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5章 『勇者に勝ってしまった魔王』のその後
#1-1.カタコンベへの馬車道にて
しおりを挟むある冬の終わり頃の日の事である。
この度、大帝国・帝都アプリコットでは、先代皇帝シブーストの葬儀が厳かに執り行われていた。
死したるシブーストは、魔王によって貫かれた腹部にできた空洞に詰め物がなされ、見た目上、何一つ欠損無く棺の中で眠っていた。
慣例に基づき厳重な警備の元、二週間ほどアプリコット中央広場に安置されていた棺であったが、多くの民衆、そして各国の要人はその間に彼と別れを済ませ、そしてささやかな感謝の言葉を告げていた。
皮肉な事に、新皇帝シフォンの、皇帝としての最初の仕事は、父シブーストの葬儀を滞りなく進行させ、父を永らくの安寧への旅へと送る事であった。
この日、安置されていた棺は再び皇室によって回収され、帝都近郊にある皇室専用の地下墓所へと運ばれ、そこで家族や側近等、極親しい者達との最後の別れをする手筈となっていた。
大国の皇族の葬儀ともなれば、棺を運ぶ専用の馬車に皇族が乗る馬車、そしてそれを護衛する騎兵隊、更には皇族の身の回りの世話をする多くの侍従が騎乗する馬等で街道が埋め尽くされるほどで、墓所への道のりは大変物々しい光景となっていた。
「……馬車の道って、なんだか好きになれないです」
揺れる馬車の中。愁いた面持ちで窓から見える湖を眺めながら、トルテは小さく呟く。
皇族用の馬車である。エリーシャやシフォン、ヘーゼルも同乗していた。
全員が葬儀に際して黒色の衣装で揃えており、髪も後ろで束ねられていた。
その誰もがトルテの呟きに答えようとせず、気まずい空気ばかりが流れていった。
「悲しい事があると、どんな風景でも悪く映ってしまうものですわ」
そんな中、呟きに答えたのはトルテの侍女・ラズベリィであった。
魔族に襲われた際の負傷も癒え、この度は葬儀に参加する皇族の世話係として、馬車への同乗を許されていた。
「確かに、姉様と旅をする時の馬車は楽しかったですわ。でも、そうじゃないのです、ラズベリィ」
ラズベリィの言葉に、わずかばかり表情を和らげたトルテであったが、その言葉に対しては否定したいらしく、少し困ったように首を振っていた。
「……と、仰いますと?」
「辛い事があったのよ。それだけ」
言葉に詰まるトルテに、エリーシャが助け舟を出す。
シフォンもヘーゼルも無言のまま小さく頷き、それきり馬車の空気が静かなものへと変貌した。
「……なるほど」
目を瞑り、空気を呼んで静かに頷くラズベリィ。
それ以上は追求しようとはせず、また静かな馬車の道が続いていた。
「葬儀が終わったら、また戦争になるのかしらね」
しばしの沈黙の後、今度はエリーシャが呟いた。
カタコトと揺れる馬車の中、わずかばかり、空気が動き始める。
「南部諸国は、父上の葬儀が終わるまでは攻撃を中断するつもりらしいですが。これもどこまで信用できるか」
最初に応じたのはシフォンであった。
彼の言葉の通り、南部諸国連合はシブーストの死が広まると同時に休戦を申し出て、これにより人間同士の戦争は一時的に中断された形となった。
「実際には、魔王軍の間者に内部から食い荒らされてズタズタにされた所をヴァンパイア軍に襲われて侵略どころじゃなくなった、って感じみたいだけど」
皮肉気に笑いながらエリーシャは馬車の外を眺める。
「確かに、先日の戦い以降、魔王軍が南部への攻撃を再開したようですが……」
「魔王軍もそうだけど、休戦申し込みのタイミングも出来すぎてるわ。何か狙ってるかもしれないわね」
思うところあってか、エリーシャは南部の動向を訝しがっていた。
先日のゴーレム再侵攻の顛末は以下の通りである。
ゴーレム侵攻時、あわや帝都への被害が、という絶妙なタイミングで魔王軍が現れ、とても都合よく南部の軍勢にのみ攻撃を始めた。
これによりゴーレム軍団は大打撃を受け、撤退を余儀なくされる。
魔王軍も歩兵を中心に、少なくない被害を受けたらしいのも後の調べで解った。魔物や魔族の遺体が残されていたからだ。
そして同時期に南部諸国は潜入していた魔王軍のスパイによってその大半が機能不全に陥り、南部は一時的なりとも戦争継続が不可能な状況になっていた。
その間に魔王が城へと侵入。結果皇帝は暗殺され、二振りの宝剣までもが奪われてしまった。
直後、魔王軍は拠点への撤退を開始。大帝国が皇帝の死を公に告げたのはその二日後。
シフォンが皇帝として戴冠したのとほぼ同時期に、南部からの休戦申し込みの使節が送られ、これにより南部との戦争はシブーストの葬儀が終わるまでの間休戦される事となった。
確かにぱそこんなどを経由すれば即日情報のやり取りが可能ではあるが、それにしても南部から使節が送られてくるタイミングが早すぎる。
一つ矛盾が見つかると、次々に怪しく見えてくるのだ。
魔王軍が何か不可解な動きをしているのは『あの魔王だから』である程度納得がいってしまうエリーシャであったが、この一点には嫌な違和感を覚えていた。
「もしかして、教会組織は、シブースト様が殺されるのを知っていたのではないかしら?」
「そんな……それでは、南部と魔王軍が、裏では繋がっているかもしれないという事ですか……?」
エリーシャの言葉に、ヘーゼルが口元を押さえながら反応する。
温和な彼女の事、あまりの事にショックを受けてしまったのかもしれなかった。
当然といえば当然で、先日の偶然の勝利が、実際にはただの茶番であったという事になってしまうのだ。
それではあんまりである。敵対してしまったとはいえ、同じ人類国家が魔王軍と手を取り合うなど、やはり許せたものではないのだ。
だが、そんなヘーゼルの想像を否定するように、エリーシャは小さく手を振る。
「そうとも限らないわ。もしかしたら、城内に南部の内通者がいたのかもしれない。あるいは、自領に潜り込んできた魔王軍のスパイを逆手に取って、魔王軍がこのような行動に出ると想定した上での事なのかも――」
少なくとも、南部側には魔王軍と手を取り合う理由など全くと言っていいほど存在しない。
南部諸国は一時期ヴァンパイアの軍勢に侵攻された恐怖にさらされた結果、ゴーレムが配備された後、対魔族に対しては過剰なほどに攻撃的になっている。
何より彼らの多くは自分達が知識の女神の加護の下戦っているという自負があり、魔物や魔族は邪悪で不浄な存在であると決めて掛かっていた。
当然ながら、その中枢である教会組織は魔王軍を強烈に敵視しており、その存在を由としていない。
そもそも、いまの教会組織の前身とも言える旧世紀の教会は、魔王軍、ひいては先代魔王の手によって滅ぼされたのだ。
このような経緯から、南部の中枢が体面を気にする宗教組織であることも踏まえると、やはり魔王軍と手を組む、と考えるには無理があった。
「城内の清掃を行った方がよろしいかもしれませんわね」
ラズベリィの提案に、シフォンもエリーシャも小さく頷く。
「あまり考えたくない事だが、獅子身中の虫がいるとするならば、それは許せる事態ではないな」
「そうね、これが終わったら、一度城内の人間や出入りの商人などの身上を綺麗に洗いなおしましょう」
この場に居る誰もが、エリーシャの不穏な予感を疑いはしなかった。
この中で一番そういった臭いに敏感なのが彼女であると、その場の全員が知っているからだ。
「……戦争なんて嫌い」
建設的な方向に話がまとまろうとしていた中、トルテが窓の外を眺めながら、ぼそりと呟く。
たったそれだけ。議論はそこで止まってしまった。
「なんで戦争なんて続くのでしょうか。皆亡くなってしまって、とても悲しい事ばかりなのに」
トルテの言う事は痛いくらいに正論であった。人の世の裏側を知らない人間の言葉としては。
「そう思わない人がいるからよ。痛みを知らなければ、それを上回る得があれば、それはいくらでも続けられてしまうから――」
そしてエリーシャは、人の世の裏側をも知る人間としての正論を聞かせた。
「人が死んでも、悲しくならない人がいるのですか?」
「皆が皆、貴方みたいに優しいわけじゃないもの。他人の死なんてどうでもいい、それを利用して美味しい目を見たい。そういう人だって沢山いるわ。今は、人間相手でもそれができてしまう時代になってしまっているのよ」
悲しいことに、人間とはそういう生き物だった。
損得の前には親しい人間の死すら悲劇となり得ない事すらあるのだ。
国として人々の欲望を孕んだそれは、やがて個々の意思などは無視して、利益のみを追求していくようになっていく。
戦争は、そんな彼らの欲望を解消できてしまう目的足りえるのではないか。エリーシャはそう考えていた。
「――全く。命懸けて戦ってたのがバカらしくなっちゃうわね。平和な世の中を求めて、愛する人を守ろうとして散っていった人達に、顔向けできないわ」
大きな溜息。エリーシャが苦笑しながら一人ごちる。
人類の明日の為。少しでも後の世に生まれる者が幸せに生きられる為に。
そんな気持ちで魔族との戦いの最前線へ配備を志願した兵士や勇者達も少なくない。
そしてその大半は戦死している。だというのにこんな世の中である。これでは彼らが浮かばれない。
「彼らこそ、戦いの無い、平和な世界を生きたかっただろうに。そういう世界を作らなきゃいけないはずなのに、後に残った私達は魔族相手だけじゃなく人類同士でまで戦争してるんだもの。こんなのってないわよ」
誰も救われない。誰も報われない。ただただ、その虚しさばかりが馬車の空気を支配していった。
「損得を考えるなら、戦争こそ一番不経済なはずなのに。人々が亡くなれば亡くなるほど、それまで人間の社会で成り立っていたものが壊れていってしまうはずなのに」
愁いを帯びた表情を変える事無く。トルテはその矛盾に苦しんでいた。
「それが解らないんでしょうよ。あるいは、本当に壊しちゃいたいのかも。何もかも台無しにさせたいからやってるのかも、ね」
「そんな馬鹿なことがあるんですか? 人間って、そんなに愚かな生き物なのですか……?」
皮肉げに呟かれたエリーシャの言葉に、トルテは目を見開き強く反応する。
敬愛する姉によって捨てられた可能性を、無視できずにいた。
「トルテ……?」
驚いたのはエリーシャだった。別に説き伏せるつもりでもなかったが、自分の言葉がここまでトルテに反応させるとは思いもしなかったのだ。
「私は、そうは思いたくありません。だって、人間がそんなにおかしな生き物なのだとしたら、平和なんて、到底叶う事の無い夢物語になってしまいます。そんなのは、嫌です……」
それは、理屈でも理論でもなく。一人の少女の願いであった。
エリーシャははっとし、自分の愚かさに気付いた。
「そうね、ごめんねトルテ。ちょっとナーバスになっていただけなの。私だって、平和への願いを捨てた事は無いわ。いつかきっと、人は平和な世の中を取り戻せると思う。ううん、そうしなきゃいけないはずよ」
シブーストの死からしばらく。エリーシャはどうやら、世の中というのを斜めに見すぎていたらしかった。
あまりの事に、世の中を悲観的に考えすぎてしまっていたのだ。
普段から難しい事ばかり考えていた彼女をして、周りの者はそんな様子に違和感を感じる事はなかったのだが、トルテだけはそんなエリーシャの姿勢に違和感を感じてしまっていたらしかった。
「……戦争は嫌いです。姉様まで変えてしまうんだもの」
トルテはまた呟く。悲しげにエリーシャを見つめながら。静かに進む馬車の道で。
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