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第2章
第36話 抑えていた懸想
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「りょう!あー、やっと会えた!元気してた?」
「ああ、この間も電話で話しただろう。長旅お疲れ様」
寮の近くの空港に、優心を迎えに来た。久しぶりに会う優心は変わらない。変わらなくてほっとする。
「これお土産!りょうの好物、たくさんもってきたからなー」
「悪い、ありがとう。とりあえず、バスに乗ろう。もう来てる」
手作りクッキーやインスタント味噌汁など、優心のバックパックからは食べ物ばかりがあふれている。そのバックパックを受け取り、優心とともにバスに乗り込んだ。俺が2年間世話になった寮へ向かう。
「もう英語が分からなさすぎて、ちょう緊張した。りょうに会えて安心したよー」
「これから毎日英会話レッスンだな」
「りょう先生、お願いします!」
車内は乗客でいっぱいだ。ちょうど夏休みということもあり、観光客も多い。高校の途中で急遽渡米したときは、乗客は疎らだった。
ここへ来て2年が過ぎた。ほぼ話すことができなかった英語が、今や勝手に口から出てくる。さすが、学級委員長の……いや、もう学級委員長ではなかった。
米国の高校では無視され、いじめにも遭ったが、最終的にはStudent Council(生徒会)のPresident(生徒会長)になった。高校生活は曲折浮沈あったのだが、ジャパニーズアダルトグッズのお陰で、こちらの陽キャたちとも打ち解けることができた。
「武はもう新居に住んでるんだよな?」
「うん、そうだよ。明日車でこっちに迎えに来てくれる。もう荷物はまとめた?」
「ああ。そんなに物もないから」
武の仕事の都合で、家族全員でシアトルに居留することになったのだ。これはたぶん、武の計らいだろう。
俺はこのまま米国大学への進学を希望していたが、日本の学費と桁が違いすぎる。これ以上両親に迷惑はかけられないと思い、日本の大学に進学するつもりだった。
しかし、優心と武が「せっかく助けてもらった命だよ。やりたいことを目一杯やろう」と言ってくれた。
「あ、そうそう。高校の広報に、佐野くんが載ってたから持ってきたよ」
急に「佐野」という名前を聞いて、びくんと身体が反応してしまった。
優心は、俺の手からバックパックを取り上げると、中に手を入れて何やらゴソゴソやっている。「あった、あった」といって、パンフレットのようなカラーの冊子を俺に手渡した。
広報に目を落とすと、こちらを向いて破顔する佐野の姿があった。2年前よりも、身体が逞しくなっている気がする。でも、あのひまわりのように照らす笑顔は、変わらない。
その記事のタイトルに『3年佐野名津くん、アメリカ留学の切符をつかむ』とあった。
「え!?アメリカ…?佐野もアメリカに来るのか?」
「うん、そうなんだよ。同じアメリカだな」
優心が満面に笑みをたたえている。
記事を読むと、NCAA(全米大学体育協会)1部の大学への留学を決めたそうだ。この9月に入学するようだ。
「父さんもビックリしてさ、その後スポーツ誌とかいろいろと調べてみたら、佐野くんこんなに有名人だった」
優心はまたもやバックパック内をガサゴソ探したかと思うと、今度は少し厚さのあるファイルを差し出してきた。
ファイルを開くと、さまざまな新聞や雑誌をスクラップしており、その多くにバスケをする佐野が写っていた。
「ほらうち、りょうがスポーツダメでしょ?」
「ああ、苦手だ」
「そう、だからスポーツ系の情報誌は全然チェックしてこなかったんだけど、佐野くんってバスケすごく上手かったみたい」
そうか、佐野は俺と別れてからもずっとバスケットボールを頑張っていたのか。そのバスケで、米国の大学に留学を決めた。佐野はやはりすごい奴だ。
パラパラとページをめくる度、俺が一緒に居ることができなかった、知ることができなかった佐野の一部を教えてくれているような気がして、胸が熱く震えた。
佐野と付き合っているとき、一度でも試合を観に行けば良かった。あのとき俺は常に自分のことばかりで、佐野のことをちゃんと知ろうともしていなかった。
「佐野くん、出場するのかな?NCAA。絶対に観に行こうね」
「いやでも、佐野にはもう2度と会わないと、佐野のご両親と約束したはずだ」
「そうだよ。俺たちはバスケの試合を観戦しに行くだけだ。決して佐野くんに会いに行くわけじゃない」
「……」
あの事件からも2年が過ぎていた。それなのに、未だにあの夢魔にうなされることがある。それほど衝撃的な事件だった。
——佐野名津
俺を庇って刺された、元恋人。生きてこちらへ還ってきてくれただけでも、神に深謝した。すぐさま会いに行きたかったが、周囲が、特に佐野のご両親が看過しないだろうということは想像に難くなかった。
後は周りの大人が決めることだ。俺はその指示に従って、日本から離れることを決意した。
日本では常に誰かに監視され、噂された。見知らぬ大人が構えるレンズが、俺の何かを狙い続けた。
俺はどんな罰も受けようと意を決していたので特に問題はなかったが、武と優心は俺を心配してすぐに引っ越すことを決めた。
引っ越して数カ月後、米国へ飛んだ。そしてもう2度と、佐野には会わないと決心の臍を固めた。
その佐野に、ここで会えるかもしれない。そう感じただけで、朝日を全身で浴びたような清々しい温かさが俺を包んだ。
本当は会いたかった。
一目で良いから、佐野に会いたかった。そう自覚した途端に、沸騰した湯が鍋からこぼれるように涙があふれて、止めることができなかった。
「ああ、この間も電話で話しただろう。長旅お疲れ様」
寮の近くの空港に、優心を迎えに来た。久しぶりに会う優心は変わらない。変わらなくてほっとする。
「これお土産!りょうの好物、たくさんもってきたからなー」
「悪い、ありがとう。とりあえず、バスに乗ろう。もう来てる」
手作りクッキーやインスタント味噌汁など、優心のバックパックからは食べ物ばかりがあふれている。そのバックパックを受け取り、優心とともにバスに乗り込んだ。俺が2年間世話になった寮へ向かう。
「もう英語が分からなさすぎて、ちょう緊張した。りょうに会えて安心したよー」
「これから毎日英会話レッスンだな」
「りょう先生、お願いします!」
車内は乗客でいっぱいだ。ちょうど夏休みということもあり、観光客も多い。高校の途中で急遽渡米したときは、乗客は疎らだった。
ここへ来て2年が過ぎた。ほぼ話すことができなかった英語が、今や勝手に口から出てくる。さすが、学級委員長の……いや、もう学級委員長ではなかった。
米国の高校では無視され、いじめにも遭ったが、最終的にはStudent Council(生徒会)のPresident(生徒会長)になった。高校生活は曲折浮沈あったのだが、ジャパニーズアダルトグッズのお陰で、こちらの陽キャたちとも打ち解けることができた。
「武はもう新居に住んでるんだよな?」
「うん、そうだよ。明日車でこっちに迎えに来てくれる。もう荷物はまとめた?」
「ああ。そんなに物もないから」
武の仕事の都合で、家族全員でシアトルに居留することになったのだ。これはたぶん、武の計らいだろう。
俺はこのまま米国大学への進学を希望していたが、日本の学費と桁が違いすぎる。これ以上両親に迷惑はかけられないと思い、日本の大学に進学するつもりだった。
しかし、優心と武が「せっかく助けてもらった命だよ。やりたいことを目一杯やろう」と言ってくれた。
「あ、そうそう。高校の広報に、佐野くんが載ってたから持ってきたよ」
急に「佐野」という名前を聞いて、びくんと身体が反応してしまった。
優心は、俺の手からバックパックを取り上げると、中に手を入れて何やらゴソゴソやっている。「あった、あった」といって、パンフレットのようなカラーの冊子を俺に手渡した。
広報に目を落とすと、こちらを向いて破顔する佐野の姿があった。2年前よりも、身体が逞しくなっている気がする。でも、あのひまわりのように照らす笑顔は、変わらない。
その記事のタイトルに『3年佐野名津くん、アメリカ留学の切符をつかむ』とあった。
「え!?アメリカ…?佐野もアメリカに来るのか?」
「うん、そうなんだよ。同じアメリカだな」
優心が満面に笑みをたたえている。
記事を読むと、NCAA(全米大学体育協会)1部の大学への留学を決めたそうだ。この9月に入学するようだ。
「父さんもビックリしてさ、その後スポーツ誌とかいろいろと調べてみたら、佐野くんこんなに有名人だった」
優心はまたもやバックパック内をガサゴソ探したかと思うと、今度は少し厚さのあるファイルを差し出してきた。
ファイルを開くと、さまざまな新聞や雑誌をスクラップしており、その多くにバスケをする佐野が写っていた。
「ほらうち、りょうがスポーツダメでしょ?」
「ああ、苦手だ」
「そう、だからスポーツ系の情報誌は全然チェックしてこなかったんだけど、佐野くんってバスケすごく上手かったみたい」
そうか、佐野は俺と別れてからもずっとバスケットボールを頑張っていたのか。そのバスケで、米国の大学に留学を決めた。佐野はやはりすごい奴だ。
パラパラとページをめくる度、俺が一緒に居ることができなかった、知ることができなかった佐野の一部を教えてくれているような気がして、胸が熱く震えた。
佐野と付き合っているとき、一度でも試合を観に行けば良かった。あのとき俺は常に自分のことばかりで、佐野のことをちゃんと知ろうともしていなかった。
「佐野くん、出場するのかな?NCAA。絶対に観に行こうね」
「いやでも、佐野にはもう2度と会わないと、佐野のご両親と約束したはずだ」
「そうだよ。俺たちはバスケの試合を観戦しに行くだけだ。決して佐野くんに会いに行くわけじゃない」
「……」
あの事件からも2年が過ぎていた。それなのに、未だにあの夢魔にうなされることがある。それほど衝撃的な事件だった。
——佐野名津
俺を庇って刺された、元恋人。生きてこちらへ還ってきてくれただけでも、神に深謝した。すぐさま会いに行きたかったが、周囲が、特に佐野のご両親が看過しないだろうということは想像に難くなかった。
後は周りの大人が決めることだ。俺はその指示に従って、日本から離れることを決意した。
日本では常に誰かに監視され、噂された。見知らぬ大人が構えるレンズが、俺の何かを狙い続けた。
俺はどんな罰も受けようと意を決していたので特に問題はなかったが、武と優心は俺を心配してすぐに引っ越すことを決めた。
引っ越して数カ月後、米国へ飛んだ。そしてもう2度と、佐野には会わないと決心の臍を固めた。
その佐野に、ここで会えるかもしれない。そう感じただけで、朝日を全身で浴びたような清々しい温かさが俺を包んだ。
本当は会いたかった。
一目で良いから、佐野に会いたかった。そう自覚した途端に、沸騰した湯が鍋からこぼれるように涙があふれて、止めることができなかった。
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