機械仕掛けの最終勇者

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第五章 ずっと渡せなかった花束

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 オーラのような白煙を体から発散させるジエンドを、半身のボルベゾが睨んでいた。

「勇者と合体しただとお? 聞いてた話と違うなあ。ソレ、何の女神だよおお? 光の女神じゃねえのかあああ?」

(光の女神……?)

 何処かで聞いた気がした。だが、夢の記憶は輝久にとって、既に曖昧なものになりかけていた。胸の彫刻はボルベゾの疑問に答えず、ジエンドの黒いアイシールドを発光させる。

『アニマコンシャスネス・アーカイブアクセス。分析を開始します』

 ガガと戦った時のように、輝久の眼前のアイシールド上を、赤き数字の羅列が凄まじい速度で流れていく。

『21……565……1298……3111……5986……8673……14989……27841……39777……53450……66661』

 輝久が視認できたのは十個程度であったが、実際にはもっと多くの数字が流れては消えていった。ガガ戦の時と同様に、輝久はこの数字が何なのか知る由もない。意味の分からないことが大嫌いな輝久であったが、それよりも今、気になるのはネィムに寄生しているボルベゾの動向だ。グジュグジュとした腕をボルベゾはこちらに向けていた。

「ま、何でもいいかあ。腹ん中に入っちまえば」

 突如、ボルベゾの腕から、泥のような流体がジエンドに射出される。

(そんな技、あんのかよ!)

 ボルベゾの攻撃に焦る輝久。だが、ジエンドは素早く右掌からレーザーブレードを出現させる。そして飛来する泥を華麗に切り裂いた。レーザーブレードに触れた途端、泥塊の一部は浄化されたように消失するが、ジエンドの周囲に巻き散らされた泥は大理石の床を溶かしていた。

(硫酸みたいだ。危ねえな)

 レーザーブレードを構えたまま、輝久は次の攻撃に備えるが、

「ネィム!」

 アドルフ王が叫んだ。右半身がネィムのボルベゾは片膝を突いていた。ゴボッとネィムの口から先程、ボルベゾの手から出たのと同じ泥の塊が吐き出される。

「あはは……わ、私はもう助からないのです……分かるのです……」

 片目から涙をこぼしながら、輝久が変化したジエンドにネィムが言う。

「だから勇者様……お願いしますです。完全な怪物になってしまう前に……その剣で私ごと斬ってくださいです」

 夢で聞いたのと似た台詞に輝久は歯噛みする。左半身のボルベゾが、笑い声を王の間に響かせた。

「ぐひゃひへへへ! メスガキの侵食率は七割を超えたぞおおおお!」

 ボルベゾの言う通り、ネィムの残された顔面にまで侵食は広がっていた。哄笑するボルベゾの足元に落ちている花束に輝久は気付く。後で自分にくれるつもりだったのだろう。

(死なせたくない! こんな純粋な子を!)

 輝久は強く願う。だが、近くにいたセレナは唇を噛み締め、涙を浮かべていた。

「こ、こんな……! これではもう……助けることなど……!」

 ネィムとボルベゾとを分かつ皮膚の境界を、複数の血管が跨いでいた。何もできずに、立ち尽くす護衛の兵士達。その間にも、ネィムの体は急速にボルベゾと化していく。

「メスガキの苦しさが伝わってくるぞおおお! そうだあ! おめえは、もうすぐこの世界から消えちまうんだよおおおお!」

 悪魔の笑いに負けじと、ネィムは気丈に微笑んだ。

「アルヴァーナには……いっぱいお花があって……魔物達とも楽しく暮らしていたのです。勇者様……ネィムの大好きなこの世界を守っ――」
「楽しいなあああああああああ! 幼いメスガキの心と体を侵食しちまうのはよおおおおおおおおおおおお!」
「畜生! どうにかなんねえのかよ、ジエンド!」

 輝久は唸る。ジエンドは自身が変身した姿であるが、その行動権の殆どは輝久に与えられていない。ジエンドがレーザーブレードを持つ手を僅かに動かす。そして……。

「お、おい!?」

 ジエンドが、レーザーブレードを右掌内に収納するようにして消失させた。

 ほんの僅かだが、輝久は期待していた。訳の分からない謎パワーで不死公ガガを倒したように、どうにかネィムを救えるのではないか、と。

 しかし、やはり無理だった。ネィムを助けるのは不可能だとジエンドは――いや、胸の女神は悟ったのだ。だからこそレーザーブレードを仕舞ったのだろう。

 絶望する輝久。だがその時、自身の胸元から女神の無機質な声が響く。

『リミッターブレイク・インフィニティ』
「……え?」

 輝久の体は熱くなり、眩く発光。衝撃波で周辺の兵士達が呻き、王の間の床に大きな亀裂が入る。ジエンドの背中から、車のエグゾーストのような重い排気音。全身から、白煙が濛々と立ち上る。胸にある女神の彫刻が、抑揚のない機械音を轟かせる。

『受けよ。別領域から来たるぐうの神力を』

 言うや、ドッと音を立て、半ば飛ぶようにジエンドはボルベゾに突進する。輝久の意志とは無関係に後方に引いた腕が白く発光している。

無限増殖体解離むげんぞうしょくたいかいり貫光穿弾かんこうせんだん……』

 女神の言葉。そして、その刹那、輝久の胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

(また、この感じ!)

 熱き衝動は胸から喉を通過し、声へと変化して――輝久は叫ぶ。

「マキシマムライト・トランス・ペネトレーション!」

 今まで聞いたことも言ったこともない技の名前を何故か大声で叫びつつ、大きく引いた腕をボルベゾの半身に叩き付ける。そして、太陽のように眩く光り輝く両拳でジエンドはボルベゾを連打し続けた。凄まじい拳の嵐。なのに――無音。

 ジエンドの攻撃は、輝久の瞬き一瞬程度の出来事だった。ボルベゾもまた、呻き声や驚愕の言葉を発する暇もない。ただ、殴打された体は眩い光に包まれる。

 次の瞬間、激しい連打を一つにまとめたような轟音と共に、ボルベゾが泥を撒き散らしながら分離して、背後に吹き飛ぶ。

 ボルベゾの半身は、王の間の壁に叩き付けられた。その体は泥状と化し、頭部だけが、かろうじて形を留めて壁に張り付いている。そして……。

(あ、あれ!? えっ!?)

 輝久の腕の中には、呆然とした顔付きのネィムがいた。一寸前まで半身を侵食されていたとは考えられない程に無傷のネィムを、ジエンドはお姫様抱っこしていた。

 ジエンドはネィムの小さな体を、王の間の赤絨毯に優しく戻す。

「あ、あ……ありがとうございますです!!」

 紅潮した顔で見上げるネィムに対し、ジエンドは右手を王の方に向ける。こくりと頷くとネィムはアドルフ王に駆け寄り、涙目の父と抱き合った。

 様子を見ていた兵士達が、歓声でドッと湧く。

「怪物をネィム様から引き離した!」
「流石は世界を救う勇者様だ!」

 だが、この結果に一番驚いていたのは、当の輝久自身だった。ボルベゾはまるでガン細胞のようにネィムに癒着していた。あんな状態から、どのような技やスキルを使えば、ネィムを無事に分離させられるというのだろう。
 興奮しつつ、輝久は胸の女神に尋ねる。

「すげえな、ジエンド!! どうやったんだ!?」
『……』

 無言。輝久はどうしても理由が知りたかった。

「なあ! なあってば! さっきの一体、どういう攻撃だったんだよ!?」
『……』

 胸の女神は、輝久をガン無視だった。

(この野郎……!)

 輝久の興奮が苛立ちに変わろうとした時、

「……おぉぉん? メスガキを無傷で引き剥がすだとお?」

 不気味な声が聞こえて、周囲の弛緩していた空気が凍り付く。壁に貼り付いたボルベゾの頭部が、そのまま平然と喋っていた。

「話と違って、なかなか強ぇえぞお。ガガを殺ったってのは本当なのかああああ?」

 ボルベゾの頭部もまた完全な泥となって床に落ちる。溜まった泥は隆起して、瞬く間に人型を象り――一体の完全なボルベゾとなって復活した。

「まぁオデの方がガガなんかより、もっとずっと強ぇえけどよおおおおお!」
「アイツ、まだ生きてたのかよ!」

 輝久の叫びが聞こえたらしく、ボルベゾは濁った目でギョロリと睨み付ける。

「なに調子こいてんだあああ? 見てみろよ、おめえの腕をよおおおおおお!」
 怪物は醜い顔を嬉しそうに歪ませていた。不穏な気配を感じつつ、輝久は言われるままに視線を下げる。

(なっ!?)

 そして、戦慄。ボルベゾを殴りつけたジエンドの拳が、赤茶けた錆のように変色しており、手の甲に顔のようなものが現れていた。

 ジエンドに寄生した人面瘡が口を開けて笑う。

「ぐひゃははは! もう、既に! 感染してんだよおおおおおおおおお!」
「マジかよ!? ジエンドのボディにも伝染るのかよ!!」

 鋼鉄のような体が、よもやボルベゾに乗っ取られることはないだろうと輝久は踏んでいた。だが、金属が腐食するように、ジエンドの腕は拳から徐々に侵食されていた。ムカデが腕を這い上がる如く、錆が進んでくる。 

「ぐへへへ! 攻撃と防御が一体! オデは無敵だああああああああ!」

(や、ヤバい! どうする? ……そうだ! ネィムを引き剥がしたあの技で、)

 輝久がどうにか解決策を考えている最中、ボルベゾの下卑た嘲笑が木霊する。

「全部全部全部うううう!! オデになっちまえええええええええええええええ!!」

 ぶわっと禍々しいオーラがボルベゾから発散された。数秒後「ひいっ!?」と兵士達が声をあげる。輝久の右腕のように、兵士達の体の各所にボルベゾの顔が現れていた。

「そ、外を! 外を見て下さいです!」

 アドルフ王の傍にいたネィムが叫んだ。輝久は窓の外をちらりと窺って、絶句する。

 城下もまた地獄絵図と化していた。道行く人全てにボルベゾの人面瘡が浮かんでおり、彼らは恐怖に怯えて泣き叫んでいる。

「あ、あの一瞬で、こんなに広がって!?」

(空気感染!? 分からねえ!! こんなの、一体どうすりゃ良いんだよ!!)

 周囲の状況も、自らの置かれている状況も最悪。右腕から広がっていく腐食に焦る輝久だったが、冷静な声がジエンドの胸から響く。

『完全侵食までの残存時間六十二秒以内に、攻撃対象を破壊します』
「破壊!? ボルベゾを!? どうやって!?」

 頼もしい言葉とは裏腹に王の間も、城の外もパニックが続いている。窓際で、くずおれるアドルフ王とネィム。見れば、二人もまた皮膚にボルベゾの顔が現れていた。

(クソっ!! せっかく助けたネィムにも!!)

 数十、いや百を超える人間が現況、ボルベゾに侵食されていた。

「侵食、侵食、侵食ううううううう! こうやってオデは前世界の覇王になったんだあああああ! この世界もブッ潰してやるううううう!」

 ボルベゾは、遂に全力を出したのだろうと輝久は推測する。侵食の範囲とスピードが、ネィムに感染していた時とは段違いに速いからだ。自分を含む皆の半身がボルベゾになりつつある状況で、輝久はいてもたってもいられず叫ぶ。

「ジエンド! さっき、ネィムを分離させた技だ! とにかく少しでも被害を食い止めるんだ!」
「やってみろよおおお! オデは一体でも残ってりゃあ完全復活できるんだぞおおおお!」

 近くの兵士を半分侵食しているボルベゾが、その言葉の後を続ける。

「これは分身じゃねえ! 分裂なんだぞお! つまり一体一体が、」

(全部ボルベゾってことかよ!!)

 輝久は震撼しつつ、周囲を見渡す。王の間だけでも十数人。城下にも感染が広がっているとすれば、被害者は数百人を超えているだろう。

(ムチャクチャだ! そんなに多くのボルベゾを、一体残らず殺せる訳がない!)

 まるでウィルス。急激に感染が拡大し、城や町が侵食されていく。しかも、最悪なことに……。

 輝久は自身の体を見る。ジエンドの半身は、既に経年劣化した金属のように赤黒く朽ちていた。更に、ジエンドの顔は既に半分がボルベゾと化している。先程の技を出す為の腕もまた錆びて朽ちていく。ジエンドの小指の根元が欠けて、赤絨毯の上にポトリと落ちた。

「ジエンドの――ってか、俺の手が!?」

 痛みは感じない。だが、見る見るうちに腐食していく。そのことがより一層、輝久の恐怖心を高めた。

「このバカがあああああああ! 周りよりてめえの心配しろよおおおおお! おめえが死んでオデになるまで、あと十秒もねえぞおおおおおおお!」

(な、何なんだよ、コイツ! 強すぎる!)

「ぐひゃははははは! オデに勝てる奴なんか何処にも存在しねええええええええ!」

 遠くでは、半身を侵食されたネィムが祈るような目で、ジエンドに変身した輝久を見詰めていた。

「勇者……様……!」

 輝久は叫ぶように胸の女神に語りかける。

「何とかなんねえのかよ! このままじゃ全滅しちまう! ガガの時みたいにパワーを充填して、」

(い、いや! そんな時間はもうない!)

 自問自答して狼狽する輝久とは対照的に、落ち着き払った声が胸より聞こえる。

『攻撃は既に完了しています』
「……え?」

 呆然とする輝久。そして――ゆっくりと。ジエンドは、ボルベゾの侵食によって使い物にならなくなった右腕を天にかざした。胸の女神が言葉を発する。

『連鎖する炎天雷えんてんらいの超恒常性爆撃……』

 またしても輝久の口が勝手に動き、女神の言葉の後を続ける。

「マキシマムライト・チェインデストラクション!」

 半ば無意識に輝久は叫んだ。だが、ジエンドは朽ちかけた右腕を天井に向けたまま、沈黙している。

(あ、あれ? 何も起きないけど?)

 輝久がそう思った時。ジエンドは天に伸ばした腕を静かに下ろし、腐食した人差し指を、ボルベゾになりかけている自身のこめかみにズブリと突き刺した。女神のレリーフが呟く。

『――【イグニッション点火】』

 パン、と短銃の発射音のような乾いた音と「ひっ?」と輝久の驚いた声は同時だった。続けてジエンドの半身が、爆竹の爆ぜるような音を立てながら、幾度もの小爆破を起こす。

「……なんだあ?」

 そう言ったのはジエンドを侵食していたボルベゾの人面瘡だ。小爆発が起こった部分が、泥となって赤絨毯の上に落ちていく。

 パチパチと小さな爆破を意に介さないようにボルベゾがふんと鼻を鳴らす。ボルベゾの侵食能力で、泥の取れた箇所に新たな泥が覆い被さる。しかし、今度は覆い被さった泥ごと爆破され、ボタボタと床に落下した。余裕ぶっていたボルベゾの顔色が変わる。

「お、オデの侵食速度より、爆破速度の方が速い……?」

 爆破の連続音はその速さを増していく。やがて侵食されていた半身のあちこちで小爆発が起き……そのせいでジエンドの体は眩く輝いた。

 あまりの眩しさに輝久は目を閉じてしまう。そして、瞼を再び開いた時――ジエンドの半身を覆っていた泥のようなボルベゾの細胞は全てこそげ落ちていた。

「こ、こんなあああああ!?」

 輝久の足元で泥状になったボルベゾは、顔面だけ、かろうじて形を残していたが、その泥の中でも小爆破が起こる。

「ぐぎゃがあああああああああ!!」

 爆破がボルベゾの顔を三つに分裂させる。断末魔の悲鳴を上げて、ジエンドを侵食していたボルベゾは、物を言わぬ単なる泥の固まりとなった。

「や、やった! ボルベゾを分離したぞ!」

 輝久が歓喜の声を上げる。更に、輝久は新たな僥倖に気付く。

 朽ちかけていた自身の右手が完全に元に戻っていた。失った筈の指も復活しており、ジエンドの体は変身時と同じ、雲一つ無い鏡面の美しいボディである。

 完全復活したジエンド。だが、周囲の兵士に感染しているボルベゾ達は、余裕の表情を崩さなかった。

「おめえ一人が助かったところで意味なんかねえんだよおおおおお!」

 一体のボルベゾがそう言った後、十数体のボルベゾが続けて笑う。だがその後、パンと例の拳銃のような乾いた音が何処からか聞こえた。

 見れば、先程喋ったボルベゾの片方の頭部が爆ぜている。そして、その周囲にいるボルベゾ達の侵食部分で、同じような小爆破が同時に起こっていた。

「な、なんだあ!? オデは……いや、オデ達は奴に触れられてねえぞおおおお!?」

 ネィムやアドルフ王の侵食された半身でも、輝久に起こった小爆破と同じ現象が起きていた。窓の外からもボルベゾ達の野太い絶叫が聞こえる。

 ボルベゾが泥のようになって分離した後、ネィムが慌てて窓際へと走る。そして笑顔でアドルフ王の方を振り向いた。

「皆、体からボルベゾが分かれていますです!」

 王と兵士達が、一際大きな歓声を上げる。逆に血相を変えたのは、残っているボルベゾ達だ。

「お、オデの侵食部分だけを狙い撃ち、全部、同時に爆破するだとおおおおお!?」
「じゅ、術者を!! アイツを殺すんだああああああああ!!」
「早く!! 早く殺せえええええええええええええええええええ!!」

 まだ爆破が起こっていないボルベゾ達が円陣を組み、ジエンドを取り囲む。輝久は緊張するが、一体のボルベゾがジエンドに飛び掛かろうとした刹那、乾いた音が響く。小爆破でボルベゾが脇腹を抉られて、体勢を崩す。更に隣のボルベゾにも、またその隣のボルベゾにも小爆破が発生する。円陣を組んだボルベゾを時計回りにして起こる爆裂の連鎖。

「「「ぐぎゃああああああああああああああ!!」」」

 ボルベゾ達は絶叫し、泥と化しては床に落ちた。後に残るのは、半身が元に戻った兵士達だ。今や、あれだけいたボルベゾは、輝久の目前の一体だけになっていた。

「ぐ、ぐひ……!」

 自分は爆破から免れたと、安堵した表情を見せる。ボルベゾは逃げようとして、窓際に走ろうとしたが、その瞬間――『パン』。小さく、しかし壊滅的な音。ボルベゾの腕が弾け飛んでいる。

「いやだあああああああああああああああああああ!!」

 腕から広がった小爆破に断末魔の悲鳴を発しながら、残ったボルベゾも爆死した。付着していた侵食部が泥となってこそげ落ち、ボルベゾと分かたれた兵士は、自分が助かったことに気付くと泣きながら歓喜の雄叫びを上げた。

 輝久は生唾を呑みながら、周囲を見渡す。ほんの数分前まで絶体絶命のピンチだった。なのに、ジエンドの謎パワーで全てのボルベゾは連鎖的に消滅してしまった。

「ったく、どういう原理だよ! 後で教えろよ、ジエンド!」

 胸の女神の彫刻に対して、そう言ったが、流石に今回は嬉しさの方が勝った。歓喜の兵士達が、こぞって輝久の周りに集まろうとした、その時。

「まだだ……まだだああああああああああああ!」

 不気味な声が響き渡る。兵士達に寄生していたボルベゾの泥が意思を持って、王の間の中央に集まっていた。泥の海に乱杭歯を持つ大きな口が出現し、叫んでいる。

「オデの真の力を見せてやるうううううううううう!!」

 言うや、泥はせり上がり、王の間の天井に頭が付く程に巨大な怪物の姿を象った。

(こ、コイツは……!)

 尖った耳を持つ、巨大すぎる怪物はトロルのようであった。巨大なトロルは、ジエンドに変化している輝久を高みから見下ろしていた。

「侵食能力を物理攻撃力に全振り! 体力も全回復で更にパワーアップ! ぐへへへへ! 最終形態で仕切り直しだああああ!」
「最終形態!? やっぱコイツもラスボス級かよ!!」
「この城ごと粉砕してやるううううううう!」

 巨大化したボルベゾから醸し出される凄まじい負のオーラ。圧倒的な威圧感がビリビリと輝久の体を震わせる。

(何なんだよ、ガガといい、コイツといい! 野菜盗むモンスターとの落差が激しすぎるだろ!)

 それでも輝久は確信していた。ジエンドは――いや、ジエンドに変身した自分は強い! 死なないと豪語していたガガを倒し、無限に増えるボルベゾにも対処できたのだから!

 輝久はちらりとネィムを見た。自分を見て、祈るように手を合わせている。アドルフ王や兵士達もまた熱い視線を輝久に向けていた。

(皆、俺を信じて……!)

 輝久の心の中、熱い気持ちが沸き上がってくる。先程ボルベゾは、あの恐ろしい侵食能力を全て物理攻撃力に振ったと言っていた。その強さはおそらく想像を絶するだろう。それでも……。

「やるぞ、ジエンド! 絶対にボルベゾを倒す!」

 輝久の言葉に呼応するように兵士達が歓声を上げる。その刹那、輝久の視界が変わった。

「……へ?」

 ジエンドは巨大なトロルに背を向けて、ネィムが床に落とした花束を拾っていた。

「オォイ!? 何やってんの!?」

 ビックリして輝久は叫ぶが、体の行動権はジエンドに委ねられている。ジエンドは、ネィムのいる所まで歩き、そのまま花束を手渡した。

「あ、ありがとうございますです!」
「おいって!! 今、そんなことしてる場合じゃ、」
『繰り返します。攻撃は既に完了しています』

 胸の女神の声。同時に『パン』と乾いた音が聞こえて、輝久はボルベゾを振り返る。

 巨大なトロルの右足の膝から下が消滅していた。

「……あぁん?」

 間の抜けたボルベゾの声。輝久の首の下で、女神の彫刻が言う。

『マキシマムライト・チェインデストラクション――【シーケンス点火活動継続】』

 女神が言い終わった直後、乾いた爆発音が連続して響いた。ボルベゾの不可解極まりないと言った顔は、全身で発生した爆破が顔面に近付くにつれて、驚愕のものへと変わっていく。

「あ……あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 巨体のほぼ全ての箇所で起こった爆発で、ボルベゾの体は真っ白な閃光に包まれた。

 一方、輝久も、

「えーーーーーーーーーーーーーーー!?」

 ボルベゾに負けない程に吃驚した声を上げていた。

 目も眩む光が消えた後、ボルベゾの巨体が立っていた場所には、泥すら残っていない。巨大なトロルは跡形も無く消し飛んでしまった。

「さ、最終形態になったと思った途端、爆発して死んだ……!」

 輝久が唖然としていると、ジエンドの体が発光する。輝久の体から各パーツが着脱され、それらは輝久の近くで一つに集まり――メイド服を着た幼児型アンドロイドに戻る。

 十秒程度、王の間は静まり返っていた。沈黙を破るようにして、女兵士長セレナが輝久に駆け寄る。

「ゆ、勇者様!! い、一体どうやって、ボルベゾを倒されたのですか!?」
「……分かんねえ」

 輝久は、歯を食い縛りながらボソリと呟く。誰よりもそれを聞きたいのは輝久であった。最終形態に変化したボルベゾに対峙して、熾烈なバトルが繰り広げられるだろうと思い、ガラにもなく熱い気合いを入れた。その矢先、ボルベゾは不可解な爆死を遂げてしまったのだ。

 アドルフ王、兵士達も輝久の周りに駆けつける。そして次々に疑問をぶつけ始めた。

「体の半分以上がボルベゾに乗っ取られたネィム様を、どのような方法で引き離したのでしょうか!?」
「うむ! そうじゃ! あの時、一体何をしたんじゃ、勇者よ!?」
「……分かんねえって言ってんだろ」
「いや、それより!! 最終形態に変化したボルベゾをどうやって倒したのです!?」
「ああ! 触れてもいないのに奴は爆死した! 何故ですか?」
「勇者様!!」「どうしてですか!?」「ご説明を!!」

 王やセレナ、周りの兵士達に連呼され、輝久は遂に爆発するように叫ぶ。

「だから!! それが!! サッパリ分かんねえんだよォォォォォォ!!」

 輝久は半泣きで、顔を両手で覆った。ガガ戦に続き、また理由も説明もなく、適当に勝ってしまった。それは輝久にとって、耐えがたい苦痛であった。

「俺だってイヤなんだよ、説明のない謎パワー!!」

 輝久の怒声で、王の間が静まり返る。しかし、やがて幼い声が響く。

「理由なんかなくてもいいのです!!」

 輝久はネィムを見る。ネィムは溢れる涙を両手で拭っていた。

「勇者様がいなければ……ネィム達は……皆……殺されて……!」

 それ以上、喋れずに泣きじゃくるネィムを見て、アドルフ王はポリポリと頬を掻いた。

「そ、そうじゃな。皆、助かったんじゃ。これ以上、何も聞くことはあるまいて」

 そして満面の笑みを浮かべて、輝久の背中をバンと叩いた。

「よくやった! 流石は勇者じゃ!」

 兵士達も王の様子を見て、少しぎこちない歓声を上げた。

「あ、ありがとうございます! 勇者様の、何というか、えぇと、その……謎の力のお陰で助かりました!」
「ああ! 勇者様の『謎パワー』は凄い!」
「そうだ! よく分からないが、とにかく強い!」

(全ッ然、嬉しくない……!)

 全くやり甲斐を感じられない輝久に、マキが黙って小さな親指を立てる。

「良かったデスネ」
「良かねえわ!! 適当に勝って、適当に感謝されて!! やるせない気分だわ!!」

 マキに叫んだ後、輝久は嘆息しつつ、窓の外を見た。通行人達はお互いの無事を涙ながらに喜んでいる。

 そんな中、プルト城を見上げる白ヒゲの老人に輝久は気付く。

「あっ!? あの爺さん!!」

 輝久と目が合うと、老人は口を開いた。

「素晴らしい……! まさに、奇跡を超える奇跡……!」

 そして、輝久に背を向けて歩き出す。

「マキ! あの爺さん! また、いたぞ!」
「何でショウ?」
「ホラ、ホラ! あそこ!」

 マキも窓から外を覗き込む。だが、老人は既に人混みに紛れて消えていた。

 輝久はマキを振り返り、叫ぶ。

「だから、あのジジイは誰よ!? マキ、ホントに知らんの!?」
「存じ上げまセン」
「『素晴らしい』とか『奇跡』とか、一言だけ言って消えるんだけど! 分かんねえこと多過ぎだろ!」
「アッ――そのご老人ですガ……」
「ど、どうしたマキ? もしかして、何か分かったのか?」
「『一言オジイサン』と命名致しまショウ」
「紛らわしいな、もう! どうでも良いわ、呼び方なんか!」

 マキにツッコんだ瞬間、不意にクラッと目眩がした。

(やべ……また倒れる……?)

 立ちくらみのような感覚。ガガ戦でジエンドに変身した後、意識を失ったことを輝久は思い出す。それでも、どうにか踏ん張っているとマキが隣で言う。

「前よリ楽になりましタでショウ?」
「ん……」

 輝久は眉間を押さえながら言う。マキが慣れると言っていたように、確かに今回は意識を失わずに済んだようだ。ひょっとしたら次はもっと楽になるのかも知れない。

(ってか、次なんて考えたくないけど)

 こんな命がけの恐ろしいバトルに比べれば、農作物を盗むモンスターとのバトルの方が一億倍マシだ。輝久がそんなことを思っていると、花束を持ったネィムが傍に佇んでいた。

「お花、拾ってくれてありがとうです! でも、これは……」

 ネィムは笑顔で輝久に花束を差し出す。

「勇者様に差し上げたかったのです!」
「あ、ああ。ありがとな」

 輝久も笑顔を返した、その刹那。ネィムの小さく幼い体が輝久に押しつけられた。

「勇者様……!」
「へ?」

 ネィムは輝久に抱きつきながら、泣いていた。キョドってしまう輝久だが、それは周りの兵士達やアドルフ王も同じだった。

 アドルフ王が震える指をネィムに向ける。

「ね、ネィム……!! そ、それはまさか……恋……!?」

 アドルフ王はそう呟くと、自らも目尻に涙を溜めて振り絞るように言う。

「世界を救う勇者ならば、婚姻相手に相応しかろう! 勇者をネィムの婿として迎える!」
「はぁっ!?」と輝久が叫ぶ。ネィムはハッと気付いたように輝久から体を離して、アドルフ王に向き合った。
「ち、違うのです! そういうのではないのです! ただ……」

 ちらりと輝久を窺いながら、ネィムは頬を染める。

「うまく言えませんですが……昔、ずっと一緒に暮らしていたお兄ちゃんが帰ってきたような……そんな懐かしい気がしたのです」

 そう言いながら、ネィムは未だにグシュグシュと泣いていた。

(お、お兄ちゃん? まぁ……子供の言うことだからな)

 ボルベゾに侵食されて怖かったのだろう。深く考えることでもあるまいと、輝久はネィムに、マキのオイルを拭く為に持っていたハンカチを差し出す。

「もう心配ないから。これで涙を」
「はい! でも勇者様も涙を拭いてくださいです!」
「……は?」

 輝久は呆気に取られて呟く。そして、自らの頬を伝う熱いものに気付いた。

 輝久もまた、ネィムと同じようにボロボロと涙を零していた。

「お、俺、何で!?」

 恥ずかしくなって、輝久はネィムに貸そうとしていたハンカチで慌てて目元を擦る。マキがそんな輝久をジッと見詰めていた。

「テルは泣き虫デスネ」
「ち、違う!」

 顔を真っ赤にしてマキに言いながら――輝久は思い出す。

(そういや召喚の間で、初めてマキに会った時も……)

 胸が締め付けられるような思いが込み上げ、輝久は無意識のうちに泣いていた。

 自分はそんなに涙もろい方では無かった筈。どうして泣いたのか、理由が分からず戸惑っていると、アドルフ王が安堵の声を出す。

「うむ! とにもかくにも、恋心でないなら安心じゃ!」

 女兵士セレナがアドルフ王にジト目を向けた。

「王様は気が早すぎなんですよ」

 二人の様子を見て、ネィムがようやく心からの笑顔を見せる。アドルフ王、セレナを含む兵士達も皆、無事を祝って微笑んでいた。

 ネィムに貰った美しい花束に目線を落として……輝久の胸はまたも締め付けられる。

 この穏やかな光景を待ち望んでいたような。それも、ずっとずっと長い間、心待ちにしていたような――そんな妙な感覚に襲われて、輝久は頭を横にブンブンと振った。

(ダメだ、ダメだ! また泣いちまう!)

 異世界アルヴァーナに来て以来、おかしなことが連続して続いている。しかし。

(俺の精神状態が一番、訳わかんねえかも)

 考えても思い当たらぬ涙の理由に、輝久は肩を大きく落とす。そして、やはり異世界などに来たせいで情緒が乱れているのだろうと無理やり結論づけた。
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