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3章 約束
#5-1.老人の死
しおりを挟む大陸南中央・リダ陸海諸島部。
海という巨大な障壁によって長らく魔王軍南部方面軍を足止めし続けていた諸島部諸国は、この日、最後まで抵抗していたリダ公国が滅亡した事によりその防衛ラインを喪失。
大陸南西部と中央部とを結ぶ中継地点として、そして南部防衛の要衝として機能していたこの内海地方を失った事は、後方に広がる南西部大平原や中央平野部諸国にヴァンパイアの脅威を感じさせるに十分な出来事であった。
多くのヴァンパイアは流水を苦手とし、陽を極端に嫌う。
ゾンビやグールは陽の下や雨の中水の中では活動できず、灰と化してしまう。
ラルヴァやゴーストといった亡霊は魔法攻撃に極端に弱く、島での防衛は魔法部隊による弾幕の形成によってある程度防ぐ事が出来た。
しかし、それも終わる事のない消耗戦を強いられ、疲弊した所に夜襲を仕掛けられ、為す術なく喰い破られてしまったのだ。
後に残ったのは亡霊と化し敵の戦列に並ぶ哀れな元島民達である。
そして、戦力を増強させたヴァンパイア軍団は、今度は陸ばかりが続く、何も足止めするもののない地域へと進軍していく。
強力ではあるが進軍速度はそれほどでもないと言われていたヴァンパイア達は、しかし、人間達の想像を遥かに超えた速攻によって数々の都市や村に襲い掛かり、同胞を増やしていった。
現地軍が正面から戦う事などできるはずもなく、やむなく村や都市を焼き払い、焦土作戦を展開することによってその進軍速度の減衰を図る事となった。
大陸において近年まで安全圏であると言われていた南西部は、その備えもほとんどがキメラ対策に使われていた為、正面から襲い来るヴァンパイアの恐怖に対抗する措置は存在していないかに見えた。
人々は恐怖し、ゾンビやグールになどなりたくないという一心で教会に駆け込み、わずかなりとも奇跡にすがろうとしていた。
この年の聖地エルフィルシアへの巡礼者の数は近年平均の十倍以上に膨れ上がった。
それまでどれほど信仰が疎かにされていたのかが良く解る事態である。
南部を実質支配する教会組織はこれに危機感を覚え、テンプルナイツを中心に大規模な反攻作戦を展開する。
長きに渡るキメラ討伐によって南西部のキメラは減少し、今になってようやく、軍がまともに展開できるようになったのだ。
教会の聖人達が有する『聖魔法』や『奇跡』によって亡霊やゾンビ、下級ヴァンパイアへの有効な反撃が行われ、一瞬だけ勢力を盛り返したかのように見えた。
しかし、それもこの局面となっては時既に遅く、多方面へと展開されたヴァンパイア軍は、反抗軍をあざ笑うかのように広く、深く侵攻していったのだった。
大陸南西部、リーシア特別領・エルフィルシア。
大聖堂の上階、ある大司教の私室にて。
老齢の大司教が一人、口から血を吐き、倒れているのが発見された。
すぐに医師の元へ運ばれるも間に合わず、天に召された後であった。
死因は心臓の病によるものと公表され、教皇を始めとし、多くの信徒を嘆かせる事となったが、真実とはいつも伏せられるものである。
「……お爺様の死因が、毒殺であった可能性があったと?」
大聖堂の一室。エレナ司教の私室では、その死を訝しがる者達が集まっていた。
彼らを集めたのは、グレメア大司教の懐刀と言われていたバルバロッサである。
「いかにも。今回グレメア様を診たのは、大元を辿ればセレッタ大司教が運営する医学院出身の医師なのです」
バルバロッサは、集まった者達に、今回の顛末の予想を語って聞かせていた。
エレナ司教は思うところあってか、その話に聞き入る。
「エレナ司教、貴方がグレメア様を発見した時、何か変わった様子は?」
「えっ……そ、そうね……少し待って」
聞くだけにしようとしていたのに問われ、不意を突かれたエレナはとりあえず言われたまま、その時のことを思い出そうとする。
「その時に、グレメア様はまだ生きていた」
「そうね……まだ息はあったわ。かすかにだけれど、確かに生きてらっしゃったのよ」
身内の死の間際の光景である。あまりいい気はしないのか、エレナは俯いてしまった。
「辛い事を思い出させて申し訳ない。心臓の病等と言うが、それが具体的にどのような病気なのかははっきりと公表されていないのです。そして、それほど重い病であるならば、グレメア様と一番近い位置に居るエレナ司教がそれに気づかぬはずがない」
「確かに……エレナ司教、グレメア大司教は、最近は健康を害されていたりなどはしていなかったのですか?」
バルバロッサの話に賛同してか、中年の、あごひげを蓄えた司教がエレナに問う。
「お爺様は健康に気を遣っていたし、何より、心臓の薬なんてものは服用していなかったはずよ」
「では、やはり――」
今回の医師の判断には、疑うべき余地がある。
その方向でメンバーが納得しようとしていた所で、ドアが、ドン、ドン、ドンと、やかましく三回ノックされた。
「誰かしら……」
何事かと、エレナが扉を開ける。
「おや、皆さん、お揃いで」
扉の前に立っていたのは、豪華な装飾の司教服に身を包んだ中年男だった。
「……デフ大司教様」
不機嫌そうに見上げるエレナに、人のよさそうな笑顔を向け、デフ大司教は腰を曲げる。
「この度は、お爺様が亡くなられた事、誠に残念に思っておりますでな。こうして、申し訳程度なれど、ご挨拶をば」
真赤のズケットを手に取り、言葉ばかりで忌礼する。
「わざわざのご訪問、祖父も喜んでいることと思われます。この度は、親しい者達で祖父との思い出話などを語り合っている最中でした。よろしければ、大司教様も」
エレナも形式ばかりで返し、皮肉じみて静かに笑って返した。
「いや、私も参加したいのは山々なれど、教皇猊下と、今後の話し合いをせねばならぬのです。申し訳ないが――」
解りきった反応とは言え、わざわざ教皇との繋がりを言葉に出すというのは、エレナ始め、親グレメアの信徒達には屈辱他ならなかった。
「残念ですわ。ええ、本当に」
「では、これで失礼させていただく。魔族の侵攻も、ここにきてより激しさを増している。これをどうにか押し返さねば、な」
困ったように言いながら、その実嬉しくてたまらないかのように、デフ大司教は笑っていた。
「ああそうそう、グレメア殿の心の臓の病の話ですが、あれは混乱を抑える為、事実と異なった発表がされておりますでな、騙されませんように」
わざとらしく、一度背を向けてからまた、言葉を繋いだ。
「なっ――」
騒然となったのは言うまでもない。
「全く、腹立たしい事に、セレッタめの息の掛かった者が、グレメア殿を暗殺したのだとか。愚かしい話ですなぁ」
「なんですって!?」
それは、その場にいた親グレメアの、誰もが予想だにしない事であった。
グレメア老を暗殺した側と思われていたこのデフ大司教が、事もあろうにそれを暴露したのだ。
「セレッタ大司教が……」
そしてまた、振り返る。人のよさそうな笑顔で。腰を低く曲げながらエレナの顔を見るのだ。
「そうは言っても、ご安心召されよ。不肖、このデフ大司教が、その名に賭けて教皇猊下に相応しきご采配を願う所存ゆえ」
にやり、と一瞬口元を歪め、中年大司教は背を向け、それ以上は何を言うでもなく去っていった。
「……」
後に残されたのは、互いに顔を見合わせ、困惑しきった様子の親グレメアのメンバーである。
「本当なのでしょうか……デフ大司教の言うままなら、セレッタ大司教は……」
集まった司教の一人が、震えながら呟いた。
「ありえないわ……デフとセレッタは互いに便宜を図る仲だったはずよ。それを、こんな簡単に……」
エレナは、目の前が真っ暗になったように感じていた。
これから祖父の暗殺を企てた者を追い詰めていこうとした矢先に、その犯人の一味だと思っていた相手から暗殺を肯定されたのだ。
これでは、どう動けば良いのかも解らない。
「足切り、ですか。デフにとってセレッタが邪魔になったのか、それとも、セレッタが暴走し、デフの予想外の行動を取ったのか」
「その為に……そんなことの為に、お爺様は殺されたと言うの……? そんな事の為に……」
ふらふらと後じさり、エレナは力なく椅子に腰掛ける。
「元々、グレメア様は彼奴らにとって邪魔この上ない存在だったでしょうし。しかし、こうなると我らの立場が危ういな」
バルバロッサは、顎に手を当て、今後の展開を考察する。
「どうする気かねエレナ殿。最早、我ら良識派は、教皇猊下とのパイプも断たれ、勢力を維持できなくなってしまった……」
「今回の件で、デフら俗物たちを糾弾する事によって形勢逆転を図ろうとしていたのだろうが、これではそれも――」
不安ばかりが募る。汚職にまみれた聖堂を嫌う、清廉な者達の集まりではあるが、やっている事は権力闘争に変わりない。
盛り返す事が出来れば、エレナを柱として建て直しも可能だろうが、その目処すら付かない。
「……屈辱的だけれど、ここはばらけましょう。今のうちに私から辞令を出すので、皆はデフの影響が及ばない地方に飛んで頂戴」
エレナが選んだのは、苦難への道のりであった。
「よろしいのですか。ここで何もしないでは、我々は、そして何より貴方は、報われる事のない日々を過ごす事になるのですよ?」
バルバロッサは、その道の険しさを、エレナに説いていた。
しかし、エレナは首を横に振って、「大丈夫」と鋭く目を細めた。
「覚悟は出来ています。今の栄誉を、地位を、取り戻すまでにどれだけ掛かるかも解らない。けれど、今ここで彼らに降ったのでは、俗物の流れに染まったのでは、我らの気高い志は穢れてしまうわ」
立ち上がる。右の拳を握り締め、左には祖父の形見の杖を持ち。
エレナは、強い意志の元、そこに立っていた。
「闘いましょう。信仰の為、後の世の為、真に女神を愛する信徒の為に」
「エレナ司教。感服いたします」
その様に、かつての主を思い出してか。
バルバロッサは跪き、かつて主に捧げた言葉を、エレナに向けていた。
「感服致します」
「エレナ殿、強く生きましょうぞ。我らの絆、我らの誓い。決して彼奴らに穢させはしません」
バルバロッサに倣い、司教達は膝を折る。
一人の女性司教の強い意志の元、ここに、反主流派勢力が誕生した。
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