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4章 死する英傑

#10-4.推理小説のような現実

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 少しばかり前の時間。四階のトルテの私室の前では。
「……こんな所で何をしているのかしら? サバラン王子?」
「おやエリーシャ殿……いやなに、城内が暗くなったので、タルト殿が心配になりましてね。不肖ながらこのサバラン、タルト殿の警護の為、こうしてここで控えておりました」
トルテに何かあってはと、エリーシャは灯りを片手にトルテの部屋に向かったのだが、部屋の前でサバラン王子と鉢合わせていた。
挙動も不審で怪しく感じたので、エリーシャは容赦なく剣を向け、尋問していたのだ。
「本当にそうなのかしら? まさか事もあろうに、トルテに手を出そうとしたんじゃないでしょうね?」
「か、彼女に頼られれば、男としては応えなければならないでしょう。ですが、そうでなければそのような事は――」
直に剣を首筋に当てられ、王子は頬に汗を流していた。
「どうだか。まあいいわ。それよりトルテが居ないようだけど、これはどういう事かしら?」
部屋には鍵が掛かっていて、エリーシャにも入る事が出来そうになかった。
それでもノックすれば、中に誰かしら侍女が居て入れるはずなのだが、こんな時に限ってトルテの部屋には誰も居ないのだ。
「私は何も。それよりエリーシャ殿。私は城内の明かりが消えていることに不審を感じるのですが……?」
「私から見れば貴方も十分不審者だからね。トルテにつまらない事をしたら斬り捨てるわよ?」
エリーシャは、既に一介の勇者ではなく、この国の皇后だった。
その地位の重さは、一国の数居る王子の一人に過ぎないサバランなど比べ物にもならない。
エリーシャの一言は、サバラン王子には十分すぎるほど威圧的だった。
「……胸に留めておきますよ」
「よろしい。貴方も部屋に戻りなさい。私は衛兵をまとめて城内を警戒するわ」
これ以上この場に居座る事の不利を悟り、王子は自室へと戻っていった。


「全く、諦めの悪い……でも、こうなるとトルテ達がどこにいるのかが心配だわ。それに、シフォン皇子達も……」
彼女の心配は、主に皇帝の子供達に向けられていた。
剣技に優れ、屈強な衛兵に警護されている皇帝はあまり心配ないが、シフォンもトルテも戦闘技術など皆無で、刺客に襲われでもしたらひとたまりも無い。
一応シフォンの妻ヘーゼルは皇子付きの侍女だった事もあり、か弱そうに見えてもある程度の護身の心得はあるらしく、また、トルテも侍女が側に控えているはずだが、いずれにしても自分が以前戦ったアサシンのような腕利き相手ではなす術も無いだろう、ともエリーシャは考える。
「トルテを探そう。皇子の所にはきっと、衛兵が向かってるはず――」
単なる希望論に過ぎないが、エリーシャにとってはやはり、居場所不明なか弱い妹分が最優先であった。

 四階からの階段を降りた先にある迷路のような長い回廊。
給湯室の近くまできた所で、エリーシャは不思議なものが落ちているのを見つける。
「これは……」
カンテラの光に鈍く光る、親指ほどの大きさの銀細工の髪飾り。
南部に良く出回っている十字型のアクセサリーであった。
「なんでこんなものが……」
細工は手が込んでいて、決して安値で手に入るような代物ではないのはエリーシャにも見て取れた。
あまり目立つ大きさではないし、誰かが何かの拍子に落としてしまったのかもしれない。
そう思い、エリーシャはそれを懐にしまいこむ。
今は、そんな事を考えている暇はないのだ、と思い返して。
その矢先である。

『きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!』

 乙女の絶叫が、城に響いていた。
「――トルテっ!?」
すぐにそれが自分の妹分のモノであると覚ったエリーシャは、カンテラを片手に、声の方向に走り出した。
視界など関係なく、身体がそのように動いたのだ。



「トルテ!!」
エリーシャが同じ階層の反対側にいたトルテの元に辿り着いた時には、既に何人かの衛兵がトルテの側に控えており、彼女の身の安全は確保されていた。
都合よく燭台が点され、明るくなっていたので、トルテの安全はすぐに確認できた。
「姉様……来てくれたのですね。良かった……」
トルテはエリーシャの顔を見て安心したのか、ほう、と大きく息を吐く。
「一体どうしたの? さっきの声は、何が……」
エリーシャも安堵したが、トルテの視線の先で侍女ラズベリィが座り込んでいるのを見て、頬を引き締める。
「これは……」
「何者か、得体の知れない女性に襲われ、負傷したのです」
見ると顔色が悪く、どのようにしてそうなったのかは不明ながら、顎に四つ、痣のようなものがつけられていた。
「その、得体の知れない不審者っていうのはどこに行ったの?」
「窓をがしゃーんと割って、そのまま落下していきましたわ。三階だって教えたのに……」
「……さすがに人間なら死ぬ高さよねぇ」
トルテの指差す通り、割れた窓から外を眺める。
月が雲に隠れ暗かったが、その眼下に広がる地面に、それらしき死体や痕跡は残っていなかった。
「私も、その方がどうなったのか確認するより前に、ラズベリィが心配で、そちらばかり気にしていたので……」
「とりあえず貴方達が無事でよかったわ。不審者が野放しなのは気になるけど――」
とりあえず最悪のパターンは免れた形である。
残る心配の種をどうしたものかと考えをめぐらせようとした矢先、リーダーらしき女性の衛兵が一歩前に進み出る。
「ご安心を。現在我が隊の衛兵数名により、不審者の探索を行っている最中です」
帝国女性としては珍しい黒髪黒目。ウェーブがかった髪の妙齢の女性である。
腰には他の衛兵と違い、銀細工のショートソードをつけていた。
「そう。ご苦労様」
不審者の追跡は彼女達に任せれば問題ないだろうと思い、適当に労いの言葉をかける。

 トルテの絶叫が聞こえた際、真っ先に駆けつけたのはこの女性衛兵の部隊だったのだという。
隊長が女性だったというのは、トルテの性質的に、とても都合がよかった。
仮に男の衛兵ばかりの部隊がきたとしたら、トルテはストレスフルな状態に置かれていたに違いなかったからだ。
そうなってくるとトルテはここまで冷静さを取り戻せていなかったろうし、状況把握もスムーズにはいかなかったかもしれない。

「とりあえず部屋に戻りましょう。ラズベリィの手当てをするにも、ベッドがあるほうがいいでしょうし。あなた達、悪いけど、この娘を部屋まで運ぶのを手伝って頂戴」
とりあえずこの寒いのに負傷したらしい侍女を回廊に置いたまま、というのは別の意味で危険な為、その場の全員に移動を促す。
「かしこまりました。ラズベリィ殿、立てますか? 立てないようでしたら、失礼ながら私が――」
エリーシャの指示を受け、衛兵隊長がラズベリィに手を差し出す。
「……えぇ、ありがとうございます。なんとか立てますわ」
その手を受け、ラズベリィはゆっくりと立ち上がった。まだ足に震えがあるらしく、しっかりとは立てない様子であった。
「肩をお貸しします。ゆっくり進みましょう」
「悪いわね……」
衛兵隊長は慣れた手つきで介助していく。女の身ながら、自分と同じ位の体格の女性を軽々と支えていた。
「手際がいいわね。そういうのって、衛兵の訓練課程で教わったりするの?」
その様に感心したエリーシャは、隣を歩きながら隊長に笑いかけた。
「いえ、私は……母が生まれついて足が悪かったので、その関係で……」
「なるほどね。貴方、名前は?」
「私は前隊長フランシスの娘、エリーゼと申します。どうか以後、お見知りおきを」
エリーシャとしては緩やかな雰囲気で話したつもりだったが、エリーゼはそうでもなく、きりっとした面持ちのまま答えた。
「フランシスというと……ゴーレム襲撃の際に、陛下の側で戦死したという……」
「はい。父は役目を果たし、亡くなったと聞いております。私も父に負けぬよう、立派に務めを果たしたいと思い、若輩ながら衛兵隊長に志願いたしました」
色々つらい事もあるだろうに、揺らぐ事無くまっすぐに見つめるこの衛兵隊長に、エリーシャはどこか自分を重ね合わせてしまっていた。
「そう。私も父を戦地で失ったわ。辛い事もあるでしょうが、頑張り過ぎないようにね」
「はぁ……? はい」
こういう時、普通は『頑張ってね』と元気付けるものであるが、エリーシャはそういうのはもういいだろうと思っていた。
こういう境遇になれば解る。周りから嫌というほど言われるのだ。『がんばって』と。
だがそれは、言われた人間にとって段々苦痛になっていくのも痛いほど解っていた。
「貴方は強いかもしれないけど。頑張りすぎるとね、壊れちゃうから」
辛いのに。助けて欲しいのに、『頑張れ』と突き放されているように感じてしまうのだ。人はそんなには強く出来ていない。
「だから、背負いすぎないでね。フランシスの娘じゃなく、エリーゼという一人の隊長として、今の職務を全うして頂戴」
「……ありがとうございます。エリーシャ様。ええ、私は私として、自分の職務を果たします」
「うん。それでいいわ」
エリーゼはやはりきりっとしたままであるが、次第に点されていく進行上の灯りに照らされた顔は、少し緩んでいたように見えた。


「それで、結局なんでトルテ達はあんな所に居たの?」
部屋に戻り、ラズベリィをトルテのベッドに座らせると、衛兵らは部屋の外に待機させ、二人が何故あの場所に居たのかを聞くことになった。
「寝る前にミルクティーを飲みたいと思いまして。ただ、丁度お湯が切れていたので、給湯室までラズベリィに取りにいってもらってたんです」
「給湯室に? それがなんでまた……」
トルテの部屋は四階にある。そして給湯室は三階。
トルテの部屋から少し離れた先にある階段から降りてすぐの場所である。
「それが、湯をかけるために使う火材が尽きておりまして」
ラズベリィも多少は調子が良くなったのか、エリーシャの質問にはすらすらと答える。
「反対側の貯蔵庫まで取りに行ったところで、襲われたっていう事?」
「大体はそうなのですが、一つ不審な点があったので、その確認も含めてですわ」
「不審な点……?」
「確認していただければ解る事ですが、給湯室のダストボックスに、大量の蝋燭が捨てられていたのです。それも、どれもまだまだ使えそうなものばかりが」
「つまり、城の灯りを消した犯人が、給湯室に蝋燭を捨てたっていう事かしら?」
「恐らくは。ですが、その犯人を突き止める前に不審者に襲われ――」
ラズベリィの証言は、しかしエリーシャに強い違和感を感じさせた。
「普通に考えて、貴方を襲ったのがその犯人なんじゃないの?」
探りを入れようとしたのが鬱陶しく見えたのか、それとも単に目に入ったから襲っただけか。
いずれにしてもそう考えるのが自然だとエリーシャは思ったのだが、ラズベリィは小さく首を横に振った。
「多分、違いますわ。仮に灯りを消した犯人が私を襲った女だったとしたなら、私を襲う理由がありませんもの。彼女は多分、道を尋ねようとしただけでしょうし」
「えっ? 道って……どういう事?」
よく解らないことを言い出した侍女に、エリーシャは混乱し始める。見ればトルテも頭にクエスチョンが浮かんでいるようだった。
「あの女はエリーシャ様を探していたようでしたから。黒髪の、やたら背の高い女でしたけど。お知り合いか何かでは?」
こんな高かったんですよ、と、自分の手を目一杯伸ばして説明してきた。
「……いや、いくら私でも、不審者に知り合いなんて――」
いないわよ。そう言いたかったエリーシャであるが、残念な事に思い当たってしまった。
「……ごめん、居たわ」
「えぇぇ……」
「皮肉のつもりで言ったのに本当にいるだなんて」
これにはトルテも侍女も苦笑いである。
「あの女魔族、わざわざ私の所まで何の用だったのかしら?」
「魔族っ? その、あの人は魔族だったのですか?」
驚いたのはトルテである。今更というかなんというか。
「まあ、外見は人間っぽいけど、もし私の知ってる奴だったらとんでもない化け物よ。よく追い返せたもんだわ」
「その方、私にも襲い掛かってきたのですが、それは気合でなんとかしました」
なんとかできるはずがないじゃない――
思わずそうツッコミそうになったエリーシャであったが、現実問題トルテが無事な以上、なんとかなってしまったのだろうと思い返した。
それ以上は考え始めてもキリがないので、務めて冷静に、状況をまとめようと考えた。

「うーん……そいつの狙いが私だったとして、そうなると、逆に灯りを消した犯人が気になるわ。女魔族の侵入に手を貸した奴が居たって事?」
「さあ、そこまでは……ただ、これはあくまで何の確証も無い話ですが、『偶然』そうなっただけ、という事もありえますよね」
事態は一変して推理小説の様相を呈していた。
謎の侵入者の正体はなんとなしに掴めたものの、そんなことになった状況を作ったのが誰なのかも、その目的も解らないのだ。
「大体、城内には少なくない数の衛兵がいるはずだし、各フロアの蝋燭を盗んで回るなんて簡単にはできないはずなんだけど……」
「一応、その後の衛兵の方達の調べで、兄上達も、お父様も無事らしいというお話は聞きましたが……」
三人して「うーん」と悩んでしまう。解らない。

「そういえば、給湯室の近くでこんなのを拾ったけど、これは貴方の?」
考えて思い出したのは、給湯室前に落ちていた銀細工の髪飾り。
トルテは銀細工よりは金細工や木細工の飾りを好むので、消去法でラズベリィのものなのでは、と考えたのだ。
しかし、手渡された髪飾りを見るも、これにもラズベリィは首を横に振る。
「私の物ではありませんね。ですが、南部ではよく見かける造型だと思います。教会の関係者なんかがよく持ってますわよね」
「そうね、私もこの十字自体は見たことあるわ。女神のシンボルマークだかなんだかとか言って後生大事そうに持ってた司祭も居たし」
南部で宗教的な意味合いを持つと言われる十字であるが、逆にだからこそ中央部では違和感の尽きない代物である。
今の中央では教会アレルギーによってそういった色を持つ物は忌避されがちだし、アクセサリーとしてもあまり好まれないからだ。
「エリーシャ様のネックレスも十字ですよね。あまり見ない形ですが」
目ざとくエリーシャの首もとの逆十字を見て、ラズベリィは指差す。
「ああ、これは以前ベルクハイデで買ったものだわ。何かのマジックアイテムらしいわよ?」

 結局どのように使うのかも、どんな効果があるのかも具体的には解らないままだったが、造型が気に入ったのでそのままアクセサリーとして使っていた。
元々チェーンがつけられていて首に通せるようになっていたのだが、それだけで中々に気の利いたネックレスとなるのだ。
普通の十字とは異なるこの逆十字のネックレスを大帝国の皇后が身に着けるというのは、教会に対しても中々に皮肉が利いていていい、と見た者は納得することが多い。
トラウマの都合上、十字を嫌うトルテも、何故かこの逆十字には抵抗は示さない様子なので、エリーシャも気にせず使っている。

「でも、この髪飾りが貴方の物じゃないとなると、場合によってはこれは……」
「ええ、灯りを消した犯人が落としたもの、という可能性がありますわ」
「侍女や侍従の中にだって、私やお父様が十字嫌いなのを知ってるでしょうから、わざわざそんなものをつける人がいるとは思えませんわ」
あの黒髪の女魔族が落とした可能性も全く無いとは言い切れないが、三人は魔族なら魔界のアクセサリーをつけるだろうし、と、低い可能性は切り捨てる事にした。
「何にしても、しばらくは警戒が必要そうですね」
「そうね。陛下にかけあって城内の警戒を強めてもらいましょう」
今後どうなるのか解らない。ただ、このような事があるのなら、次に何が起きても不思議ではないのだ。
「何事もなければいいんですけど……」
不安げに呟くトルテに、エリーシャもラズベリィも顔を見合わせ、小さく息を吐く。
城内の意外な盲点を突かれた今回の事件は、その場にいた全員に大きな不安を感じさせたのだった。
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