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6章 時に囚われた皇女
#1-3.ラズベリィという名の侍女
しおりを挟む「――もうすぐ夏も終わる。やがて秋になる。もう『あの冬』は近いのに。何を変えたら良いのか解からない」
ぽつり。階段を登ろうとしたエリーシャの耳に、そんな声が聞こえた。
「あの子を助けたくてこうしてここにいるのに。私は結局、何も変えられないのかしら。何がおかしいのか、何もおかしくないのが既におかしいのか。はあ、私は何をやってるんだろう」
階段を登りきった先にいたのは、見慣れた茶髪の三つ編み。
トルテの侍女、ラズベリィである。なぜか手すりの脇に腰掛けていた。
「ほんとに何やってるのよ」
「……あら、エリーシャ様ではありませんか」
珍しくボーっとしていた様子で、階段を登ってきたエリーシャにも声をかけられるまで気づかなかったらしいが、声をかけてもさほど驚きもせず、とても冷静に対応する。
なんというか、機械的な印象を感じていた。
「いつも思ってたけど、貴方って不思議な感じよね。いつの間にかお茶を沸かしたりしてるし」
まるでトルテがそう頼むのを解かっているかのように。あるいは事前に準備がしてあったかのように、それは行われるのだ。
不思議な光景、としか言いようがない。
「それに、全く知らない風味のお茶を出したりもする。いつごろお城に入ったのかも良くわかんないけど、他の侍女にはない何かを感じるわ」
トルテは当たり前のようにそれを受け入れているが、よくよく考えてみれば不思議な事は沢山あった。
ラズベリィという侍女は一体何者なのか。その、今更のような疑問は、今この場において場を支配する空気となっていた。
「……私の故郷は、『リヴィエラ』と呼ばれる、川岸にある、そこそこの大きさの町なんですが。ここが紅茶の産地として、それなりに有名でしてね」
何かを観念したのか、わずかな沈黙の後、小さく息を吐きながら、ラズベリィはぽつぽつと語り始める。
「子供の頃はコーヒーの方が好きだったんです。だけどある時を境に、この紅茶がたまらなく素敵なもののように感じて……気がつくと、愛飲するようになっていたのですが」
「故郷のお茶っていう事?」
「ええ。地元ではなんのこともない、ありふれたお茶なんですよ。シナモン村で言う白パンみたいな感じで、飲み飽きた、水とも大差ないものでしかないんですが。故郷を離れると、そんなものでも懐かしく感じる事があります」
一瞬、どこか遠くを見ていた視線。すぐに戻り、エリーシャをまた見つめなおす。
「リヴィエラなんて聞いた事もないわ」
「そうでしょうね。この世界にはないでしょうし。仮にあっても全く無関係の土地でしょうから」
ほう、と無感情に返すラズベリィは、やはり、どこか異質な存在のように感じられた。
何よりその返答、『この世界は』という言葉に、エリーシャは覚えを感じていた。
「……異世界の人だったの?」
「ご推察の通りですわ。川の中流……このシャルムシャリーストークから見れば近隣なのですが、そこに私の故郷があります。『ハーニュート』と言うのですが」
隠し立てする気もないのか、エリーシャの呟きに、ラズベリィはあっさりと肯定する。
「どこかで聞いたような気がする」
その名前そのものは知らないが、なんとなしに、あの魔王との会話で聞いた他所の世界の話を思い出しながら、エリーシャは適当に相槌を打った。
「『時を支配する世界』。それが、私の世界についたあだ名でした」
無表情のまま説明を続ける侍女だが、気になるフレーズに、エリーシャが手を挙げた。
「ちょっと待って、世界ごとにあだ名なんてあるの?」
「ありますよ。ご存知でないのですか?」
「ご存じない。今初めて知ったわ」
驚きの事実、とまではいかないまでも、妙な感覚であった。
自分達が今居る世界一つでもこんなに広いのに、更に大きなくくりで16もの世界が存在する。
更にそれらには別個にあだ名がついていて……そして何より、あだ名がつくほどに、それをそういうものとして認識できている者が多いであろうその事実に、エリーシャは複雑な気分になる。
この世界には、そこまでそういう人はいないのに。
「じゃあ、このシャルム……なんとかってどういうあだ名なのよ?」
「シャルムシャリーストークのあだ名は、『変化し続ける世界』ですね」
「何それ。まるで変化しない世界があるみたいな――」
何を馬鹿なことを、と言いたげなエリーシャに、ラズベリィはちっちっ、と人指し指を横に振る。
「ありますわ。全ての世界がそうと言う訳ではないですが、創世の頃から何一つ変化しない世界というのも確かにあるのです。まあ、シャルムシャリーストークにつけられた『変化』のあだ名は、そういった意味ともまた違うのですが」
「……どういうこと?」
「この世界は、時代ごとの変化がとても激しいのです。時代ごと、なんて言ってもその幅も曖昧で、数億年単位で何も変わらない事もあれば、百年ごとに文明レベルで栄えたり衰退したりを繰り返していた時期もあったようですが」
立てた指をそのままに、やや口元をにやけさせ、ラズベリィは続ける。
「例えば、今のこの世界で言うところの『紀元前』直近の時代では、今以上に文明が発達していて、『機械』という、油で動くマジックアイテムのようなものが当たり前のように存在したりもしていたのです」
これはハーニュートの民なら誰もが知っている基礎知識なのですが、と断りを入れながら。
しかし、その言葉に、エリーシャの頭の中はクエスチョンでいっぱいになってしまった。
「ごめん、理解が追いつかないわ」
「でしょうね。ただの戯言と思ってくれていいですわ。あまり意味のない事です。過去も、遠すぎるモノは参考にすらなりませんし。何より私が言っている事を確認する手段も存在しないでしょうから」
途方もない話であった。紀元の起こりですら神話レベルで語られているような曖昧なものだというのに、それより前の歴史等今の世界には残っているはずもない。
それこそ、目の前の侍女が妄想したものを流暢に口走っているだけかもしれないのだ。
「んん……別に貴方の事をうそつき呼ばわりするつもりもないんだけどね。なんていうか、世界がどうとかって私には壮大すぎて、やっぱりついていけそうにないわ」
たはは、と、そのスケールについていけない自分の小ささを笑うくらいしか出来なかった。
「……貴方は優しい方ですわ」
そんなエリーシャに、ラズベリィは目を細め、小さく微笑んだ。
俄然、ラズベリィに興味を持ったエリーシャは、話題を変え、ラズベリィの故郷の話や、どのような旅をしてきたかなど、異世界についての質問などをしたりして時間を潰す事にした。
ラズベリィもいくつかは言葉を濁すものの、答えられることに関してはきちんと返してくれる為、これは大変有意義な時間となった。
結局、お腹を空かせたトルテがラズベリィを探しに来るまでの間、二人は階段脇でしゃがみこみ、不審者となっておしゃべりを楽しんでいたのだった。
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