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7章 女王

#10-1.二日酔い勇者リットル

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 大帝国の西部地方、シュトーレン。
終わりなどないのではないかと思わせるような喧騒の夜とは打って変わり、朝の街は刺すような冷たい空気と静けさが支配していた。
時折聞こえてくるのは川上から木材を運ぶ舟のきしむ音。
目の覚めるような寒さながら、痛む頭に手を当てながら歩く偉丈夫が道を往く。リットルであった。
「……うぅ」
死んだ目でうめいていた。
「飲みすぎよ。もうちょっと加減なさい」
隣を歩くのは同じように夜通しの酒に付き合ったエリーシャである。
こちらは全くと言って良いほど酒分を残していない。
「エリーシャ。あんたのが俺より飲んでなかったか?」
うんざりとした様子でのったりと歩くリットルであったが、隣を歩くこの女の酒の強さに思わず突っ込まずにいられなかった。
「そりゃ、お酒位嗜めないようじゃ勇者なんて務まらないもの」
「それはそうだが。俺が言いたいのはそういう事じゃない」
確かに勇者家業も長く続けていれば、村や街の代表者などから感謝され酒宴を開かれる事も少なくはない。
戦地でも夜毎に酒を勧められたりするし、各国の要人からパーティーに招待される事も少なからずあり、勇者家業に酒は付き物と言われる位である。
だが、それにしても強すぎはしないかと思うのだ。女でここまで飲むのも珍しいとリットルは思ったのだ。
「帝国女はお酒に強いのよ。酔わせて口説こうとしても無理。よく覚えておきなさい」
「ああ、よく覚えておくよ。参考になる」
今更エリーシャを口説くつもりもなかったが、何せ帝国には魅力的な若い娘が多い。
口説くなら酒の場はよくないな、と、リットルは素直に頷いた。

「とりあえず、あんたがここにいるって事は、今回の会談、あんたも一枚噛んでるって事だな?」
初めて会ってからというもの、随分長い付き合いのある元勇者仲間である。
それ位は説明を受けずとも察していた。
「ま、そんな感じね。貴方には会場での要人護衛、それから、場合によっては捕虜の扱いの交渉にも参加してもらう事になると思うから」
「ほう。要人護衛は聞いてたが、具体的な会場はどこになってるんだ? 実際にこの目で見ないと解らんぞ」
「もちろん、それをこれから案内するのよ」
「なんだ、俺たちの宿に向かってるわけじゃないのか」
二日酔いに苦しむリットルとしては、できればこのまま半日位は休んでしまいたい気分だったが、エリーシャにはそんなつもりは更々ないらしかった。
「時間があんまりないからね。開催まで一週間を切ってる。シフォン殿達が到着したら、その翌日には開催っていう流れなのよ」
満足におしゃべりしてる暇もなさそうだわ、と、エリーシャは苦笑する。
「やれやれ。この分だと、先遣隊の仕事は山ほどありそうだな」
「そうね。本隊が到着するまでに、出来る限りの事はやらないといけない。だから、まず真っ先に貴方に来てもらった訳よ」
リットルとしては光栄な限りであった。あのエリーシャが会場の準備の為のパートナーとして選んだのが自分だというのだ。
男冥利に尽きると言うか、信頼されてるのがリットルには嬉しかったのだ。
「ま、そういう事なら頑張らないとな」
「その調子よ。よろしく頼むわ」
にっこりと微笑むその顔が朝陽に照らされ、眩くも感じ。
リットルは痛む頭の事も忘れ、静かに頬を緩めた。

「ここがこの地方の領主、グラム女伯の館よ。私ももう何日か世話になってるけど、会談の会場兼、終了までの宿でもあるわ」
街の最奥、北部側の外れに、その館はあった。
やや古い趣の建物で、ぱっと見で塀と堀に囲まれ堅牢そうではあったが、同時に窮屈そうな印象も抱かせる。
堀には街の中を流れる川の水がそのまま使われ、魚が泳いでいるのも見え、それなりに清涼感はあるのだが。
「中は結構シックだから落ち着くと思うけどね」
「とりあえず、女伯に会う訳か」
「その必要はないわ。女伯は外遊に出かけると言って出て行ったきりだから。事情は説明してあるし、館の物は好きに使って良いと許可も貰ってあるから気にせず私達の館だと思うことにしましょう」
気にしない。と、エリーシャはにやりと笑う。
一体どんな交渉をしたのやら。リットルは苦笑しかできなかった。

 だが、エリーシャは皇太后である。
身の証さえ立てられれば地方領主如きがどうこう言えるような浅い身分ではない。命令権もある。
今までエリーシャが庶民っぽくしていたからそうと思わなかっただけで、エリーシャはそれ位の事はできてしまう身分なのだ。大変忘れられがちではあるが。
この辺り、リットルの知るエリーシャと違う事をしているように感じて、違和感も感じていたのだが。

「とにかく、館を全部見てみたいな。警備上の穴だとか、そういうのからチェックしたい」
「そうね。では案内するわ」
大き目の扉をぎぃ、と開きながら、エリーシャは中に入っていった。
リットルもその後に続く。


「まず、ここが会談予定の会議場。外向けに窓は無く、防音もきっちり」
「なんというか、何にもない部屋だな」
まず最初に案内されたのは、会談のための部屋であった。
それなりに広いが、無機質というか、椅子と机以外になんにもない。
「もちろん、これから色々設置するのよ。花瓶とか置きたいし、絵画も飾りましょう。隣の部屋を改造して簡単なティールームにして、そこで軽食も取れるようにして。まあ、色々やる事はあるわ」
会場の準備って大変だなあと素直に感心するが、その辺りはエリーシャの仕事である。自分には関係ないと、リットルは他人事であった。
「壁の厚さはどれ位なんだ?」
「全方位70センチ位。廊下側は若干薄いけど、まあ、材質的にも破壊魔法でも一撃で貫通は難しい位の丈夫さだわ」
ごんごん、と壁を叩いてみせる。感触は堅く、中が抜けているようにも思えない。安心の構造だった。
「警備兵の待機所は併設できるんだよな?」
「ええ。ティールームの逆隣に用意する予定よ。ただし、相手側にも護衛がいるなら、そちらと一緒に待機する事になるでしょうけど」
なんとも胃の痛くなる光景が目に浮かんだ。
「うへぇ」
痛い頭が更に痛くなった気がする。魔族と会談の間中ずっとにらめっこなど、しんどい事この上ない。
「せめて綺麗な女の子の護衛であることを祈ろう」
「……貴方って、女なら魔族でもありな人?」
「割と。ウィッチとかウォーターエレメントとか見るとありかなあって思う」
やや抗議めいた表情で呆れるエリーシャに、リットルは素直な感想を聞かせた。
「魔族ってよーく見ると美形ちゃん多いからな。更に人外だけあって人間じゃまず見られないような脅威的なスタイルの持ち主もいたりでとても目に悪い」
「滅びてしまえ」
悪ノリが続きそうなのでと、エリーシャは早々に切り捨てる事にした。リットルの嗜好など知った事ではないとばかりに。
「別に貴方が女魔族好きでもいいけどね。ハニートラップに掛かって情報流出とか、そういうのは勘弁してよね」
「ははは、流石に俺もそこまでバカじゃないぞ。女は選ぶ」
ぼりぼりと頭を後手に掻きながら、リットルは豪快に笑い飛ばした。
「……不安だわ。すごく不安」
本当かしら、と、心底不安を感じてしまうエリーシャであった。


「塀の上から館の周囲を監視できるけど、基本的にこれは部外者の侵入を防ぐ為の物でしかないと思って頂戴」
館の内部も色々周り、館の屋上に案内された。
屋上は外側の塀と繋がっており、ここから塀や塀の外の監視・防衛に駆けつける事が出来る構造である。
「まあ、警備なんて言ったって魔族が中で暴れ始めたらどうにもならずに俺ら全滅になる訳だしな」
「今回の会談で一番怖いのは第三者による情報漏えいよ。教会組織が何かしら仕掛けてくる可能性だって無い訳じゃないし」
手を伸ばせばすぐの場所まで迎え入れてしまう魔族は最早どうにもならない。
それでも心の平穏の為に護衛の兵士は置くつもりだが、最大の懸念は会談と関係ない存在が関わってしまう事にあった。
会談の特殊性を考え、これだけは阻止しなければならない。
魔族との会談がどのような形に終わるのか、どのようにまとまるのかが解からない以上、この内容が吟味される事なく世界に広まってしまうのは避けたいのだ。
「そうじゃなくても、シフォン殿が城から出た時点で何かがあると各国に警戒されてしまうでしょうからね。探ろうとする国が出てもおかしくない」
面倒くさいけどねぇ、と、屋上から見える街を見下ろす。
腰ほどまでの髪がざぁ、と揺れる。亜麻色が光って見えた。
「……まあ、そっちは任せてくれて良い」
「そうね。信用してる。というより、貴方位しか信用できる人が居ない」
エリーシャにとっては辛い事に、周囲にあまり信用の置ける人物がいないのが弱みとなってしまっていた。
エリーシャが勇者時代に築いたコネクションの多くは、他国の軍人や要人、勇者といったもので、つまり大帝国の国益等とは全く関係のない人々である。
これに頼ろうとすれば、必然的に情報が彼らの国に漏れてしまうリスクがあり、できない。
その点、リットルは都合よく大帝国に亡命し、今はもう立派な帝国の勇者である。これを活用しない手はなかった。
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