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第四章 勘違い
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「はぁっ、はぁっ! はぁっ!」
目覚めた時、過呼吸になりそうな程に輝久の呼気は荒かった。ベッドの上で、怪物に食いちぎられた全身が無事であることを確認する。優しげな朝日がカーテンの隙間から差し込み、小鳥のさえずりが聞こえていた。
女兵士セレナに案内されたプルト城内の寝室で一夜明かしたことを思い出して、輝久は額の汗を拭う。
(また、夢か)
どことなくガガ戦の後に見た悪夢と似ている気がした。違うのは、今回は戦う前に夢を見たこと。そして、敵は不死公ガガではなく――。
「侵食の……ボルベゾ……!」
無限に増殖していく恐ろしい怪物を思い出しながら、輝久は震える声で呟く。
突然、
「どうしたのデス?」
呑気な声が聞こえた。隣のベッドから起きたマキが枕を小脇に抱えながら、瞼を擦っている。
「悪い。起こしちまったか」
ひょっとして喘いだり、叫んだりしていたのだろうか。恥ずかしくなって頬を赤く染める輝久の前で、マキは言う。
「オシッコを漏らシたのデスね?」
「漏らしてねえわ。オイル漏れするお前と一緒にすんな」
軽くツッコんだつもりだったのに、マキは真顔で自分のベッドのシーツを捲る。そこには大きな黒いオイルの染みができていた。マキが小さな親指を立てる。
「正解デス」
「正解デスじゃねえ!! ホントに漏らしてたの!? どうすんだ、このシーツ!!」
ペシンと頭を叩いてやろうとして思い留まる。泣かせば、黒い染みが増えるだけである。
「どうしテ、テルはうなされていタのデスか?」
マキが不思議そうな顔をしていた。「それは」と言いかけて輝久は口ごもる。夢の話をマキにしたところで、どうなるというのだ。そう。アレはただの夢だ。
「……何でもない」
頭にこびりつく悪夢の残滓を振り落とすべく、輝久はグシャグシャと髪を掻いた。
マキのシーツの件は、城内にいたおばさんメイドに平謝りしておいた。おばさんはマキを見て微笑むと「気にしないで良いのよ。まだ幼いものねえ」と笑っていた。いや、一応女神なんだけどね、この子!
その後は、だだっ広い食堂に案内される。輝久とマキの二人だけが、長いテーブルの端にある椅子に腰掛けた。テーブルはあっという間にメイド達が運んでくる豪華な料理で埋め尽くされる。マキがパンを手に取って囓る。
「おいしいデス」
「こぼれてんぞ」
食が進まない輝久に、給仕していた若いメイドが心配そうに声を掛けてきた。
「すいません、勇者様。味付けが良くなかったでしょうか?」
「いや、そんなことは。ちょっと食欲がなくて」
苦笑いする輝久の隣で、マキはフォークを手にパクパクと食を進めていた。
この子なんなん、もう!! 何で、そのビジュアルで食べられるんだよ!? 考え事してんのに、考え事増やすな!!
実際のところ、輝久が食欲がないのは、マキのこともさることながら、今朝見た悪夢がどうしても頭を離れないからだった。
輝久はマキから目を逸らすと、それとなく給仕のメイドに聞いてみる。
「あのさ。ネィムって、茶髪だったりする?」
「はい。肩まである、茶色のくせっ毛です。とっても愛くるしいんですよ」
輝久の心臓がドクッと大きく一つ鼓動した。ま、待て待て! たかが髪の色だ! 偶然かも知れないじゃないか!
「あと妙に『です』の多い、変な敬語使ったり……?」
「ええ! ネィム様は私共にも敬語を使ってくださるんです! 流石は勇者様! 何でも、ご存じなのですね!」
笑顔のメイドに輝久も笑みを返すが、その顔はぎこちなく引き攣っていた。会ったことのないネィムの容姿や口調を輝久は知っている。これはもはや偶然と言えるのだろうか。段々と輝久の鼓動は速くなってきた。
その時、突然、窓の外が光った。メイドも気付いたようで、近くの窓から外を眺める。
「遠くの空が光りましたね。雷でしょうか?」
途端、輝久は持っていたフォークを落とす。ガガと戦った時の記憶と、先程見た悪夢が同時にフラッシュバックした。
(そうだ! ガガも! ボルベゾも! 空が光った後に現れた!)
輝久の心臓はバクバクと脈打ち始める。
……気になっていたことがあった。輝久自身のことだ。ゲームや異世界ものに似た世界に転生したというのに、自分にはスキルがない。マキに聞いても知らないと言う。なら、これから先、何処かで身に付けるのかも知れないと思っていたのだが――。
(もう既にあったとしたら!)
『予知能力』!! もしかしてそれが俺のスキルじゃないか!? だとすれば……アレは、これからリアルに起こるってことか!?
輝久は理由や説明がつかないことが大嫌いである。そして今、自分に起きている状況はまさにそれ。先程見た夢が予知夢だという確証など無い。むしろ、単なる偶然と片付ける方が、理にかなっている気もする。
(けど、もし仮にアレが本当に起こったら……!)
女兵士セレナの死。ネィムの惨殺。プルト城の壊滅。悪夢の内容を思い出して、
「クソッ!」
輝久は椅子から立ち上がる。テーブルの料理をあらかた食べ終わったマキが、きょとんとした顔で輝久を見上げた。
「テル? 何処に行くのデスか?」
(そうだ、俺は何処に行けば良い!? いや、何をすれば良い!?)
徐々に記憶から薄れてゆく夢の内容を思い返す。事実、金髪女神の名前はもうハッキリと思い出せなかった。それでも殺戮の記憶は未だ脳裏に刻まれている。
半身がボルベゾになった女兵士セレナが王の間に現れる。それが始まりだった。セレナからボルベゾの感染が始まり、城中が地獄絵図に変わってしまった。
「セレナだ! 彼女を守らなきゃ!」
輝久は叫ぶ。そして給仕のメイドにすがるように尋ねた。
「メイドさん!! セレナは何処だ!?」
「セレナ兵士長はまだいらっしゃいません。毎朝、市場で買い物をしてから、城に向かうと聞いておりますが……」
「マキ! 市場に行くぞ!」
口の周りをナプキンで拭いているマキの固くて小さな腕を、輝久は掴んで駆け出した。
(間に合うか? いや、間に合わせなきゃ! ボルベゾがセレナに乗り移ったら最後! もう助ける方法はない!)
そんな風に切羽詰まった様子で輝久は城を飛び出して走っていたのだが、後ろでウィーン、ガシャンと機械音を鳴らしながら付いてきていたマキの声が聞こえる。
「テル、待っテくだサイ。股からオイルが漏れましタ」
「この一大事に何やってんだ!! 早く拭け!!」
輝久は逸る気持ちをどうにか鎮めて、マキがハンカチでオイルを拭き取るのを待った。やっと拭き終わった時、荷車に腐った野菜を大量に載せたゴブリンが通りがかる。
「あっ! 昨日の勇者! ケケケ! 今日も野菜は頂いていくぜ!」
「うん、どうぞ! それより、どいてくれ! 急いでんだ!」
「な、何だよ。張り合いねえなあ」
ガッカリした顔のゴブリンの隣を駆け抜けようとして、輝久は振り返って叫ぶ。
「お前、今日は城に近付くなよ! 絶対だぞ! 分かったな!」
「何だ! 勇者だからって偉そうに!」
「うるせえ、バカ!」
無性にイライラして、もう一度ゴブリンに叫ぶ。怒ってギャーギャー叫んでいるゴブリンを無視し、輝久はマキを連れて市場へと駆けた。
「はぁはぁ」という輝久の荒い息づかいは、市場の活気に掻き消される。息せき切って辿り着いた朝の市場は、商人や買い物客で賑わっていた。
(この人混みじゃあ、見つけるのは一苦労だな)
うんざりしかけたが、それでも輝久は気持ちを引き締める。
セレナを探さなければ惨劇が起きる。とにかく市場の端から順に見回ろうと決めた時、マキが光沢のある人差し指を遠くに向けた。
「アノ方は、セレナサンではないでショウか?」
マキの指の先。遠くで野菜を物色しているポニーテールの女兵士がいた。ちらりと見えた横顔は、間違いなくセレナである。
時間が掛かると思ったのに、呆気なく見つけてしまった。輝久は興奮してマキを見る。
「やるじゃん、マキ! ひょっとしてセンサーとか付いてんのか?」
「漂ってきタ匂いで分かりましタ。セレナサンの脇の匂いが独特だったかラ、覚えていたのデス」
「そ、そうか、偉いぞ! だが脇のことはセレナさんには言うな! 絶対、傷つく!」
輝久は特段イヤな臭いは感じなかった。おそらくマキの嗅覚は人間より、ずっと鋭いのだろう。そういうことにしておこう。
「セレナさん!」
声を掛けると、女兵士は呑気な顔で微笑んだ。
「あら。勇者様もお買い物ですか?」
「まだ無事で何よりだ! 城に戻ろう!」
「は、はい? 買い物の後、町の見回りがあるのですが……」
「そんなの行かなくて良いから!」
するとセレナは少し険しい顔になって言う。
「十年以上、かかさず続けている日課なのですよ」
「アルヴァーナは平和なんだろ? 十年間で何かあったのか?」
「それはもう。迷子の猫を見つけては飼い主に届けたり、野菜を盗むゴブリンを注意したりと様々な、」
「くだらねえ! よし、帰ろう!」
そんなのとは比べものにならない大惨事が起きるかも知れないのだ。輝久は強引にセレナの手を取った。セレナは少し頬を染めた後、「し、仕方ないですねえ」と満更でもない様子で呟いた。
早足でしばらく歩いて市場を出る。とりあえずセレナを確保できたと安堵して、このまま城に向かおうとした輝久だったが……。
(いや、待てよ)
もし輝久が止めなかったとすれば、セレナは見回りに行っていた。つまり、その最中にボルベゾに遭遇したと考えるのが自然だろう。
輝久は立ち止まって、マキに地図を出して貰う。そして、セレナと一緒に地図を覗き込み、普段の見回りルートを尋ねた。
「……なるほど。つまりこのルートの何処かで、あの怪物が出現するってことだな」
「怪物? ゴブリンですか?」
セレナが、世間話でもするような呑気な表情で聞いてきた。
「違う! ゴブリンなんか比べものにならないくらい危ない奴なんだ!」
「そ、そうですか、すいません!」
のほほんとした雰囲気を壊したくて輝久が叫ぶと、セレナは慌てて頭を下げた。
「で、でも、どうして勇者様はそんな怪物が現れると分かるのです?」
輝久は言いあぐねる。夢で見た、などと言っても変な顔をされるだけだろう。
「ええっと……ゆ、勇者の力……的な感じのやつで……」
結局、輝久が常日頃から嫌っている適当で意味不明な説明になってしまったが、
「なるほど。勇者様の第六感ですか」
セレナは意外にも納得してくれた。魔法などが当たり前に存在する世界では、スピリチュアルなことに抵抗はないのかも知れない。輝久は話を続ける。
「セレナさんって兵士長だろ? 他の兵士に伝えて欲しいんだ」
市場を含めた見回りルート周辺に町の人を近付かせないようにして欲しいと、輝久はセレナに頼んだ。セレナは近くにいる兵士を見つけると、輝久の言ったことをそのまま伝える。兵士は敬礼して走って行った。
「あ! それから町の警備も普段より厳重に!」
念を押すように輝久は兵士に叫んだ。
(よし。とりあえずOKかな)
これで、セレナから発生する最悪の事態は防げたと思う。無論、自分の見た夢が予知夢であることが前提だが。
プルト城に辿り着いた後も、輝久はセレナに城付近の警備を強化するように言った。あの恐ろしい怪物を、難度F世界の兵士達が完全にシャットアウトできるとは思えないが、それでもできる限りの手を尽くし、奴を城に近付けないようにするのが得策だろう。
「セレナさん。弓矢隊とか、遠隔で魔法を使える人なんかいる?」
「もちろん、おります」
「いるんだ!? 助かる!! 早速、配置して、」
「弓矢隊も魔術部隊も、常にスキルを磨いております! 実際には戦闘経験など全くありませんし、楽しく勤務することを念頭に置いて、お菓子を食べながら訓練しています!」
「お菓子食べながら訓練してんの!? 全然、使えなさそう!!」
「マキもお菓子食べたいデス」
「そんな暇ねえっ!!」
難度F世界のほのぼのさが憎らしくなって、輝久はギリギリと歯ぎしりする。それでも無いよりはマシだろうと、ボルベゾの襲来に備えて、輝久はできうる限りの兵力を城外及び城内に集結させるようにセレナに告げた。
「それにしても、勇者様は慎重な方なのですねえ。見てもない敵の襲来に備えるとは」
「マキもそウ思いマス。テルの用心深さハ異常デス」
「誰が異常だ! ネィムやアドルフ王を守る為なんだってば! 頼む、急いでくれ!」
「王とネィム様を……! わ、分かりました!」
輝久の真剣な態度を見て、セレナもまた引き締まった顔になって了承した。
(やれるだけのことはしておかないと! あんな悲劇が実際に起こったらイヤだし!)
ふと、輝久は我に返る。そして、会ったばかりのセレナや城にいる者達、そしてネィムを心の底から守りたいと思っている自分に驚いてしまう。
(あれ? 俺、こんな熱い奴だったっけ?)
そんな疑問を抱き、自問自答していると、男の兵士がやってきて輝久に一礼する。
「勇者様。アドルフ王がお呼びです」
アドルフ王とも後で打ち合わせをしておきたいと輝久は考えていた。ちょうど良いタイミングだと思いながら、輝久はマキとセレナと一緒に王の間に向かう。
「勇者殿。よくぞ戻られた」
数人の衛兵に囲まれ、アドルフ王は笑顔でそう言った。
(アドルフ王やネィムの警備も、もっと強めておかなきゃな)
王の話の後で、輝久はそのことを進言しようと思っていた。アドルフ王が話を続ける。
「今し方、連絡が入ってのう。修行を終えたネィムが、もうすぐ城に帰ってくるそうなのじゃ!」
護衛の兵士達や、セレナの顔がパッと明るくなる。そして――。
「……は?」
皆とは逆に輝久は青ざめていた。氷柱を背中に突っ込まれたような衝撃が走る。
「ね、ネィムは!! ネィムは城にいないのか!?」
「ネィムは聖なる祠で修行をしておると昨日、言ったではないか」
少し困った顔をしたアドルフ王にセレナが笑いかける。
「どちらにせよ、もうすぐ戻られる訳ですし! きっと、より多くの治癒魔法を使えるようになっていますよ!」
「うむ! 勇者殿の強力な仲間になるじゃろう!」
王とセレナが楽しげに笑う。だが、輝久の表情は依然、真っ青だった。
「夢と……違う……!」
輝久は呆然として小声で呟く。重大な勘違いをしていた。輝久の頭の中で、夢と現実がごた混ぜになっていたのだ。ネィムが既に城にいたのは夢の中の話。今、この現実ではネィムは城におらず、聖なる祠で修行をしている。
(そうだよ! だから城に泊めて貰ったんだろ! ネィムの修行が終わるのを待つ為に! なのに……バカか、俺は!)
自分にイラつく輝久。その時だった。
「はて? 何じゃ?」
王が不思議そうに扉を眺める。王の間の外が、騒然としていた。叫び声の入り交じった声が、扉越しに聞こえてくる。
王もセレナも扉の方に目を向けていた。輝久の心の中でイヤな予感が渦を巻き始める。
ギギギ、と軋む音が聞こえ、輝久もまた背後を振り返る。ゆっくりと王の間の扉が開かれ――目に飛び込んできた衝撃的な光景に輝久は言葉を失う。
(そんな! 嘘だ!)
「あ、ぐが……!」
苦しそうなネィムがそこに立っていた。そして、彼女の左半身は――。
「ぐひ! ぐへひはははははははは!」
下卑た笑い声が王の間に轟く。ネィムの左半身は泥色の醜い怪物と化していた。輝久が夢で見たセレナと同じように、半身をボルベゾに乗っ取られたネィムを見て、兵士達が騒然とする。
「ね、ネィム様のお体が!!」
「怪物の姿に!?」
アドルフ王が玉座から立ち上がり、右半身の怪物を震える手で指さして叫ぶ。
「き、貴様! 何者じゃ!」
片方の歪んだ口から、怪物は野太い声を出す。
「ぐへへへへ! 戴天王界が覇王! 侵食のボルベゾ!」
兵士達は剣を抜いたまま、どうして良いか分からない様子で口々に言う。
「戴天王界……覇王……?」
「し、侵食のボルベゾ……?」
「魔王の手下!? い、いえ、これは……!」
そう呟き絶句するセレナを、輝久は呼吸を荒くして見詰めていた。お、俺がセレナを助けて未来を変えたから、代わりにネィムが乗っ取られたのか!? いや、違う!! 元々、ネィムが現れる場所や時間はズレていた!!
(違ったんだ! 最初から、夢とは!)
「俺のスキル……予知じゃないのか……!」
愕然として独りごちる輝久に、ボルベゾの濁った片目がギロリと向けられる。
「ぐひひひ! 無能勇者が! おめえにスキルなんかあるかよおお! おめえは単なる贄なんだよおおおお!」
「に、贄……? ガガも確かそんなことを、」
「そうだ、ガガだあ。アイツ、消えたらしいけどよお。アレも一つの世界を滅ぼした覇王だ。おめえみたいな無能勇者に殺される訳ないよなあ? 気まぐれな奴だからトンズラしただけだよなあ、きっとよおおおおお!」
(世界を滅ぼした覇王……?)
現在、ボルベゾの登場によって、この世界アルヴァーナは切羽詰まった状況に違いない。とはいえ、世界はまだ滅んでなどいない。ボルベゾが何を言っているのか計りかねる輝久であったが、
「勇者さ……ま」
右半身のネィムが、片目から涙を零しながら喋った。アドルフ王が拳をきつく握りしめて震えている。
「おお、ネィム……! 何ということじゃ……!」
意味不明なボルベゾの言葉より、王や輝久にとって今、気がかりなのはネィムだった。輝久の脳裏に夢で見たネィムの惨殺シーンが浮かぶ。
ひょっとしたら、こんなことになるのではないかと危惧し、できるだけのことはしたつもりだった。なのに、結果は同じ――いや、むしろ最悪。こうなった以上、ネィムを助けるのは不可能だろう。
(クソっ、クソっ! また助けられないのかよ!)
輝久が歯をきつく食い縛った、その時。
『ウー、ウー、ウー、ウー、ウー!』
突如、マキから発せられるサイレン音が輝久の耳朶を震わせる。
「邪悪なオーラを感知致しまシタ!」
「マキ……!」
輝久はメイド服のアンドロイド女神をまじまじと眺める。今朝見た夢と現実とで、違うことは幾つかあった。そして、これもその内の一つ。
(あの悪夢に、マキはいなかった……!)
ガガと対峙した時のように、マキがぐるんと白目を剥き、小さな体から閃光を放つ。
『トランス・フォーム』
エフェクトの入った大人びた女性の声に変化するや、マキの五体がバラバラになって浮遊。変形しつつ、輝久の元に飛来する。
輝久の頭部及び四肢に各パーツが合体した途端、一際眩く発光した。王達が驚き、ざわめく中で光が収まり……輝久は異世界に似つかわしくないメタリックな外見に変化していた。胸の女神のレリーフが喋る。
『異世界アルヴァーナに巣くう邪悪に会心の神撃を……』
変身した輝久の体は、自らの意志とは無関係に弧を描くように舞う。そして短い演舞の後でピタリと動きを止めると、ネィムと半分同化しているボルベゾを標的に定めるように人差し指を向けた。胸の女神が発する冷徹な機械音が、王の間に反響する。
『終わりの勇者――ラグナロク・ジ・エンド』
目覚めた時、過呼吸になりそうな程に輝久の呼気は荒かった。ベッドの上で、怪物に食いちぎられた全身が無事であることを確認する。優しげな朝日がカーテンの隙間から差し込み、小鳥のさえずりが聞こえていた。
女兵士セレナに案内されたプルト城内の寝室で一夜明かしたことを思い出して、輝久は額の汗を拭う。
(また、夢か)
どことなくガガ戦の後に見た悪夢と似ている気がした。違うのは、今回は戦う前に夢を見たこと。そして、敵は不死公ガガではなく――。
「侵食の……ボルベゾ……!」
無限に増殖していく恐ろしい怪物を思い出しながら、輝久は震える声で呟く。
突然、
「どうしたのデス?」
呑気な声が聞こえた。隣のベッドから起きたマキが枕を小脇に抱えながら、瞼を擦っている。
「悪い。起こしちまったか」
ひょっとして喘いだり、叫んだりしていたのだろうか。恥ずかしくなって頬を赤く染める輝久の前で、マキは言う。
「オシッコを漏らシたのデスね?」
「漏らしてねえわ。オイル漏れするお前と一緒にすんな」
軽くツッコんだつもりだったのに、マキは真顔で自分のベッドのシーツを捲る。そこには大きな黒いオイルの染みができていた。マキが小さな親指を立てる。
「正解デス」
「正解デスじゃねえ!! ホントに漏らしてたの!? どうすんだ、このシーツ!!」
ペシンと頭を叩いてやろうとして思い留まる。泣かせば、黒い染みが増えるだけである。
「どうしテ、テルはうなされていタのデスか?」
マキが不思議そうな顔をしていた。「それは」と言いかけて輝久は口ごもる。夢の話をマキにしたところで、どうなるというのだ。そう。アレはただの夢だ。
「……何でもない」
頭にこびりつく悪夢の残滓を振り落とすべく、輝久はグシャグシャと髪を掻いた。
マキのシーツの件は、城内にいたおばさんメイドに平謝りしておいた。おばさんはマキを見て微笑むと「気にしないで良いのよ。まだ幼いものねえ」と笑っていた。いや、一応女神なんだけどね、この子!
その後は、だだっ広い食堂に案内される。輝久とマキの二人だけが、長いテーブルの端にある椅子に腰掛けた。テーブルはあっという間にメイド達が運んでくる豪華な料理で埋め尽くされる。マキがパンを手に取って囓る。
「おいしいデス」
「こぼれてんぞ」
食が進まない輝久に、給仕していた若いメイドが心配そうに声を掛けてきた。
「すいません、勇者様。味付けが良くなかったでしょうか?」
「いや、そんなことは。ちょっと食欲がなくて」
苦笑いする輝久の隣で、マキはフォークを手にパクパクと食を進めていた。
この子なんなん、もう!! 何で、そのビジュアルで食べられるんだよ!? 考え事してんのに、考え事増やすな!!
実際のところ、輝久が食欲がないのは、マキのこともさることながら、今朝見た悪夢がどうしても頭を離れないからだった。
輝久はマキから目を逸らすと、それとなく給仕のメイドに聞いてみる。
「あのさ。ネィムって、茶髪だったりする?」
「はい。肩まである、茶色のくせっ毛です。とっても愛くるしいんですよ」
輝久の心臓がドクッと大きく一つ鼓動した。ま、待て待て! たかが髪の色だ! 偶然かも知れないじゃないか!
「あと妙に『です』の多い、変な敬語使ったり……?」
「ええ! ネィム様は私共にも敬語を使ってくださるんです! 流石は勇者様! 何でも、ご存じなのですね!」
笑顔のメイドに輝久も笑みを返すが、その顔はぎこちなく引き攣っていた。会ったことのないネィムの容姿や口調を輝久は知っている。これはもはや偶然と言えるのだろうか。段々と輝久の鼓動は速くなってきた。
その時、突然、窓の外が光った。メイドも気付いたようで、近くの窓から外を眺める。
「遠くの空が光りましたね。雷でしょうか?」
途端、輝久は持っていたフォークを落とす。ガガと戦った時の記憶と、先程見た悪夢が同時にフラッシュバックした。
(そうだ! ガガも! ボルベゾも! 空が光った後に現れた!)
輝久の心臓はバクバクと脈打ち始める。
……気になっていたことがあった。輝久自身のことだ。ゲームや異世界ものに似た世界に転生したというのに、自分にはスキルがない。マキに聞いても知らないと言う。なら、これから先、何処かで身に付けるのかも知れないと思っていたのだが――。
(もう既にあったとしたら!)
『予知能力』!! もしかしてそれが俺のスキルじゃないか!? だとすれば……アレは、これからリアルに起こるってことか!?
輝久は理由や説明がつかないことが大嫌いである。そして今、自分に起きている状況はまさにそれ。先程見た夢が予知夢だという確証など無い。むしろ、単なる偶然と片付ける方が、理にかなっている気もする。
(けど、もし仮にアレが本当に起こったら……!)
女兵士セレナの死。ネィムの惨殺。プルト城の壊滅。悪夢の内容を思い出して、
「クソッ!」
輝久は椅子から立ち上がる。テーブルの料理をあらかた食べ終わったマキが、きょとんとした顔で輝久を見上げた。
「テル? 何処に行くのデスか?」
(そうだ、俺は何処に行けば良い!? いや、何をすれば良い!?)
徐々に記憶から薄れてゆく夢の内容を思い返す。事実、金髪女神の名前はもうハッキリと思い出せなかった。それでも殺戮の記憶は未だ脳裏に刻まれている。
半身がボルベゾになった女兵士セレナが王の間に現れる。それが始まりだった。セレナからボルベゾの感染が始まり、城中が地獄絵図に変わってしまった。
「セレナだ! 彼女を守らなきゃ!」
輝久は叫ぶ。そして給仕のメイドにすがるように尋ねた。
「メイドさん!! セレナは何処だ!?」
「セレナ兵士長はまだいらっしゃいません。毎朝、市場で買い物をしてから、城に向かうと聞いておりますが……」
「マキ! 市場に行くぞ!」
口の周りをナプキンで拭いているマキの固くて小さな腕を、輝久は掴んで駆け出した。
(間に合うか? いや、間に合わせなきゃ! ボルベゾがセレナに乗り移ったら最後! もう助ける方法はない!)
そんな風に切羽詰まった様子で輝久は城を飛び出して走っていたのだが、後ろでウィーン、ガシャンと機械音を鳴らしながら付いてきていたマキの声が聞こえる。
「テル、待っテくだサイ。股からオイルが漏れましタ」
「この一大事に何やってんだ!! 早く拭け!!」
輝久は逸る気持ちをどうにか鎮めて、マキがハンカチでオイルを拭き取るのを待った。やっと拭き終わった時、荷車に腐った野菜を大量に載せたゴブリンが通りがかる。
「あっ! 昨日の勇者! ケケケ! 今日も野菜は頂いていくぜ!」
「うん、どうぞ! それより、どいてくれ! 急いでんだ!」
「な、何だよ。張り合いねえなあ」
ガッカリした顔のゴブリンの隣を駆け抜けようとして、輝久は振り返って叫ぶ。
「お前、今日は城に近付くなよ! 絶対だぞ! 分かったな!」
「何だ! 勇者だからって偉そうに!」
「うるせえ、バカ!」
無性にイライラして、もう一度ゴブリンに叫ぶ。怒ってギャーギャー叫んでいるゴブリンを無視し、輝久はマキを連れて市場へと駆けた。
「はぁはぁ」という輝久の荒い息づかいは、市場の活気に掻き消される。息せき切って辿り着いた朝の市場は、商人や買い物客で賑わっていた。
(この人混みじゃあ、見つけるのは一苦労だな)
うんざりしかけたが、それでも輝久は気持ちを引き締める。
セレナを探さなければ惨劇が起きる。とにかく市場の端から順に見回ろうと決めた時、マキが光沢のある人差し指を遠くに向けた。
「アノ方は、セレナサンではないでショウか?」
マキの指の先。遠くで野菜を物色しているポニーテールの女兵士がいた。ちらりと見えた横顔は、間違いなくセレナである。
時間が掛かると思ったのに、呆気なく見つけてしまった。輝久は興奮してマキを見る。
「やるじゃん、マキ! ひょっとしてセンサーとか付いてんのか?」
「漂ってきタ匂いで分かりましタ。セレナサンの脇の匂いが独特だったかラ、覚えていたのデス」
「そ、そうか、偉いぞ! だが脇のことはセレナさんには言うな! 絶対、傷つく!」
輝久は特段イヤな臭いは感じなかった。おそらくマキの嗅覚は人間より、ずっと鋭いのだろう。そういうことにしておこう。
「セレナさん!」
声を掛けると、女兵士は呑気な顔で微笑んだ。
「あら。勇者様もお買い物ですか?」
「まだ無事で何よりだ! 城に戻ろう!」
「は、はい? 買い物の後、町の見回りがあるのですが……」
「そんなの行かなくて良いから!」
するとセレナは少し険しい顔になって言う。
「十年以上、かかさず続けている日課なのですよ」
「アルヴァーナは平和なんだろ? 十年間で何かあったのか?」
「それはもう。迷子の猫を見つけては飼い主に届けたり、野菜を盗むゴブリンを注意したりと様々な、」
「くだらねえ! よし、帰ろう!」
そんなのとは比べものにならない大惨事が起きるかも知れないのだ。輝久は強引にセレナの手を取った。セレナは少し頬を染めた後、「し、仕方ないですねえ」と満更でもない様子で呟いた。
早足でしばらく歩いて市場を出る。とりあえずセレナを確保できたと安堵して、このまま城に向かおうとした輝久だったが……。
(いや、待てよ)
もし輝久が止めなかったとすれば、セレナは見回りに行っていた。つまり、その最中にボルベゾに遭遇したと考えるのが自然だろう。
輝久は立ち止まって、マキに地図を出して貰う。そして、セレナと一緒に地図を覗き込み、普段の見回りルートを尋ねた。
「……なるほど。つまりこのルートの何処かで、あの怪物が出現するってことだな」
「怪物? ゴブリンですか?」
セレナが、世間話でもするような呑気な表情で聞いてきた。
「違う! ゴブリンなんか比べものにならないくらい危ない奴なんだ!」
「そ、そうですか、すいません!」
のほほんとした雰囲気を壊したくて輝久が叫ぶと、セレナは慌てて頭を下げた。
「で、でも、どうして勇者様はそんな怪物が現れると分かるのです?」
輝久は言いあぐねる。夢で見た、などと言っても変な顔をされるだけだろう。
「ええっと……ゆ、勇者の力……的な感じのやつで……」
結局、輝久が常日頃から嫌っている適当で意味不明な説明になってしまったが、
「なるほど。勇者様の第六感ですか」
セレナは意外にも納得してくれた。魔法などが当たり前に存在する世界では、スピリチュアルなことに抵抗はないのかも知れない。輝久は話を続ける。
「セレナさんって兵士長だろ? 他の兵士に伝えて欲しいんだ」
市場を含めた見回りルート周辺に町の人を近付かせないようにして欲しいと、輝久はセレナに頼んだ。セレナは近くにいる兵士を見つけると、輝久の言ったことをそのまま伝える。兵士は敬礼して走って行った。
「あ! それから町の警備も普段より厳重に!」
念を押すように輝久は兵士に叫んだ。
(よし。とりあえずOKかな)
これで、セレナから発生する最悪の事態は防げたと思う。無論、自分の見た夢が予知夢であることが前提だが。
プルト城に辿り着いた後も、輝久はセレナに城付近の警備を強化するように言った。あの恐ろしい怪物を、難度F世界の兵士達が完全にシャットアウトできるとは思えないが、それでもできる限りの手を尽くし、奴を城に近付けないようにするのが得策だろう。
「セレナさん。弓矢隊とか、遠隔で魔法を使える人なんかいる?」
「もちろん、おります」
「いるんだ!? 助かる!! 早速、配置して、」
「弓矢隊も魔術部隊も、常にスキルを磨いております! 実際には戦闘経験など全くありませんし、楽しく勤務することを念頭に置いて、お菓子を食べながら訓練しています!」
「お菓子食べながら訓練してんの!? 全然、使えなさそう!!」
「マキもお菓子食べたいデス」
「そんな暇ねえっ!!」
難度F世界のほのぼのさが憎らしくなって、輝久はギリギリと歯ぎしりする。それでも無いよりはマシだろうと、ボルベゾの襲来に備えて、輝久はできうる限りの兵力を城外及び城内に集結させるようにセレナに告げた。
「それにしても、勇者様は慎重な方なのですねえ。見てもない敵の襲来に備えるとは」
「マキもそウ思いマス。テルの用心深さハ異常デス」
「誰が異常だ! ネィムやアドルフ王を守る為なんだってば! 頼む、急いでくれ!」
「王とネィム様を……! わ、分かりました!」
輝久の真剣な態度を見て、セレナもまた引き締まった顔になって了承した。
(やれるだけのことはしておかないと! あんな悲劇が実際に起こったらイヤだし!)
ふと、輝久は我に返る。そして、会ったばかりのセレナや城にいる者達、そしてネィムを心の底から守りたいと思っている自分に驚いてしまう。
(あれ? 俺、こんな熱い奴だったっけ?)
そんな疑問を抱き、自問自答していると、男の兵士がやってきて輝久に一礼する。
「勇者様。アドルフ王がお呼びです」
アドルフ王とも後で打ち合わせをしておきたいと輝久は考えていた。ちょうど良いタイミングだと思いながら、輝久はマキとセレナと一緒に王の間に向かう。
「勇者殿。よくぞ戻られた」
数人の衛兵に囲まれ、アドルフ王は笑顔でそう言った。
(アドルフ王やネィムの警備も、もっと強めておかなきゃな)
王の話の後で、輝久はそのことを進言しようと思っていた。アドルフ王が話を続ける。
「今し方、連絡が入ってのう。修行を終えたネィムが、もうすぐ城に帰ってくるそうなのじゃ!」
護衛の兵士達や、セレナの顔がパッと明るくなる。そして――。
「……は?」
皆とは逆に輝久は青ざめていた。氷柱を背中に突っ込まれたような衝撃が走る。
「ね、ネィムは!! ネィムは城にいないのか!?」
「ネィムは聖なる祠で修行をしておると昨日、言ったではないか」
少し困った顔をしたアドルフ王にセレナが笑いかける。
「どちらにせよ、もうすぐ戻られる訳ですし! きっと、より多くの治癒魔法を使えるようになっていますよ!」
「うむ! 勇者殿の強力な仲間になるじゃろう!」
王とセレナが楽しげに笑う。だが、輝久の表情は依然、真っ青だった。
「夢と……違う……!」
輝久は呆然として小声で呟く。重大な勘違いをしていた。輝久の頭の中で、夢と現実がごた混ぜになっていたのだ。ネィムが既に城にいたのは夢の中の話。今、この現実ではネィムは城におらず、聖なる祠で修行をしている。
(そうだよ! だから城に泊めて貰ったんだろ! ネィムの修行が終わるのを待つ為に! なのに……バカか、俺は!)
自分にイラつく輝久。その時だった。
「はて? 何じゃ?」
王が不思議そうに扉を眺める。王の間の外が、騒然としていた。叫び声の入り交じった声が、扉越しに聞こえてくる。
王もセレナも扉の方に目を向けていた。輝久の心の中でイヤな予感が渦を巻き始める。
ギギギ、と軋む音が聞こえ、輝久もまた背後を振り返る。ゆっくりと王の間の扉が開かれ――目に飛び込んできた衝撃的な光景に輝久は言葉を失う。
(そんな! 嘘だ!)
「あ、ぐが……!」
苦しそうなネィムがそこに立っていた。そして、彼女の左半身は――。
「ぐひ! ぐへひはははははははは!」
下卑た笑い声が王の間に轟く。ネィムの左半身は泥色の醜い怪物と化していた。輝久が夢で見たセレナと同じように、半身をボルベゾに乗っ取られたネィムを見て、兵士達が騒然とする。
「ね、ネィム様のお体が!!」
「怪物の姿に!?」
アドルフ王が玉座から立ち上がり、右半身の怪物を震える手で指さして叫ぶ。
「き、貴様! 何者じゃ!」
片方の歪んだ口から、怪物は野太い声を出す。
「ぐへへへへ! 戴天王界が覇王! 侵食のボルベゾ!」
兵士達は剣を抜いたまま、どうして良いか分からない様子で口々に言う。
「戴天王界……覇王……?」
「し、侵食のボルベゾ……?」
「魔王の手下!? い、いえ、これは……!」
そう呟き絶句するセレナを、輝久は呼吸を荒くして見詰めていた。お、俺がセレナを助けて未来を変えたから、代わりにネィムが乗っ取られたのか!? いや、違う!! 元々、ネィムが現れる場所や時間はズレていた!!
(違ったんだ! 最初から、夢とは!)
「俺のスキル……予知じゃないのか……!」
愕然として独りごちる輝久に、ボルベゾの濁った片目がギロリと向けられる。
「ぐひひひ! 無能勇者が! おめえにスキルなんかあるかよおお! おめえは単なる贄なんだよおおおお!」
「に、贄……? ガガも確かそんなことを、」
「そうだ、ガガだあ。アイツ、消えたらしいけどよお。アレも一つの世界を滅ぼした覇王だ。おめえみたいな無能勇者に殺される訳ないよなあ? 気まぐれな奴だからトンズラしただけだよなあ、きっとよおおおおお!」
(世界を滅ぼした覇王……?)
現在、ボルベゾの登場によって、この世界アルヴァーナは切羽詰まった状況に違いない。とはいえ、世界はまだ滅んでなどいない。ボルベゾが何を言っているのか計りかねる輝久であったが、
「勇者さ……ま」
右半身のネィムが、片目から涙を零しながら喋った。アドルフ王が拳をきつく握りしめて震えている。
「おお、ネィム……! 何ということじゃ……!」
意味不明なボルベゾの言葉より、王や輝久にとって今、気がかりなのはネィムだった。輝久の脳裏に夢で見たネィムの惨殺シーンが浮かぶ。
ひょっとしたら、こんなことになるのではないかと危惧し、できるだけのことはしたつもりだった。なのに、結果は同じ――いや、むしろ最悪。こうなった以上、ネィムを助けるのは不可能だろう。
(クソっ、クソっ! また助けられないのかよ!)
輝久が歯をきつく食い縛った、その時。
『ウー、ウー、ウー、ウー、ウー!』
突如、マキから発せられるサイレン音が輝久の耳朶を震わせる。
「邪悪なオーラを感知致しまシタ!」
「マキ……!」
輝久はメイド服のアンドロイド女神をまじまじと眺める。今朝見た夢と現実とで、違うことは幾つかあった。そして、これもその内の一つ。
(あの悪夢に、マキはいなかった……!)
ガガと対峙した時のように、マキがぐるんと白目を剥き、小さな体から閃光を放つ。
『トランス・フォーム』
エフェクトの入った大人びた女性の声に変化するや、マキの五体がバラバラになって浮遊。変形しつつ、輝久の元に飛来する。
輝久の頭部及び四肢に各パーツが合体した途端、一際眩く発光した。王達が驚き、ざわめく中で光が収まり……輝久は異世界に似つかわしくないメタリックな外見に変化していた。胸の女神のレリーフが喋る。
『異世界アルヴァーナに巣くう邪悪に会心の神撃を……』
変身した輝久の体は、自らの意志とは無関係に弧を描くように舞う。そして短い演舞の後でピタリと動きを止めると、ネィムと半分同化しているボルベゾを標的に定めるように人差し指を向けた。胸の女神が発する冷徹な機械音が、王の間に反響する。
『終わりの勇者――ラグナロク・ジ・エンド』
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