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ついに16歳
31
しおりを挟む大きく羽ばたき、立っていられないほどの突風を巻き起こして飛び立ったカラスもどきが、一直線に蛇へ向かって降下します。そのすべてが一呼吸の間に起こったため、私たちは飛ばされないように地へ伏せて、ただ見ているしかありませんでした。
『狂乱様!!』
体を乗っ取っているわけではない「月華」には、オニキスの物理攻撃が効かなかったようです。他の使徒たちが動けない中、自由だった「月華」だけが「狂乱」の前へ飛び出し、両手を大きく広げてカラスもどきの行く手を遮るように立ちふさがりました。それでもカラスもどきは怯む様子もなく、突っ込んでいきます。
「ぐぉぁっ?!」
カラスもどきと「月華」の体が触れ合った途端、目を開けていられないほどの閃光が放たれました。それを直視してしまったのは私だけではなかったらしく、ヘンリー殿下やレイチェル様の方からも呻き声が聞こえてきます。
またもや「目が~っ!」状態の私は、膝をついたまま手探りでオニキスを探しました。
『そんなぁ・・・藍海松茶様ぁ』
すぐに慣れた毛並みへ触れることができて安堵した私の耳に、今にも泣きだしそうなフレイの声が入ってきます。まだチカチカしている目を何度も瞬く私の横で、しっかり見えているらしいオニキスが舌打ちをしました。
『しぶといな』
何とか見えるようになった視界には、串刺しではあるもののそれ以外に傷を負った様子もない蛇と、随分小さく・・・バレーボール大になった「月華」が映りました。そして残念ながら、カラスもどきの姿はどこにもありません。
『あたい直々に消してやったんだから、感謝するんだね! 混ざりもの風情が!』
小さな体で大きく吠えた「月華」の言葉に、それまで呆然と宙に浮いていたフレイがフランツ王子殿下を地上へ下ろし、カラスもどきの後を継ぐようにして私たちを背に庇います。
それを高圧的に小さな瞳で見下ろした「月華」が、下品に笑い始めました。
『がはっがはっがはっ!! 案ずることなどございません! 1人感染させれば、死者など勝手に増えていきます。「狂乱」様をあちらへ帰したら、適当な場所を見つけて、すぐにでも計画を実行してまいりますわ!』
最初からそうすればよかったのにとも思いますが、結果として私たちへ猶予が与えられたのですから、感謝すべきですよね。
「月華」がかろうじて聞き取れる程度の声で『どうせ殺すんだから情けをかけるんじゃなかった』とか、ぶつくさ言っているのが耳に入りました。どうやら彼女の視線の先にいる、アリエスクラート卿が感染者第1号の予定みたいですよ。
ちなみに仮契約であっても宿主が死ねば精霊も終わってしまうらしいので、死ぬ直前に契約を解除するつもりなのでしょう。
よろよろっとアリエスクラート卿の所まで移動した「月華」は、おもむろにその腕を掴むと、体を引っ張り上げて無理やり鉄筋から引き抜きました。
「ぐうぅぅぅ!!!」
悲鳴でなかったのは、さすが軍人だというべきでしょうか。
傷口が焼かれているために出血はありませんが、痛まないはずがありません。うめき声を上げ、「月華」にぶら下げられながらも、痛みを逃そうと、どうにか体を縮めようとしている宿主を全く気遣う様子もなく。
また、フレイに睨まれても全く動じる様子もない「月華」の前へ、一瞬虎に見えたほど大きな猫が、音もなく降り立ちました。そして容赦ない一撃で「月華」をはたき落とします。
あっけなく転がる「月華」。彼女と一緒に地面へたたき付けられたアリエスクラート卿が、声にならない悲鳴を上げました。
『なっ! 群れるしか脳のない混ざりものの分ざ』
そこで「月華」の言葉が途切れたのは、猫の足元にいたカピバラっぽい大きさの鼠が彼女を丸のみにしたからで・・・。苦しみ始めた鼠を、さらに猫が丸飲みし、その上をいく大きさの蝙蝠が舞い降りてまた丸飲みにし、最後は森の主かという巨大な豚が丸のみにしてしまいました。
目の前で何が起こったのか、その結果がどうなったのか。なんとなくわかっているのに、頭が付いていきません。
私たちどころか、金髪になったアリエスクラート卿も微動だにしない中、蛇が盛大な溜息をつきました。
『あぁ・・・だからくだらん差別は止めろと、予は何度も言っただろうに』
自分は潔白だと言わんばかりの言葉に、魔物たちが殺気だった目を向けます。
そーっと、ゆっくり動ける範囲いっぱいで身を引く動作をしてから、蛇がこちらを見て早口で言いました。
『異質な娘! 取引通り「華」どもを止めてやる。すぐ戻るから、待っておれ!』
「ぎゃわっ!」
お願いしますから、力を使う際に、いちいち光るのをやめてください。
『くそっ! 逃げられた!!』
大人しく見えるようになるまで待つしかない私の横で、オニキスが非常に不機嫌そうに唸っています。彼が大きな力を使う際の、あのやや息苦しいような感じがしてきたのですが、いったい何をするつもりなのでしょうか。
またしても強烈な光を放った蛇と、鉄筋に串刺しになっていたはずの使徒たちは、私の視力が戻った頃には砂になっていました。その、蛇だった砂山が夜風で少しずつ形を崩していく様子を、私はぼんやりと見つめます。
えっと・・・。全く実感が湧きませんが、パンデミックは回避という事で、よろしいのでしょうか?
まだ、串刺しから解放された上に使徒ではなくなった、アリエスクラート卿が残されていますけれども。
微かに聞こえる程度の声で呻くアリエスクラート卿は、地面へ這いつくばった姿勢で、きつく目を閉じています。そんな卿の元へ、フレイの制止を目線でやんわりと押し切ったフランツ王子殿下が歩み寄りました。
「叔父上・・・」
手が届きそうで届かない位置で立ったまま見下ろすフランツ王子殿下へ、アリエスクラート卿が瞳だけを向けます。
脱力しきった体からして、卿にはもう抵抗の意思はないと思いますが、貴族の令嬢がいつまでも地べたへ座り込んだままではいけません。私は誰の気も惹かないように注意しながら、ゆっくりと立ち上がりました。
だって雰囲気的にこれから、犯罪トリックの暴露・・・ではなく、崖っぷちの犯人による自供タイムが始まるところだと思うのですよ。ですから傍観者は口を挟まないどころか、空気を乱さず、背景と化すのが常識というものでしょう。
「叔父上はどうして・・・こんなことをされたのですか?」
すでに観念しているのでしょうか。アリエスクラート卿は諦めきった目つきでフランツ王子殿下を見上げるだけで、言い訳どころか、動機さえ口にしようとしません。
何も言わない叔父の姿をじっと見ていたフランツ王子殿下は、いつまで待っても無駄なことを察したのか、大きなため息をつきました。
「叔父上。母上は何度も貴方にお話になられたでしょう? 今の、母上の地位は、母上自身が望んだものであると」
「違う! お優しい姉上は、気を遣っていらっしゃるのだ! 亡き王妃にすがり、その子を優先する陛下へ」
「叔父上!!」
それまで淡々としていたフランツ王子殿下が、急に声を荒げたせいか、その覇気さえ感じる形相のせいなのか。アリエスクラート卿がむっつりと押し黙りました。
その明らかに信用していない態度を見て、大きく息を吸ったフランツ王子殿下は、一度、開きかけた口を閉じます。そして心を落ち着けるように、ゆっくりと息をお吐きになってから、再び口をお開きになりました。
「何故、敬愛する母上のお言葉ではなく。世間の面白おかしく湾曲された逸話や、不仲を煽ろうとする輩の嘘の方を、信じてしまわれるのですか」
そこで目をそらしてしまわれたアリエスクラート卿を、フランツ王子殿下は厳しいお顔のまま見つめ続けます。
暫しばらくの間、お二人ともそのままでいらっしゃいましたが、全く軟化する様子のない卿の態度に心が折れたのでしょうか。フランツ王子殿下が深く長いため息をつかれました。
「真実。亡き王妃様と母上は、学生時代から大変仲の良い、友であったのですよ。母上はちょっと・・・いや、だいぶ素直ではない方なので、周囲へ多大な誤解を生んでみえたのですが、正妃様はそれさえも優しく包み込み、ありのままの母上を慕ってくださったそうです。そして、政治的思惑やら、陛下やご自身の心情やらを鑑みて、お二人は取引をしました。母上が身分の低い正妃様を後押しする代わりに、本来、正妃となるはずだった母上が側妃となる。これは双方が納得し、また望んだ結果なのです。叔父上・・・」
一旦、言葉を切ったフランツ王子殿下は、相変わらずこちらへ向けられる様子のない瞳に、落胆を隠せなかったようです。今度は短いけれど強い、ため息を吐かれました。
「叔父上は、母上がご自分の体格に、劣等感を抱いていることを知っていましたか?」
視線は他へ向けたまま、アリエスクラート卿の眉根が寄りました。たぶん、思ってもみなかった事だったのでしょう。
まあ、身内ですし、シスコンでもある卿が、姉の容姿や体格を悪く思った事などないのだと思われます。
そんな側妃様は、正妃ではないのもあってか、あまり表舞台へ出ていらっしゃいません。私も武闘大会の時に、遠く高い位置の貴賓席で、さらに御簾みす越しの影でしかお見かけしたことがないのです。
お姿を想像するしかなくて、もやもやしていた私の横へ、すっと移動してきたヘンリー殿下が小声で言いました。
「エリスリーナ妃はね、さっきの「月華」にそっくりなのだよ。というか、卿の精霊がエリスリーナ妃の姿を写し取っていた。の方が正しいのかな」
成る程。
側妃様はドレスより、軍服の方がお似合いになられると思います。しかし正妃の公式行事や舞踏会なんかは当然、ドレスの着用が必至ですからね。体格にコンプレックスをお持ちでしたら、避けたくもなりますよ。
なんだかなぁ。私も噂を鵜呑みにしていましたので、何とも情けないですが・・・。しっかり姉弟で話し合っていれば、こんな事にはならなかったのですよね。
同族意識を抱いた相手として、とても不憫に思います。
「ヘンリー殿下。卿に刑を下すとしたら、どのようなものになるのですか?」
気になって、こそこそとヘンリー殿下へ尋ねたら、無駄に可愛らしく首を傾げてから答えてくださいました。
「そうだねぇ。証拠になりそうだった使徒たちが消えてしまった上に、未遂だし、企んでいたその・・・「ぱんでみっく」とやらの内容を説明したところで、理解されないだろう。ただ、アリエスクラート卿が敵意を持って陛下へ近づこうとしていた事は確かだから、投獄・・・公爵家子息なら、幽閉処分が妥当なんじゃないかな。エリスリーナ妃の立場もあるし、陛下へ接触してもいないのに、処刑は無いよ。元軍幹部を国外追放なんて不自然だから、できないしね」
ふぅむ。私が断罪された場合の刑のオンパレードですな。しかし国外追放が一番軽そうなのにそれができないなんて、軍人さんも楽じゃないですね。あ、でも軍事機密とか関与してない階級ならば、別なのかもしれません。
誰のルートで何の刑だったかな・・・と、なんとなく思い返そうとしたところで、ヘンリー殿下がニヤリとしました。
「あぁ・・・そうそう。国外追放って、表向きには生きてることにしたいけど、死んで欲しい人物に下されるんだよ。その人物がどうなるかは―――言わなくてもわかるよね」
お・・・おぉ・・・。「国外追放なら大丈夫!」とか考えて、悪役令嬢しなくて良かった。そんな事をしたら、秘密裏に闇へ葬り去られてしまうところでしたよ。
悪魔の笑いにドン引いて、思わず逃げ道を探している間に、断罪が終わってしまったようです。
「これから時間はいくらでもあります。ゆっくりと理解されるのがよろしいでしょう」
フランツ王子殿下に目配せをされたレオンへ、クラウドが縄を手渡します。怪我の治療もされないままのアリエスクラート卿は、その縄で容赦なくす巻きにされるのでした。
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