、今度はその直後、魔神を思わす憤怒の表情に変化する。全身から溢れ出る邪気。サムルトーザが声色を変える。

「誰に口きいてんだ、塵芥ちりあくたァ……!」

 血走った両目を見開き、ごきりと片手で関節を鳴らす。目には見えない強烈な威圧感が、輝久の全身をビリビリと貫いた。

 サムルトーザと対峙して、輝久は肌で感じていた。不死公ガガも、侵食のボルベゾも、身の毛もよだつ程に恐ろしい敵だった。だが……。

(コイツは、もう一段階、上の敵だ)

 クローゼが慌てて、輝久をかばうように再び前に進み出る。

「下がってろってば! ガーディアンの使命だからよ! テルはアタシが守る!」

 何度も聞いたクローゼの台詞に、老人に見せられた悪夢がまたも脳裏を過った。サムルトーザに対して、沸々と沸き上がる本能にも似た怒りが、輝久の体を支配していた。

『ウー、ウー、ウー、ウー、ウー!』

 今までサムルトーザに視線を向けたまま沈黙していたマキから、警報のようなサイレン音が鳴り響く。

「邪悪なオーラを感知致しまシ、」
「……マキ」

 いつものように変形しようとしていたマキの前に、輝久は手をかざす。きょとんとした顔で動きを止めたマキを連れて一緒に前に進む。そして輝久は、仁王立ちするクローゼの肩に手を当てた。

「クローゼ。お前は俺が守る」
「はっ!? ええっ!? い、今、何て!? えっ、えっ、えっ!?」

 顔を真っ赤に染めたクローゼの隣を、輝久はマキと共に通り過ぎる。

「行くぞ、マキ」

 深呼吸した後、サムルトーザを睨み付けながら輝久は静かに言う。

「……トランス・フォーム」
「了解致しまシタ!」

 どこか嬉しそうにマキが言った。その途端、マキの全身は銀色に変化し、四肢が分かたれる。輝久の五体にマキのパーツが接着するや、激しく発光。メタリックな鏡面のボディから白煙を発散させる。

 輝久の変身に、サムルトーザが額にある第三の目を細めた。

「ああ? 聞いてねえぞ。女神と合体するだと。何だ、てめえは?」
「俺も良く分かんないんだけどさ。知りたいなら教えてやるよ」

 変身した輝久は、ゆっくりと口を開く。

「異世界アルヴァーナに巣くう邪悪に会心の神撃を……」

 胸の女神の機械音と輝久の声が初めて、互いに折り重なるようにして言葉を紡いでいく。

(ガガ戦、ボルベゾ戦、繰り返し聞いたから覚えた? いや……本当はもっと前から知っていたような)

 輝久自身驚くほど、胸の女神と一言一句、綺麗にシンクロした。円を描くようなジエンド独特の演舞もまるで自分の意志の如く、自然かつ流麗に舞う。

 最後に、暴虐の覇王サムルトーザを標的に定めるように指さすと、輝久は胸から聞こえる女神の声を掻き消す程に力強く言う。

「終わりの勇者――ラグナロク・ジ・エンド!」

 薄ら笑いを浮かべていたサムルトーザは、指で自らの側頭部をトントンと叩く。

「こめかみの辺りがよ……」

 かつて、一つの世界を崩壊せしめた覇王のオーラが円形闘技場を覆う。

「ビキッときたぜ……この道化が!」



『アニマコンシャスネス・アーカイブアクセス。分析を開始します』

 赤く光る数字の羅列が、ジエンド眼部の遮光シールドを右から左へ流れる。

『33……507……743……4893……6930……9549……11857……22857……38938……41121……54393……66660』

 かろうじて輝久が視認できたのはこれだけであった。流れていった数字は、心なしかガガやボルベゾと戦った時より多いように輝久は感じた。

 胸の女神のレリーフが、感情の欠落した声を発する。

『リミッターブレイク・インフィニティ』

 ジエンドから発散された衝撃波が、空気を震わせ、地面を罅割れさせる。観客席に座っていた人々が「何だ、何だ?」と、ジエンドとサムルトーザのいる受付付近を眺めた。

(ジエンド。最初っから全力って訳か)

 胸の女神もまた、サムルトーザが格上の存在だと認識しているに違いない。サムルトーザが、にやりと口元を邪悪に歪めた。

「仲間を守るとか抜かしやがったな? だったら守ってみろよ……」

 サムルトーザが背の剣に手を掛ける。鞘から抜いた途端、強烈な風が発生して、遠巻きに眺めている者達の髪を揺らす。

 サムルトーザは剣を地面に突き立てる。突き刺された剣の両側に、同じ剣が出現し、そのまた隣にも――。瞬く間に出現した無数の剣がサムルトーザを囲った。

「おっ! 前座が始まるみたいだぞ!」
「待ってました!」

 魔術か奇術だと勘違いした観客達から、歓声と拍手が巻き起こる。サムルトーザが嗤いながら叫ぶ。

「邪技の壱!『飛追』!」

 ふわり、と全ての剣が宙に浮いた。

「……逃げろ」

 輝久は呻くように言う。朧気な悪夢の一場面が鮮烈に蘇った。輝久は観客席に向けて大声で叫ぶ。

「全体攻撃だ! 皆、今すぐ此処から離れろ!」 
「ひはは! もう遅せえ! てめえも、仲間も! 此処にいる全てのクソカス共も! まとめて死んじまえよ!」

 サムルトーザの言葉に呼応するかの如く、中空まで浮遊した無数の剣が観客席に降り注ぐ。

「け、剣が……降ってくる……?」
「うわあああああああああああ!!」

 絶叫する観客達。だが、その刹那、ジエンドの背中から機械音。筒状の突起が十数基、出現する。

『グレイテストライト・オールレンジ――ファイア』

 胸の女神の声と同時にジエンドの後背部から、幾条もの光線が闘技場の空に射出された。

 既にサムルトーザの放った剣は人々の頭上に迫っていた。輝久の視線の先、一人の女性を狙って剣が飛翔する。女性の頭部まで、あわや1メートルの所で、しかし、ジエンドの光線が迎撃。剣は音を立ててバラバラに粉砕された。
 一本の剣を破壊した後も光線は威力が衰えない。軌道を変えて、そのまま数メートル先で浮遊する剣に向かい、それも粉砕する。

 ジエンドの放った光線は、飛追による剣の飛翔速度を大幅に上回っていた。意思を持っているかのようなサムルトーザの剣は、光線から逃れようとして軌道を変えるが、それすら追尾してガラス細工のように簡単に打ち砕いていく。

「すげえ……!」

 数百はあろうかという剣の破壊を目の当たりにして、輝久は思わず感嘆の声を漏らした。ガガ戦で初めて使用した技だったが、むしろ今日この時の為に編み出されたかのような――そんな気さえした。

 しかも、ジエンドの攻撃は輝久の思惑を超えていた。全ての剣をほぼ同時に破壊した後、光線は一斉に軌道を変えてサムルトーザに向かう。まるで、発射から破壊までの時間が緻密に計算されていたかのように。

 興奮と歓喜の入り交じったクローゼの声が、輝久の耳朶を打つ。

「行けえっ! そのまま蜂の巣にしちまえ!」

 サムルトーザの四方をぐるりと囲み、迫る光線。だが、サムルトーザは背から剣を抜くと、全身を捻って回転しつつ振るった。全方位から迫っていた光線が忽然と消失する。

「ぜ、全部、消されてしまいましたです!」

 ネィムが叫ぶ。サムルトーザは、平然と剣を背の鞘に収める。

「魔剣ゼフュロイを全て破壊し、そのまま攻撃に転ずる――か。ちったぁ褒めてやるぜ」

 まるでダメージのないサムルトーザを注視しつつ、輝久は仲間達に叫ぶ。

「ユアン、クローゼ、ネィム! 今のうちに観客を避難させてくれ!」

 ユアンが頷き、クローゼもネィムと一緒に観客席に向かう。クローゼが、まだ現状が把握できていない観客に大声で叫ぶ。

「お前ら何、ボーッとしてんだよ! ありゃあ演技じゃねえ! アイツは本気でアタシらを殺すつもりだ!」
「皆、すぐに此処から逃げるんだ!」

 町の顔である兄妹の警告を聞いて、観客達は闘技場から我先にと駆け出した。

「急いでくださいです! でも押さず慌てず、ゆっくりお願いしますです!」

 すり鉢状の観覧席から、人々が東西にある二つの出口に向かって走って行く様子を眺めながら、輝久は小さく頷く。

「よし! 大方、脱出できたな!」
「そうか? まだ残ってんぞ? カスが三匹ほど」

 サムルトーザの視線の先を追って、輝久は歯噛みする。

「お前……!」
「ひひははは! 勇者は守る者が多くて大変だな!」

 サムルトーザが、ドッと音を立てて地を蹴った。凄まじい速度で輝久のパーティに迫りつつ、腰から双剣を抜く。

 真っ先に狙われたのは、サムルトーザから一番距離の近い場所にいたネィムだった。サムルトーザが左手に持った細身の剣を大きく引く。

「邪技の弐!『破戒』!」
「ネィム!!」

 叫ぶと同時に、輝久の視界が歪んだ。「へ?」と輝久が思った瞬間、自分の目前にサムルトーザが迫っている。更に、輝久の背後には怯えるネィム。

(お、俺、どうやって一瞬で距離を詰めたの!? いや、それはまぁ良いとして――)

「勇者様ぁっ!!」

 今度はネィムが叫ぶ。細身の剣から繰り出される、目にも留まらぬ刺突がジエンドを襲う。金属と金属がかち合うような音が連続して闘技場に木霊した。

「バカが! 破戒の刺突、全て受けとめやがった!」

 サムルトーザは、体中から煙を出すジエンドを見下ろして嘲笑った。ジエンドの全身には刺突による複数の罅割れが生じており、その部分がバチバチとショートするように爆ぜている。

「うぐ……」

 輝久は唸る。痛みは感じないが、明らかにジエンドがダメージを負っていると分かる。自然と跪くような体勢となったジエンドに、ネィムが淡い光の宿った両手をかざす。

「今、治しますです!」
「ひははは! 邪技の弐は回復不能の刺突! 喰らっちまえば、それでしまいだ!」
「そ、そんな……!」

 ネィムが絶句する。体中の罅から煙を出し続けるジエンドとネィムの元に、クローゼとユアンが駆けつける。

 サムルトーザは、輝久のパーティを見て、楽しそうに顔を歪めた。

「勇者ってえのは哀れだな! 背負い込んだ荷物のせいで、実力が発揮できねえ!」

「ぐっ!」と唸って大剣に手を伸ばすクローゼが、輝久の視界に入る。

「やめろ! 俺が守るって言ったろ!」

 輝久が叫ぶと、ビクッと体を震わせて、クローゼは動きを止めた。バチバチと体をショートさせながら、輝久はサムルトーザを見上げて言う。

「覇王ってのは……こんな姑息な奴ばっかなのかよ……?」
「俺ァ、強さなんぞに興味はねえ。てめえの哀れな顔が拝めりゃあそれで良いんだ」

 そして、サムルトーザは右手に持った黒い刀身の剣を後方に引いた。

「壊れていく様をじっくり楽しみてえが、てめえは覇王を二体殺してやがる。このまま確実に息の根を止めておく」

 ジエンドは膝を突いたまま、サムルトーザの攻撃に対して、罅の入った右手をかざす。ジエンドの右掌から盾のような大きさの魔方陣が出現した。

「そんな魔法障壁で防げやしねえよ!」

 サムルトーザは躊躇無く、黒き剣を魔方陣に突き立てた。瞬間、ジエンドの展開した魔方陣はドット化して雲散霧消する。

「砕け散れ! 邪技の参『必絶殺』!」

 魔方陣を砕いた黒き剣が、そのままジエンドの胸を貫通する。胸部と後背部から激しく火花が散ると同時に、ジエンドの体がドット化し、輝久は今にも全身が弾け飛んでしまいそうな感覚を味わう。

(こ、これは流石にマズい……!)

「テル!! 大丈夫なの!? ううっ! 凄い煙で、」
「な、何も見えねえっ!!」

(え……?)

 そんなユアンとクローゼの叫び声が聞こえて、輝久は周囲を窺う。いつしかジエンドの周りは白煙に包まれていた。仲間は勿論、サムルトーザの姿さえ見えぬ程の煙が辺りに立ちこめている。

 輝久はその出所に気付く。破戒の刺突によってジエンドの全身にできた罅から、白煙が噴出していた。煙はジエンドを包むように濛々と広がり、輝久の視界をも遮っている。

 あまりの煙に、輝久は攻撃されたことすら忘れて狼狽えた。やがて……煙が晴れる。

 最初、輝久の視界に映ったのは、対面にいるサムルトーザだった。先程まで勝利を確信していたサムルトーザの顔は、不可解に満ちた表情へと変わっている。

「き、傷が全て治っていますです!」

 歓喜に満ちたネィムの声が聞こえて、輝久はジエンドの体を窺う。まるで、邪技を喰らう前に時が戻ったかのように、ジエンドの鏡面ボディには傷一つない。

 太陽光に美しく照らされて、胸部の女神が囁くように言う。

『観測者不在に於いて揺蕩たゆたう真実……』

 女神の言葉の後を追うように、輝久の口が自然と開かれ――。

「マキシマムライト・デコヒーレンス!」

 いつものように、言ったことのない技の名前を叫んでしまう。

 こめかみをヒクつかせながら、サムルトーザが輝久に問いかける。

「回復不能の刺突と、必殺の剣撃を喰らってどうして生きてやがる……?」
「さぁね。俺にも分かんねえよ。でも、そんなに興味ないかな」
「あぁ?」
「お前は強さに興味ないんだろ? 俺だって、仲間を守れるなら何だって良いんだ」
「妖術使いが……!」

 尖った歯をギリッと軋ませるサムルトーザ。輝久はそんなサムルトーザを睨む。

「お前が狙ってんのは、俺とマキだろ。卑怯なことばっかしてねえで本気で来いよ」

 輝久の思いに呼応するように、ジエンドが闘技場の中央まで歩み、人差し指をチョイチョイと動かす。サムルトーザの顔が怒りの色に染まる。

「上等だ……この塵芥……!」

 ザッと音を立てて、サムルトーザが円形闘技場の石畳に足を踏み入れた。

 輝久は自分のパーティを振り返る。

「やっとやる気になったみたいだ。皆、離れた所で待っててくれ」
「で、でもよ、テル!」

 居ても立ってもいられない様子のクローゼの腕をユアンが握る。

「クローゼ。テルならきっと大丈夫さ。それに悔しいけど、僕らが居れば足手まといになる」
「くっ!」

 少し躊躇った後、クローゼは兄の言葉に同意して円形闘技場を出た。



 ……今、ソブラの円形闘技場の中央で、ジエンドに変身した輝久と、暴虐の覇王サムルトーザが対峙していた。

 サムルトーザが腕を背に伸ばし、刀身が霞んでいる不可思議な剣をぬらりと抜く。

「存分に後悔しやがれ。てめえの領域を超える不可視の斬撃を喰らいながら、よ」

 ジエンドもまた、掌からレーザーブレードを発現させて構える。サムルトーザの第三の目が怪しく光る。

「邪技の――」

 言いかけて、サムルトーザは不意に動きを止めた。そして、ジエンドを睨み付けながら大きく息を吐き出す。

「いや……やめだ」

 驚くことにサムルトーザは、握っていた剣を遠くに投げ捨てた。

(何だ……?)

 レーザーブレードを構えたまま、呆気に取られる輝久を、サムルトーザは三つの目で見据える。

「罅割れた魂に、こびり付いた記憶の残滓。てめえは俺の邪技に対応可能な技を持ってやがる」
「は? 何言ってんだよ?」
「邪技の肆『気先きせん』が破られるとは思えねえ。だが、俺の勘が告げてやがる。念には念を入れておけ、と……」

 サムルトーザの背負っていた剣は、いつしか最後の一振りになっていた。サムルトーザがその剣を鞘ごと、自らの胸の前に持ってくる。

 それは今までの剣よりも一層、異様で、包帯のように鞘に呪符が巻き付けられていた。サムルトーザが呪符を剥ぎ取り、剣を鞘から引き抜く。中からは意外にも、光り輝く美しい刀身が現れた。

「天剣ブラド・ナデア。俺が蒐集した中で、最大の攻撃力を誇る剣だ」

 不意に漂う、焦げた匂い。剣のグリップを握るサムルトーザの手が、高温の物に触れたように煙を上げていた。呼吸を荒くするサムルトーザ。こめかみを一筋の汗が伝っている。

「い、今までと雰囲気が違いますです!」
「まさか……あの光は、聖なる光……?」

 ユアンの呟きにクローゼが反応する。

「聖剣ってことか!? どうして、アイツがそんなの持ってんだよ!!」

 サムルトーザがブラド・ナデアを天にかざすように掲げる。にやりと笑った後、サムルトーザは口を大きく開けた。驚くべき事に、サムルトーザは牙の生えた自らの口腔内に剣を差し込んでいく。

 クローゼが大声を張り上げる。

「何だあ、アイツ!! 前回の大会優勝者みてえな真似しやがって!!」
「ち、違うよ、クローゼ! これはマジックじゃない! 本当に剣を飲み込んでるんだ!」

 ユアンの言う通り、サムルトーザの口腔は剣によって切り裂かれ、黒い血を溢れさせていた。それでも刀身は徐々に体内に飲み込まれていく。

「はわわわ! 怖すぎますです!」

 ネィムの泣き声が聞こえた時には、サムルトーザは剣を完全に飲み下していた。黒い血を口から吐き出しながらも、ジエンドを見て、にやりと笑う。

「か、体によ……ちっとダメージを負うからよ……じ、実戦で使ったことはねえ。ありがたく思えよ……てめえ如きが、こ、この技で死ねるんだからよ……」

 言い終わるや、猛獣の如き咆哮。サムルトーザの体が黒く染まり、バキバキと音を立てながら硬質化していく。

 サムルトーザは全身が黒曜石の結晶のような怪物へと変化する。手、足、胴体――体の各部位が鋭く尖り、全身凶器と化したサムルトーザを見て、闘技場の縁にいたユアンが、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「何て、おぞましい姿……!」
「マジのバケモンじゃねえかよ……!」

 クローゼもユアンの隣で震える声を出す。剣そのものを擬人化したような姿となったサムルトーザは、三つの目をギロリと輝久に向けた。

「ひはは! お望み通り、サシの勝負だ!」
「ゲームの裏ボス並の超変化しやがって」

 輝久は言った後、フンと鼻を鳴らす。サムルトーザがパワーアップしたのは、火を見るよりも明らか。それでも恐怖は全く感じなかった。

(とにかく、ぶつけてやる! 俺の全力を!)

 輝久が熱い気持ちを滾らせたその時。胸の女神が声を発した。

『草場輝久とのシンクロ率に比例して、ラグナロク・ジ・エンドの外装を強化します』
「……え?」

 輝久は唖然としてしまう。ジエンドが急に、持っていたレーザーブレードを天にかざしたからだ。更にジエンドは顔を上に向ける。自然と口が開き、ジエンドの持つレーザーブレードが輝久の口元に下りてきた。

「えっ、えっ!? 嘘だろ!! 俺もやるの、それ!? ……おげえっ!!」

 無理矢理、口腔内に光の剣を差し込まれる。相変わらず痛覚はないが、心理的に戻しそうになる。

 えずきながら輝久が光の剣を飲み込んでいる最中、ユアンがぼそりと呟く。

「な、何だか本当に武芸大会っぽくなってきたね……」
「言ってる場合か、兄貴!」

 クローゼがツッコんだ時には、ジエンドは剣を丸呑みしていた。

『ラグナロク・ジ・エンド【モード・アサルト】』

 胸の女神の言葉と同時に、ジエンドの体が発光する。目も眩む光が収まった後、ジエンドはサムルトーザと似た結晶の体へと変化していた。こちらも四肢が全て鋭利で、全身凶器を思わせる姿。だが、漆黒のサムルトーザとは違い、ジエンドは煌めく水晶の如き結晶体であった。ネィムが叫ぶ。

「勇者様も同じような変化をしましたです!」
「けど、テルのはアイツと違って綺麗だぜ! 宝石みてえだ!」

 サムルトーザは忌々しそうに硬質化した右脚を振り上げ、闘技場の石畳を簡単に踏み砕いた。

「いちいち癪に障りやがる。真似してんじゃねえよ、塵芥ァ……!」

 輝久は、えずいた後の気持ち悪さを振り払うように、口元をゴシゴシと腕で拭う。

「こっちだって、やりたくてやってんじゃねーんだよ。けど、これで対抗できそうだな」

 向かい合う闇と光。サムルトーザが剣のように鋭く尖った両腕を引いて構える。ジエンドもまた、胸の前で鋭利な両腕を構えた。

 ジエンドの胸部。感情に乏しい女神の声が円形闘技場に響く。

『受けよ。別領域から来たる――』
ぐうの神力を!」 

 胸の女神の声に被せるように、輝久もまた叫んだ。



 ……ファースト・インパクトは怒号を思わせる轟音。重量のある硬化物質同士がかち合い、軋み合う。闘技場中央で、光と闇の残像がぶつかり合っていた。

 硬質化し、鋭利な刃と化したサムルトーザの両腕の連撃を、ジエンドもまた剣のように尖った腕で防御する。耳をつんざく連続音。周囲の空気が震える。

 時が経つ程にサムルトーザの攻撃は速さを増していく。両者の立つ円形闘技場の石畳は罅割れ、大きく陥没する。

 闘技場の縁では、クローゼ達が両者の衝突によって生じる衝撃波に耐えていた。

「な、何だよ、この戦い! ありえねえだろ!」
「絵本の……神話の中の世界みたいだ……!」

 ユアンは開いた目を閉じられない。サムルトーザの攻撃をジエンドが弾けば、分散されたエネルギーで周囲の景色は歪んで見えた。この世界にあらざる者達の力と力がぶつかり合う。大気が乱れて、闘技場上空には黒雲が発生した。

 ユアンとクローゼが息を呑んで見守る中、不意にネィムが緊張を孕んだ声を出す。

「ゆ、勇者様が……勇者様が押されていますです!」

 ネィムが言ったように、いつしかジエンドはサムルトーザの猛攻により、闘技場中央から後方に移動していた。

 攻撃の手を休めず、サムルトーザが嗤う。

「オラオラ、どうした! てめえの望み通りの一対一だぜ!」

 ジエンドに攻撃する暇も与えない連撃。人間の動体視力を、とうに超えたサムルトーザの猛攻で、輝久の目前を激しい火花が散る。攻撃を受け続けているジエンドの両腕が、ビリビリと痺れている。

「ぐっ……!」

 思わず輝久が唸ると、サムルトーザが愉悦を孕んだ声で哄笑する。

「ひはははは! まがい物が! 媒体が違ぇんだよ! ブラド・ナデアは、俺の支配した世界クルプトに召喚された勇者を殺して奪った剣だ!」

(ジエンドも全力の筈なのに! やっぱコイツ、桁違いに強い!)

 いつしか防戦一方。クローゼ達とは反対側の闘技場端までジエンドを追い詰めると、サムルトーザは右脚を大きく振り上げた。

「喰らいやがれ! アダマンタイトから作られた天剣ブラド・ナデアと一体化した斬撃を!」

(か、踵落とし!?)

 全身武器と化したサムルトーザの右脚はまるで大剣。研ぎ澄まされた必殺の斬撃が、ジエンドの頭部を襲う。

 輝久とジエンドの意思が、頭部を守ることでシンクロした。輝久は両腕を交差して、どうにかサムルトーザの踵落としを受けとめる。

 両腕に伝わる凄まじい衝撃。そしてその刹那、ビキッと破壊音。

 輝久が小さく唸り、サムルトーザはにやりと口元を歪める。だが次の瞬間、サムルトーザはぐらりと体勢を崩した。

 サムルトーザの三つ目が全て大きく見開かれる。斬撃を繰り出したサムルトーザの踵部分から足首までに亀裂が走っていた。

「天剣ブラド・ナデアを宿した体に罅が入るだと……!」

 理解できないといったサムルトーザの表情。ようやく攻撃に転ずる好機だと輝久は思った。しかし、ジエンドは動かない。

「お、おい! 今が攻撃のチャンス、」
『……100%』
「え?」
『ホワイト・マターの充填が完了しました。攻撃対象に有効な技が発動可能です』
「溜めてたの!? いつの間に!?」

 激しい斬撃の音で、聞こえていなかったのかも知れない。だが、輝久と胸の女神のレリーフが会話している間に、サムルトーザは闘技場を移動していた。そこにはサムルトーザが変身前に投げ捨てた剣が転がっている。

 サムルトーザは口を大きく開くと、刀身が霞むその剣を飲み込んだ。ネィムが悲鳴を上げる。

「さ、更にもう一本の剣を飲み込みましたです!」

 すぐにサムルトーザに変化がおとずれる。メキメキと軋む音と共に、サムルトーザの黒き結晶の体が伸長する。3メートルを超える体躯からは、輝久がジエンドに変身した時のような蒸気が発散されていた。

「バラバラにしてやるよ……!」

 呟くと同時にサムルトーザの巨体が消える。瞬間移動のようにジエンドの目前に到達するや、鋭利な両腕による連撃を開始する。

(は、速い! それに威力も上がってる!)

 ガード越しにも衝撃が伝わり、輝久の脳を揺らす。怒濤の連撃の轟音が鳴り響く。

 亀のようになり、防御するので精一杯な様子のジエンドを見て、サムルトーザが口元を歪めた。

「ひははは! てめえを殺った後は仲間だ! 一人残らず、刻んで殺してやる!」
「ふざ……けんな……!」

 仲間を殺すと言われて、輝久の気持ちに再び火が灯る。

「ふざけんな、この野郎!」

 サムルトーザに対して烈火の如き怒りが沸き上がり、輝久は自らの胸元に叫ぶ。

「ジエンド!! 充填完了したんだろ!? 早く必殺技的なやつを、」
『攻撃は既に完了しています』

 輝久の言葉の途中、胸の女神はそう告げた。

 ふと……あれほど熾烈だったサムルトーザの斬撃の音が止んだことに気付いて――輝久は前方へ視線を向ける。

 サムルトーザは固まったようにして、動きを止めていた。

(な、何だ……?)

 唖然とする輝久。突如、何処からともなく『ザッ』と斬撃の音が闘技場に響く。

 サムルトーザの左手から、ボタボタと何かが落ちた。

「お、俺の……指……が……!」

 落下した五本の指をサムルトーザが視認した途端、またも斬撃の音が聞こえた。指の無くなったサムルトーザの左腕の肘から先が、闘技場を舞うようにして弾け飛ぶ。

「この……塵芥がああああああああああああああああ!!」

 絶叫して、ジエンドに襲い掛かろうとするサムルトーザ。だが、次の瞬間、前のめりに倒れる。先程までサムルトーザが居た場所に、切り取られた右足首が残されている。

(な、何だ? サムルトーザの手足が誰かに斬られたみたいに……!)

 輝久の心の疑問に応じるように、胸の女神が冷徹な機械音を発する。

阿頼耶識あらやしき領域より発動する不可抗反撃……』

 輝久には今、何が起こっているのか全く理解できない。それでも込み上げる思いが言葉となって吐き出される。

「マキシマムライト・プライア・カウンター!」

 輝久が叫ぶと同時に斬撃音。今度はサムルトーザの右手の指が全て落下。続けて、右肘から先も弾け飛ぶ。

 ジエンドは動かず、ただ胸の前で両腕を交差させたままだった。なのに斬撃の音が鳴り響き、サムルトーザの全身が切断されていく。

 サムルトーザは呼吸を荒くしながら、不可視の攻撃を捕捉すべく、第三の目をギョロギョロと動かしていた。だが、左足首も切り飛ばされて、無様に地面に這いつくばる。

「こ、殺す……! 殺してやる……!」

 サムルトーザの悪鬼の如き憤激の表情は、しかし、出血のない自らの傷痕に気付いた時、驚愕のものへと変わった。

「この切断痕は……邪技の気先きせん』……! 見せてもいねえ、俺の邪技を……!」

 輝久は、全身が切断されるサムルトーザを、ただ呆然と眺めていた。

 既に輝久の脳裏からは、老人に見せられた悪夢の記憶の殆どは失われている。そして無論、輝久以外に悪夢を見せられた者はいない。

 だから、サムルトーザを襲う不可視の斬撃が、輝久が見た悪夢の一つ――だと知悉できる者は、この中には存在しない。

 しかし、それでも――。

「あああ……うわああああああっ!」

 クローゼは声を震わせて大粒の涙を落とす。ユアンが驚いてクローゼを振り返った。

「く、クローゼ? どうして?」
「分かんねえ、分かんねえよ、兄貴……! でもさ、アタシ……涙が止まんないんだよ!」

 更なる斬撃の音。這いつくばっていたサムルトーザの胴体も切断される。最後にサムルトーザの首に亀裂が入り、頭部がごとりと鈍い音を立てて闘技場の石畳に落下した。

 首だけになってもサムルトーザは三つの目を血走らせ、憤怒の表情でジエンドを睨み付ける。

「何だ……なんなんだ、てめえは……!」
「俺だって知らねえよ」

 輝久が答えたその刹那、今までの斬撃とは明らかに違う音が連続して聞こえた。

 目に見えない鈍器で殴打するような音と共に、サムルトーザの頭部がひしゃげていく。歯が欠け、鼻も折れ、三つ目も全て潰れ、更に側頭部が大きく陥没する。

 既にサムルトーザは事切れていた。それでも、耳障りな音は止まらない。頭部が固い物に何度も何度も何度も、ぶつけられたように無惨に破壊されていく。

 あまりに凄惨なサムルトーザの最後を直視できずに、輝久は目を背けた。

 不快な音がようやく止んで、輝久が視線を戻した時。サムルトーザの頭部とその四肢は黒い灰となって、闘技場を吹く風に散らされていた。
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