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第四片 明らかになる真実
第四片 明らかになる真実 5
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ともあれ、カーバンクルの紅玉を見つけないことには、肝心の戦う理由さえ危うくなる。
陽平宅に到着したカリンは、周囲に人影がないのを確認すると、屋根に飛び乗り、窓の隙間から《ドラード》を滑り込ませた。
鍵をあけ、およそ一週間ぶりに、その部屋の中へ。
元々は陽平の姉が使っていたというそこは、カリンの荷物がなくなっているということ以外、なにも変わっていなかった。もっとも、一週間やそこらでは、そうそう大きな変化も起こらないだろうが。
しかし、それは見た目だけのことだった。
部屋に入ったとたん、こめかみに刺すような痛みが走ったかと思うと、ざわつくように髪の毛がうねり、逆立った。
「まさか、そんな……」
部屋全体に、残り香のように漂う気配――
探知能力が発動したのだから、それはアルマミトラのもの以外あり得ない。
考えられるのは、カリンがこの部屋を出ていったあとで《欠片の保有者》が陽平宅を訪れた可能性である。
(陽平と近しい者の中に《保有者》がいるってこと……?)
だとすれば、いったい誰が。
陽平の姉、霧江か。あるいはその娘、那由という線もあり得る。
(やめてよね……)
彼女たちのいずれかが目の前に立ち塞がったとき、果たして自分は非情に徹することができるだろうか?
運命とはままならぬものと知りつつも、せめて友人知人とその家族あたりまでは除外して欲しいと願わずにはいられない。
〈落ち着いてご主人様〉〈目的を忘れちゃダメだよ〉
「うん、わかってる……」
この場にいない《保有者》については、いま考えても仕方がない。
気持ちを鎮め、カリンは紅玉を探しまわった。
ひきだしや押し入れを片っ端からあけ、ベッドの下、本棚の裏をのぞき込む。
「ない……どこなの?」
〈こっちにもないですー〉
天井裏を探していた《ツバード》がもどってきて報告する。
〈影もかたちも〉〈見当たらないねえ〉〈ここじゃないのかな?〉〈――って、ご主人様!?〉
突然座り込んだカリンを見て、使い魔たちが狼狽する。
頭痛がひどくなっていた。
耳鳴りがして、使い魔たちの会話も途中から聞いていなかった。
〈どこかお悪いんですか?〉〈こめかみ押さえて……〉〈そうか頭が〉〈なんだ、いつも通りか〉〈しーっ! 言葉に気をつけて!〉
「あんたたち……うるさい」
文句を言うことすらつらかった。
これは、なんだ。心労と肉体的疲労の蓄積が、ここにきて一気に噴出したとか?
……いや、それとはすこしちがうか。
かつて一度、カリンも操心術をかけられたことがあったが、術に抗っているときの感覚が、ちょうどこれと似通っていた気がする。
そう、考えた瞬間――
脳裏に、あり得べからざる光景が広がった。
澄みわたる空。
風わたる緑の丘。
木々のあいだを縫って走るせせらぎの音。
馥郁たる香りを纏って舞い散る花びら――
(ここは……どこ?)
頭痛はきれいさっぱり消え去っている。
部屋の中にいたはずなのに、いったいなにが起こったのか。
カリンはすぐさま周囲のようすを窺おうとしたが、なぜか身体を動かすことはできず、視線も彼女の意思とは無関係に彷徨うばかりだった。
どうやら、抵抗しても無駄らしい。
そう悟ったカリンは、しばらくなにもせず、起こる出来事を観察しようと努めた。
すると、だんだんに、これは何者かの目を通して、どこかの光景を見ているのだとわかってきた。
カリンの意識のみが飛ばされて誰かの肉体に入ったか、あるいは何者かの記憶にある心象風景がカリンの心に投影されているのか。おそらくは、そんなところだろう。
まるで体重を感じさせない足取り。それでいて人とは思えないほど速く、獣の群れに混じって疾っていたかと思えば、上空に舞いあがって渡り鳥の編隊と並んで天を駆けたりする。
その自在さ、奔放さは、制御しようと足掻くとかえって負担を強いられる。だが、逆にすべて身を任せてしまえば、かえって心地よく、解き放たれたような感覚さえ味わうことができた。
眼下に広がる景色には、どことなく見覚えがあった。動植物の種類からして、タイカであることは間違いない。
そして、目の主が慈しみの心をもって、これらの光景を眺めていることも、カリンにはわかった。どうやら感覚だけでなく、感情もある程度共有しているらしい。
ここは、かつてカリンが駆け抜けたどこかの戦場なのかもしれない。
だとすれば、そこはもう、戦火に焼かれて荒れ果てた土地となり、いま見ているような美しい場所は、この世のどこにも存在しないことになる。
カリンの胸を、ちくりと罪悪感が刺した。
破壊は創造の母。そこに哀しみを見出すのは、限られた命しか持たぬ者の感傷にすぎない――そう思ってみたところで、心が晴れるわけもない。
――おい……おぉい……
遠くで誰かの呼ぶ声がした。
しかし、目の主には聞こえていないのか、まるで反応を示さない。
(ねえ、ちょっと)
カリンは目の主の注意を惹こうとしたが、肉体を持たぬ彼女の声が届くはずもない。
これでは、誰の声なのかたしかめることができないではないか。
――おおい、聞こえないのか
そのうちに、声はどんどん大きくなっていった。
とうとうカリンがしびれを切らし、無駄と知りつつ返事をしようとした、そのとき。
――目を覚ませ、カリン!
とたんに、眼前の光景が切り替わる。
そこは、ひと月半も仮の宿として親しんだ、桜ヶ丘家次女の部屋であった。
「大丈夫か?」
そう訊ねてくるのは――
「央霞!?」
顔の近さと、抱きかかえられていることに仰天し、カリンは彼女を突き飛ばした。
おかげで床に転がり落ち、したたかに肘を打って呻く。
「痛ぅぅ……ッ」
「よかった。呼んでも反応がなかったから心配したぞ」
どうしたのかと訊ねられ、カリンはあの光景を思い返した。
「あれは……そうか……!」
すとんと腑に落ちるものがあった。
あれは、アルマミトラの見ていた景色だ。
在りし日の邪神の記憶を、カリンは白昼夢のように幻視していたのだ。
そして、そのことが意味するところを悟り、戦慄する。
「私は……《欠片の保有者》……」
部屋に残っていた気配は、なんのことはない。カリンのものだったというわけだ。
人が自身の体臭にほとんど無自覚であるように、カリンも己が発するアルマミトラの気配に気づかずにいた。だが、仮宿を移し、期間を置いたことで、部屋に染みついた残り香を、新鮮なものとして知覚できたということなのだろう。
「なら、私は――いずれ私自身を殺さなければならない?」
怖ろしい自問であった。
カリンは身震いし、両手で自分の肩をかき抱いた。鼓動が速まり、息をするのも困難になる。
(私は、同胞の敵……邪神アルマミトラ……)
いったいいつ、どこで、邪神の魂の欠片を己が身に宿したのか。
思い当たるのはひとつしかない。
神殿での、邪神との決戦。
あのとき、砕けた魂は閃光とともに四散した。
その一片が、カリンの身体に潜り込んだのだ。戦いの後、ひと月も寝込んだのは、その影響だったにちがいない。
呪わしき邪神の化身に、まさか自分が成り果てようとは。
運命の残酷さを思うと、とたんに吐き気がこみあげてきた。
そのとき、大きな手が背中にふれた。
手は、その場所を優しく撫でさするように動いたかと思うと、まるで人形でも持ちあげるみたいに、軽々とカリンを抱きあげた。
「えっ? えっ?」
戸惑うカリンを、央霞はそのままベッドまで運んでいった。
「熱はないようだが、汗がひどいな」
額に手のひらを乗せて言う。
カリンが口をひらこうとすると、くちびるに人差し指を当てられた。
「大人しくしていろ」
陽平宅に到着したカリンは、周囲に人影がないのを確認すると、屋根に飛び乗り、窓の隙間から《ドラード》を滑り込ませた。
鍵をあけ、およそ一週間ぶりに、その部屋の中へ。
元々は陽平の姉が使っていたというそこは、カリンの荷物がなくなっているということ以外、なにも変わっていなかった。もっとも、一週間やそこらでは、そうそう大きな変化も起こらないだろうが。
しかし、それは見た目だけのことだった。
部屋に入ったとたん、こめかみに刺すような痛みが走ったかと思うと、ざわつくように髪の毛がうねり、逆立った。
「まさか、そんな……」
部屋全体に、残り香のように漂う気配――
探知能力が発動したのだから、それはアルマミトラのもの以外あり得ない。
考えられるのは、カリンがこの部屋を出ていったあとで《欠片の保有者》が陽平宅を訪れた可能性である。
(陽平と近しい者の中に《保有者》がいるってこと……?)
だとすれば、いったい誰が。
陽平の姉、霧江か。あるいはその娘、那由という線もあり得る。
(やめてよね……)
彼女たちのいずれかが目の前に立ち塞がったとき、果たして自分は非情に徹することができるだろうか?
運命とはままならぬものと知りつつも、せめて友人知人とその家族あたりまでは除外して欲しいと願わずにはいられない。
〈落ち着いてご主人様〉〈目的を忘れちゃダメだよ〉
「うん、わかってる……」
この場にいない《保有者》については、いま考えても仕方がない。
気持ちを鎮め、カリンは紅玉を探しまわった。
ひきだしや押し入れを片っ端からあけ、ベッドの下、本棚の裏をのぞき込む。
「ない……どこなの?」
〈こっちにもないですー〉
天井裏を探していた《ツバード》がもどってきて報告する。
〈影もかたちも〉〈見当たらないねえ〉〈ここじゃないのかな?〉〈――って、ご主人様!?〉
突然座り込んだカリンを見て、使い魔たちが狼狽する。
頭痛がひどくなっていた。
耳鳴りがして、使い魔たちの会話も途中から聞いていなかった。
〈どこかお悪いんですか?〉〈こめかみ押さえて……〉〈そうか頭が〉〈なんだ、いつも通りか〉〈しーっ! 言葉に気をつけて!〉
「あんたたち……うるさい」
文句を言うことすらつらかった。
これは、なんだ。心労と肉体的疲労の蓄積が、ここにきて一気に噴出したとか?
……いや、それとはすこしちがうか。
かつて一度、カリンも操心術をかけられたことがあったが、術に抗っているときの感覚が、ちょうどこれと似通っていた気がする。
そう、考えた瞬間――
脳裏に、あり得べからざる光景が広がった。
澄みわたる空。
風わたる緑の丘。
木々のあいだを縫って走るせせらぎの音。
馥郁たる香りを纏って舞い散る花びら――
(ここは……どこ?)
頭痛はきれいさっぱり消え去っている。
部屋の中にいたはずなのに、いったいなにが起こったのか。
カリンはすぐさま周囲のようすを窺おうとしたが、なぜか身体を動かすことはできず、視線も彼女の意思とは無関係に彷徨うばかりだった。
どうやら、抵抗しても無駄らしい。
そう悟ったカリンは、しばらくなにもせず、起こる出来事を観察しようと努めた。
すると、だんだんに、これは何者かの目を通して、どこかの光景を見ているのだとわかってきた。
カリンの意識のみが飛ばされて誰かの肉体に入ったか、あるいは何者かの記憶にある心象風景がカリンの心に投影されているのか。おそらくは、そんなところだろう。
まるで体重を感じさせない足取り。それでいて人とは思えないほど速く、獣の群れに混じって疾っていたかと思えば、上空に舞いあがって渡り鳥の編隊と並んで天を駆けたりする。
その自在さ、奔放さは、制御しようと足掻くとかえって負担を強いられる。だが、逆にすべて身を任せてしまえば、かえって心地よく、解き放たれたような感覚さえ味わうことができた。
眼下に広がる景色には、どことなく見覚えがあった。動植物の種類からして、タイカであることは間違いない。
そして、目の主が慈しみの心をもって、これらの光景を眺めていることも、カリンにはわかった。どうやら感覚だけでなく、感情もある程度共有しているらしい。
ここは、かつてカリンが駆け抜けたどこかの戦場なのかもしれない。
だとすれば、そこはもう、戦火に焼かれて荒れ果てた土地となり、いま見ているような美しい場所は、この世のどこにも存在しないことになる。
カリンの胸を、ちくりと罪悪感が刺した。
破壊は創造の母。そこに哀しみを見出すのは、限られた命しか持たぬ者の感傷にすぎない――そう思ってみたところで、心が晴れるわけもない。
――おい……おぉい……
遠くで誰かの呼ぶ声がした。
しかし、目の主には聞こえていないのか、まるで反応を示さない。
(ねえ、ちょっと)
カリンは目の主の注意を惹こうとしたが、肉体を持たぬ彼女の声が届くはずもない。
これでは、誰の声なのかたしかめることができないではないか。
――おおい、聞こえないのか
そのうちに、声はどんどん大きくなっていった。
とうとうカリンがしびれを切らし、無駄と知りつつ返事をしようとした、そのとき。
――目を覚ませ、カリン!
とたんに、眼前の光景が切り替わる。
そこは、ひと月半も仮の宿として親しんだ、桜ヶ丘家次女の部屋であった。
「大丈夫か?」
そう訊ねてくるのは――
「央霞!?」
顔の近さと、抱きかかえられていることに仰天し、カリンは彼女を突き飛ばした。
おかげで床に転がり落ち、したたかに肘を打って呻く。
「痛ぅぅ……ッ」
「よかった。呼んでも反応がなかったから心配したぞ」
どうしたのかと訊ねられ、カリンはあの光景を思い返した。
「あれは……そうか……!」
すとんと腑に落ちるものがあった。
あれは、アルマミトラの見ていた景色だ。
在りし日の邪神の記憶を、カリンは白昼夢のように幻視していたのだ。
そして、そのことが意味するところを悟り、戦慄する。
「私は……《欠片の保有者》……」
部屋に残っていた気配は、なんのことはない。カリンのものだったというわけだ。
人が自身の体臭にほとんど無自覚であるように、カリンも己が発するアルマミトラの気配に気づかずにいた。だが、仮宿を移し、期間を置いたことで、部屋に染みついた残り香を、新鮮なものとして知覚できたということなのだろう。
「なら、私は――いずれ私自身を殺さなければならない?」
怖ろしい自問であった。
カリンは身震いし、両手で自分の肩をかき抱いた。鼓動が速まり、息をするのも困難になる。
(私は、同胞の敵……邪神アルマミトラ……)
いったいいつ、どこで、邪神の魂の欠片を己が身に宿したのか。
思い当たるのはひとつしかない。
神殿での、邪神との決戦。
あのとき、砕けた魂は閃光とともに四散した。
その一片が、カリンの身体に潜り込んだのだ。戦いの後、ひと月も寝込んだのは、その影響だったにちがいない。
呪わしき邪神の化身に、まさか自分が成り果てようとは。
運命の残酷さを思うと、とたんに吐き気がこみあげてきた。
そのとき、大きな手が背中にふれた。
手は、その場所を優しく撫でさするように動いたかと思うと、まるで人形でも持ちあげるみたいに、軽々とカリンを抱きあげた。
「えっ? えっ?」
戸惑うカリンを、央霞はそのままベッドまで運んでいった。
「熱はないようだが、汗がひどいな」
額に手のひらを乗せて言う。
カリンが口をひらこうとすると、くちびるに人差し指を当てられた。
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