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9章 変容する反乱

#9-1.終わりの始まりへ

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 人間世界南西部・聖地エルフィルシア。
大聖堂の謁見の間では教皇タンゼントが、出撃前のデフに祝福を授けていた。

「この者に、女神の祝福があらんことを――」
わずかばかりの沈黙の後に空で切られる十字。
やがて暖かな光がひざまずくデフの法衣に広がり、染み込んでゆく。
「教皇猊下げいか、このたびは私の無理を聞いてくださり、ありがとうございます」
聖人の顔でデフがお辞儀すると、教皇は頬を引き締め、デフの顔を見つめた。
「デフ大司教よ。余には、そなたが戦場に赴く意味がわからぬ。戦況は逼迫ひっぱくし、南部諸国の経済状況も悪化の一途を辿っていると聞く。この上人間同士で戦争を続けることに、一体何の意味があるというのだ?」
はなはだ理解が出来ないと言った様子で、教皇は答えを求めていた。
だが、デフは笑うのだ。笑いながら答えるのだ。
「猊下。この戦争に意味があるとするなら、それは、人々の心に真なる宗教を芽生えさせるため、それ以外にはございません」
所詮その程度なのだと。深く意味を求める必要などないのだと、デフは口元を歪める。
「人間は、必ず敵を求めてしまう。きっと本質的な何かなのでしょうな。仮に今和睦を望み、それが叶ったとしても、いずれ必ず何かが火種となり、戦争は再び起きるでしょう。我々が、魔族との戦争を延々やめる事が出来なかったように」
「……大司教よ。そなたの話を聞けば聞くほどに、余には宗教の本質が解らなくなってしまう。余が人に聞き、自身でそうだと信じた宗教とは、信仰とは、果たして本当に正しいのだろうかと、考えてしまう事があるのだ」
自信ありげに笑うデフとは違い、教皇は気弱であった。
世界を知らぬ教皇猊下は、世界を、そして人間を知るデフを前に、自分の不確かさを味わわされてしまったのだ。
だが、デフは小さく首を横に振り、教皇の瞳をじ、と見つめる。
「猊下。それで良いのです。迷いなされ、沢山迷うのです。猊下はまだお若い。私のような、一つの道を選ぶ事しかできぬ愚か者になってはなりませんぞ。ゆめゆめ、忘れなさいませぬよう」
「大司教……」
教皇は息を呑んでいた。デフの言葉には、まるで師弟のような強い何かを感じてしまう。
デフ自身はとても褒められたような聖人ではなかったはずだが、それでも、教皇は彼の言葉を無視できなかったのだ。

「ですが、結果としてこのエルフィルシアも随分と静かになりました。この大聖堂で未だに残っている悪党は、ほれ、私位ですぞ」
自分を指差しながらおどけてみせる。
デフは、教皇の前では誠実であった。
だからこそ、教皇もデフの言葉には頷いてみせる。
「ああ。そなたの尽力もあってか、この大聖堂から汚職が消え去った。生臭な行いばかりする俗物が、日ごとに減っていったのを余は知っている。それもこれも、そなたが策を巡らし、追い詰めていったからだろう」

 それまで派閥として彼が最大限活用してきたはずの同胞たちを、デフは容赦なく切り捨てていった。
苛烈とも言える粛清の嵐を恐れ、自らいくばくかの財を手に聖地から逃げ去った者もいた。
それでも尚大聖堂に残ったのは熱心な信徒と、わずかばかりの誠実な聖者のみ。
皮肉かな、聖職者の『裏の姿』を知り尽くしたデフだったからこそ、この大粛清は成功したのだ。

「ふふん、これでも悪知恵は働く方なのです。ですが、悪知恵が猊下のお役に立つのもここまででしょう」
自慢げに笑っていたデフであったが、すぐに頬を引き締め、教皇をじ、と見つめる。
「猊下、世界は変わりますぞ。我らが勝とうと大帝国が勝とうと、世界は変わるのです! どうか猊下には、その世界で女神の愛を広めていただきたいものですなあ」
両手を広げ、壮大になろうとしている世界を、新たに生まれようとしている展開を、デフは大きく思い描いていた。
「世界を新たに創ってゆくのは、私のような年寄りではない。猊下のような、お若く、カリスマ溢れる方がなさる事こそ正しき姿でしょう。彼の大帝国もそうです。時代は変わる。変わってゆくのです」
「……余は、そなたのように悪知恵は働かぬ。きっと出来る事をするだけだろう。そんな余に後を任せて、そなたは大丈夫なのか?」
デフ大司教ならば、その気になれば教皇の座を簒奪さんだつする事も、操り人形として好き放題に動かす事も可能なはずであった。
実際良識派のメンバー達はそれを恐れていたわけで、だがしかし、デフはそれはやらず、ただ、自分の思想を、意見を聞かせていたに過ぎなかった。
だからこそ、教皇は問うのだ。「ほんとうに余でいいのか?」と。
「正直に申しますならば、後を任せるにあたって重要なのは、猊下の『教皇』という地位と人々の信望、この二つのみなのです」
にやりと口元をゆがめながら、デフは立ち上がり、教皇に背を向ける。
「ですが、これら二つを満たす事ができるのは、やはり猊下しか居りませぬ。せいぜい上手くおやりになるとよろしい」
「大司教よ。そなたは死ぬつもりなのであろう?」
そのまま立ち去ってしまうのではないかと、教皇はその背に言葉を投げつける。
「はは、いかにも。この戦い、勝っても負けてもこの老体は生き残れませんでしょうて」
デフは立ち止まり、振り返らずに応えたが。
「そなたは大司教だ。余の補佐として仕える身のはず。先行きすら余に放り投げ、あまりにも酷くはないか?」
教皇は、そんな彼をそのまま行かせるのを、どこか惜しく感じてしまっていた。
「猊下。人には成すべきことがあります。私は、それを今成そうとしているだけなのです」
「だが――」
「初めて女神の愛に触れたとき、何故だか涙が止まりませんでした」
言葉を続けようとする教皇に、デフは謡う様に自らの言葉を被せる。
「あれこそが救いというものなのでしょうなあ。あれは良かった。あれこそが、人々をゆるし、認めてくれる。浅はかな心も、愚かな欲望も、全てをしずめてくれる」
そうして顔だけ教皇の方に向け、ニィ、と笑って見せた。
「――私は、見たいのですよ。人々の『善い笑顔』が」
それきり語り、教皇が何も言えずにいる中、大司教は歩き出す。
こつり、こつり、聖堂の中に響き――やがてそれが聞こえなくなってから、教皇はほう、と、深いため息をついた。


「全ては整った――」
大聖堂の外では、頭となる大司教を待ち、勢ぞろいした南部の大兵団があった。
デフが大聖堂から出たと気づくや、一堂、ズパリとその顔に向け姿勢を正す。
「――皆の者。勝っても負けてもこれが最後だ。精々愉しめ。精々足掻け。生き残りたい者は必死に戦え。死にたい者はここぞとばかり戦え!」
軍集団の中心にて、デフ大司教がえる。
静観する兵らの中、皺枯しゃがれた声が響き渡っていた。
「全てを終わらせるぞ。この世界に全ての悔恨を残さぬが為。南部と中央部、北部の確執。此度こたびの戦でその全てを粛清する!! エルフィルシアのたかき者達よ!! 一大決戦を臨もうぞ!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
「大司教様っ!!」
「デフ大司教っ!!」
「南部の力を見せてやれぇっ!!」
「人類同時の戦いなんて、これで終わりにしてやりましょう!」
「あと一息ですわ!! 大司教様!! デフ大司教さま!!」
全ては終わる。戦いはこれで終わるのだ。
生き残った者が世界を治めるのだろう。生き残った者が魔族との関わりを決めるのだろう。
だが、彼らはもう、どうでもよくなっていた。
戦えればいい。戦いになればいい。
闘えるならまだマシだった。だからこそ、闘いたかったのだ。
散るも生きるも構いもせず、彼らは熱狂した。
中心に立つ、ややみっともなく太った法衣の中年を前に、まるで神でも舞い降りたかのように熱を帯び、叫び、受け入れた。

「覚悟は決まっているようね」
そうして、デフの元に、青髪の女が歩み寄る。その場に見合わぬ、白と青のワンピース姿の女であった。
「ああ――これが『我ら』の全てだ。これで戦争をしたいと思う。最後の決戦だ。人類史上最大の華を揚げたいと思う」
「――そう。では、約束どおり転移してあげるわ。精々頑張りなさい」
青髪の女は哂う。決して信用の出来る輩ではなかったが、デフは気にも留めない。
「頼む。やってくれぃ」
にぃ、と笑い返しながら、左腕を高く掲げた。

――直後、大聖堂前に集っていた軍勢の全てが、『そこ』から消えていた。

「いってらっしゃい。精々あの腐った天使の裏を掻いてやればいいわ」
誰に向けてのにやけ顔か。
一言ぽつりと残し、女もその場から消え去った。
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