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開店一周年は、なんでもない日で

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 一年が過ぎていくのは、あっという間だ。

 ついこの間このログハウスへとやってきたと思っていたけれど、あれよあれよという間に喫茶店『小道』の一周年となった。


 開店一周年記念、なんていうことも一寸考えたけれど、この間やった演奏会、それを一周年記念としようと思い至る。

 何故ってそれは、二周年記念という理由でまたあの三人にお願いできるかもしれないから。

 あるいは一年と半周年記念とか、1年とちょっと周年記念とか。


「あああ、でもなぁ」


 ユウはまた彼らの音楽を聴きたい。が、しかし流石にあれだけの人間が集まったのだから次は独り占め、というのも今度は演奏者である彼らに悪い。

 それに何より「勇者」と名のつく曲を贈られた時のようなことになっても、恥ずかしいというかこそばゆいというか。


(うん、一年ごとにしよう。)


 少し頬を赤らめてユウはうなずく。


「どうしたユウ?」


 カウンターからちょこんと顔を出した子犬が、はっはっと舌をだしながら問いかけてくる。


「キャニ、ユウは妄想で忙しい」


 その子犬の後ろからそっと抱き上げるのはオーガ族の証である角のある少女、リン。


「妄想?」

「そう、妄想」

「なにそれ、美味いのか? リン?」

「食べ物じゃないし、妄想もしてないよ……」


 頬杖をついたままちょっとだけむすっとした顔をするユウ。

 そんなユウにはお構いなしにリンはキャニの頭を撫でながら妄想族妄想族とはやし立ててくる。

 またどこでそんな言葉を覚えてきたのか、ユウはため息をつくのだった。


 それにしても――


「リン、また背伸びた?」

「ん?」


 カウンターごしに子犬を撫でているリンをみて、ユウははたとその変化に気付く。

 最初にここに来たときは、カウンターごしに見るリンの背は、ほぼカウンターの高さと平行で、座ってコーヒーを飲んでいる時にリンに声を掛けられても、声はすれども姿は見えずということがままあった。

 だが、今は座っていてもカウンターごしにそのジト目がユウを見つめている。

 ここへきてから、神火までの数ヶ月の間に着られなくなった服が沢山出たことにも驚いたユウだったが、今はもっと驚いていた。

 神火の後で買った服は、教訓を生かして少し大きめの服を買ったはずだったのだが、気付いてみればその服も今は丁度いいくらい、あるいは少しきついかもしれないと思える。


「リン、ちょっとおいで」

「?」


 ユウは立ち上がると、店の奥の居住スペースへと続く扉の前でリンを手招きする。

 キャニを抱いたまま、リンがトットッとユウの下へ駆け寄ってくる。

 その軽快さは一年前と変わらないのだが。


「これからリンの成長記録をつけます」

「え、何?」

「いいから、そこできをつけー」

「へ?」


 ユウがビシッとリンに向けて指さすものだから、キャニを抱いたまま、わけもわからずリンは背筋をピッと伸ばす。


「動かないでね」


 ユウはリンの頭に手を置くと、その手をそのまま平行に移動させて扉のところまでもってくる。

 その指先が一瞬光を発したかと思うと、ユウはそのまままっすぐに線を引くように扉へと光を押し付けてすっと手を引いた。


「よし、と」


 扉には細い黒い線がユウが手を引いたラインにあわせて引かれていた。

 キャニはその一部始終をなんだなんだと首をキョロキョロとさせて、リンとユウの顔を順番に見比べていた。

 続いてまたユウの指先が光る。


「ええと…今日何日だっけ」


 何事かをつぶやきながらユウはその光る指先を動かしていく。

 やがて先ほどつけた黒い線の横に今日の年月日とリンの名前が刻まれていた。


「よーし、今度から定期的にリンの背をここに刻みまーす。」

「意味がわからない。」

「いいの。そのうちわかるよ。」

「おっ、俺も俺も!」


 キャニがリンの手から飛び出して扉の前でぐるぐると回り始めた。

 思えば一年目という節目の時期に仲間入りを果たしたウォードッグ族の娘、キャニ。

 それもきっと何かの縁だったのかもしれないと思って、ユウは自分の尻尾を追いかけるようにしてぐるぐる回っているキャニに目を細めて微笑んだ。


「はいはい、じゃあ、キャニじっとしてー」


 そしてさっきと同じように黒い線を引いて、その横に日付とキャニの名前を刻む。


「おー、おー……俺ちっさいなぁ」

「そのうちおっきくなるよ、ウォードッグなんでしょ?」

「まぁな!」


 犬歯を光らせてキャニが笑った。





 記念すべき一周年を迎えた喫茶店『小道』

 けれどその店内に客の姿はなく、店の隅のテーブルでは恒例のリンとキャニによる勉強会が開かれていた。

 あーでもないこーでもないと繰り広げられる様子をユウは時折眺めては微笑む。


 一年、といっても季節が曖昧なこの場所ではあんまり時間がたったという感じがしない。一年という区切り自体が曖昧に感ぜられる。

 この一年で変わった事といえば、リンの背が伸びて、キャニがやってきて……

 はて、それ以外に何があっただろうか?

 目を閉じるユウ。


 最初にここへやってきて、リンの服を選んで、試しにお菓子を作らせて見たら絶品で、しかも自分の淹れるコーヒーと良くあって。

 メニューというものも作らずに、初めてやってきた客らしい客、しかしながら怪しさ満載のフードの男フーディに指摘され、そこからメニューを作ったはいいけれど、その品目は特に増えていない。


 ブレンド、ロコモコパン、フィナンシェ、ベリーケーキ。


 リンがお客が自分のお菓子を美味しそうに食べる様子に喜んで、勝手にお菓子を出すようになってからは、主にフィナンシェはブレンドに付属するものとなってしまっていたが。


 頼まれて軽食を出す事もあった。主に卵を焼いたものを乗せたパンとか、パスタなのだが、主にそれを頼んでくるのはウォルとかトリシャだ。

 トリシャはパティと共にやってきて、トレーニング後の栄養補給という名目で食べる。

 ウォルは来店すれば、コーヒーと軽食しか頼まない。


(メニューには載っていないのにねぇ)


 といってもメニューを改定する事もなかったのだから、その軽食がメニューに載る事もなければ、リンのお菓子レパートリーが増えてもメニューに載る事はない。


 因みに喫茶店『小道』のメニューは帝都などでよく使われているような冊子ではなく、先ほど扉にリンとキャニの背丈を記したように、綺麗な木の板に直接彫りこんだちょっとお洒落感漂うメニューである。

 それを見て注文するお客もいないのではあるが。


 そういえば、リンはこの一年でお菓子のレパートリーを結構増やしていた。焼き菓子をアレンジしたものが多数を占めるが、頭の中にその焼き菓子達を並べてみると、案外多彩で、ユウの女の子な部分が刺激されて、思わずお腹がなってしまった。女の子らしくもなく。

 それはともかく、初めて菓子を焼かせた時、料理をさせた時、それからしばらくは同じものしか作れなかったし、アレンジをするということもなく、ただ繰り返し作業をするかのように淡々と作るばかりであった。

 それが自分のお菓子を美味しそうに食べるお客をみて、そしてパティやトリシャの持ってくる雑誌をみて、いつのまにか自分から試行錯誤するようになっていた。


 時々、とんでもないものができあがってくることもあったが。


 ともかく、そこにもリンの成長が見て取れる。

 そして何より、リンに出会ってからここ最近に至るまで、彼女の表情は乏しいままだったのだが、文字を覚え、様々な人との交流を経て、表情が豊かになってきていることをユウは感じていた。


 特に大きな転換点、帝都貴族の娘アイナとの出会い。

 それは悲劇に終わったかもしれなかったがそれでもリンにとってはとても大きな出来事だった。

 初めての友達ができた。けれど、理不尽な別れをしてしまった。

 それはユウも罪の意識にさいなまれることなのだが、しかしユウが思うよりもリンはずっと強かった。


 リンは自分と向き合おうとしている。

 自分に出来ること、出来ないこと、出来そうなことや出来そうもないこと、色んな事を考えては試そうとする。

 魔法を覚えようとしているのもその一環だ。


 あの事件以来、リンは毎日のように魔法に関する本を読み解き、魔力の扱い方を学び、実践している。

 その上達ぶりはユウから見ても驚くほどだ。


 最近ではキャニもそれに加わり、ユウとリン、そしてキャニの三人で実践練習を行ったりもしていた。


 一年間の成長を思い起こせば、こんなものでは書き足りない、とユウは扉につけたリンと同じ背の高さの傷をみて思う。

 ユウ自身がしてあげたいとか、見せてあげたいと思っていたものを十分にリンに見せて上げれたかというと、決してそうではないし、むしろ思ったうちの半分も実行できていないように思える。

 けれど、リンはそんな事はおかまいなしに、いつのまにか成長していく。


 リンの成長は早い。

 それはオーガ族の、ひいては魔族全体の特徴でもあるが、けれどその心の成長はもっと早くてユウを驚かせる。

 そしてその成長は、とても嬉しいことではあるのだが、同時に寂しさとか焦燥感とかも覚えるのだ。


 急激な心の成長は、まるで自分の知らないところでリンが成長してしまったような、そんな置いていかれてしまったような感覚さえ覚えさせて。


 でも、リンが微笑んでくれると、そんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまう。

 昔は滅多に見せなかった、リンの笑顔、喜怒哀楽。

 それがいまや自然に出てくるのだ。


 キャニに教えるとき、ユウと話すとき、客ではあるがフーディやパティたちと話すとき。

 その時々の感情を素直に表せられるようになったリンを、ユウは心底愛おしいと思うのだ。


「ユウ、腹減ったー」


 そんな事を思いながら二人を見ていたユウの視線に気付いた二人がやってきて、キャニが開口一番空腹を訴える。

 そのキャニの後ろでリンもしきりにうなずいている。


「何が食べたい?」


 カウンターに両手を着いて二人を見下ろしてユウはニッコリと微笑んだ。

 リンとキャニはしばらく顔を見合わせて、同時にうなずいた。


「パスタ!」

「肉!」

「キャニ、今日はパスタ」

「いやいや、リンは今日は肉って顔じゃなかった?」


 どうやら意思の疎通は失敗したらしい。

 けど、そんな二人のやりとりにもユウはニコニコ顔だ。


「じゃあ、ベーコンたっぷりパスタにしよう!」

「おお!」

「にーくにーく!」


 そうして一周年の日はいつものように過ぎていく。

 リンはパスタを上手に巻けるようになって、キャニは悪戦苦闘しながらパスタを食べている。

 そしていつものようにコーヒーを片手に優しい微笑みを浮かべてユウが二人を見守る。


  ――ここは喫茶店『小道』


  そこにはとびきり元気な子犬と、とびきり笑顔の少女、そしてとびきり笑顔の店主がいる


  お勧めはコーヒー、溢れる三人の笑顔をそえて
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