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招かれざる客
しおりを挟むいつものように客の姿のない喫茶店『小道』
今日は勉強会はおやすみのようで、リンもキャニも思い思いに過ごしている。
リンは寝室でもある二階の部屋で魔法関係の本を読み、キャニは陽の当たる店の床でごろごろとしていた。
だらしなく舌をだしたまま横になるキャニにユウは苦笑する。
「一応女の子なんだから……」
そうは言っても、キャニ自身特に気にする様子もなく、むしろ、
「だって、ここすごいぽかぽかだよー」
と気のない返事しかしてこない。
やれやれと肩をすくめ、ユウはいつもの定位置へと座る。
確かにキャニの言うとおり、窓から差し込む光は強くもなく弱くもなく、店の床をほどよく暖めてくれているのだろう。勿論ユウはキャニのように床に寝転がるようなマネはしないが、すこし羨ましくも思うのだった。
何気ないいつもの風景。
客が居ない風景がいつも、というのはどうなんだろう、などとちょっと疑問を覚えつつ、自分で淹れたコーヒーを片手にぼんやりと店の中を眺めるユウ。
光と雲が織り成す調べは、明るくしたり、かと思えば暗くさせたり、店内を彩っていく。
キャニもまた、陽の光が照らせばゆだねるように腹を見せ、翳れば寝返りを打って丸くなる。
ころころと変わる店内とキャニの様子を、ユウはコーヒーをお供に楽しんでいた。
だが、ある瞬間にユウの顔が強張った。
その視線は陽が照らす床でもなく、ゴロゴロとしているキャニでもなく、店の隅一点に注がれている。
「……今、何かが…」
ユウの視界の中で、何かが動いたのを察知したのだ。
思い違いならばそれでよし、そうでないならば……
ユウは精神を研ぎ澄まし、何かが動いたように思えた場所を注意深く見守る。
「いる……!」
一見、普段と何も変わりないように思えるその店の隅に、ユウの目は確かにその気配と微かな動きを捉えていた。
ガタッ!と椅子が音をたてるほど勢い良く立ち上がったユウはその場所を凝視していた。
そこでおとなしくしていれば、きっとそうはならなかったかもしれない。
あるいはそのままどこかへ立ち去れば……
けれどそいつは愚かにも、ユウの視線に耐え切れずに動いてしまったのだ。
「……うぅ」
それを確認して、思わずユウは唸ってしまった。
それは本当に小さなもので、指一本分くらいの大きさしかないものだった。
しかし、ユウの心が早鐘のように警鐘を鳴らしている。思わずつばを飲み込んだ。
そしてそれにまるで呼応するかのように、そいつは姿を現した。
「で、でた……!!」
思わず息を呑むユウ。
そいつは壁を素早い動きで伝うと、暗がりへ逃げようと駆けていく。
――魔物。
しかも、それは人間からも魔族からも忌み嫌われ、そして有史以来、長い長い年月を人間も魔族もそいつとの戦いに明け暮れてきた。
唯一、人間族と魔族共通の敵である魔物。
そいつの名は、クロッチ
名前こそ、そういう響きはないものの、その凶悪さは折り紙つきの魔物。
餌あるところにそいつあり、とさえ言われるほど凶悪で、そして人間や魔族を凌駕する素早さをもち、そして何より、どこででも生きていける強靭な生命力を持つ。
等しく嫌悪感を振りまいて、人々を恐怖のどん底に陥れるのだ。
人間の間でも魔族の間でも沢山の撃退方法が生み出されたが、その生命力は強く絶滅に追い込む事ができないでいる敵である。
そして、特にユウのように飲食店を営むものにとっては悪魔とさえ呼ばれる、まさに天敵であり、招かれざる客だ。
奴らによって被害を受けた人々は数えてみても、枚挙に暇がない
ユウは脱兎のごとく駆け出すと、リンの元へと急ぐ。
二階の寝室でゆったりと本を読んでいたリンは、血相を変えて走ってきたユウに大層驚いた。
そして、その理由を聞き、リンもまた血相を変える。
二人は慌てて箒や棒を手に取り、さらに腰にポシェットを下げ、そこに手当たり次第に道具を放り込むと、店内へと走った。
居住スペースから店内へと続くドアの前で、二人は息を潜める。
「いくよ、リン――」
そのユウの顔は真剣そのもので、リンもまた気を引き締めてうなずく。
キィ…という微かな音をたてて、ゆっくりと『小道』のカウンター奥にある扉が開かれる。
そっと進入したユウは上、下、左、右、とあらゆる方面をすばやくチェックすると、無言でリンを手招きして店の中に招き入れる。
リンが店の中へ進入すると同時に、ユウはポシェットの中から紙を取り出し、目張りするようにドアの隙間に敷き詰めていった。
どこかに穴でも開いていなければ、これで出入り口は玄関のみとなる。
そして玄関以外のどこにも穴や隙間はないはず――
神経を研ぎ澄まし、ゆっくりと玄関へと歩みを進めていく二人。その間も常に周囲を警戒する。
ようやく玄関扉に到着し、手早く目張りするユウ。リンはその間周りの警戒にあたる。
玄関の目張りも終わり、ユウはリンへ目線を送ると、リンも何も言わずにうなずいた。
ここからが正念場だ、と言わんばかりに表情を引き締める二人。
動くもの、音、全てを感知できるように感覚を鋭敏にさせて周囲を見渡す。
敵の動きはない。
(最後に見たのは?)
かがんで周囲を窺っているユウの耳元でリンがささやき、ユウは黙って最後にみた店の隅を指差す。
一瞬、二人は目を合わせ、次の瞬間にはそれぞれが店の中へと散開した。
ユウは今自分で指差したあたりを、リンはその反対側に。
息を潜め、最小限の動きで物音すら立てぬように敵の姿を探す二人。
ユウがリンに目で合図を送るが、リンは首を横に振るばかり。同じようにユウも首を振る。
突然の襲撃にも対応できるよう、ユウもリンも臨戦態勢を取っている。
「あ!!」
突如リンが声をあげた。
その声にすぐさま反応したユウが一瞬でリンの傍へと駆け寄る。
「あ……」
そこで二人がみたのは絶望的な光景だった。
果たして敵の姿はそこにあった。
黒光りする、視界に入れるのも嫌悪したい姿。
小さいながらもその存在感は計り知れない。
そして、二人に絶望をあたえたのは、その敵は卑怯にもそこで横たわる子犬を盾にしていたからだった。
物言わぬ敵は、しかし「さぁ、どうする?」と言わんばかりにキャニの影に隠れ微動だにしない。
「くっ……」
顔をしかめるユウ。姿を見つけ次第、ありとあらゆる魔法を叩きつけ、塵すら残すまいと決意していたにも関わらず、ことここに至っては、キャニを巻き添えにしてしまう。
そもそもそんな魔法を叩きつけでもすれば『小道』自体の存続が危ういのだが、この人類最大の敵を目の前にして動揺していたユウは、そこまで考えが及ばないでいた。
このままにらみ合いが続くのか、長期戦も覚悟しなければならない。
そんな風にユウが考えたその時――
そいつにしてみれば、まったくの不意打ちだったに違いない。
絶対的優位にたったはずのそいつは、ここからどう逃走するかを考えていたのかもしれない。
一瞬の出来事だった。
そいつは何が起こったかもわからずに、全ての思考を踏み潰された。
そいつが最後に見たのは一体なんだったのか、それはもうわからない。
「きゃあああああ!!」
不意に響き渡る甲高い悲鳴。
突然の事にリンはぎょっとし、キャニは起き上がって何が起こったのかと激しく周りを見渡す。
「ちょ、キャニ! だめ! そ、外で手洗って!!」
――人類共通の敵であったそいつは、寝ぼけていたキャニの手によって、文字通り踏み潰された。
「あー、クロッチかぁ」
人類を、いや『小道』を救った英雄が、事も無げに自分が踏み潰した敵を見下ろす。
「はや、はやく手洗ってきてよぅ」
目に涙さえ浮かべて、ユウが玄関扉の目張りを解除しながらキャニに懇願している。
「はいよー」
キャニは手についたそれを払うように床へと投げつけて、開いた扉の隙間から井戸へと駆けていった。
「うぅ、念入りに拭かなきゃ……」
キャニの後ろ姿と、床に残されたそれを見くらべながらユウがつぶやく。
初めて聞くユウの悲鳴、そして初めて見る表情に、リンはただただポカンとするばかりであった。
様々な英雄譚を残した勇者。
そして今日また、誰もがあずかり知らぬところで世界を救った勇者とその仲間たち。
主に救われたのは『小道』だけだが――戦いは続く。
負けるな勇者!
戦え勇者!
明日の人類のために立ち上がれ勇者『キャニ』!
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