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11章.重なる世界
#3A-2.決戦・魔王城
しおりを挟むそうして、魔王はようやくたどり着いた。
息を切らせながらに開いた扉の奥には、ぐったりと膝を付く偽者の姿。
それから――地面に倒れ、動かなくなったラミア。
「……ラミア。まさかお前までもが」
すまん、と、奥歯を噛みながら、その背を覆う外套を脱ぎ、被せてやった。
「――来たのか。全く、お前という奴は、しぶとい奴だ」
未だ内からくる痛みに苦しみながら、偽者の魔王は疎ましげに魔王の顔を見つめる。生気が薄れ、声も小さかった。
「私は、お前になったつもりだった。だが……だが、どうやら私はお前にはなれていなかったらしい」
「当たり前だ。誰だって、誰かになれるものか。誰にとってだって、私は私にしか務まらんし、お前が成り代わることなど、どだい無理だったのだ」
片腕と偽者。二人の魔王は、互いに睨みあい、対峙する。
「――私は最強の身体を手に入れたのだ。そして、私はこの世界で、私の思うままの世界を創るのだ!! 誰にも邪魔はさせん!! 誰にだって、私の邪魔はさせん!!」
「最強の身体を得てもやることは所詮そんな程度なのか。もっと面白い事をすれば、部下達だってついてきただろうに」
呆れた様な魔王の言葉に、ドッペルゲンガーは怒りを滲ませ襲いかかる。
片腕の魔王には、近接戦闘は極めて不利であった。
ディオミスの頃よりは負傷も癒えたとはいえ、瀕死が辛うじて繋がっていた程度でしかないのだ。
一方、ドッペルゲンガーの方も、精神的に大きく磨耗していた。
ラミアの放った古代魔法『マギカ・ゴエティア』の威力は凄まじく、その精神には大きな傷痕を残していた。
今も尚、耳裏に残るラミアの声。死の間際まで哂っていた、自分を嘲笑っていたその顔がちらつき、目の前の敵に集中できない。
全力を込めたはずの拳の一撃は、しかし思いのほか軽くなってしまい、片腕の魔王にあっさりと受け止められてしまう。
「くぅっ――」
「お前は、勘違いしている」
悔しげに目元を歪ませるドッペルゲンガーを片腕で押し込みながら、魔王は間近に迫りながらその瞳を覗きこむ。
「私は、私一人で今の位置にいる訳ではない。どれだけ強い力を持とうと、そんなものは何の意味も成さないのだと、いっそ虚しい事になるだけなのだと、私は知っているんだ」
ぎり、と、歯を軋ませ蹴りつける。
「ぐあっ」
「たくさんの人に支えられていた。たくさんの人に想われていた。私はきっと、自分で思っていた以上に、幸せ者だったのだろう。恵まれていたのだ」
蹴倒されたドッペルゲンガーを見下ろしながらに、魔王は笑って見せる。
「私がもし、この世界の魔王になってよかったと思う事があるとしたならば。それに気付く事が出来たこと位だ。それ以外の意味など、ない」
「勝手な事を言うな……」
肩で息をしながらに、起き上がるドッペルゲンガー。
外傷はほとんどない。どちらがより強そうかと思えば、今でもこの偽者の方が遥かに優位に見えた。
だが、精神的な優劣は全くの逆であった。
焦燥しながら、揺れ続ける視点と音が混濁し続ける聴覚に惑わされ、最早コマンドの使用すらままならない。
行動を、何か行動をしなくては成らないと思い、頭を大きく振って少しでも感覚を正常に戻そうとする。
だが、戻らない。狂ったモノは狂ったままだった。
だから、割り切ることにしたのだ。「ならばそれでいい」と。
「あんなにおぞましい過去を抱えながら。あんなに恐ろしいことを平然とやっておきながら、貴様はその口でそんな事をのたまうのか!? 馬鹿にするな!!」
こんな奴に負けたくは無い。否、負けてはならない。
目の前に立つこの片腕の男は、一人で一つの世界を滅亡させた男だ。
人類の全てを殺し尽くし、勇者の命を弄び、果てには魔族まで滅びの道へと誘ってしまった。
そんな男が、同じ口で『たくさんの人に支えられていた』という。
そんな男が、同じ顔で『たくさんの人に想われていた』などと笑う。
それがどれほどに業が深いことだったのか。ああ、許すことなどできはしない。認めることなどできはしない。
彼は、知っているのだ。この世界、いや、あらゆる世界の中で、誰よりも知っている。
本人以上にそれを客観視できたのだ。
だから、彼のおぞましい過去を、直視するに堪えない罪業を、それをなかった事にしようとするこの男を、生かしておくことなどできなかったのだ。
「私は、お前とは違う! 目的の為なら手段は選ばん、だが、自分のやった事の罪の重さ位は自覚している! 自分の為に犠牲になったモノを、忘れたりはしない!! 私は、お前と違うのだ!!」
「お前は、私の過去を見たのか……やはり、狂っていたか。イカレていたか」
「お前のような狂った存在がいることなど、あってはならんのだ。この世界に、お前のような者は必要ない!!」
「そうか。やはりそうなのか――だが、そんなものでも、私にとっては大切な過去なんだ。逃げる事などできない、なかった事になどできっこない、大切な、辛い過去なんだ」
再び、両者は構える。
気勢は真逆。片腕は落ち着き払っているのに対し、偽者は今にも飛びかからんと、興奮気味に見据えていた。
だが、ドッペルゲンガーには先ほどのような困惑などは無く、ただただ、一撃をこの目の前の男に見舞わせてくれようと、そのギラついた眼を油断なく巡らせる。
「――やっ!!」
どちらが先に動くか、後の先か先の後か。
緊張を壊したのは、金髪の人形。アリスであった。
「うぐっ――なっ、アリスちゃんっ!?」
緊張の中の突然の不意打ちに、偽者の魔王は大剣による一撃をまともに浴び、肩口からばっさりと斬られてしまう。
何故、と、驚愕の表情のまま、数歩後じさり、ドッペルゲンガーはアリスの顔を見つめていた。
「どうしてだ……どうして、君が、私を――」
それが隙になるとも考えられないほどのショックだったのか、肩から血がこぼれることなど気にもせず、呆然としてしまう。
「――そうか、わたしは、だれにとっても、魔王では、なかったのか……」
そうして何かに気づき、その場で膝をついて、項垂れてしまう。
「くくっ――そうか、私は誰でもないのか。誰でもないのなら、もうどうでもいいではないか。なんでもいい。ああ、なんでもない――私に何もくれないこんな世界に、何の意味も無い!!」
そうして、突然に笑い出し、両の腕を床へと叩き付ける。
「お前――一体何を」
「こんな世界――壊れてしまえ!!!!」
叩き付けた両掌から、やがて黒が溢れ出る。
それはやがてドッペルゲンガーの身体を覆い……接地した床にまで侵食してゆく。
床のタイルが飲み込まれ、その超重圧に耐え切れずにぐしゃりと潰れ、やがて黒く塗りつぶされてゆく。
「これは――いかん、やめろっ!! それはダメだ!!」
何をしようとしていたのか察した魔王は、これを止めようと詰め寄る。
だが、空間を、世界を侵食し始めた黒は、やがて濁流のようにドッペルゲンガーの身体から溢れ始めてしまう。
『全て飲み込んでしまえ――ブラックホール!!』
やがて、ドッペルゲンガー自身の口からもそれが溢れ出て、その肉体が黒に飲み込まれてゆく。
「あっ、がはっ、あぁっ、はははっ、かはっ、ぐひゃはははははははははっ!!!」
狂気に満ちた笑いを見せながら、圧壊されてゆく肉体。
魔王と同じ顔で、魔王が見せた事も無い狂いきった顔。
それが、彼の最後の姿であった。
しかし、ドッペルゲンガーが潰れて、黒に塗りつぶされた後も、溢れ出た黒は延々零れ落ち、世界を侵食してゆく。
やがてそれが黒い風となり、次第に侵食されていないはずの調度品や柱まで巻き込み始めてゆく。
「旦那様、これは――」
「――まさか、これを使うとはなあ」
世界そのものを侵食し、やがて破壊し尽くし全てを飲み干す暴力の塊。
『完全なる無』の力を極限まで圧縮させた無の塊。
触れただけで全てを塗りつぶし、消滅ですらない、0ですらない『無』へと変えてしまう。
遥か遠い昔、魔王が勇者との再戦を夢見ていた頃に、理論だけ組み立てた必殺技であった。
「参ったな。使った自分が死ぬところだったか。やはり理論に破綻があったようだ。まあ、あの頃の私はまだただのバカだったからなあ」
そんな状況ながら、魔王はぽりぽりと頬を掻きながら人のよさそうな困った顔をしていた。
当然ながら、二人とも距離を置き参謀本部の入り口付近まで退避していたが、生憎と渦巻く黒が自然に消える様子はなく。
「あ、あの、旦那様……? あの偽者の方が言っていた通りなら、この状況はかなりまずいのでは……?」
「ああ。多分、すごくまずい。私はコレの縮小版の攻撃をかつて魔法のように使っていたことがあったが、後でわかったことながら、あれを一回使うだけで世界に与える過負荷がすごいらしくてね……こんなものを放置したら、この世界はいずれ、自壊してしまう」
この『ブラックホール』の何よりも恐ろしいところは、十六世界そのものに与える強烈な過負荷とそれによる天変地異である。
放置すれば、世界レベルでの異常が発生してしまう。
最悪、シャルムシャリーストークだけでなく他のいくつかの近隣世界も巻き添えで崩壊しかねない。
「そんなまずい状態なのに落ち着いてらっしゃるということは、何か策がおありなのですよね……?」
縋るように見つめるアリスであったが、魔王はくた、と、その場に座り、大きくため息。
「――いいや、なんにも。何せ、こんなに大きな力は私は使ったことが無い。元々理論だけで実行に移さなかったものだしね。しかし、こんなものを個人に向けて使おうとしていたなんて、当時の私は随分とイカレてたんだなあ」
今になって冷静に考えればとんでもない事をしようとしてたものだ、としみじみ語る魔王に、アリスは驚きを通り越して混乱しそうになっていた。
「そんな、旦那様……この状況でそれは、流石に……」
このままではまずいと解っているのに何の手立ても無い。
だからと、このまま放置はないのでは、と、主のアクションを促そうとするのだ。
「解っているさ。諦めるつもりはないよ」
愛しのアリスがそれを望むのだ。魔王はきり、と、頬を引き締め、また立ち上がった。
「アリスちゃん、ヴァルキリーを出してくれたまえ。あいつを使う」
「ふぇっ!? ヴァルキリー……さんをですか?」
その名を聞きびくりと震えるアリス。トラウマはまだ抜けないらしい。
「ああ、威力的に、あいつを使えば少なくとも世界そのものの崩壊は免れる……かもしれん。ただ、私は剣の扱いなんてまるで解らんからなあ。失敗したら、私もろとも斬り刻まれて皆殺しになるかもしれんが……」
生憎と、近場に剣を扱えそうな者などいない。
そうでなくとも、ヴァルキリーは神聖すぎて大抵の者は持つことすら拒まれ浄化されてしまう。
封印を解いた状態でアリスに持たせれば当然アリスが飲み込まれてしまうので、ここは魔王が使うほか無かった。
「まあ、持ち主が使うのが本当のところだろう。さ、出してくれ」
「……解りました」
今も尚吹き荒れる黒の風。既に大分大きく育ち、部屋のあらかたの物品は飲み込まれ、塗りつぶされていた。
めりめりと地面や天井を侵食し、どんどんと成長してゆく。
どうやら旦那様は死ぬつもりらしい、と理解し、覚悟を決めたようにアリスは小さく頷き、手に持った大剣を床に、両手の平を支えるように突き出す。
『コール・王剣ヴァルキリー』
アリスの詠唱と共に光が溢れ――とん、と、布にくるまれたヴァルキリーが現れる。
「よし、では早速封印を――」
それを受け取り、封印を解こうとしていた魔王。
『封印よ、今こそ解かれよ、王剣ヴァルキリー、目覚めるのです!!』
だが、アリスは魔王に背を向け、包まれていた布を剥がしながら、自分でヴァルキリーの封印を解いてしまう。
「アリスちゃんっ、何をするんだ!? 早くヴァルキリーを私に――」
「――旦那様、私なら、この剣を扱える気がします。私に、お任せください!!」
今まで見た事も無いような、必死の形相のアリスが居た。
封印が解かれた今、ヴァルキリーはアリスの身体からじわじわと自身の魂を削り、吸収していく。
美しい金髪が侵食され、ぼろぼろになってゆく。顔がやがて染みたような色に染まり、音を立て崩れてゆく。
「やめろっ、やめてくれアリスちゃんっ!!」
もう時間は無い。主の声に耳を貸さず、止めようとする手を掻い潜り、アリスは駆け出す。
目指す場所は、ブラックホールの中心。ドッペルゲンガーが飲み込まれ、消滅したそこにある。
そこなら、超重圧の中心点ならば、ヴァルキリーの力が発動しても、きっと相殺されて世界そのものには影響を与えないはず、と。
楽観なのはわかっていても、悲観に飲み込まれないために勝手にそう思いこんで。
崩れ往く身体を顧みず。叫びながら自分に追いすがろうとする主を振り向きもせず、ただそこを目指した。
『――――』
アリスの耳に言葉が響く。
どこか、聞き覚えのある声。知っている声だった。
とてもやさしい女性の声だった。とても悲しい女性の声だった。
そうして、誰よりも羨ましかった、そんな人の声だった。
アリスは、その声の主を知っていた。他ならぬ、自分の元になった人なのだから。
『光を――っ』
叫ぶ。あの黒に飛び込むのは、実はすごく怖いのだ。
涙が溢れて止まらない。まるで人間みたいな人形だった。
大好きな主ともう会えないのは嫌だった。もう壊れたくなかった。
姉妹達と会えないのも、折角仲良くなった人間の人達と会えないのも、辛くて仕方ない。
だけど、もっと嫌なのは、そんな人達の世界が壊れてしまうことだった。
だから、叫ぶのだ。求めるのだ。『彼女の奇跡』を。
主の役に立てるようにと、その為に創られたマジックアイテムの、その使いどころだと自覚しながら。
皆が助かりますようにと。泣き叫ぶように、黒に剣を突き立てながら。頭に浮かんだフレーズを言霊にしてゆく。
『――サンクチュアリ――』
ヴァルキリーから発せられた強烈な光に飲み込まれ、やがてブラックホールは消滅してゆく。
本来ならば全てを浄化させるその光はしかし、次第に収束し、後には、地面に転がるだけのヴァルキリーの刀身。
「……アリス、ちゃん」
アリスの姿などどこにもなく。ただただ、魔王はその場に立ち尽くしてしまった。
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