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11章.重なる世界
#3B-1.街角を走る剣聖
しおりを挟む「はぁっ、はぁっ――」
バルトハイム帝国、帝都デルタにて。
薄暗がりの路地の中、短剣と十字架を胸に走る娘が居た。
長く美しいチョコレート色の髪が大きく乱れ、揺れる。
「いたぞ!! あそこだ!!」
声を荒げ、その背に追いすがろうとする男達の姿にびくりと背を震わせ、走る足に力を籠(こ)める。
路地の先の路地。道の先の道を駆け抜け、小さな家屋へと入り込む。
そこは彼女が新たな命を産み落とした場所。良く知った隠れ家であった。
戸を閉め、鍵をかけて近くに置かれていた棚を倒して足止めにする。
すぐに戸を蹴りつけるような音が聞こえるようになるが、構わずそのまま奥に進む。
食卓の間のテーブルの下、床板を外すと、そこには階段があった。
「ライト・ウィプス」
内側に入って戸板を元に戻すと、手の平大の光の玉を呼び出し、先を確認しながら慎重に地下へと降りてゆく。
降りた先には狭いながらも通路があり、その先にははしごが掛かっているのだ。
これを登れば、家から少し離れた先にある倉庫に繋がるドアへとたどり着ける。
「――えっ?」
だが、このドアは固く錆び付いており、押しても引いても開くことができなかった。
鍵が掛かっている様子は無いが、とても女一人の力では開きそうにも無く。
「くっ――」
必死に体当たりしたり、蹴りつけたりしながらこれをなんとか開こうとするも、努力虚しく。
「この先だっ、この先にあの女がいる!!」
「早く捕まえろっ、絶対に逃がすな!」
やがて自分を追いかける男達の声が聞こえるに至り、彼女は息を整え、胸に持ったナイフを構えた。
どう見てもただのレターナイフ。
けれど、彼女がこの世界で目覚めた時に持っていた、数少ない記憶の手がかりだった。
「――すぅ」
大きく息を吸い、一閃。扉に向け、斬り付けた。
がこん、という鈍い音を立てながら崩れるドア。
そのままその先へと這い出て、更に街を駆ける。
「――あっ!?」
しかし、この逃走劇もここまで。
角を紛ったところで待ち伏せにあってしまう。
気がつけば後ろからも追っ手が迫り、逃げ道が封じられる。
「手間取らせおって。大人しく籠の中の小鳥になっておれば、それなりに幸せに生きられたものを」
シャラン、と音が響く。
待ち伏せていた男達の中心、皺の多い老齢の男が錫杖を地面に突き立てながら、彼女に笑いかけていた。
「――例えそうだとしても、貴方がたのやり方では世界に戦争を振りまくだけです。そんな愚かなこと、私は許せませんでした!」
囲まれながらも気丈に睨みつけ、短剣と十字架を構える。
「その十字架――我らの教義に反する形だ。そのような逆十字、許されるはずも無い」
「この短剣と十字架は、私の生きた証!! 誰にだって否定はさせません!!」
「構わん、捕らえろ」
尚も反抗的なこの女に、これ以上の会話など無意味だと決めつけ。
シャラン、と錫杖を鳴らし、男は背を向けた。
「――娘、その十字架、どこで手に入れた?」
男達につかまれそうになるのを抵抗する中、場に、突然そんな声が響いた。
男の声である。ややくたびれたような、おどけたような声。
「上だよ」
何事か、と、男達がその声の主を探す中、突如空から影が舞い降り――娘の前に立っていた。
それは、黒のシルクハットを頭に、漆黒の外套を羽織った長身痩躯の男だった。中年、とも言える年頃か。
とにかく背が高く、この場にいる誰よりも抜きん出ていた男は、人らしからぬ異様な雰囲気を纏っていた。
「貴様、何者だ!? 我らを聖堂教会の手のモノと知っての邪魔だてか!?」
「もう一度聞くぞ娘よ。その十字架、どこで手に入れた?」
怒鳴り散らしねめつける男らの声などまるで無視し、娘の瞳を覗きこむように問いかける。
「……これは、記憶を失った私が、養父に助けられた際に持っていた物です」
臆する事無く、娘は答える。
「大切な物か?」
「大切な物です。記憶を失う以前の私に、きっと縁がある物の筈ですから」
「そうか」
娘の返答に、長身痩躯の男はにや、と口元を歪めた。
「気が合うね。私にとっても、そいつは大切な奴なんだ」
無視されたと判断して襲い掛かってきた男達を片腕で蹴散らしながら、黒衣の男はにかりと笑った。
「貴方は、一体何者なのですか?」
その場には、彼女とこの男しか残っていなかった。
一面血溜り。凄惨な光景であるが、命を助けられたことには違いが無く、娘は恐れもせず、見つめていた。
「私か? 私は……そうだな、『伯爵』とでも呼ぶと良い。ただの、暇な魔族だ」
「……魔族」
頬をぽりぽりと掻きながら自分を見下ろすその存在に、その言葉とのギャップに、娘は唖然としてしまう。
「魔族とは、もっとこう、化け物じみた外見の方を指すのでは……? その、ドラゴンのような」
「私のような者もいるさ。案外、色んな奴がいるよ。人間っぽいのとか、女と蛇がくっついたようなのとかね」
人間視点ではそうも思えんだろうが、と苦笑する様はなんとも無害そうで。
娘は、とてもそのようには思えなかった。
「その十字架には、とても見覚えがある。私の、大切な従者が身につけていた物だ。肌身離さず持っていたモノだ」
「……この十字架が?」
手に持った逆十字を指差しながら、とても懐かしそうに語るこの『伯爵』に、娘は不思議な感覚を抱き始める。
「そうだ。だから、返してもらいたい。君にとっても掛け替えの無い品かもしれんが、私にとっても、命の次位には大切だ」
どうかな、と、表向きこそにこやかに、頼むように聞いてくるが、隠し切れない必死さがあった。
彼女はどうにもその顔が嘘をついているようには思えず、じ、とその瞳を見つめる。
(なぜかしら、魔族という時点で、何を考えているのか解らないはずなのに。私はこの人を、信用できてしまう……?)
やがて、その手は自然と、伯爵の前へと差し出される。
「……ありがとう。すまないね」
感謝の言葉と共にそれを手に取り、懐にしまいこむ。
「いつか、必ず礼はする。これは君にとっても大切な品だ。できる限りの助力は惜しまんよ」
その時にでもまた、と、伯爵は背を向けて歩き出し……ぴたり、足を止め、振り返る。
「すまん、君の名前をまだ聞いていなかったね?」
「――ぷくっ」
その様子がどこか可笑しくて、彼女は笑ってしまった。
緊張していた空気の中、どうしても我慢できなかったのだ。
「ごめんなさい。私の名前はエルフィリース。エルフィリース=レプレキカ」
「エルフィリースか、いい名前だ。また会いに来るよ」
にかりと笑いながら、今度こそ手を挙げながら背を向け、やがて消え去った。
こうしてエルフィリースは生き延び、姉のアンナロッテ、娘のアンナデュオラと再会する事となる。
これによって、エルフィリースを捕らえ、拷問にかけようとしていた事が露呈され、彼女を信奉する多くの者達によってカルト教団『聖堂教会』は攻撃され、壊滅する事となった。
「ネクロマンサー、ネクロマンサーはどこだ!!」
魔族世界東部・リーベシュタイン。
魔王軍随一の実力者と評判のネクロマンサーの城に、伯爵はズカズカと入り込んでいた。
玉座の間には居ない。どこにいるのだ、と、声を荒げる。
「一体どうしたというのです、このような時間に」
時刻は深夜とも言える時刻で、このような時間に騒がしい来客とあって、ネクロマンサーは露骨に嫌そうな顔をして現れる。
『旦那様ですわ、お父様』
その腕に抱かれたアリスも、伯爵の姿に複雑そうな顔をしていた。
「おお、そこにいたか」
探していた一人と一体の姿を見つけ、伯爵は嬉しそうに寄ってくる。
あの、ヴァルキリーを失って以降の伯爵とも思えぬ、妙に活気に満ちた様子で。
「……伯爵殿。一体何が――」
ネクロマンサーもその様子からただごとではないと察し、頬を引き締める。
「これを見てくれ。こいつは、ヴァルキリーが胸にかけていた十字架ではないか? あいつが、肌身離さず身につけていたもののはずだ!」
伯爵の手には、他では見ないような逆十字のネックレス。
これを見せながら、伯爵は興奮気味に顔を寄せてくるのだ。
「それは――」
ネクロマンサーは絶句していた。確かにそれには見覚えがあった。
ヴァルキリーの魂を、心を分解した際に残った最後の欠片。
二振りの宝剣と魂とを融合させる、そのキーパーツともなるロザリオである。
「伯爵殿。ソレを一体、どこで……?」
「人間世界でな、記憶を失っていた、という娘が持っていたんだ。何故持っていたのかは解らんが、これがあいつのゆかりの品だという事はすぐに気づいた」
伯爵の言葉に、次第に蒼白になっていくネクロマンサー。
そうして、アリスを守るように抱きしめる。
「お前、アリスちゃんを私に見せた際に言ったな? 元に戻すにも、魂の入れ物が既にないのだと。もしや、これがその入れ物になるのではないか?」
「それは……」
「――答えろ、ネクロマンサー!!」
問い詰められ、声を詰まらせるネクロマンサーに、伯爵は激昂したように襟首を掴む。
「お前は、ヴァルキリーを直せる筈だ。教えろ! どうしたらヴァルキリーを元に戻せる!?」
「うぐ……やめて、ください。私は、そんな事の為にアリスを作ったのではありません」
締め上げられてというよりは、その指摘に苦しくなり、ネクロマンサーは呻いた。
「私は、彼女の――ヴァルキリーの願いを叶えたかったのです。アリスは、この娘は、貴方に尽くすため生まれてきたのです――」
「だからどうした!?」
「貴方は、何も感じないのですか? ヴァルキリーを蘇らせるには、彼女自身の気持ちを踏みにじり、このアリスの存在をなかった事にしなくてはならないのです! 貴方は、それでいいのですか!?」
ただひたすらその締め上げに耐えながら、それでもネクロマンサーは、伯爵を睨み、視線を逸らさない。
「……私が、ヴァルキリーの気持ちを……アリスちゃんの存在をなかった事に……?」
締め上げていた手を緩め、やがて放す。
がくん、と膝をつくネクロマンサーだったが、伯爵はしばし、放心したように虚空を見つめていた。
「――ヴァルキリーを蘇らせるには、アリスを再び『ヴァルキリーの魂』として分解し、他の余剰分の『材料』と共に、元の入れ物に戻さなくてはいけません。元の身体は、私の手元に置くにはあまりにも危険なので分割して人間世界に廃棄するつもりでしたが……」
「……そうか。ヴァルキリーを戻すには、アリスちゃんを犠牲にする必要があるのか」
やがて、ネクロマンサーの胸元でじ、と自身を見つめていたアリスに視線を合わせ、見つめ合う。
『……』
緊張気味に。悲しげを帯びた瞳で、伯爵の眼を見ていた。
伯爵はかがみこみ、アリスに視線の高さを合わせる。
そうして手を向け……その頭をできるだけ優しく撫でる。
『旦那様……?』
「すまないアリスちゃん。生まれた君に何の罪もないのは解っている。だが……だが、すまん! 私には、やはりヴァルキリーが必要なのだ。許して欲しい」
頭を撫でながらに、残酷な言葉を聞かせたのだ。
それは、一つの選択。
伯爵が、アリスよりもヴァルキリーを選んだという、一つの道。
「伯爵殿!!」
口惜しげに声を荒げるネクロマンサーを見もせず、伯爵はアリスの手を取る。
「すまない。許して欲しい」
ただ、真摯に見つめていた。自身の願いを、身勝手の末に消えることを、人形に望んだのだ。
『……解りましたっ』
少しだけ悩んだように目を浮つかせ、やがてにっこりと微笑んだアリス。
『旦那様が、私に何かを言ってくれたのは、これが初めてです。アリスは、こんな形でも、旦那様のお望みどおり、お役に立てて嬉しいです』
眼の端から涙を流しながら。人形だというのに泣きながら、主の望みを受け入れていた。
「……そんな」
ネクロマンサーは、俯いてしまう。
既に彼は蚊帳の外だったのだ。
事はすべて、伯爵とアリスの両者の間で決まってしまった。
自分は所詮人形職人に過ぎないのだと。ただ、彼らの願いのままにするしかないのだと、理解してしまったのだ。
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