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第1章・・・旅立ち
2話・・・ゼーロの街2
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ミラにとって、両親は心の大黒柱だった。
ネイサン家から役立たずとして追い出された父だったが、とても優しくて、正しくて、どこか気品があった。出来損ないとは言え、出は良い所だ。佇まいや作法は綺麗だったと子供ながらでも思う。母は父とは正反対で豪快、な人だったと思う。豪快で、悪事を許さない人だった。だから悪ガキを叱るし、弱い立場の人に言いがかりや文句を着ける人を見たら割って入り注意し始めることもあった。もちろん、ミラが悪さや危険を犯したときは雷を落とされた。大泣きした後は、いつも抱きしめてくれた。自慢の両親だった。そして初恋のリアムはいつも傍にいてくれて、頼れるエアルとエマもいる。仲の良い友達だっている。
周りからなんと言われようと、傷つけられようと、パパとママ、リアム達がいればヘッチャラだった。強くなれた。
だけど、その幸せは昨日で幕を閉じた。
夕方。オレンジや緑のネオンが灯り始める。数日の間に四人も人が死んだのに、街は至って普通で、朝が来て、夜が来る。そしてまた朝を迎える。こっちが望んでいなくても、嫌でも時間は進む。リアムはミラの家に向かい歩いていた。自分には両親と、ミラの両親の仇を討つという目標が出来た。復讐が出来た。だが、ミラは違う。まだ立ち直れていない。復讐しようとも考えていない。ただ、無気力になって、毎日をぼーっとして過ごしている。あの生き生きとしていた瞳が曇っている。風呂にも一週間入っていなかったこともあった。流石に臭いがするからなんとか入れたけど、あの日の雨音と重なるのか、すすり泣く声が浴槽から響いてきたとき、後追い自殺をしないか怖かった。食事も取ってなくて痩せこけていった。
エアルの家の前を通った時、車が止まっていることに気がついた。
(今日は帰って来てるのか)
あの事件以来、エアルはずっと事件を追っていて帰ってきていなかった。絶対に捕まえる。俺とミラにそう誓った日のエアルの眼は、鬼神が宿っているようだった。
ぼんやりと車を見ていると、ガラリと窓が開く。
「あ…リアム」夕涼みのためか、窓を開けたエマと目が合った。
「エマ姉。こん、ばんは…。エアル兄、帰って来てんだな。最近見なかったから…。今って、会えたりするかな」
頼れる相手がいることに安心したリアムは期待で溢れ表情に少し光が宿る。しかし、それを見たエマは申し訳なさそうに眉を下げ、視線を逸らした。
「そのことなんだけどね。エアルの奴、急に刑事やめちゃって」
「え?」
「その、リアム達になんて言えばいいのか解らないんだけど。あの子、絶対に犯人捕まえるからって。家出したっていうか、旅に出ちゃったの!」
「旅に?!」
思わず大きな声が出て、慌てて手で口を覆う。
「旅とかカッコいい言葉で言ったけど、放浪よ、放浪…単独で動くなんて余計情報が入らないわよ」
エマは顔を手で覆い項垂れた。
「何でわざわざ辞めて…絶対警察で追った方がいいんじゃ…?」
「私もそう思ったんだけど、なんか、行き詰っちゃって辞めちゃったみたいなの。今もどこにいるか解らないし。連絡憑かないし、もう本当、何やってんだか」
「そうだったんだ…」
エアルが簡単に捜査を投げ出すとは思えなかった。軟派な性格はしているが、自分達に対しては誠実な人間だ。不思議と怒りは沸いてこなかった。理由がある…だから旅に出た。そんな気がした。
エマは憂鬱そうな表情をし、何か言おうと迷っているようだった。そして溜息をひとつ吐いてからリアムを見据えた。
「リアム。最近、夜な夜な公園でトレーニングしてるでしょ」
「えッ、ナゼソレを…」
そう。リアムは復讐を決めてからまずは身体作りとして公園の遊具やアスレチックでトレーニングを始めていたのだ。
「ママ達の間で噂になってるの!夜に怪しい男が遊んでるって」
「遊んではねーけど」
不服そうに頭を掻く。
「リアムがそう思っていても、周りからみたら不審者なのよ。だから、エアルがこっそり使ってたガレージハウスがあるの。そっちのほうが公園より設備が整っているから、よかったら使って。防音もしてあるみたいだし。通報される心配も無いしね」
「あ、ありがとう…」
エマがガレージハウスの鍵をリアムに向かって投げる。キャッチすると、メルカジュールランドのマスコットキャラクターのキーホルダーが着いていた。行った事あるんだ、メルカジュールに。
「ありがとう、エマ姉。使わせてもらうよ」
「筋トレなんかしてどうするの?」
「軍に入る。強くなりたいんだ」
「軍…?まさか」
「あぁ。ティアマテッタ軍に入隊する」
ふと、エアルと重なった。警察を辞め、家を出ていった日の馬鹿弟と同じ目をしていた。あぁ、彼も信念があるのだ。成し遂げようとしている。
「そう。無理しないでね」
インターホンを鳴らしてから、ミラから半強制的に預かった合鍵を使い、玄関を開ける。
「ミラ、来たぞ」返事は無い。
リビングに入ると、ソファに仰向けで寝転がり、天井を眺めているミラがいた。毎度、生きていて良かったと安堵する。
「今日はハンバーガー買ってきたんだ。食おうぜ」
「うん」
無機質な返事をしてから、ミラは起き上がり適当にバーガーを手にとり食べ始める。動作が不気味だと思ってしまった。これじゃあ生きている人形だ。延命するために食べ、飲み、寝て。何を考えているかも解らない日々を、ミラは過ごしている。
「はい、レモンティー。ポテトとナゲットもあるから、好きに食えよ」
「うん」
リアムも、食べても味が解らなくなっていた。母親が作ってくれたハンバーガーモドキは、それは美味しくて、お上品だからジャンクの方がいいぜ、なんて冗談で言い合ったこともあった。でも、今は違う。ジャンクも、何も、味が解らない。何を食っても同じな気がして、美味しいも不味いも無くて。ただ、ミラと二人で生きるために腹を満たす行為しかしていない。
「…手作り料理、食いたいよな」
「……え?」
「毎日ジャンクフードやデリバリーだもんな。そりゃ飽きるぜ。俺、料理頑張ってみるよ。でもあんま期待するな。今日はやることがあるから、帰るけど…。明日の夕飯は俺の手作りだ」
ニコッと笑ってみても、ミラは呆然と見つめてくるだけだった。
「じゃあ、俺は帰るわ。今日は風呂入れよ」
リアムが部屋から出ていった後、ミラはボソリと「やること…」と口ずさんだ。
マジックウォッチに送られてきたガレージハウスの場所に向かう。住宅街や繁華街から離れた、廃れた工業地帯に建っていた。
最近まで使われていたのか、埃っぽさは無い。
「すげぇ。車好きのエアル兄らしや」
車をメンテナンスするジャッキ、リフト。周りを見渡すと、ボルダリングや、トレーニング機材。ラックに無造作に置かれた銃のオプションカスタマイズのガトリングガン、スーパーライフル、マシンガンなどがあった。壁にはマジックソードが掛けられている。裏の路地には銃の練習場まで設備されていた。
ここなら誰にも邪魔されず、人目を気にすることなく思う存分出来る。
リアムは早速、銃を取り出し訓練をし始めた。
射撃は酷いものだった。真ん中に命中すらしない。汗もかなり掻いた。時計を見ると、時刻は午前一時前だった。
「ヤベェ…帰らないと」
ガレージハウスに戻ると、ミラが雑に置かれた木箱に座っていた。
「うわぁああぎゃ?!?!」
「ぎゃあああ!!!」
「ミ、ミラ!?なんでいんだよ!驚いた、マジで驚いた、心臓止まるかと思った!」
「私も止まるかと思ったよ!」
久しぶりに大声を上げるミラに、リアムは少し驚いた。夕飯の時とは、随分違う。
「リアムが帰ったあとさ、エマ姉が来てくれたんだよね。そこで聞いたんだ。ガレージハウスに居るって。それにリアム、手料理食べたいって言うから…リアム、料理した事ないくせに作るとか宣言するし、それでお腹壊したらたまったもんじゃないから、私が代わりに作ってきちゃった」
「はい?え、俺の料理ってそんな信用無いの?」
「え、無いから作ったんじゃん…いいから食べよう。お腹空いちゃった」
ちょっと揶揄ったみたいに笑う。この子は、普段こんな表情を俺に見せていてくれていたんだ。当たり前が、全部壊れた今、目の前のことが、凄く、苦しくなるくらい尊くて。
ミラから、普通の言葉が聞けた。料理作った、お腹空いた…。ここしばらく、聞けなかった言葉。当たり前の言葉。
「いただきます」
「いただきます。久しぶりに作ったから、不味くても文句言わないでね」
釘を刺す言葉でも今じゃ嬉しくて。
「…言わねぇよ」
バスケットの中には、サンドイッチが入っていた。たまごサンドに、ハムとレタス、トマト、チーズが挟まれたサンドイッチ。クリームチーズとブルーベリージャムのサンドイッチ。
「うん、旨い。旨いよ。たくさん作ったな」
「久しぶりにキッチンに立ったら、手順とか忘れちゃったし、量とかもなんか分からなくなっててさ。でも、楽しかった。ママと料理して、パパが喜んでくれたこと…思い出せた」
「そっか」
「私達、残されちゃったけどさ。不思議と教えてもらったことは忘れてないんだね。きっと生きていくうちに思い出に変っちゃうけど、パパとママのお蔭で覚えていられる」
もう、昨日までの無機質で人形のミラはいなかった。生きる希望を瞳に宿し、真っ直ぐ未来を見ている。
「ねぇ、これからは私が料理作りに行ってもいい?食中毒起こさないためにもさ」
「ミラが気晴らしになるなら、いいけど…俺でも消費期限や腐りかけくらいは判断できるぞ」
「アハハ!よかった!ありがとう、リアム!」
ミラの笑顔が、すごく下手くそだった。でもそれは無理に笑っているのではなく、久しぶりに腹の底から笑ったからぎこちないだけで。しばらく笑わないだけで、人はたくさんの事を忘れてしまう。そして、どんな笑顔でも、こんなに眩しくて、見ると嬉しくなるなんて知らなかった。あぁ、守りたいってきっとこういう事なんだ。親父が言っていたことがじんわりと沁み込んでくる。
「これからもよろしくな、ミラ」
「うん…よろしく」
ミラが手を差し出してきた。リアムは少し照れ臭かったが、手を差し出し、握手した。
多分、両親を殺された傷が癒えていくのは時間がかかるだろう。一生消えないかもしれない。いや、消えることはない。でも、かさぶたにして、傷口を強くして、生きていくしかない。リアムは、ミラとなら大丈夫な気がした。
それからリアムはトレーニングや鍛錬に時間を費やした。銃の扱いも日々成長していく。ミラも、気晴らしが出来て暗いことを考えている時間が少なくなっていった。エマやアイリスもミラを気にかけ、自宅へと足しげく通ってくれていた。次第に家に居る時間とガレージハウスに居る時間が半々になり、簡易的なテーブルとイス、冷蔵庫、キャンプ道具のコンロなど生活品も置くようになった。
リアムは殆どをガレージハウスに入り浸るようになっていた。そしてミラも、通い妻みたいになっていた。
あの事件から、二年が経とうとしていた。
リアムはすっかり大人の顔つきになり、背も伸びて、身体もガッシリと筋肉がついていた。銃の扱いは天下一と街中で噂された。
「ねぇ、ランドルフさん家のリアム君、随分男前に育ったわよねぇ」
「うちの馬鹿息子が子供の頃、よく成敗されてたわ。小さい頃から銃や魔法の才能はやっぱりあったのね」
「もう十八歳よね。早いけど、ミラちゃんと結婚しちゃえばいいのに。あんな事件があったんだもの…幸せな家庭を築いて、天国のご両親達を安心させてあげてほしいわ」
「え、アナタ知らないの?あの二人、付き合っていないのよ」
「え?」
そうなのだ。ミラは父の気品と母の逞しさを見事受け継ぎ、正義感と微量の毒舌を携え、美人な凛とした女性へと成長していた。そしてお互い支え合いながら育ったミラと恋人同士ではないことにも、ご近所さんからは驚かれることは珍しい事ではなかった。
リアムはガレージハウスの鍵を返すために、エマ宅に訪れていた。
「あ、リアムおにいさん!」
「よう、アイリス。ちゃんとママの言う事聞いてるか?」
「当たり前よ!」
アイリスも六才になり、おませさんになってきていた。
「アイリス、誰か来たの?」
エマが玄関から現れる。そしてリアムを見て、察したのか穏やかな笑みを見せた。
「エマ姉。鍵、ありがとうございました」
「わざわざ返しに来るなんて。別に持っていてもいいのに…鍵が家にあると、寂しくなるじゃない」
「いや、けじめだからさ。これから入隊するためにティアマテッタに行く」
その言葉を聞き、エマは自分に言い聞かせるように小さく、何度か頷いた。
「そう。ついに行くのね。二年前に聞いた日から覚悟はしていたけど…リアムもこの街から出ていくのね。エアルも、あれ以来一度も顔を見せもしないでも本当、腹が立っちゃう。ねぇ、ミラはどうするの?」
「置いてく。アイツの事は巻き込みたくないからな」
「ミラが泣くわね」
「アイリスも泣く…」
六才だけど、大好きな人が自分の傍から離れて行ってしまうことは理解できてはいるらしい。しょんもりとし、涙目で唇を尖らせていた。
そんなアイリスの頭を少し不器用に撫でてやる。
「ごめんな、アイリス。メール送るから、ちゃんと読んでくれよ?あと、ママのこと困らせたら遠くにいても俺はちゃんと見ているからな。じゃあ…エマ姉。ミラのこと、頼んだぜ。…本当に、お世話になりました。エアルにもよろしく」
頭を深く下げ、お辞儀をする。
「えぇ。リアムも元気でね」
リアムは必要な荷物だけを持つと、街の外を目指して歩き出す。正式な軍は、ティアマテッタにしか無い。各国にも軍隊はあるが、それは自衛隊として機能している。何かテロや襲撃があれば、ティアマテッタが介入する。そのくらい、ティアマテッタという国は軍事国家で、強大な権力を持っている。そこに入り、軍の情報をハッキングし、犯人を捜す。さらに身体と技術を鍛え、磨き、得た力で両親の仇を必ず討つ。そのために今日まで生きてきた。復讐するために。
「遅かったじゃない、リアム」
「…は?」
そこには、バッチリ旅支度をしたミラが仁王立ちで待ち構えていた。ドヤ顔で。
「なんでいんの?」
「何で、て。リアムと一緒にティアマテッタに行くからよ!私が生活面担当、リアムがお金調達と護衛担当。ね?私達っていいコンビじゃない?」
「いいコンビか?」
「当たり前でしょう?何年一緒にいると思ってるの?ほらほら、旅は道連れ、世は情けってね!私もここ以外の街が見たいの!」
両腕を広げ、宣言する。ミラを見ていると、時折おばさんのことを思い出すのはこういう性格が垣間見えるからなのかもしれない。リアムは小さく溜息を吐いた。
「………勝手にしろ」
こうして、リアムとミラの旅は始まった。くだらない話をしながら、ティアマテッタの入り口と言われるメルカジュールを目指して。
その晩は、小さな町の民宿に泊まった。流石に部屋は別けてもらったが、シングルタイプとは云え、狭いにも程があった。
亡霊のように立ち尽くしている、ミラに似た女性がいた。虚ろで濁った瞳。黒い薔薇のタトゥー。銃口を俺に向け、容赦なく引き金を引く。劈くような子供の泣き声に、リアムは悲鳴を上げた。
「ッハァ…ハー」
空には月がまだ浮かんでいる。頭痛がする。また、あの悪夢だ。黒いタトゥーの女性は、ミラだ。姿からして、すぐではないが、将来確実に殺される。それか何かに巻き込まれる。
「連れてきて、よかったのか…?」
自分の傍にいることで回避できる未来なのか、それとも…。
迷うな。ミラが傍にいる以上、自分が守ればいい。必ず守る。そのためにも入隊をするんだ。もう、誰も失いたくない。
リアムは瞼を閉じるが、また寝付けることはなく、そのまま朝を迎えた。
ネイサン家から役立たずとして追い出された父だったが、とても優しくて、正しくて、どこか気品があった。出来損ないとは言え、出は良い所だ。佇まいや作法は綺麗だったと子供ながらでも思う。母は父とは正反対で豪快、な人だったと思う。豪快で、悪事を許さない人だった。だから悪ガキを叱るし、弱い立場の人に言いがかりや文句を着ける人を見たら割って入り注意し始めることもあった。もちろん、ミラが悪さや危険を犯したときは雷を落とされた。大泣きした後は、いつも抱きしめてくれた。自慢の両親だった。そして初恋のリアムはいつも傍にいてくれて、頼れるエアルとエマもいる。仲の良い友達だっている。
周りからなんと言われようと、傷つけられようと、パパとママ、リアム達がいればヘッチャラだった。強くなれた。
だけど、その幸せは昨日で幕を閉じた。
夕方。オレンジや緑のネオンが灯り始める。数日の間に四人も人が死んだのに、街は至って普通で、朝が来て、夜が来る。そしてまた朝を迎える。こっちが望んでいなくても、嫌でも時間は進む。リアムはミラの家に向かい歩いていた。自分には両親と、ミラの両親の仇を討つという目標が出来た。復讐が出来た。だが、ミラは違う。まだ立ち直れていない。復讐しようとも考えていない。ただ、無気力になって、毎日をぼーっとして過ごしている。あの生き生きとしていた瞳が曇っている。風呂にも一週間入っていなかったこともあった。流石に臭いがするからなんとか入れたけど、あの日の雨音と重なるのか、すすり泣く声が浴槽から響いてきたとき、後追い自殺をしないか怖かった。食事も取ってなくて痩せこけていった。
エアルの家の前を通った時、車が止まっていることに気がついた。
(今日は帰って来てるのか)
あの事件以来、エアルはずっと事件を追っていて帰ってきていなかった。絶対に捕まえる。俺とミラにそう誓った日のエアルの眼は、鬼神が宿っているようだった。
ぼんやりと車を見ていると、ガラリと窓が開く。
「あ…リアム」夕涼みのためか、窓を開けたエマと目が合った。
「エマ姉。こん、ばんは…。エアル兄、帰って来てんだな。最近見なかったから…。今って、会えたりするかな」
頼れる相手がいることに安心したリアムは期待で溢れ表情に少し光が宿る。しかし、それを見たエマは申し訳なさそうに眉を下げ、視線を逸らした。
「そのことなんだけどね。エアルの奴、急に刑事やめちゃって」
「え?」
「その、リアム達になんて言えばいいのか解らないんだけど。あの子、絶対に犯人捕まえるからって。家出したっていうか、旅に出ちゃったの!」
「旅に?!」
思わず大きな声が出て、慌てて手で口を覆う。
「旅とかカッコいい言葉で言ったけど、放浪よ、放浪…単独で動くなんて余計情報が入らないわよ」
エマは顔を手で覆い項垂れた。
「何でわざわざ辞めて…絶対警察で追った方がいいんじゃ…?」
「私もそう思ったんだけど、なんか、行き詰っちゃって辞めちゃったみたいなの。今もどこにいるか解らないし。連絡憑かないし、もう本当、何やってんだか」
「そうだったんだ…」
エアルが簡単に捜査を投げ出すとは思えなかった。軟派な性格はしているが、自分達に対しては誠実な人間だ。不思議と怒りは沸いてこなかった。理由がある…だから旅に出た。そんな気がした。
エマは憂鬱そうな表情をし、何か言おうと迷っているようだった。そして溜息をひとつ吐いてからリアムを見据えた。
「リアム。最近、夜な夜な公園でトレーニングしてるでしょ」
「えッ、ナゼソレを…」
そう。リアムは復讐を決めてからまずは身体作りとして公園の遊具やアスレチックでトレーニングを始めていたのだ。
「ママ達の間で噂になってるの!夜に怪しい男が遊んでるって」
「遊んではねーけど」
不服そうに頭を掻く。
「リアムがそう思っていても、周りからみたら不審者なのよ。だから、エアルがこっそり使ってたガレージハウスがあるの。そっちのほうが公園より設備が整っているから、よかったら使って。防音もしてあるみたいだし。通報される心配も無いしね」
「あ、ありがとう…」
エマがガレージハウスの鍵をリアムに向かって投げる。キャッチすると、メルカジュールランドのマスコットキャラクターのキーホルダーが着いていた。行った事あるんだ、メルカジュールに。
「ありがとう、エマ姉。使わせてもらうよ」
「筋トレなんかしてどうするの?」
「軍に入る。強くなりたいんだ」
「軍…?まさか」
「あぁ。ティアマテッタ軍に入隊する」
ふと、エアルと重なった。警察を辞め、家を出ていった日の馬鹿弟と同じ目をしていた。あぁ、彼も信念があるのだ。成し遂げようとしている。
「そう。無理しないでね」
インターホンを鳴らしてから、ミラから半強制的に預かった合鍵を使い、玄関を開ける。
「ミラ、来たぞ」返事は無い。
リビングに入ると、ソファに仰向けで寝転がり、天井を眺めているミラがいた。毎度、生きていて良かったと安堵する。
「今日はハンバーガー買ってきたんだ。食おうぜ」
「うん」
無機質な返事をしてから、ミラは起き上がり適当にバーガーを手にとり食べ始める。動作が不気味だと思ってしまった。これじゃあ生きている人形だ。延命するために食べ、飲み、寝て。何を考えているかも解らない日々を、ミラは過ごしている。
「はい、レモンティー。ポテトとナゲットもあるから、好きに食えよ」
「うん」
リアムも、食べても味が解らなくなっていた。母親が作ってくれたハンバーガーモドキは、それは美味しくて、お上品だからジャンクの方がいいぜ、なんて冗談で言い合ったこともあった。でも、今は違う。ジャンクも、何も、味が解らない。何を食っても同じな気がして、美味しいも不味いも無くて。ただ、ミラと二人で生きるために腹を満たす行為しかしていない。
「…手作り料理、食いたいよな」
「……え?」
「毎日ジャンクフードやデリバリーだもんな。そりゃ飽きるぜ。俺、料理頑張ってみるよ。でもあんま期待するな。今日はやることがあるから、帰るけど…。明日の夕飯は俺の手作りだ」
ニコッと笑ってみても、ミラは呆然と見つめてくるだけだった。
「じゃあ、俺は帰るわ。今日は風呂入れよ」
リアムが部屋から出ていった後、ミラはボソリと「やること…」と口ずさんだ。
マジックウォッチに送られてきたガレージハウスの場所に向かう。住宅街や繁華街から離れた、廃れた工業地帯に建っていた。
最近まで使われていたのか、埃っぽさは無い。
「すげぇ。車好きのエアル兄らしや」
車をメンテナンスするジャッキ、リフト。周りを見渡すと、ボルダリングや、トレーニング機材。ラックに無造作に置かれた銃のオプションカスタマイズのガトリングガン、スーパーライフル、マシンガンなどがあった。壁にはマジックソードが掛けられている。裏の路地には銃の練習場まで設備されていた。
ここなら誰にも邪魔されず、人目を気にすることなく思う存分出来る。
リアムは早速、銃を取り出し訓練をし始めた。
射撃は酷いものだった。真ん中に命中すらしない。汗もかなり掻いた。時計を見ると、時刻は午前一時前だった。
「ヤベェ…帰らないと」
ガレージハウスに戻ると、ミラが雑に置かれた木箱に座っていた。
「うわぁああぎゃ?!?!」
「ぎゃあああ!!!」
「ミ、ミラ!?なんでいんだよ!驚いた、マジで驚いた、心臓止まるかと思った!」
「私も止まるかと思ったよ!」
久しぶりに大声を上げるミラに、リアムは少し驚いた。夕飯の時とは、随分違う。
「リアムが帰ったあとさ、エマ姉が来てくれたんだよね。そこで聞いたんだ。ガレージハウスに居るって。それにリアム、手料理食べたいって言うから…リアム、料理した事ないくせに作るとか宣言するし、それでお腹壊したらたまったもんじゃないから、私が代わりに作ってきちゃった」
「はい?え、俺の料理ってそんな信用無いの?」
「え、無いから作ったんじゃん…いいから食べよう。お腹空いちゃった」
ちょっと揶揄ったみたいに笑う。この子は、普段こんな表情を俺に見せていてくれていたんだ。当たり前が、全部壊れた今、目の前のことが、凄く、苦しくなるくらい尊くて。
ミラから、普通の言葉が聞けた。料理作った、お腹空いた…。ここしばらく、聞けなかった言葉。当たり前の言葉。
「いただきます」
「いただきます。久しぶりに作ったから、不味くても文句言わないでね」
釘を刺す言葉でも今じゃ嬉しくて。
「…言わねぇよ」
バスケットの中には、サンドイッチが入っていた。たまごサンドに、ハムとレタス、トマト、チーズが挟まれたサンドイッチ。クリームチーズとブルーベリージャムのサンドイッチ。
「うん、旨い。旨いよ。たくさん作ったな」
「久しぶりにキッチンに立ったら、手順とか忘れちゃったし、量とかもなんか分からなくなっててさ。でも、楽しかった。ママと料理して、パパが喜んでくれたこと…思い出せた」
「そっか」
「私達、残されちゃったけどさ。不思議と教えてもらったことは忘れてないんだね。きっと生きていくうちに思い出に変っちゃうけど、パパとママのお蔭で覚えていられる」
もう、昨日までの無機質で人形のミラはいなかった。生きる希望を瞳に宿し、真っ直ぐ未来を見ている。
「ねぇ、これからは私が料理作りに行ってもいい?食中毒起こさないためにもさ」
「ミラが気晴らしになるなら、いいけど…俺でも消費期限や腐りかけくらいは判断できるぞ」
「アハハ!よかった!ありがとう、リアム!」
ミラの笑顔が、すごく下手くそだった。でもそれは無理に笑っているのではなく、久しぶりに腹の底から笑ったからぎこちないだけで。しばらく笑わないだけで、人はたくさんの事を忘れてしまう。そして、どんな笑顔でも、こんなに眩しくて、見ると嬉しくなるなんて知らなかった。あぁ、守りたいってきっとこういう事なんだ。親父が言っていたことがじんわりと沁み込んでくる。
「これからもよろしくな、ミラ」
「うん…よろしく」
ミラが手を差し出してきた。リアムは少し照れ臭かったが、手を差し出し、握手した。
多分、両親を殺された傷が癒えていくのは時間がかかるだろう。一生消えないかもしれない。いや、消えることはない。でも、かさぶたにして、傷口を強くして、生きていくしかない。リアムは、ミラとなら大丈夫な気がした。
それからリアムはトレーニングや鍛錬に時間を費やした。銃の扱いも日々成長していく。ミラも、気晴らしが出来て暗いことを考えている時間が少なくなっていった。エマやアイリスもミラを気にかけ、自宅へと足しげく通ってくれていた。次第に家に居る時間とガレージハウスに居る時間が半々になり、簡易的なテーブルとイス、冷蔵庫、キャンプ道具のコンロなど生活品も置くようになった。
リアムは殆どをガレージハウスに入り浸るようになっていた。そしてミラも、通い妻みたいになっていた。
あの事件から、二年が経とうとしていた。
リアムはすっかり大人の顔つきになり、背も伸びて、身体もガッシリと筋肉がついていた。銃の扱いは天下一と街中で噂された。
「ねぇ、ランドルフさん家のリアム君、随分男前に育ったわよねぇ」
「うちの馬鹿息子が子供の頃、よく成敗されてたわ。小さい頃から銃や魔法の才能はやっぱりあったのね」
「もう十八歳よね。早いけど、ミラちゃんと結婚しちゃえばいいのに。あんな事件があったんだもの…幸せな家庭を築いて、天国のご両親達を安心させてあげてほしいわ」
「え、アナタ知らないの?あの二人、付き合っていないのよ」
「え?」
そうなのだ。ミラは父の気品と母の逞しさを見事受け継ぎ、正義感と微量の毒舌を携え、美人な凛とした女性へと成長していた。そしてお互い支え合いながら育ったミラと恋人同士ではないことにも、ご近所さんからは驚かれることは珍しい事ではなかった。
リアムはガレージハウスの鍵を返すために、エマ宅に訪れていた。
「あ、リアムおにいさん!」
「よう、アイリス。ちゃんとママの言う事聞いてるか?」
「当たり前よ!」
アイリスも六才になり、おませさんになってきていた。
「アイリス、誰か来たの?」
エマが玄関から現れる。そしてリアムを見て、察したのか穏やかな笑みを見せた。
「エマ姉。鍵、ありがとうございました」
「わざわざ返しに来るなんて。別に持っていてもいいのに…鍵が家にあると、寂しくなるじゃない」
「いや、けじめだからさ。これから入隊するためにティアマテッタに行く」
その言葉を聞き、エマは自分に言い聞かせるように小さく、何度か頷いた。
「そう。ついに行くのね。二年前に聞いた日から覚悟はしていたけど…リアムもこの街から出ていくのね。エアルも、あれ以来一度も顔を見せもしないでも本当、腹が立っちゃう。ねぇ、ミラはどうするの?」
「置いてく。アイツの事は巻き込みたくないからな」
「ミラが泣くわね」
「アイリスも泣く…」
六才だけど、大好きな人が自分の傍から離れて行ってしまうことは理解できてはいるらしい。しょんもりとし、涙目で唇を尖らせていた。
そんなアイリスの頭を少し不器用に撫でてやる。
「ごめんな、アイリス。メール送るから、ちゃんと読んでくれよ?あと、ママのこと困らせたら遠くにいても俺はちゃんと見ているからな。じゃあ…エマ姉。ミラのこと、頼んだぜ。…本当に、お世話になりました。エアルにもよろしく」
頭を深く下げ、お辞儀をする。
「えぇ。リアムも元気でね」
リアムは必要な荷物だけを持つと、街の外を目指して歩き出す。正式な軍は、ティアマテッタにしか無い。各国にも軍隊はあるが、それは自衛隊として機能している。何かテロや襲撃があれば、ティアマテッタが介入する。そのくらい、ティアマテッタという国は軍事国家で、強大な権力を持っている。そこに入り、軍の情報をハッキングし、犯人を捜す。さらに身体と技術を鍛え、磨き、得た力で両親の仇を必ず討つ。そのために今日まで生きてきた。復讐するために。
「遅かったじゃない、リアム」
「…は?」
そこには、バッチリ旅支度をしたミラが仁王立ちで待ち構えていた。ドヤ顔で。
「なんでいんの?」
「何で、て。リアムと一緒にティアマテッタに行くからよ!私が生活面担当、リアムがお金調達と護衛担当。ね?私達っていいコンビじゃない?」
「いいコンビか?」
「当たり前でしょう?何年一緒にいると思ってるの?ほらほら、旅は道連れ、世は情けってね!私もここ以外の街が見たいの!」
両腕を広げ、宣言する。ミラを見ていると、時折おばさんのことを思い出すのはこういう性格が垣間見えるからなのかもしれない。リアムは小さく溜息を吐いた。
「………勝手にしろ」
こうして、リアムとミラの旅は始まった。くだらない話をしながら、ティアマテッタの入り口と言われるメルカジュールを目指して。
その晩は、小さな町の民宿に泊まった。流石に部屋は別けてもらったが、シングルタイプとは云え、狭いにも程があった。
亡霊のように立ち尽くしている、ミラに似た女性がいた。虚ろで濁った瞳。黒い薔薇のタトゥー。銃口を俺に向け、容赦なく引き金を引く。劈くような子供の泣き声に、リアムは悲鳴を上げた。
「ッハァ…ハー」
空には月がまだ浮かんでいる。頭痛がする。また、あの悪夢だ。黒いタトゥーの女性は、ミラだ。姿からして、すぐではないが、将来確実に殺される。それか何かに巻き込まれる。
「連れてきて、よかったのか…?」
自分の傍にいることで回避できる未来なのか、それとも…。
迷うな。ミラが傍にいる以上、自分が守ればいい。必ず守る。そのためにも入隊をするんだ。もう、誰も失いたくない。
リアムは瞼を閉じるが、また寝付けることはなく、そのまま朝を迎えた。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます
ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう
どんどん更新していきます。
ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
美しい姉と痩せこけた妹
サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――
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