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4章 死する英傑

#12-2.ドール・クラッシュ

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 エリーシャは笑った。
この二人は、一人当たりはアリスほど驚異的な強さではないと解ったからだ。
確かに近距離で二人がかりで戦えばアリスより厄介かもしれないが、そんなのは相手のペースに呑まれたらの話である。
呑み込まれるつもりなんて、微塵もなかった。

 エリーセルの攻撃範囲は精々一メートルちょっと。
短剣装備のノアールに到っては三十センチも無い。
速度自体もブースト状態のエリーシャならば回避可能なレベル。
――勿論、先ほどのオークの勇者といい、この二人といい、エリーシャの戦闘経験上相当な猛者のはずだが、そんな感覚はブラックリリーとの戦いでとっくに振りきっていた。
(アレと戦う羽目になる位なら、これ位、命さえ懸ければどうにでもなるじゃない)
宝剣無しでは命を懸けてもどうにもならないレベルの化け物を相手にしたエリーシャにとって、ただ動きが早いだけ、ただ近接戦闘が強いだけの敵なんて、ただの邪魔者でしかなかった。
現実はともかく、そう気持ちを切り替えると楽になったのだ。

「な、なんで笑ってますの……?」
だからか、その笑いは人形達には激しい動揺を生んでいた。
連戦で多少なりとも疲労しているだろうに、得意の魔法だって効果が無くて、数の上でも明らかに不利なはずなのに。
この元女勇者は、余裕の笑みを見せていたのだ。困惑してしまっていた。
「さあ?」
もう勝ったかのように強気に口元を引き締める。
かと思えば、手にもったペーパーナイフを放り投げてしまう。
「えっ――」
「どうして――」
ただ一つの得物。それを事もなげに投げ捨てる。
その行為に人形達は一瞬、考え込んでしまった。
『この人は何を考えてこんな事をしたの?』と。

 それは、戦闘時ならば決して許されない大きな隙であった。
間合いなんてものは、彼女には一瞬で詰められたのだから。
「――遅いわ」
先ほどの逆焼きまわしである。
今度はエリーシャがエリーセルの懐に飛び込んでいた。
「このっ!!」
一瞬で我に還り、ショートソードをエリーシャに向けようとする。
直後、エリーセルは腹部に強烈な圧迫感を感じた。
「あっ……えっ?」
ショートソードの刃先が届くより前に、エリーシャの鋭い蹴りがエリーセルの腹部を抉っていた。
戦闘の優位を決めたのはリーチの長さではなく、リーチの自由度、その範囲だったのだ。
バゴン、という聞きなれない音と共に、エリーセルの腹部を足先が貫通。そのまま腹部は破損してしまう。
「エリーセルッ、お腹が――」
「えっ……わ、私のお腹が……? あっ――」
一歩、二歩とよろよろと下がるエリーセルだったが、やがて立っていることも出来なくなったのか、その場にぺたんと座り込んでしまった。
まるで、その顔をエリーシャに差し出すかのように。
「いけないっ!!」
ノアールがエリーシャに飛び掛る。
しかしそれは連携として機能していたわけでも、エリーシャの隙をついての攻撃でもなく、ただの感情的な先走りに過ぎない。
結果、体術に優れていたはずのノアールは、難なくエリーシャに腕を掴まれてしまう。
「邪魔よ!!」
そして、勢いのまま投げ飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「あぁっ――あぐっ!」
さすがにその衝撃を受けては人形であってもすぐに立ち上がれないのか、ノアールはビクビクと身体を震わせ、その場に座り込んでしまっていた。

「ノ、ノアール……」
「私が武器を捨てたのは、あんた達が人形だから。胸を刺しても、首を斬りつけてもきっと動いちゃうだろうから、壊す事にしたの」
そうしてまた、エリーシャはエリーセルの前に立った。
無慈悲な月の女王は、そこにこそ立っていたのだ。
「――なんて恐ろしい人なの」
その顔を見上げながら、生まれて初めての驚愕を感じて、エリーセルは呟く。
「ひどい話だわ。誰より人形が好きだって思ってる私に、人形を壊させるなんて」
本当に酷い皮肉。世界のなんと無慈悲な事か。笑うしかない位つまらない現実に、エリーシャは苦笑してしまう。
「ああ、貴方って、旦那様に似てる――」
何を思いついたのか。彼女の呟きはそこまでで終わってしまった。
首から上はエリーシャの回し蹴りをまともに喰らい、吹き飛んでしまった。
残ったのは華奢な身体だけ。まるで贖罪するかのように座り込んだその身体は、やがて時間遅れの衝撃が伝わって、ぐらり、と腰から上だけが後ろに倒れ込んだ。

「エリーセル……エリーセル!!」
ようやく立ち上がれたのか、ノアールは壁際で叫んだ。
自分と全く同時期に生まれた姉妹人形。その片割れが無残な姿となっていた。
ノアールの言葉に、胴体だけになったエリーセルが応える事は無かった。
そもそも、応えられるパーツが彼女には残されていなかった。
「よ、よくも……よくもエリーセルをっ!!」
あまり感情の篭っていなかった瞳に、声に、憎しみが宿っていく。
「戦う覚悟はしていた? 壊される覚悟は? 愛する主の元に二度と戻れなくなる覚悟はしていたの?」
相棒をとことんまで壊されたことに怒る人形に、エリーシャは苦笑しながら構えを解く。

 もう、こんなのは戦いですらない。
相手を傷つければそれだけ自分が嫌な思いをする。
人形破壊なんて、エリーシャにとってだって辛い戦いなのだ。
それをもう一人、しなくてはいけないのだから、テンションも下がってしまう。

「覚悟が無いなら、そのままそこで休んでなさい。邪魔しないで」

 エリーシャは苛立っていた。大好きなはずの人形が自分の敵にまわることに。一体自分が何をしたというのか、と。
そして、そんな状況で、人形を壊す以外に大切な人の元に辿り着く手段が無いというのが、余計に腹立たしくなっていた。
だから、殺気を全開にして、目の前の人形を睨みつけていた。

「うっ……うぅっ」
それは、ノアールにとって初めての恐怖だったのかもしれなかった。
エリーセルと二人がかりでも倒せなかった相手に、一人で挑まなくてはいけない。
相手は無傷。自分は立ち上がれているだけでフラフラ。
膝が震えていた。身体が戦うのを拒絶する。エリーセルを破壊された際に湧き出た怒りは、憎しみは、しかし、目の前の女に睨みつけられただけで萎縮し、どこかへと消え去ってしまっていた。

――まだ壊れたくない。無事なまま、旦那様の元に帰りたい。

 ノアールは臆してしまっていた。目の前で無残に壊れたエリーセルを見て、『ああなりたくない』と思ってしまったのだ。
目の前の女は、自分が挑みかかってくれば間違いなくエリーセルと同じように、再起不能なまでに破壊してくるだろう。
壊されたくなかった。可愛い人形のままで居たかった。そんな臆病な願望が、身体を圧し留めていたのだ。
「わ、私は……」
それでも。声を絞り出し、ノアールはエリーシャを睨み付けた。いつの間に溢れたのか、涙を頬に伝わせながら。

「私は、旦那様の……旦那様の人形ですわ。た、例え壊されたって、私は、旦那様の指示のまま、命じるままに動いて見せなければ――私達の存在が嘘になってしまいます!!」

 負けると解っている戦いに、壊されると解っている戦いに挑む。
両手の短剣を逆手に持ち、一気に駆け出す。驚異的な速度だった。
「そう、残念ね」
言いながら、しかし引き下がるとは思ってなかったエリーシャは、その速度にすら対応して見せた。
懐に入ろうとするノアールをバックステップでかわし、真横に飛んで壁を蹴って後ろに回りこむ。
「壊れなさい!!」
迷い無く、回し蹴りがノアールの頭部を狙っていた。
それを横の円運動で避け、勢いを殺さず左手の短剣で切りつける。
「くっ!!」
一撃を狙いすぎたからか、かわしきれなかったエリーシャの腹部を刃先が掠る。
勇者との戦いでボロボロになっていたアーマーが、その一撃ですっぱりと下の布地ごと斬れてしまう。
アーマーの間に開いた横長の穴から、エリーシャの綺麗な肌がちらりと見え隠れする。
「まだまだっ!! 死ねっ!! 死んでしまえっ!!」
エリーシャが知る由も無いが、それぞれが一撃必殺の威力を持つドラゴンスレイヤーによる斬撃なのだ。
まともに喰らえばひとたまりも無い。今のエリーシャを守っているのは、衛星魔法の自己ブーストと彼女自身の戦闘経験のみなのだから。
(こんな所で死んで――たまるか!!)
視認すら難しい速度で振り回される短剣を、反射神経と勘でぎりぎりかわしていく。
その度に鎧が、服が切り刻まれ、きめ細かな肌に傷を作っていく。
しかし、下がる事はしない。この間合いは、エリーシャにとっても都合のいい間合いなのだ。
何より、一歩下がって態勢を立て直して、なんて余裕は既になかった。
余裕で見下していたように見えたエリーシャは、実際には魔力がいつ切れるかという瀬戸際の戦いを強いられていた。
長引けば長引くだけ不利で、魔力が切れたが最後、その動きを補助している衛星魔法は維持できなくなり、ノアールの動きに全く付いていけないまま一方的に惨殺されるというデッドエンドが待っている。

「うっ!!」
不意に、エリーシャがバランスを崩す。
見れば、エリーセルの身体が足下に転がっていた。
ひたすら回避に徹し、隙を窺っていたエリーシャだが、体力的な制約の無い人形の前に集中力を欠くこととなってしまった。
「これでっ!!」
それを見逃すノアールではなかった。
即座に左手の短剣でエリーシャの首を狙う!!
「ぐっ……あっ――痛っ……」
グシャリ、と、エリーシャの右肩に突き立てられる短剣。
辛うじて回避した、という様子で、即死だけは免れたものの、肩を骨ごとずしりと串刺しにされてしまっていた。
「やった!!」
初めて見えた勝機。ノアールは、予想外になんとかなってしまいそうで、思わず表情を崩す。
「そうね……やっちゃったわね」
そして、その腕を掴まれていた事に気付くのが遅れてしまう。
エリーシャは、口元をゆがめていたのだ。
「えっ――あっ……あぁっ!?」
ここで相手の意図に初めて気付き、ノアールの瞳は絶望に染まっていった。
「覚悟って大事よ……『どうなってもいい』って思うなら、『死んでも勝てればいい』って思うなら、割と何でもできる」
だらだらと血が流れ出る右肩をそのままに、掴んだノアールの手を手前に引く。
ノアールはそれだけでバランスを前のめりに崩してしまい、エリーシャに抱きしめられるかのようにその胸に倒れ込んでしまった。
「『次』があったら、覚えておきなさい!!」
そしてエリーシャは、ノアールが何かする前に、頭を掴み、そのまま地べたへと叩き付ける。
「あっ――」
奇しくもその先にはエリーセルのショートソード。
「エリ――セ――」
ぐしゃ。
嫌な音と共にノアールは壊れた。
彼女達は頭が弱点なのか、頭部が破壊された瞬間、その身体はただの人形そのもののように身動き一つ取らなくなっていた。

 だが、魔物や魔族を殺し慣れていたはずのエリーシャですら、これには苦しげな面持ちであった。
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