上 下
136 / 474
4章 死する英傑

#3-3.バナナマフィンとストレートティー

しおりを挟む

「やっぱり、貴方は面白いです。ラズベリィ」
「そう言っていただけたのは、姫様が初めてですわ。何せ、顔見知りは皆『いい加減落ち着け』とか『必死すぎる』とか言ってからかってきたもので」
大きな溜息をつきながら、侍女は苦笑いをする。
この、見た目同い年位の侍女は、自分が思ったよりも色々と面倒なしがらみに囚われているのでは、なんて思ってしまっていた。
「特に毎回のように会う相手が居りまして。もう最悪な奴で、事あるごとに私の事をからかうのですよ? 困ってしまいます」
「男性の方?」
「いいえ、同性ですわ。多分」
「多分って……」
「確認しておりませんもの。玉虫色ってご存知ですか? とても曖昧な奴でして、その場その時で二転三転、立場や態度を変えるのです」
ひどくひねくれたものの見方をするなあ、と思いながらも、トルテにもその彼女と相手との関係があまり良好ではないらしい事は、言葉の端から感じられた。
「性根の腐った女って性質が悪いですわ。自分の娯楽の為だけに、人に重い枷をつけて笑ってるんですもの」
ぐぬぬ、と悔しそうにややぶちゃいくな顔をしてしまう辺り、よほど相性が悪いらしい。
聞いてる限りその関係はかなり一方的で、そして被害は主にこの侍女に降りかかっているらしいのもよく解った。
「そんなに嫌な相手なら、関係を断てないのですか?」
「断てるなら断ちたいですわ。断てないから悩みの種なんです」
最早侍女の目には諦観が漂っていた。
嫌いだけど、絶対に会いたくないけど、遭遇してしまう災難。災厄。そんな存在なのである。
「まあ、あまりお知りにならない方が良いですわ。噂をするとどこからか聞きつけて現れるような奴ですから。結構ミーハーというか、物好きというか、自分が愛されたいっていう奴だから、自分のことになるとすごく耳が敏感になるらしいです」
等と言いながら、部屋の隅々をあっち見たりこっち見たりして警戒する。
まさか、こんな場所に突然現れるとでも言うのか、それともそういうポーズなのか。
トルテは面白くなって笑ってしまった。
「不思議な人ですわ。こんなわずかな時の間に、色々な貴方が垣間見えて。人って、色んな面を持っているものなのね」
それは一つの真理であった。
それがそんな深遠なモノであるなどとトルテは気づきもしないが、大切なことなんじゃ、と思い始めていた。

 人とは、決して一面的な生き物ではない。
様々な方向、角度から見れば、それは全く別の人間に感じるほどに多面・多角的な生き物で、見る側・見られる側、どちらの心の状態が違っていても、決して同じようには見えないようになっている。
忘れられがちだが、トルテにも普段の大人しい面もあれば、アルム家特有の過激で暴走しがちな面もあり、そして、とても暗い心の闇を抱えてもいる。
彼女を想うラムクーヘンの王子にしてみればその時その時でトルテの性格は違うようにも映るかもしれない。
国民は彼女を可憐で博愛的な皇女だと思っているようだが、それはあくまでトルテが体面的に取っている皇族としての姿勢にすぎず、普段のトルテは割と偏執的で、人見知りが激しく、そして一人がとても苦手である。
トルテから見たこの侍女も、そんな風に場面場面によって彼女の見え方が異なるのだから、世の中の全てが、一方向からだけでは全てを見る事が出来ないでは、と、思い始めていた。

「その通りですわ。全ての事象が、決して一元的なものの見方では把握しきれないのです。人は、多くの場合、他人の事を完全には知りえない」
物事を多元的に見るというのは、とても難しい。
人に心というものが在る限り、人と人の間に個性が存在する限り、それは不可能に等しい。
言いながら、侍女は机の上に転がったままの眼鏡を手に取る。
「人は、眼鏡をかけているものですから。自分の眼に映るものを、そのままに直視することが出来ないのです」
優しく微笑むその様は、まるで教師のようであり。
どこか達観したような、全てを知ってしまっているような顔であった。
「姫様には、私はどのように映っているのでしょうか? 私は、姫様がご自身で思っているままの姫様を、この眼で見ることができているのでしょうか?」
「……解りません。まだ、難しい事は、私には解らないのです」

 侍女の言おうとしている事は、トルテにもなんとなしに解っていた。
だけれど、侍女の言葉に答えられるような、説明できるような言葉を、トルテは持ち合わせていなかった。
本の虫だというこの侍女の、深遠な思考回路。
どれだけの数の本を読めば、どのような経験を重ねていけば彼女のような言葉を紡げるようになるのか。トルテには想像もつかない。
だが、答えられないトルテに、侍女は心底嬉しそうに目を細め、頬を緩めていた。

「それでいいのですわ。人の本質を、全てを知る事は、案外何も知らないよりも辛い事なのかもしれませんし」
「何故ですか……? それができれば、きっと、今まで以上にいろいろな事を理解できるようになりそうなのに」
「話は戻りますが、先ほどの知り合いが言っていたのです。『そんなつまらないものは、かなぐり捨ててやりたい位だわ』と。とても辛そうな顔で、言うのです」
馬鹿な奴ですよね、と苦笑する侍女であったが、そんなに嫌う相手だというのに、哀しそうな表情をしていた。
「知らない方が良い事も、世の中には沢山ありますわ。知ってしまったが故にその世界を生きるのが辛いと感じる事もあるかもしれません。全てを知るという事は、知りたくないことまで知ってしまうという事に他なりません。それを、全てを受け入れられる覚悟がない者は、知るべきではないのかも――」
「……私には、まだその覚悟はありませんわ。だって、わずかな人の心の闇が怖いですもの。親しい人が、もし私の事を疎んじていたのだとしたら。その人にとって、私が枷となってしまっていたのだとしたら。ラズベリィ、私には自信がありません。大好きな人達が、私の事を本当に愛してくれているのかも、解らないのです」
不安げに、紅茶は揺れる。
食べかけのマフィンは冷めてしまっていて、部屋を覆っていたあの良い香りはもうしなくなっていた。
「だから、もっと知らないといけないと思って。世界の事を、姉様の役に立てる、『何か』を探す為に、私は勉強しなくてはいけないのです」
「貴方は、とても恵まれているように感じますわ。そう思える相手が、姫様には居るのですから。人は、恋をすると不安になると言います。それは、決して異性相手ではなくとも、同性相手であっても、恋愛感情ではなく、恋というのは存在するのです」
「恋……?」
「一方的な気持ちですわ。相手のことを想い、だけれど、相手が自分をどう思っているのか解らない。自信をもてない。胸を張って『私は愛されている』と思えない。それは誰が相手であっても恋と呼ぶのだと、私の故郷では知られています」
あくまで故郷での話ですが、と付け加えながら。
侍女は冷めた紅茶とマフィンを下げ、いつの間に淹れたのか、温かな香り漂うカップをトルテの前に差し出す。
「相手の辛い事まで、知って欲しくない事まで知り、そして、相手が知りたいと思う、知りたくないと思う事まで相手に知られる。全てを受け入れ、受け入れてもらい、そして相思相愛となって、初めて愛が生まれるのです。私たち人間は、そうまでしないと、真に分かり合えない、とても不便な生き物なのですわ」
「……私は、そういう愛を知りません」
「私も知りませんわ。多分、一生解らないままでしょう。結婚していたって、夫は妻の事を全部知りえる訳ではないですし、妻は夫の好きな事嫌いな事、その半分も解れば良いほうなのでは?」
だから人は愛したいと思いながら愛されたいと思いながら人に恋をするのです、と、侍女が綺麗にまとめた。
カップを持った手は温まり、トルテの鼻元にはまた、マフィンの甘い香りが漂っていた。
「二個も食べられませんわ。太ってしまいますもの」
「そうでしょうか? 不思議と、一つでは食べた気がしないのでは、と思ったのですが」
「……確かに、そんな気もしますが」
言われて見れば妙なもので、食べかけていたとはいえ、一つのマフィンを食べたばかりだというのに、お腹の中にものが収まっているように感じない、不思議な感覚があった。
「さあ、難しいお話はもうやめにして、今度こそ、美味しいバナナマフィンと紅茶を味わってくださいませ」
それに違和感を感じる暇もないまま、澄ました顔で微笑む侍女に言われるまま、トルテは再び、温かなマフィンを小さく手で割り、口に運んでいったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

強奪系触手おじさん

兎屋亀吉
ファンタジー
【肉棒術】という卑猥なスキルを授かってしまったゆえに皆の笑い者として40年間生きてきたおじさんは、ある日ダンジョンで気持ち悪い触手を拾う。後に【神の触腕】という寄生型の神器だと判明するそれは、その気持ち悪い見た目に反してとんでもない力を秘めていた。

虚無からはじめる異世界生活 ~最強種の仲間と共に創造神の加護の力ですべてを解決します~

すなる
ファンタジー
追記《イラストを追加しました。主要キャラのイラストも可能であれば徐々に追加していきます》 猫を庇って死んでしまった男は、ある願いをしたことで何もない世界に転生してしまうことに。 不憫に思った神が特例で加護の力を授けた。実はそれはとてつもない力を秘めた創造神の加護だった。 何もない異世界で暮らし始めた男はその力使って第二の人生を歩み出す。 ある日、偶然にも生前助けた猫を加護の力で召喚してしまう。 人が居ない寂しさから猫に話しかけていると、その猫は加護の力で人に進化してしまった。 そんな猫との共同生活からはじまり徐々に動き出す異世界生活。 男は様々な異世界で沢山の人と出会いと加護の力ですべてを解決しながら第二の人生を謳歌していく。 そんな男の人柄に惹かれ沢山の者が集まり、いつしか男が作った街は伝説の都市と語られる存在になってく。 (

異世界で俺はチーター

田中 歩
ファンタジー
とある高校に通う普通の高校生だが、クラスメイトからはバイトなどもせずゲームやアニメばかり見て学校以外ではあまり家から出ないため「ヒキニート」呼ばわりされている。 そんな彼が子供のころ入ったことがあるはずなのに思い出せない祖父の家の蔵に友達に話したのを機にもう一度入ってみることを決意する。 蔵に入って気がつくとそこは異世界だった?! しかも、おじさんや爺ちゃんも異世界に行ったことがあるらしい?

劣等生のハイランカー

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
ダンジョンが当たり前に存在する世界で、貧乏学生である【海斗】は一攫千金を夢見て探索者の仮免許がもらえる周王学園への入学を目指す! 無事内定をもらえたのも束の間。案内されたクラスはどいつもこいつも金欲しさで集まった探索者不適合者たち。通称【Fクラス】。 カーストの最下位を指し示すと同時、そこは生徒からサンドバッグ扱いをされる掃き溜めのようなクラスだった。 唯一生き残れる道は【才能】の覚醒のみ。 学園側に【将来性】を示せねば、一方的に搾取される未来が待ち受けていた。 クラスメイトは全員ライバル! 卒業するまで、一瞬たりとも油断できない生活の幕開けである! そんな中【海斗】の覚醒した【才能】はダンジョンの中でしか発現せず、ダンジョンの外に出れば一般人になり変わる超絶ピーキーな代物だった。 それでも【海斗】は大金を得るためダンジョンに潜り続ける。 難病で眠り続ける、余命いくばくかの妹の命を救うために。 かくして、人知れず大量のTP(トレジャーポイント)を荒稼ぎする【海斗】の前に不審に思った人物が現れる。 「おかしいですね、一学期でこの成績。学年主席の私よりも高ポイント。この人は一体誰でしょうか?」 学年主席であり【氷姫】の二つ名を冠する御堂凛華から注目を浴びる。 「おいおいおい、このポイントを叩き出した【MNO】って一体誰だ? プロでもここまで出せるやつはいねーぞ?」 時を同じくゲームセンターでハイスコアを叩き出した生徒が現れた。 制服から察するに、近隣の周王学園生であることは割ている。 そんな噂は瞬く間に【学園にヤバい奴がいる】と掲示板に載せられ存在しない生徒【ゴースト】の噂が囁かれた。 (各20話編成) 1章:ダンジョン学園【完結】 2章:ダンジョンチルドレン【完結】 3章:大罪の権能【完結】 4章:暴食の力【完結】 5章:暗躍する嫉妬【完結】 6章:奇妙な共闘【完結】 7章:最弱種族の下剋上【完結】

異世界帰りの底辺配信者のオッサンが、超人気配信者の美女達を助けたら、セレブ美女たちから大国の諜報機関まであらゆる人々から追われることになる話

kaizi
ファンタジー
※しばらくは毎日(17時)更新します。 ※この小説はカクヨム様、小説家になろう様にも掲載しております。 ※カクヨム週間総合ランキング2位、ジャンル別週間ランキング1位獲得 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 異世界帰りのオッサン冒険者。 二見敬三。 彼は異世界で英雄とまで言われた男であるが、数ヶ月前に現実世界に帰還した。 彼が異世界に行っている間に現実世界にも世界中にダンジョンが出現していた。 彼は、現実世界で生きていくために、ダンジョン配信をはじめるも、その配信は見た目が冴えないオッサンということもあり、全くバズらない。 そんなある日、超人気配信者のS級冒険者パーティを助けたことから、彼の生活は一変する。 S級冒険者の美女たちから迫られて、さらには大国の諜報機関まで彼の存在を危険視する始末……。 オッサンが無自覚に世界中を大騒ぎさせる!?

無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~

ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。 玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。 「きゅう、痩せたか?それに元気もない」 ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。 だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。 「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」 この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。

処理中です...