機械仕掛けの最終勇者

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天動地蛇の円環(クリカエス セカイ) 第5986章 侵食のボルベゾ

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 ノクタン平原に立つ輝久の前に、RPGでよく見る青くブヨブヨしたスライムが飛び跳ねている。輝久はドレミノの町で買った銅の剣を上段に構えた。光の女神ティアの魔力が宿った剣を、スライムに叩き付ける。

「せやっ!」

 気合いを入れた魔法剣の一撃は、だが、スライムの体を僅かに掠っただけだった。

「きゅ、キュー!」

 甲高い声を出して逃げていくスライムに輝久は左手を向けた。先程、ティアに習ったばかりの光の魔法『ライト・ボール』を発動しようとして、

「コラ」

 輝久はティアに軽く背中を押された。体勢を崩され、輝久の掌から出たライト・ボールは逃げるスライムから離れた草むらに着弾する。

 輝久は少しムッとして振り返るが、ティアもまた顔をしかめていた。

「やりすぎ。懲らしめるくらいで良いんだってば」
「そ、そっか」

 我に返って反省する。この世界アルヴァーナは難度Fの世界であり、モンスターも殺すのではなく、追い払ったり改心させるだけで良いと、輝久はティアから釘を刺されていた。輝久は「ごめん」と頭を下げる。

「でもまぁ、装備もゲットしたし、初めてのモンスターとも戦った。今のところ順調に進んでるわね」
「もうちょっとやり甲斐のある敵と戦ってみたいんだけどな」

 素直に心情を吐露すると、ティアは意地悪そうな顔をして輝久に近付き、ツンツンと肘で突く。

「テルってば、やる気満々ねえ」
「い、いや別に!」

 やる気に満ちていると思われた気恥ずかしさと、ティアに密着されたことが相まって、輝久の顔は熱くなる。

「私は早く帰りたいわ。テルだって最初は、元の世界に戻りたいって言ってたのに」

 ティアと一緒にアルヴァーナに来て、既に数時間が経過していた。輝久は、ティアと初めて出会った時、自分と性格が似ていると感じた。ティアも輝久も異世界攻略に関して、基本的に冷めていたのだ。なので、輝久も通常なら、一刻も早く冒険を終えて元の世界に戻りたいところなのだが……。

 輝久は横目で、ティアをちらりと見る。完璧に整った顔に、しなやかな肢体。輝久の理想と願望をそのまま具現化した、まさに女神と呼ぶに相応しい女性である。

 ティアと一緒なら、よく分からないこの異世界の冒険も悪くない――輝久はそんな風に思い始めていた。

「とにかく、次はプルト城に向かいましょう。そこに最初の仲間もいるみたいよ。資料によると、王女様でヒーラーね」
「へえ。回復役がパーティにいれば心強いな」
「実際、アルヴァーナで大きな怪我なんてしないと思うけどね。それに、難度F世界のヒーラーなんて、まともな治癒魔法が使えるとは思えないし」
「えええ……? そうなんだ……?」

 想像と違ったせいで肩を落とす輝久。ティアは金髪を弄りながら言う。

「気楽にほのぼのやれば良いんだって。アルヴァーナは、眠ってても攻略できるような異世界なんだから」

 話しながらティアは、遠くに見えるプルト城に向かって足を進める。輝久が焦ってティアを追おうとした、その時だった。空が一瞬、真っ白に輝いた。

 二人とも歩くのを止めて立ち止まる。

「雷か? 今、光ったよな?」
「ええ。おかしいわね。こんなに晴れてるのに」

 ティアは不思議そうに言った後、ハッと気付いたように早足で歩き出した。

「急ぎましょ。雨でも降ったらドレスが濡れちゃうわ」



「……おおっ! あの見目麗しい姿は、伝承にある女神様に違いない!」
「ならば、隣の男性は勇者様か!」

 プルト城下では、輝久とティアを見た兵士達がざわめいていた。少し照れる輝久とは逆に、ティアは自信たっぷりに歩を進める。そして当然のように城門を潜り、跪く兵士達の横を通過して王の間に辿り着くと、観音開きの扉をばーんと開けた。

 王と兵士達が驚いた顔で、ティアと輝久を交互に見る。輝久は気まずくなってティアの耳元で囁いた。

「自分の家みたいに普通に入ってきちゃったけど……大丈夫?」
「良いの。私、女神ですから」

 さも慣れた様子で言うティアに、輝久はハラハラしていた。アドルフ王が慌てて玉座から立ち上がる。

「い、いきなりでビックリしたが……女神様と勇者殿じゃな! よくぞ参られた!」
「迎えが無いので、こちらから来てしまいましたわ。ええ、迎えが無かったもので」
「そ、それは悪かった! いや本当に申し訳ない!」

 輝く笑顔のまま、歓迎が無かったことを強調するティアに、王も護衛の兵達もタジタジであった。此処までくると輝久は、ティアを頼もしいと思い始めていた。

「私達にアルヴァーナの野菜と果物を守って欲しいんですよね? 頑張ります」
「あっ? えっ? う、うむ、そうじゃ! お願いします!」

 アドルフ王が言葉の先を取られて面食らっていたが、輝久もまた初めて聞く事実にたまげていた。

「ちょっと待って!? ティア!! 俺の仕事って、野菜と果物守ることなの!?」

 ティアが「まぁまぁ」と輝久の肩に手を載せる。

「難度Fだから。その分、元の世界に早く帰れるわ。考え方次第よ」

 聞きしに勝る低レベルな使命だと知り、輝久は愕然とする。だが、王も兵士達も熱い眼差しを輝久に送っていた。後戻りはできそうにない。ああ、なるほど。だからティアは今までこのことを黙っていたのか。

 腑に落ちない様子の輝久に構わず、ティアはアドルフ王と話を続けた。

「此処にヒーラーの仲間がいるんですよね?」
「女神様は何でも知っておるのう。そうじゃ! 昨日、我が娘ネィムが聖なる祠の修行から戻ってきたところなのじゃ!」

 王が柏手を叩くと扉が開かれた。輝久は背後を振り返る。

 赤絨毯の先に、神官姿の幼い女の子が立っていた。強ばった顔で、右手と右足を同時に出し、あからさまに緊張しながら歩いてくる。幼女は気まずそうに輝久の隣を通り過ぎると、いそいそと王の隣に向かう。アドルフ王がこほんと咳払いをした。

「これ、ネィム。自分で挨拶するのじゃ」
「は、はいです!」

 王に窘められて、幼女は輝久の元へ再び歩いてきた。意を決したように言う。
 
「わ、わ、私、ネィムって言いますです! 勇者様! よろしくお願いしますです!」

 変な喋り方だなあ、と思いながら、輝久はネィムを改めて眺めた。癖のある茶髪のセミロングに愛らしい顔の幼女は、小学生低学年のような背格好だ。

 ネィムは持っていた花束を輝久に差し出した。

「こ、これ、プレゼントのお花なのです!」

 花束を持つ手が、プルプルと震えている。見かけ通り、純粋な子らしい。

 少し照れくさかったが、これから仲間になる幼女からの贈り物である。輝久は頬を指で掻いた後、

「え、と。ありがと」
「はいです!」

 輝久が礼を言うと、ネィムは緊張がほぐれた笑顔を見せた。無垢な笑みに輝久も釣られて笑う。そして、輝久が花束を受け取ろうと右手を伸ばしたその時。ガヤガヤと周囲が騒がしくなった。ネィムが輝久から視線をそちらに向けた。

「……えっ」

 呟いて、絶句するネィム。先程までの満面の笑みが消え失せ、蒼白な表情で輝久の背後の扉付近を見詰めている。ネィムだけではない。アドルフ王も、王の間にいる護衛の兵士達、全ての視線がそちらに向けられていた。

 輝久も振り返り――驚愕の為、目を大きく見開く。

 扉の前には、ポニーテールの女兵士が立っていた。だが明らかに様子がおかしい。彼女の体の右半分は、大きく肥大していた。左半身は細い女性の体なのに、右半分はでっぷりとした泥色の醜い肉体。彼女の体の右半分が、怪物のようになっているのだ。

「あ……ぐが……!」

 女兵士は苦しそうに言葉を吐き、片方だけの目から涙を流していた。

「セレナ兵士長!? どうしたのじゃ、その姿は!?」

 女兵士の異変を見て、王が叫ぶ。

「せ、セレナさん……!?」

 ネィムが輝久に渡しかけていた花束を赤絨毯に落とした。色とりどりの花びらが、王の間に散る。

 王とネィムの呼びかけに答えたのは、女兵士セレナではなく、右半分の不気味な肉体だった。半分の唇から、下卑た声を出して笑う。

「ぐへへへへ! この女の体はオデが貰ったぞおおおおおお!」

 輝久は堪らず、隣のティアを見る。

「な、何だよ、アレ!?」

 ティアも真剣な表情で眉間に皺を寄せていた。

「体半分が魔物に乗っ取られているようね」

 ティアはキッと怪物を睨む。

「アンタ一体、何者?」

 すると半身の怪物は、王の間に哄笑を轟かせた。

「ぐひへへへへへ!! 戴天王界が覇王!! 侵食のボルベゾ!!」
「戴天王界……? 侵食のボルベゾ……?」

 ティアが心底不可解といった様子で言葉を繰り返す。輝久はティアの手前、緊張を押し殺して平静を装った。

「急に強そうな敵が出てきたな」
「どうせ見かけ倒しよ。何度も言うけど、アルヴァーナは難度Fの世界なんだから」

 その時だった。左半身のセレナが苦しげに喘ぎ、片膝を突く。

「セレナさん!」

 咄嗟にネィムが叫んで、セレナに駆けつける。

「ネィム!? 近寄ってはならん!!」

 王の悲痛な声。兵士達もざわつくが、それでもネィムはセレナに駆け寄った。

「お、おい!! あの子、大丈夫かよ!?」

 輝久もまた叫ぶ。セレナの半身は怪物なのだ。近寄っては攻撃される可能性がある。

 事態は切迫しているように輝久には思えたが、ティアはこの様子に、したり顔を見せる。

「なるほどね。きっと、ネィムの治癒魔法はあの怪物に有効なんだわ」
「どういう意味だよ?」
「ゲームなんかでも、よくあるでしょ? 仲間の優位性を見せる為の演出よ。ネィムの力で、このピンチをどうにか切り抜けられるって訳」
「ああ! そういうことか!」

 輝久は納得し、安堵した。見れば、ネィムは倒れたセレナに既に治癒魔法を施していた。淡い光がセレナの右半身となった怪物ボルベゾに照射される。

「ぐぬああああああ!?」

 ボルベゾの右半身は、ネィムを攻撃するでもなく、野太い叫び声を上げていた。

「ネィム様……ありがとうございます……」

 更に、涙ながらに感謝する左半身のセレナ。これを見て、輝久もティアの言ったことが真実だと確信した。

 しかし……苦しげだったボルベゾは、半分の口角をにたりと上げる。

「ぐっひゃはは! 全く、驚いちまったなああああ! 何だあ、このレベルの低いヒーラーはあ? おめえの治癒速度なんかより、オデの侵食速度の方がずっとずっとはええぞおおおおお!」

 ネィムは淡い光を必死にボルベゾに当てていた。それでも、泥が徐々にセレナの残っている体の部分に広がっていく。

「う……あああああああ!!」

 セレナが苦しげに呻いた。ネィムは治癒を続けながら、涙を流す。

「ごめんなさいです。ごめんなさいです。治せなくてごめんなさいです」

 輝久は居ても立ってもいられなくなって、隣のティアの肩を揺すった。

「様子が変だぞ!! やっぱり俺らが何とかしなきゃいけないんじゃないのか!?」
「確かに妙ね。難度Fにしては展開がハードすぎるわ。もしかしたら、イレギュラーが起きてるのかも。なら……」

 ティアがセレナの半身であるボルベゾに近付き、右手を向けた。ティアの右手が光を帯びて眩く輝く。

「レベル58光聖魔法『ピュリファ・ライト』!」

 ネィムの手から発せられていた淡い光とは比べものにならない圧倒的な光量が、王の間を明るくする。王や衛兵達が歓喜の混じった声を上げた。

 圧倒的な女神の力に、泣き顔のネィムも安堵しかけたように見えたが、

「ああっ!! あああああああああ!!」

 それでも、セレナは苦しみ続けている。いや、先程よりもなお一層、悲痛な叫び声を上げていた。ティアの顔が徐々に青ざめていく。

「そ、そんな! 私の魔法に耐性があるの?」
「ぐへへへ! 女神の力もたいしたことねえなあああああ!」

 どんどんとセレナである部分が泥色に侵食されていく。ネィムは我慢できなくなったのか、ティアの隣で、セレナに向けて治癒魔法を再発動する。

「お願いです! 治って! 治ってくださいです!」

 ティアとネィムが力を合わせるように、ボルベゾに魔法を照射する。だが、セレナは目を充血させて叫び続ける。

「あああああああああああああ!!」

 そんなセレナの絶叫は途中で途絶える。泥の侵食はセレナの口を完全に消失させ、ボルベゾの醜い唇に変わっていた。

「ぐひ! ぐひゃへへひひひひひひひひ!!」

 狂ったような笑い声が王の間に木霊する。やがてセレナは片目だけになり、その目すら泥の海に埋没するように飲み込まれていった。

「あ、ありえない! 難度F世界の魔物に、ピュリファ・ライトが通じないなんて!」
「セレナ……さん……ごめんなさい。ごめんなさいです……」

 驚愕のティア。そして、ポタポタと涙をこぼすネィムの目前。セレナを完全に侵食して完全な一個の怪物と化したボルベゾが、むくりと立ち上がった。王が血相を変えて叫ぶ。

「ネィム! 其奴から離れるのじゃ! それはもうセレナではない!」

 ボルベゾは、巨体を揺らしながら不敵に笑う。

「ひひひ。安心しろよお。オデは攻撃なんてしねえよお。だってよお……」

 そして粘液に塗れた黄土色の舌をベロリと出した。

「もう、このメスガキに感染してるからよおおおおおおおおお!」

 愉悦を孕んだ声。そして「ひひひ」と下卑たボルベゾの声がネィムの方からも聞こえる。

「な、何と言うことじゃ……!」

 王が絶望のあまり、がくりと膝を突いた。輝久もまた、ネィムを見て愕然とする。

 治癒の光を放っていたネィムの右手の甲。そこに小さなボルベゾの顔が現れていた。人面瘡じんめんそうのようなソレは、けたたましい笑い声を上げている。

 輝久は救いを求めるように、ティアの様子を窺う。先程まで動揺していたティアは、いつしか怜悧な眼差しをボルベゾに向けていた。

「今、奴は『感染』と言った。つまりウィルス性の病に近いスキルなのかも知れない……」
「病のスキル……?」

 自らの手の甲に人面瘡ができていることに青ざめていたネィムは、病と聞くや、顔を引き締めた。

「ネィムは! 病を治せるヒーラーになるのです!」

 そして無事な方の手を人面瘡に向ける。屹立する巨大なボルベゾが近くで笑う最中、人面瘡が言葉を紡いだ。

「ぐひひ! おめえの母ちゃん、病で死んだんだよなあ!」
「ど、どうして……それを知っているのです……!」

 呼吸を荒くして、顔色を変えるネィム。人面瘡が笑い続ける。

「病を治せるヒーラーになる、だあ? だったら、オデを治してみろよおおおおお!」

 ネィムは人面瘡を睨み付けながら、光を当て続ける。だが、どんどん手の甲から泥が広がり、ネィムの小さな体はボルベゾに侵食されていく。 

 立って傍観している方のボルベゾが口を開く。

「カスみてえなヒーラーだなあああ! そんな弱い力じゃあ、母ちゃんも仲間も、誰一人助けられねえぞおおおおお!」 

 輝久は醜い巨体の怪物を睨みながら、鞘から剣を抜いた。

「あのクソ野郎!」

 小学生のような幼い女の子が苦しんでいる。成り行きで勇者になった輝久ではあるが、この非道を前にして気持ちは高ぶっていた。セレナを侵食し、完全な怪物になったボルベゾに向けて剣を構える。

「アレがきっと本体だ! 俺がアイツを倒せばネィムの侵食は止まる筈だ!」
「テル! 不用意に近付いちゃダメ! アナタまで感染したら、手の打ちようがない!」
「だ、だったら、どうすんだよ!」
「落ち着きなさい! おそらく、アイツのスキルは接触による感染! 遠隔で攻撃するのがベストよ!」

 ならば、と初級光聖魔法『ライト・ボール』を発動させようとした輝久だったが、ティアは止めるように両手をかざした。ティアは祈るようなポーズを取り、屹立しているボルベソに鋭い視線を向ける。

「これは緊急事態! なら、私の持つ女神の力、全てを解放する!」

 祈りの為に組み合わせていた手を解く。ティアの掌は眩い光を帯びていた。輝久の背中にティアが両手を当てる。

「女神と勇者の力を掛け合わす! テル! ボルベゾに向けて、右手を伸ばして!」
「こ、こうか?」
「OK! いくわよ! レベル77光聖魔法『ハイアー・ライトマジック』!」

 ライト・ボール発動時とは比べものにならない眩い光が、輝久の右手を覆う。輝久の右手から発されたのは、レーザーの如き熱光線。無防備なボルベゾに向けて、電磁波を帯びたように螺旋を描く光線が一直線に発射される。凄まじい速度で巨大なボルベゾの腹部に命中すると、王の間が真っ白な光に包まれた。

 輝久がゆっくりと目を開く。近くでティアが、ぜえぜえと息を切らしている。ティアは輝久にニコリと微笑みかけたが、

「う、嘘……!」

 ティアの顔が驚愕の色に染まる。ボルベゾは平然と仁王立ちしていた。

「ぐへへへへ! どいつもこいつも非力な奴ばっかりだなああああああ!」

 笑いながら、ほんの少しだけ焼き爛れた腹をボリボリと掻いている。

「効いてないぞ、ティア!」

 叫ぶが、ティアは無言だった。そして輝久は気付く。ティアの細い脚がガクガクと激しく震えていることに。

「今のは私の最大攻撃魔法……なのに、ノーダメージなんて……!」
「あぐぅっ!」

 ネィムの叫び声で輝久は背後を振り返る。ネィムの顔はまだらに変化しており、今にもボルベゾに体全てを乗っ取られかけていた。

 息を呑む輝久と、片方だけになったネィムの目が合った。

「勇者様……わ、分かるのです……私はもう助からないのです……」

 涙を浮かべながらネィムは苦しげに、だが気丈に笑う。

「完全な怪物になってしまう前に……その剣で……私ごと斬ってくださいです……」
「ね、ネィム……!」

 輝久は呟く。自身が持っている銅の剣が震えていた。

「あはは……勇者様……一緒に冒険したかったです……」
「ほーう。苦しいだろうに、まだそんな風に喋れるのかああああ」

 完全体のボルベゾが興味深そうに、侵食されるネィムを眺めていた。ネィムは訥々と喋り続ける。

「あ、アルヴァーナにはいっぱいお花があって……魔物達とも楽しく暮らしていたのです。勇者様……お願いなのです……ネィムの大好きなこの世界を守っ、」

 突如、ネィムに代わって、半身のボルベゾの声が轟く。

「このメスガキ、小せえのに精神力はあるんだなああああ? なら、ご褒美に痛覚を高めてやるかああああああ!」

 ボルベゾが言い終わると同時に、

「いやああああああああああ!!」

 ネィムは片目を大きく見開いて絶叫した。

「殺して、殺してくださいです! お、おねっ、お願いしますです! 痛い痛い痛い! 早く! 殺して! 誰かっ!」

 幼女の悲鳴に、輝久は身を切られる思いでティアを振り返る。

「お、俺……一体……ど、どうしたら!?」
「ぐっ!」

 ティアが唸る。ティアもまた逡巡している様子だった。その間もネィムは血の涙を流しながら叫び続けていた。

「ぐひへへへへ! メスガキ、いたぶって遊ぶのは楽しいなああああああ!」

 傍観している完全体のボルベゾが楽しげに嗤っていたが、不意に「おんやあ?」と間の抜けた声を出す。

 侵食されているネィムの元に歩み寄る人影があった。

「……ネィムや」

 アドルフ王は怪物と化しつつある娘の手を優しく握る。ティアが血相を変えて叫んだ。

「ダメよ! 触れたらアナタも感染するわ!」

 それでも王は構わずネィムを抱きかかえた。その顔は何かの決意で満ちているように輝久は思った。

「父が今、この化け物を引き剥がしてやるからのう」

 そう言って、アドルフ王は片手でネィムの頭部を、もう一方の手で怪物の半身を掴む。

「何してるの!? 細胞レベルで同化されてるのよ!! そんなやり方じゃあ、」
「えぇい、黙れ!! 勇者も女神も何もできんではないか!!」

 優しかった王の怒声にティアも言葉を失う。アドルフ王は、二の句の継げないティアから、消え入りそうなネィムの頭部へと視線を戻す。

「待っておれ。ワシが今、助けてやるぞ」

 輝久も、ティアも、そして兵士達も為す術無く、王を見守っていた。王が力を入れると、ブチブチと肉を引きちぎる絶望的な音が連続して聞こえた。完全体のボルベゾが嗤う。

「ダメだよお、そんなに引っ張っちゃあ。ホラ……取れちまっただろおおおお?」

 アドルフ王が抱えているのは、ネィムの半分だけの頭部だった。苦痛に満ちた泣き顔のまま、ネィムは息絶え、もはや叫ぶこともなかった。

「ぐひひ! おめえが殺したんだぞおおおおお! ぐひひひひひひひ!」

 アドルフ王の隣。引き剥がされたボルベゾの半身が嗤う。笑いながら何と、頭部の切断面がグジュグジュと音を立てて再生している。

「ネィム……おお……ネィム……!」

 娘の頭部を抱きながら、王の号哭が轟く。その間にネィムを侵食していたボルベゾもまた完全体に変化した。

 二体のボルベゾは、下卑た笑い声を王の間に高らかに響かせる。更に、嗚咽する王からも下卑た声が聞こえた。

「おぉい、じじい。泣いてる場合じゃねえぞおおお。おめえにも伝染ってんぞおおおお」

 その声はアドルフ王の右手からだった。手の甲には新たなボルベゾの顔が浮き出ている。「くっ!」と、再びティアが唸る。

「「「ぐひひひ!! 侵食、侵食、侵食ううううううう!!」」」

 三体のボルベゾが声を揃えて叫んだ。君主の危機に兵士達がざわつくが、ティアがアドルフ王に近付かないように注意を促す。

 そんな中、輝久の隣にいた兵士から叫び声が上がった。腕を掲げて、恐怖の表情で叫んでいる。その腕には何と、新たなボルベゾの顔が現れていた。輝久が吃驚する。

「な、何で!? この兵士、ボルベゾに触れてないぞ!!」

 輝久の近くにいた兵士である。ティアが言う通り、接触感染だとすれば話がおかしい。

「もしかして……空気感染か!?」

 そう言って、咄嗟に輝久は口に手を当てる。

「で、できるだけ、ボルベゾから離れるのよ!」

 ティアもまた顔面蒼白でそう叫んだ。なるべくボルベゾから距離を取ろうと、輝久は窓際に近付いた。窓の外からも悲鳴が聞こえて、輝久はちらりと外の様子を窺う。

「な……っ!?」

 見下ろして、驚愕する。外に居る者達にもボルベゾが感染していた。既に半身がボルベゾと化した者。人面瘡が体に浮かび上がっている者。城下もまた阿鼻叫喚の巷であった。

「どうして城の外まで感染が!?」
「わ、分からない! でも、こうなった以上、もう本体と戦うしかない!」

 ティアは自分を奮い立たせるように大声を出す。

「あのボルベゾを囲むのよ!!」

 ティアが指さしたボルベゾ。それは女兵士セレナを侵食して、この城に入ってきたボルベゾであった。

「皆で力を合わせて、あのボルベゾを倒すの! そうすれば、他のボルベゾも消える筈!」

 輝久も頷く。おそらく他のボルベゾは分身のようなものだろう。本体を叩けば、後は消え失せる。問題はあのプロトタイプのボルベゾを倒す手段はあるのかということだが、

「感染覚悟でやるしかねえよな」

 輝久もまた覚悟を決めた。このままジッとしても死を待つだけだろう。王の間の兵士達に輝久の決意が伝わったかのように、団結して完全体のボルベゾに向かう。

「本体を囲め! どうにかしてアイツを倒すんだ!」

 兵士達に包囲されたボルベゾは、一際けたたましい声で嗤った。

「おめえらカス共は、やること為すこと全て的外れなんだよおおお! 万が一――いや数百万が一、オデ一人を倒したとしても無駄なんだよおおおおお!」

 後を引き継ぐように、かつてネィムの体を侵食していたボルベゾが喋る。

「オデが本体! そしてソイツもまたオデ本体なんだよお!」
「そうそう! だからオデを殺しても、」
「こっちのオデが生きてるんだぞお!」
「全部が全部オデなんだよ、クソカス共がああああああああああああああ!」

 ありえない。そんな訳がない。奴は苦し紛れの嘘を言っている。輝久はそう信じたかった。だが、頼みの綱のティアの唇が震えている。

「オリジナルと同じ意識を持ちながら無限に増えていく……? も、もし、それが真実なら、全てのボルベゾを一体残らず倒さないと勝てない……!」

 ティアは今にも倒れそうなくらいに息を乱していた。

「何なのよ、この怪物は……! こんなの救世難度S……いや、それ以上じゃない……!」

 ティアの動揺を悟ったように、人面瘡を含むボルベゾ達が一斉に笑った。完全体のボルベゾが口を開く。

「てめえら低レベルなクソカス共の理解の外! それが戴天王界の覇王だあああああ!」

 一体、何を言っているのか輝久には分からない。突如、半身がアドルフ王のボルベゾが狂ったような笑い声を上げた。

「ぐひひひひ! 殺すのじゃ! 勇者と女神を! ぐひひひひひひひ!」

 アドルフ王はまだ完全に侵食されてはいないようだが、我が子を殺してしまったことで気が触れたのかも知れない。そう考えて、輝久は背筋が寒くなった。

 そして、王だけではない。輝久の周囲にいる兵士達も次々とボルベゾに侵食されていく。

「こ、こんな! こんなことが……!」

 ティアがふらつき、壁に体を預けた。輝久の耳に獣のような叫び声が聞こえて、近くにある窓の外を再び見下ろす。町にいたゴブリンも半身ボルベゾになっていて、モンスターとしての本分を思い出したかのように、逃げ惑う人間に食らいついていた。

「ぐへへへ! 感謝しろよおおお! おめえら弱小世界のクソ共が、オデ様と同化して強くなれるんだからよおおおおお!」

 輝久が視線を戻す。いつしかティアの元に完全体に変化したボルベゾが数体、にじり寄っていた。

「ティア!」

 囲む筈が、逆に囲まれて――ティアは為す術もなく一体のボルベゾに羽交い締めにされる。

「女神は侵食しねえええ! このまま食べてやるうううううう!」
「何て……ち、ちから……ッ!」

 ティアが苦しげに呻く。やがて、肋骨がへし折れる鈍い音を輝久は聞いた。ティアは顔を苦痛に歪ませ、口から血を吐き出しながら、どうにか輝久に視線を向けた。

「て、テル……逃げて……こんな敵……誰も倒せな、」 

 ティアの頭部は、口を大きく開けたボルベゾに、ばくんと飲み込まれる。切断面から噴水のように血液が噴き出して、王の間を赤に染めた。ボルベゾの口腔から、グシャゴシャとティアの頭蓋を砕く咀嚼音が響く。

「あ……あああ……!」

 輝久の足は動かず、その場にへたり込んでしまう。ティアの惨殺を目の当たりにして腰が抜け、動くことができなかったのだ。

 満足げにティアの頭部を嚥下したボルベゾは、やがて不思議そうな顔をする。

「あれあれえ? 女神を殺したのに、何にも起こらねえぞお。『天動地蛇の円環てんどうちじゃのえんかん』――動いてねえのかあ?」

 意味不明な言葉を並べつつ、ボルベゾはちらりと輝久を見て、口を大きく歪めた。

「ああ、そうかそうかあ! 勇者も一緒に殺さねえとダメなのかあ!」

 不穏な台詞の後、輝久に無数の怪物の視線が突き刺さる。気付けば、王の間にいた全ての人間が、完全なボルベゾに変化している。それら全てが輝久の方を向いていた。

 輝久は動けない自分の太ももを力強く、数度叩く。どうにか自分を叩き付け、もつれる足で王の間の扉に向かった。

 だが、逃げようとする輝久の前に、ティアの返り血を浴びたボルベゾが立っていた。先程、ティアの頭部を噛み砕いたボルベゾだ。奴と自分の間には随分な距離があった筈……!

「おめえ、オデが太ってるから動きが遅いと思ってただろお? 舐めてんじゃねえぞお」

 輝久の心は、更なる絶望で塗り潰された。感染経路不明の侵食能力。ティアを捻り潰す膂力。更に、体格からは想像できない敏捷さ。

「ば、化け物……!」

 掠れる声で言った瞬間、輝久はボルベゾに押し倒される。輝久の周囲に、十数体のボルベゾ達が群がった。

「オデに食わせろおおおお!」
「オデも! オデも!」
「く、来るな!!」

 輝久は恐怖で叫んだ。だが、輝久の声は群がるボルベゾ達に掻き消される。

「オデは胴体!」
「オデは心臓だあ!」
「バカか、おめえら! 楽しみは最後だろがあ! ゆっくり端っこから食うんだよおお!」
「そうかあ! なら、オデは右手の指から!」
「オデは左足の指を頂くぞお!」

 輝久は両手両足を押さえつけられ、身動きを取れなくされていた。一体のボルベゾが輝久の右腕を握って、自分の口へと運んでゆく。

「や、やめろ……!」

 別のボルベゾは輝久の靴を脱がし、足の指に齧り付こうとしていた。

「やめ……やめ……て……!」

 輝久の情けない声は、ボルベゾが指を食いちぎった瞬間、野太い絶叫に変わったが、その声を聞くことができた人間は、プルト城にはもはや存在しなかった。
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