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7章 女王
#13-1.会談初日1
しおりを挟むその日、シュトーレンの街は普段にはない様相を伴っていた。
街の最奥、領主館を中心にした周囲。街の中心部にぎりぎり届かぬその範囲が、完全に封鎖されたのだ。
領主館からの布告によりそうなったのだが、領域境界面には帝国衛兵隊が立ち、いかにも厳重な警備体制のようであった。
突然の事で民衆も困惑してはいたが、何せ前日には皇帝の来訪もあっての事なので、滞在の間はこうなのだろう、と納得する者も多く、騒ぎにはならなかった。
「初めまして。私が魔王、というのも変な話か。ドール・マスターと言えばわかりやすいかね?」
「初めまして。アップルランド皇帝、シフォンである」
議場にて、最初に言葉を交わしたのは双方の代表であった。
機嫌よさげに手を差し出す魔王に、皇帝もあわせ握手する。そこにためらいはなかった。
「魔王がこのように人間的な容姿をしていたとは、想像だにしていなかった」
「よく言われる。人間世界では、どうやら羽が生えているだとか牙が生えているだとか、ちょっとした人外の容姿だと言われがちだからね」
場を和ませる程度の皮肉だったが、魔王は苦笑がちに笑ってみせる。
「会談の前に、貴方に一つだけ聞きたい事がある。何故エリーシャ殿を巻き込んだのだ?」
相対しながらも、シフォンは背の高いこの魔王に視線を向けたまま、他の者と共に後ろに並ぶエリーシャを意識した。
「彼女が人間側との、私との唯一の接点だからだ。残念ながら、敵同士という接点でしかないがね」
真実とは違う事ながら、政治をするうえでは都合というものも優先される。
魔王はその辺り必要な事以外伝えるつもりはなかった。
「無論、シフォン殿を軽視しての事ではない。むしろ、より確実に、この会談という場に来て欲しかったからこそ、エリーシャ殿を巻き込んだ、と思ってくれればありがたい」
「それが魔族流の外交というものなのか?」
シフォンとしては、平穏に暮らしていて欲しかったエリーシャを巻き込まれた事は、それはそれで怒りを感じる部分でもあったらしい。
もっとも、平穏はエリーシャには届かず、露となって消えたのだが。
それは承知の上で、それでもやりきれなさがあったのだろう、と魔王は考える。
「まあ、そういう事だな」
だから魔王は気にしない。彼視点で考えれば、そう皮肉られるのは仕方ないと思ったのだ。
「さて、シフォン殿。我々はそちらの面々を知ってはいるが、そちらは我々の面子をご存じなかろう。よろしければ、紹介の時間をいただきたいのだが?」
この度の会談は、あくまでも国と国の首長、及び各分野の責任者同士の対等のもの、と予め定められていた。
魔王も、ある程度シフォンに同意を得て話を始めなければならなかった。
「いいでしょう。時間は十分にとってある。我々としても、誰ともわからぬ相手と話を進めるよりは、解る方がありがたい」
当然だとばかりに、シフォンも快くそれを受ける。魔王は満足げに笑った。
「ではまず、軍事分野の責任者から。ウィッチ族のアーティ」
「よろしくお願いいたします」
魔王の右後ろに立つ娘が、帽子を取り、挨拶をする。
「会談の工程管理役、梟頭のスケアクロウ」
「よろしく」
こちらはマスクを取る事無く、そのまま礼を取った。
「合同で行う会場の警護としては、このガードナイトが指揮する事にしている」
「よしなに」
銀甲冑の屈強そうなガードナイト(美人)が、剣を鎧の前で立てた。
「そして、捕虜に関してはこちらの、捕虜達の代表であり、彼らの心の安定に努めてもらっているエレナに説明してもらおうと思う。エレナは、かつて教会組織の司教だった事もある者だ。ご存知かもしれんがね」
魔王の左後ろに立っていたエレナが、一歩前に出る。
「……よろしく」
流石に同胞であった人間の前に、敵側の会談要員として出るのはまだ抵抗があるのか、目を瞑り、静かに呟くばかりであった。
「教会の司教って……もしかして、グレメア大司教の孫娘の?」
「おお、知っておりますぞ。確か、良識派の方でしたな」
見覚えこそないものの、その名、その肩書きには覚えがあるらしく、人間側もざわめき出す。
シフォンは腕を上げ、それを制した。
「過去の事は良い。今の彼女は、会談の為来た魔族側の要人なのだ」
彼としても、場を止めるのは望まないらしかった。
「こほん。最後に、政治や領土問題に関しては、私自身が担当するつもりだ。以上が、今回の会談に参加させていただく主要な顔ぶれだ。よろしく頼むよ」
「ええ、良く解りました」
本来ならここで人間側の面々も紹介されるところだが、魔王側はすでにそれを承知の為、ここは省かれる事となった。
「まず、双方の今の状態の確認から入りたいと思います」
挨拶も終わり、互いに陣営に分かれ席に着く。
梟頭がくぐもった声で最初の議題を進めた。
「前もってこちらの使者が説明してあると思うが、我々は、そちらの先代皇帝の願いどおり、大帝国と敵対する意志はないのだが、そちらは如何に?」
魔王が魔族側の立ち位置を伝え、シフォンを見つめる。
「大帝国としては、先代がそれを本心で願ったというならそれは望ましいが……人間側がその確認を取れない以上、すぐさま信用する事はできない」
「まあ、そうだろうね」
「だが、魔族側の支援によって我らが窮地を脱する事が出来たというのは事実であり、それを根拠に考えるなら、魔族側にこれ以上、少なくとも『今』は我らと敵対する意志がないものと考える事は出来る」
友と思い信用することは出来ずとも、当面の敵ではないと考えること位はできる、という趣旨であった。
魔王もとりあえずは頷いてみせる。
「それでいい。信頼は後で築ければそれで結構。信用ならずとも、今は敵視しないでくれればそれでいいのだ」
互いに疑心から始まる関係というのもある。今はともかく、疑いながらでも双方の矛を収める事が重要なのだ。
「双方が敵対していないという認識にある以上、我々は貴国に対し、相応の支援を行わなければならないと思っている。貴国が我らを敵とみなさずとも、その周囲が、それを許しはしないかもしれんからな」
魔族と人間との休戦。
これが世界全体でそうなら問題にもならないだろうが、一国のみが平穏を享受するという状況は、他国からの嫉妬や憎悪を生み出すだけである。
大帝国がいかに強大な国家であろうと、国である以上一国のみでは立ち行かず、当然ながら、周辺国全てを敵に回せばただでは済まない。
故に、手を出さなければならない。そうしなければ、この国は世界に飲み込まれてしまう。魔王はそう考えていた。
「必要ないわ」
これに対し、声を上げたのはシフォンの右隣。皇太后エリーシャであった。
「必要ない、とは?」
「魔族側からの支援は必要ないと言っているの。魔族側がこの国に攻撃を仕掛けないという保障さえあるなら、それ以外は要らないわ」
なんとも強気な態度である。釣り目がちな美しい瞳が、魔王を睨むように見ていた。
隣に座る皇帝も頷く。同意の上、らしい。
「だが、それでは貴国は周辺国に――」
「飲み込めると思う? 南部は魔族によって押され、中央に干渉できない。北部は、少なくとも今は我々と事を構えようとしない。中央部限定なら確かにわが国に侵攻する事も可能でしょう。だけれど、どの国の軍も帝国軍を倒せるだけの余力はないわ」
中央諸国連合という、多くの国にとっての重負担が、エリーシャたちの根拠であった。
これに軍の大半を取られている国が多い。大帝国ももちろんそうだが、それでも現存する中央諸国において、大帝国は相当の余力を残していると言える。
そもそも現時点において、中央諸国連合の戦力は大帝国に依存する部分が大きい。
様々な国の軍が合流し、一大勢力となってはいるが、その中心はあくまで盟主たる大帝国なのだ。
それが解っている以上、周辺国は迂闊な事が出来ないはずだ、というのもわかる。
「貴方達は、わが国の周辺が揃って敵に回る可能性を危惧しているのでしょう。だけれど、そんな事は実際には起こらない。何故なら、自分の国がかわいいから。折角ここまで生き延びたのに、みすみす我が国に敵対し、滅ぼされたいとは思わないでしょうからね」
もちろん、周囲の全てが同時に敵対すればただでは済まないのはエリーシャも解っての上である。
だが、それは周囲の国々が「自分の国が滅ぼされても良い」と半ば自棄になっている状況に限られる。
敵対したとしても、周辺諸国はどこが真っ先に狙われるのか解からないのだ。
狙われた国は間違いなく滅びる。国と国との戦いなら、それ位の圧倒的な戦力差が大帝国とその周辺国には存在していた。
攻められれば滅びると解っていて、それでも大帝国を滅ぼさなければならない状況。
そこまで追い詰めて、ようやく団結して戦う気になるだろう、とエリーシャらは考えていた。
敵としてみた場合、大帝国とはそれ位の脅威になるのだと分析していたのだ。
「だが、支援は要らないが、協力はして欲しいと思う」
開始早々の予想外の展開に思考を巡らせていた魔王だが、今度はシフォンが続いた。
「出来ることなら、中央諸国は敵に回したくない、というのが本心だ。というより、我々の同盟国に攻撃を加えるのはやめていただきたい」
毅然とした様子で要求を突きつける。
流れを完全に変えたエリーシャと、その流れに乗って押し込もうとするシフォンの見事な連携。
なんとも恐ろしい人間を相手にしたものだと、魔王は思わず冷や汗をかいてしまった。
「つまり、貴国の敵に回った国のみを攻撃の目標にして欲しいと?」
「ああ。それが望ましい。我が国の傘下に在る限り、平和を享受できると思いこませたいのだ」
なるほど、これが窮地脱出の為の策か、と、魔王はようやく彼らの思惑に気づく。
つまり、他国も自分たちの側に引きずり込もうとしているのだ。
そうする事によって、明確に敵対しようという意識を奪い、それに反する者のみが魔王軍の攻撃を受けるという不利益と恐怖を味わう事となる。
一国だけではただの裏切り者だが、いくつも国が続けばそれは『時代の流れ』である。
乗り遅れたものが滅びの道を進むだけで、選べなかったその国が悪いという事になる。
だが、そのためにはいくつか課題もあるようにも、魔王には感じられたのだが。
「もし、一国も続いてくれなかったら? 貴国が真の意味で世界の敵になってしまったなら、どうするおつもりか?」
何も、世の中は上手く行くばかりではない。
エリーシャらは間違いなく聡明で先も考えているのだろうが、それが仮に上手く行かなかったなら、それはかなり拙いのではないかとも、魔王は思っていた。
『もしも』とはこの場合『ありえる事』と考えるべきなのだ。
「簡単な話だ。我々が、そして人類が滅びの道を進む。それだけだろう」
なんとも潔い答えであった。魔王は思わず笑ってしまう。
「貴方達にとってはどちらでも困らないはずよ。大帝国が崩れれば、後に残った人類国家の大半は崩し放題だもの。一部は抵抗するでしょうけど、それだって数の差には勝てない」
勿論それは本心ではないだろうが、魔王には発破にかけられているように感じられた。
『滅びて欲しくないならその時は手を出せ』と暗に求められているように感じられたのだ。
(なるほど、これが人間の政治か。中々に面白い事を考える)
腹の探りあい。裏で幾重にも重ねられるトラップ。
求める事のみを前に出すのではなく、見えない部分にいくつも含みを持たせ、いつの間にかそれを承諾してしまうようになる。
困った事に、こんなものは魔王には経験が無く、政治担当という肩書きなど何の意味もないように感じてしまう。
全く以って情けないが、ペースは彼らに握られたままであった。
「あいわかった。我らはあくまで貴国の同盟国には手を出さぬように配慮しよう。アーティ」
これは勉強になる、と思いながら、魔王は右隣のウィッチに続きを促す。
「はい。我が魔王軍は、この協定が続く間は人間世界東部地域を駐留限界点とし、現在中央部に駐留・待機している軍は即時撤退を行うつもりですわ」
「おお。東部まで下がってくれるのか。それはありがたい」
「できればアレキサンドリア線まで退がって欲しいんだけどね」
アーティの提案に歓喜する大臣であったが、エリーシャはそうでもなく。
やや物足りない様子でじと目で魔王を見る。
「そこまで退がってしまうと、逆に人間世界に対して存在感を維持できなくなってしまう。前にインフレーションが起きた時と同じで、人間世界に無意味な戦勝ムードが発生しはじめるかもしれんよ?」
困ったような顔で頭をぽりぽりと掻きながら、魔王はエリーシャに対応した。
「……インフレか。確かにあれは困るわね」
魔王城陥落間近か、という報が端となったインフレーション。
そしてそこから世界を巻き込んだ未曾有のデフレーション。
今の人間世界の疑惑の連鎖はここから生まれたと言っても過言ではなく、だからこそ、それを二度と起こしてはならないというのはエリーシャにも解ってしまう。
「これはあくまで休戦協定に過ぎない。そして我が方は、この東部防衛ラインを抜けて我がほうに攻撃してきた場合、協定に関係なくこれを迎撃する、というのは解ってほしい」
「無論、それは仕方のない事ですな」
あくまで念を押すつもりで発言した魔王に、大臣がうんうん、と頷く。
「ああ、それで構わない。我が方は同盟国と、当面の間の中央部での安全が確保できればそれでいいのだ」
あくまでその範囲は大帝国と、その同盟国、及び中央諸国に限られるという事。
そこには諸国説得の為の期間が設けられるという事なのだろうが、それに関してシフォン皇帝はまだ明言してこない。
「うむ。ではとりあえずこの話は双方の合意済みという形で進めようか」
魔王も満足げに笑い、進行役の梟頭に次を促す。
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