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3章 約束
#4-1.ティティ湖での戦いの報告にて
しおりを挟む夏も始まろうという日差しの強い日の昼の事であった。
この日、エリーシャはクノーヘン要塞より戻り、ようやくにして帝都アプリコットへの帰還を果たしていた。
「これはエリーシャ殿、おかえりなさいませ」
自宅で身支度を整え、すぐさま登城したエリーシャを出迎えたのは、馴染みの門衛であった。
「ただいま。不在の間、お城は何事も変わりはなかったかしら?」
挨拶がてら、近況の把握の為に雑談をしたりする。
「そうですなあ。ラムクーヘンより王子がいらっしゃった以外はそれほどは……」
顎に左手をやりながら、スキンヘッドの門衛は思い当たる事を浮かべながら、首をかしげていた。
「へぇ、ラムクーヘンの、ねぇ……」
「詳しい事は知りませんが、たまに出てくる侍女の方の話だと、皇女様に関係があるのでは、なんて言われてますね」
エリーシャがラムクーヘンと聞いて思い出した内容と、丁度門衛が説明した内容がぴったりとあてはまった形となった。
「なるほどね。まあいいわ、ありがとう」
とりあえずの状況把握が完了し、合点がいったエリーシャは、静かに微笑みながら城へと入っていった。
「どういたしまして」
門衛はにかりと笑いながらその後姿を見送る。
その声が当人に聞こえていたかは関係なく、なんとなしに出た言葉であった。
「おおエリーシャか、良く戻ったな。クノーヘンでは災難だったと聞いたが」
謁見の間では、皇帝シブーストが機嫌よさげにエリーシャを待っていた。
予め使者を通して登城の報は伝えたからなのだが、それにしてもいつもながらの歓迎振りでエリーシャも思わず笑ってしまう。
「陛下、勇者エリーシャ、ただいまクノーヘン要塞より帰還いたしました」
儀礼的に挨拶をし、跪く。
「ははは、そんなにかしこまるな。それより、報せるべきことを伝えろ」
皇帝は気さくに笑ったが、しかし勇者としての義務も同時に求めていた。
自然、エリーシャも綻んでいた表情が硬くこわばる。
「はい。クノーヘン要塞での戦闘で、魔王ドール・マスターが出没いたしました。これにより、要塞の防衛戦力五千五百はほぼ全滅……正規兵の被害はそこまででもないですが、それに準ずる、貴重な傭兵や冒険者が失われました」
「魔王が動いたか……要塞の者達は不幸としか言い様が無いが、しかし、主な被害がそこだけに収まったのは救いと言えるな?」
実際の被害報告に関しては、詳しい数値も含めて予め報告書類という形で使者経由で皇帝に送ってあるので、今回エリーシャが報告するのはそれ以外の話であった。
その一つは、今話している魔王についてである。
「はい。今代においても魔王はとても厄介な存在ですから……兵を多く置けば、より甚大な被害となっていた可能性もあります」
エリーシャの知る魔王は、普段は良く解らない貴族然とした中年男であるが、実際の所その実力は計り知れないものであると彼女は思っていた。
「ですが、今回人的被害が要塞の人員に限られたのは、ショコラの宮廷魔術師兵団の力による所が大きいと思われます」
要塞の戦力はともかくとしても、奇襲とはいえ敵の主力と正面からぶつかり合い、だというのにも拘らず少ない損耗で敵を撃滅できたのは、彼らの力があってこそのものであった。
「ショコラか……何が起きていたのか、詳しく教えてくれ」
皇帝も思うところあってか、静かに話を聞く姿勢であった。
その目は既に笑っていない。為政者の眼であった。
「ショコラの魔術師兵団は、横一列に並び、杖を前に出した姿勢のまま、号令と共に閃光の様な魔法を放っていました」
その時の状況を思い出しながら、エリーシャは事の成り行きを皇帝に説明する。
「そして、その閃光は敵の軍団を薙ぎ払い、数多くの敵兵を倒したのです」
「複数の魔法使いがメテオやサンダーストームを防ぐ為に協力して防御魔法を使うことはあるのは知っているが、破壊魔法でそれをやったというのか?」
「いいえ、あれは合同で発動させた魔法ではなく、一人一人の放った魔法だったと思います。号令をかけた者が居て、その号令と共に一斉に発動させたのだと」
皇帝はメテオのような複数人で詠唱する超広範囲魔法を連想したのだろうが、エリーシャの見た光景はそれとは程遠い、どちらかといえば矢やスリングを一斉に放った時を連想させるものであった。
「魔法兵団の指揮官らしき女魔術師が言っていました。『砲撃開始』と。その言葉を聞き、号令をかける役の者が『砲撃魔法開始』と大声で叫んだのです」
「砲撃……今一どういう意味なのか解らんが、その魔法が強かったのか」
エリーシャも理解できない事ながら、皇帝はポリポリと頬を掻きながら、話を理解しようと努力していた。
「私も初めて見る魔法ながら、既存するどの魔法よりも無駄が少ないように感じました」
「無駄が……? すまんが魔法に関しては俺は素人でな、解りやすく説明してくれないか?」
聡明なる皇帝であっても、魔法の道については門外漢であるらしく、その理解はやはり限界が浅いらしかった。
エリーシャもその辺りは想定しており、「かしこまりました」と眼を瞑り、静かにそちらの説明を始める。
「フレイボムやサンダーストーム、アイシクルガストなど、広範囲な魔法は何かと無駄が多いのです。その範囲だとか、発動に至るまでの時間だとかが」
現代魔法の中でも特に対軍団戦向きと言われる広範囲魔法であるが、その多くはまず『目標の位置を把握し』、『目標の位置に発動させる為の計算をし』『目標の位置に発動させる為の儀式をする』という作業が必要であった。
つまり、敵が動かないならともかく、頻繁に動き回る敵相手ではその命中精度はたかが知れており、敵が範囲から外れれば計算をしなおさなくてはならなくなり、敵が肉薄したら発動など到底出来なくなってしまうのだ。
これらの無駄を軽減する為、広範囲魔法の際には計算担当の者、目視担当の者、儀式担当の者の三名体制で発動させる事が多い。
だが、この度お披露目された『砲撃魔法』は、単独での発動にも拘らず、恐らくはその辺りの問題点が解決されていた。
「今回の魔法はそれらの無駄がなく、例えば目標が動いたら、動いた場所に向けて杖を動かせばそのまま薙ぎ払ってくれるのです」
敵が動いても計算しなおす必要がない。再び発動させる為に儀式をする必要がない。杖を動かせばいいだけなのだ。
「発動に関しても、一人でかなりの範囲をカバーできていました。瞬間あたりの範囲では広範囲魔法には及びませんが、これを長時間『撃ちつづける事によって』敵の動きを完全に封じ込める事が出来るのです」
単発の魔法ではかわされれば次の発動までの隙が出来てしまう。
魔法使いにとってそれは致命的な時間の隙間であり、命の明暗を分ける数秒である。
そのタイムラグを『撃ち続ける』という全く新しい発想の元無視できるのだ。
「撃ち続けるというのは、連射が利くとかか?」
「いえ、ずーっと魔法が出続けるのです。そう、例えば……マジックアイテムでランタンがありますでしょう? あれのように」
すーっと、ジェスチャー気味に手を動かしながら、たとえを持ちだす。
「あれの灯りのようにずっと魔法が継続されるという事か」
「はい。途切れる事無くずーっと出続けるのです。そして、それは発動させている間、杖さえ動かせば方向を好きに変えられるのです」
どのような理屈でそうなっているのかはエリーシャにも解らないが、案外自分の持ち出したマジックランタンの例えは的を得ているんじゃないかな、などと自分で思っていた。
「解ったような解らんような……やはり魔法に関しては、直接目にしないと想像がしにくくていかんな」
皇帝はと言うと、やはりというか、複雑そうな顔でうんうん唸っていた。
「一つだけ明確に言えるのは、その魔法の一斉発射によって、敵軍約一万は一瞬にして壊滅した、という事実ですわ」
複雑怪奇な新型魔法の構造などエリーシャをしても把握しきれるものではない。
だが、その新型魔法によって自軍の被害を少なく抑え敵の大部隊に壊滅的な打撃を与えたという事実は、間違いなくそこに存在していた。
「大規模な戦に関して、通常の兵力が魔法兵にとってかわられる可能性があるという事か……」
「ショコラの魔法は、その多くが専門性が強く、実際に世の中に広まるまでには相当の時間を要すると聞きます」
皇帝の危惧は、しかしエリーシャ視点では現実には起こり得ないと思える程度のものであった。
その根拠が、ショコラの宮廷魔術兵団という存在である。
彼らの使う魔法は間違いなく世界において最先端を行くものであるが、それは宮廷において彼らが日夜勉学や自己研鑽に励み、途方もない時間と金と、時には外道な手法をも用いて仮定し理論付け実用に持っていくものである。
つまり、世界最先端のショコラだからこそ扱える技術を使っているに過ぎないのだ。
そんな技術は、ほとんどの国の民にとってはそのまま知った所でどうにもならないレベルのオーバーテクノロジーであり、当然理解できる者も限られてくる。
「彼らの魔法は間違いなく強力ですが、魔法に偏重され他の兵種がないがしろにされる事はないと思います」
「それならいいが……しかし、今回の件でショコラの国際的な地位は間違いなく上がっただろうな」
実質大帝国の戦力抜きでの魔王軍との戦で、史上稀に見る少ない損害での圧倒的勝利を収めたのだ。
この『魔法大国ここにあり』という報は、ほどなくして世界中に知れ渡るに違いなかった。
場合によっては、中央諸国の盟主という立場が揺らぎかねない事態である。
「友好国であるショコラがわざわざ帝国に仇為すような真似をするとは思えませんが……ですが、戦争に関してはこれからはこれまで以上に積極的に関わらなくてはいけなくなりますね」
これまで大帝国に従っていた中央諸国も、威厳なき盟主の元ではまとまるものもまとまらなくなるかもしれない。
そう考えるなら、戦争の華は大帝国が挙げなければならないのだ。
「そういう事になるな。エリーシャ、あまりお前を戦場には出したくないが、一つ……」
心苦しげにうつむく皇帝である。言わんとしている事を察して、エリーシャは微笑みながら立ち上がり、一歩前に出た。
「そんなお顔をなさらないで下さい。私は、国の為陛下の為、戦地に赴く事を厭った事はありません」
「すまんなあ。次の戦いでは、お前に指揮を執って貰うぞ。国の威信だとか、そんな事は言いたくはないが、ここでそれを失えば、この国の勢いも削がれてしまう」
共通の敵を前にして、人間は国同士の威信を気にしながら、互いの立ち位置を意識しながら戦うようになってしまった。
故あらば敵となるかもしれない盟友と肩を並べ、故を作らぬ為に後ろを気にする。
近年の人間世界の世知辛さは皇帝にも辛いものがあるらしく、憎々しげに、しかし諦観を以てそれを受けていた。
どうしようもないのだ。世界は変わってしまった。
大国の皇帝が一言言えば全てがそれに倣った、そんな時代ではなくなった。
国々は様々なものに疑心を抱き、人々は国そのものに疑いの目を向ける。
誰が何を信じれば良いのかも曖昧な世界。
唯一つ明確なのは、魔族という間違いの無い敵が居ること。
そして、そんな旧知の敵がいるにも拘らず、人間同士で壁を作り始めてしまっているという事実であった。
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