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第3章
第51話 決別
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「ルーク、お前っ」
俺の涙を見た名津が、ルークに飛び掛かる勢いで走り寄り、その胸倉を掴んだ。
「待て名津!俺がそうするように、ルークに頼んだんだ……」
制止するように名津の手を触ると、震えていた。名津の大きく見開いた眸子に、俺の惑う顔が映し出されている。
「来て」
俺の手首を掴んだ名津の手は、込められた力に血管が押し出されている。じんわりと汗ばんだその手から、俺は到底逃れられないと感じた。
名津の力に促されるまま、この部屋を後にした。
寮を出て、生い茂る青葉を揺らす木々の中を早歩きで過ぎ、駐車場にたどり着いた。見慣れた名津の車両がすぐに目に入った。
「名津……名津!手を離してくれ。少し痛い」
「あっ、ごめん…考え事してた」
そう言うと、名津はパッと俺の手を離し、握っていた俺の手首を撫で始めた。俺がその“考え事”の原因で、腹立たしく思っているだろうに、目の前の名津は愛おしいくらい優しい。
「大丈夫だ、問題ない。それより、どこへ行く気だ?」
「人がいないところで、2人で話したい。車の中がいいかと思って」
「そうか、分かった」
名津に撫でられた右手首に、すっと風が通った。名津を感じていた部分が、高揚していたようで、名津と離れると同時に冷やされていく。名津はそのまま自身の車へ向かって歩き、車のロックを解除した。
助手席のドアが開かれ、名津に誘われるままシートに座った。ドアを閉められると、異様なまでの静寂が車内を包んだ。すぐに車外の喧騒が耳に入ってきたかと思ったら、またもや森閑とした時が訪れた。名津が運転席に座っている。
名津はハンドルに両腕をかけ、そこに顔を埋めている。表情は分からないが、その雰囲気から良い顔をしていないことだけは分かる。
「……名津、ごめん」
「なんで謝るの?」
自分でも分からないが、咄嗟に謝罪の言葉が出てしまった。その言葉が、さらに名津を苛立たせることも分かっていたのに、言わずにはいられなかった。
「いや、その……名津との約束を破って、ルークに会いに行ってしまったこと」
「それと、ルークとキスしたこと?」
「そう……だな」
名津を真っ直ぐに見ることができず、フロントガラスに視線を送る。大学の駐車場には車がびっしりと停められており、その中には日本で見慣れていた車も何台かあった。
それをぼんやりと眺めていると、ふいに高校生のときの記憶が蘇ってきた。明るくて、いつも周囲には友人がいた名津。俺とは異なる世界にいる人だと思っていたが、今は俺にとってかけがえのない人になった。だが、やはり“俺とは住む世界が違う人”だったのだろう。
名津に責められてオドオドとしているなんて、俺らしくない。俺は、名津を傷つけることをした。名津が許してくれなくても、しっかり謝罪するべきだ。そしてけじめをつけなければならない。
「名津、傷つけて申し訳なかった。俺がしたことが許されることではないのは分かっている。もし、もう俺と一緒にいるのが苦痛なら、別れても構わない」
ずっとハンドルに埋もれていた顔が起き上がり、目が合った。その眸子は暗く、コートで輝く名津とは別人のようだ。
「それ…本気で言ってる?」
「……ああ」
今や多くの人々の希望となった名津に、こんな顔をさせているなんて、俺はなんて愚かで罪深い人間なんだろう。
「ルークと番になったから?」
「……」
名津は、ルークがオメガだと知らないのだろう。オメガ同士は番になれないのだから、ルークがオメガだと知っていたら、そんなことを聞いてこないはずだ。
ただ、俺とルークは番以外の何らかの関係になった可能性が高い。だから、名津の問いに肯定も否定もできない。それに、ルークがオメガであることを俺の口から伝えたくはなかった。俺がルークだったら、絶対に嫌だ。
「そっか…。分かった」
そう言うと、名津は車のエンジンをかけた。俺の無言を、肯定だと捉えたのだろう。
いや違うんだ。俺とルークは番になっていない。そもそも『番なんて関係ない』って言い合ってきたじゃないか。名津、なんでそんなこと聞くんだよ。
名津に言いたいこと、伝えたいことは山ほどあるが、全て喉を通っていかない。
「りょうの家まで送らせて。りょうは気まずいかもしれないけど、俺からの最後のお願い」
「……分かった」
名津は俺を乗せたまま車を発進させ、駐車場を後にした。
いつの間にか、外は真っ暗だ。通り過ぎる車のヘッドライトばかりが目に入る。バスの大きなヘッドライトを見たとき、初めて名津の大学の寮に、1人で訪れた日のことを思い出した。
手作りの梨のパイを抱えて、電車とバスを乗り継いで行ったんだった。たった数分名津に会うために。今思えば、そこまでしなくても良かったのではないかと思う。ああ、俺は心底名津に惚れていたんだ。
運転席に目をやると、いつもの名津が居た。本当にこれが最後だとは思えない、思いたくない。
「そろそろ、着くよ」
角を曲がると、見慣れたマンションが目に入ってきた。そのまま車は直進し、ゆっくりとスピードを落として停車した。
視線を運転席に戻すと、先ほどまで全く合わなかった名津の視線に射抜かれ、心臓が高鳴った。
「……送ってくれて、ありがとう」
名津の眸子を真っ直ぐ見返すことができず、下を向きながら礼を言った。名津の顔を真正面から見てしまったら、涙が溢れそうだから。
「りょう」
そんな俺の気持ちなんて構わず、名津は強く俺の名を呼んだ。ハッとして、思わず名津と目を合わせてしまった。
「今までありがとう。ありきたりだけど、俺はりょうの存在にいつも支えられてきた。ルークと幸せになって」
名津の眸子に、小さいが確かに光が見えた。名津は心を決めている。俺も、臍を固めるときが来たようだ。
「こんな最後になってしまって、申し訳なかった。俺も、名津に感謝しかない。ありがとう……」
俺の心臓が全速力で否定してくる。別れたくない。本当は、別れたくない。だが、その高鳴る鼓動を宥めながら、俺は車外へ出た。
そのまま動くことができず、背後で車のエンジン音を聞くことしかできなかった。
「名津っ!」
振り返ったときには、いつもの見慣れた風景が広がるだけだった。
あれから6回桜を見た。6回目は、日本の桜だ。俺は8年ぶりに、故郷に帰ってきた。
俺の涙を見た名津が、ルークに飛び掛かる勢いで走り寄り、その胸倉を掴んだ。
「待て名津!俺がそうするように、ルークに頼んだんだ……」
制止するように名津の手を触ると、震えていた。名津の大きく見開いた眸子に、俺の惑う顔が映し出されている。
「来て」
俺の手首を掴んだ名津の手は、込められた力に血管が押し出されている。じんわりと汗ばんだその手から、俺は到底逃れられないと感じた。
名津の力に促されるまま、この部屋を後にした。
寮を出て、生い茂る青葉を揺らす木々の中を早歩きで過ぎ、駐車場にたどり着いた。見慣れた名津の車両がすぐに目に入った。
「名津……名津!手を離してくれ。少し痛い」
「あっ、ごめん…考え事してた」
そう言うと、名津はパッと俺の手を離し、握っていた俺の手首を撫で始めた。俺がその“考え事”の原因で、腹立たしく思っているだろうに、目の前の名津は愛おしいくらい優しい。
「大丈夫だ、問題ない。それより、どこへ行く気だ?」
「人がいないところで、2人で話したい。車の中がいいかと思って」
「そうか、分かった」
名津に撫でられた右手首に、すっと風が通った。名津を感じていた部分が、高揚していたようで、名津と離れると同時に冷やされていく。名津はそのまま自身の車へ向かって歩き、車のロックを解除した。
助手席のドアが開かれ、名津に誘われるままシートに座った。ドアを閉められると、異様なまでの静寂が車内を包んだ。すぐに車外の喧騒が耳に入ってきたかと思ったら、またもや森閑とした時が訪れた。名津が運転席に座っている。
名津はハンドルに両腕をかけ、そこに顔を埋めている。表情は分からないが、その雰囲気から良い顔をしていないことだけは分かる。
「……名津、ごめん」
「なんで謝るの?」
自分でも分からないが、咄嗟に謝罪の言葉が出てしまった。その言葉が、さらに名津を苛立たせることも分かっていたのに、言わずにはいられなかった。
「いや、その……名津との約束を破って、ルークに会いに行ってしまったこと」
「それと、ルークとキスしたこと?」
「そう……だな」
名津を真っ直ぐに見ることができず、フロントガラスに視線を送る。大学の駐車場には車がびっしりと停められており、その中には日本で見慣れていた車も何台かあった。
それをぼんやりと眺めていると、ふいに高校生のときの記憶が蘇ってきた。明るくて、いつも周囲には友人がいた名津。俺とは異なる世界にいる人だと思っていたが、今は俺にとってかけがえのない人になった。だが、やはり“俺とは住む世界が違う人”だったのだろう。
名津に責められてオドオドとしているなんて、俺らしくない。俺は、名津を傷つけることをした。名津が許してくれなくても、しっかり謝罪するべきだ。そしてけじめをつけなければならない。
「名津、傷つけて申し訳なかった。俺がしたことが許されることではないのは分かっている。もし、もう俺と一緒にいるのが苦痛なら、別れても構わない」
ずっとハンドルに埋もれていた顔が起き上がり、目が合った。その眸子は暗く、コートで輝く名津とは別人のようだ。
「それ…本気で言ってる?」
「……ああ」
今や多くの人々の希望となった名津に、こんな顔をさせているなんて、俺はなんて愚かで罪深い人間なんだろう。
「ルークと番になったから?」
「……」
名津は、ルークがオメガだと知らないのだろう。オメガ同士は番になれないのだから、ルークがオメガだと知っていたら、そんなことを聞いてこないはずだ。
ただ、俺とルークは番以外の何らかの関係になった可能性が高い。だから、名津の問いに肯定も否定もできない。それに、ルークがオメガであることを俺の口から伝えたくはなかった。俺がルークだったら、絶対に嫌だ。
「そっか…。分かった」
そう言うと、名津は車のエンジンをかけた。俺の無言を、肯定だと捉えたのだろう。
いや違うんだ。俺とルークは番になっていない。そもそも『番なんて関係ない』って言い合ってきたじゃないか。名津、なんでそんなこと聞くんだよ。
名津に言いたいこと、伝えたいことは山ほどあるが、全て喉を通っていかない。
「りょうの家まで送らせて。りょうは気まずいかもしれないけど、俺からの最後のお願い」
「……分かった」
名津は俺を乗せたまま車を発進させ、駐車場を後にした。
いつの間にか、外は真っ暗だ。通り過ぎる車のヘッドライトばかりが目に入る。バスの大きなヘッドライトを見たとき、初めて名津の大学の寮に、1人で訪れた日のことを思い出した。
手作りの梨のパイを抱えて、電車とバスを乗り継いで行ったんだった。たった数分名津に会うために。今思えば、そこまでしなくても良かったのではないかと思う。ああ、俺は心底名津に惚れていたんだ。
運転席に目をやると、いつもの名津が居た。本当にこれが最後だとは思えない、思いたくない。
「そろそろ、着くよ」
角を曲がると、見慣れたマンションが目に入ってきた。そのまま車は直進し、ゆっくりとスピードを落として停車した。
視線を運転席に戻すと、先ほどまで全く合わなかった名津の視線に射抜かれ、心臓が高鳴った。
「……送ってくれて、ありがとう」
名津の眸子を真っ直ぐ見返すことができず、下を向きながら礼を言った。名津の顔を真正面から見てしまったら、涙が溢れそうだから。
「りょう」
そんな俺の気持ちなんて構わず、名津は強く俺の名を呼んだ。ハッとして、思わず名津と目を合わせてしまった。
「今までありがとう。ありきたりだけど、俺はりょうの存在にいつも支えられてきた。ルークと幸せになって」
名津の眸子に、小さいが確かに光が見えた。名津は心を決めている。俺も、臍を固めるときが来たようだ。
「こんな最後になってしまって、申し訳なかった。俺も、名津に感謝しかない。ありがとう……」
俺の心臓が全速力で否定してくる。別れたくない。本当は、別れたくない。だが、その高鳴る鼓動を宥めながら、俺は車外へ出た。
そのまま動くことができず、背後で車のエンジン音を聞くことしかできなかった。
「名津っ!」
振り返ったときには、いつもの見慣れた風景が広がるだけだった。
あれから6回桜を見た。6回目は、日本の桜だ。俺は8年ぶりに、故郷に帰ってきた。
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