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2章 賢者と魔王
#6-1.魔王軍の変革
しおりを挟むある春の日の事である。
魔界は四天王筆頭・ラミアの巻き起こした軍事総刷新計画『アンバレン・タグレスト』の発動により、大きな変革が起きていた。
魔界の中枢を担うのは多くの魔族・魔物兵を抱える魔王軍なのだが、その形態や動員数に変異が生じ、それまで見向きもされなかった、カーストの最下層に置かれていた種族がにわかに注目されるようになったのだ。
特に注目度が高まったのは妖精族・夜魔族・亡魔等の雑兵としても魔法要員としても微妙だった種族である。
妖精族とは『竜族』『悪魔族』『吸血族』の三大魔族とは別系統の種族の魔族であり、人間からは『フェアリー』『インプ』『ボガート』等と呼ばれている。
体格は小さく、人間の半分程度の背丈しかないものが多い。
外見に似合わず知性はそこそこに高く、強い者の命令には絶対の為、魔王城にもメイドや下働きとして数多く配置されているが、軍においては最下層階級の役立たず扱いであった。
数だけはあるものの力と生命力が極端に弱く、魔法も幻惑魔法しか扱えない。
多くの場合戦闘要員ではなく荷物の管理やメディック要員としてしか活用されていなかったが、この幻惑魔法を上手く戦術に活用する事で戦闘時に優位な状況を作れるのでは、という期待の元、専用の訓練を経た個体が実戦投入された。
元々幻惑魔法を使っての錯乱狙いの戦術は古からたまに提案されてはいたのだが、妖精族の扱える幻惑魔法は魔法としてはかなり稚拙で、人影を投影するだとか、霧を出すだとかは出来てもその範囲が極限られていて、少し離れればそれが幻惑だと見破られてしまう為役に立たないという扱いであった。
今回は妖精族の数を増やし、また、他の全てを犠牲にして幻惑魔法に特化した教育を受けさせた者を投入したのだが、これが上手くいった。
足りない範囲は人数でカバーさせ、敵軍全体を霧で覆い、同士討ちするように仕向けたのだ。
結果は大成功であった。用意した軍勢が無意味になるほど人間の軍勢は自滅で数を減らした。
想像力豊かな人間は、このような状況下では善くないことばかり想像してしまい、その結果自分達の首を絞めるのだ。
これにより、妖精族は戦闘要員としてある程度の地位を確保した。
次に夜魔族である。
夜魔とは悪魔族の最下層に位置する種族で、人間側からは『インキュバス』『サッカバス』『エンプーサ』『セイレーン』等と呼ばれており、元々は人間から魔族へと種族変異した存在の総称である。
望む望まぬに限らず淫蕩に耽りすぎて魔に堕ちてしまった者がほとんどであるが、彼らは外見上、人とほとんど大差ない事が多く、その外見を利用して人間に近づき、性交によって、あるいは接吻等の接触によって起こる『エナジードレイン』で相手の生命力を奪い尽くす、いわば『街中でのちょっとした事件』を起こすのを得意としている。
戦闘能力は人と大差なく、その生命力は魔物兵にすら劣る事が多い為、それと感づかれると軍人ですらない人間相手に絞め殺される事すらある程の弱小種族であるが、今回彼らは『ハニートラップ』要員としての活躍を期待されていた。
元々夜魔に堕ちる程淫蕩に傾倒してしまう人間というのは、外見的にとても優れていたり、あるいは性技や他者を誘惑する術に長けている者が多いので、敢えてエナジードレインを活用せず、誘惑によって高位の軍人や文官、あるいは特殊な技師等を篭絡してしまおう、弱みを握ってしまおう、という作戦である。
本来組織化されておらず、スパイ要員として微妙という理由で各々好き好きにやらせていたのを、上役である他の悪魔族がきちんと管理するようになった。
目標毎に達成ラインを定め、経過も逐一報告させる、といった管理義務を課したところ、これをゲームのように思い込み楽しみだす者がどんどん増え、とても職務熱心なスパイに変貌した。
快楽主義者が過ぎて魔族になってしまった彼らにとって、異性を篭絡するのは娯楽であり、性交とはそのゴールを意味するようなものだったのだ。
ワンパターンになりがちだった娯楽に『目標の持つ情報を聞き出せ』だの『目標の家族を篭絡させろ』だの、件毎の差異が生まれ、攻略難易度も変化した。
言ってしまうならリアル恋愛シミュレーションである。
「こんな仕事を待ってたんですよ!!」
と彼らが燃え上がったのは言うまでも無く、その成果は魔王軍の対人間対策に大いに貢献した。
最後に亡魔族である。
夜魔同様悪魔族の末端である彼らは、生まれながらにして物質としての肉体を持たない稀有な種族であり、人間からは『ゴースト』『ラルヴァ』『レイス』『リッチ』等と呼ばれている。
基本的に温厚で戦闘を好まない種族であるが、触れたものを魂レベルで同族に変貌させてしまう恐怖の特性『感染』を持っており、人間だけでなく同胞のはずの魔族からも嫌われている。
その嫌われ具合は黒竜族に追随するレベルで、彼ら自身の性格や態度に非が無い為にトップにならないだけで、種族特性のみでここまで嫌われている種族は他には例を見ない。
人の出来ている彼らは自分達が嫌われ者だという自覚もちゃんとしていて、その為僻地でひっそりと隠れ住んでいる事が多い。
軍列に加わる事は愚か、魔族社会の中でも滅多に姿を現さないし、現す事も許されない、そんな不憫な種族である。
だが、彼らの特性は非常に対人向きであり、また、様々な意味で彼らの上位的な存在である吸血族に対しては感染が通じない為、今回吸血族直属の雑兵として配置される事となった。
元々魔界の為に何か貢献したいと願っていた彼らだが、まさかの抜擢に当初は困惑も広がっていた。
しかし、彼らの温厚な、人の出来た性格が幸いし、吸血族からのウケが大変に良く、また、彼らの戦場での働きの良さにも機嫌を良くした吸血族は、普段は遅々として進まないその行軍速度を大幅に上げていった。
元々吸血族はプライドがとても高く、更に気分屋なので天気が曇りだったり気が向かなかったりするだけで進軍を渋るという難点があった。
更に配下のグールやゾンビ、下位の吸血族は日の光や雨で消滅してしまう儚い戦力の上に移動能力に乏しく、軍団としてほとんど機能していなかった。
その点、実体を持たないが為に物理的な要因に一切左右されない亡魔族は機動性にも優れ、また、その戦場で必要のなくなったグール達を同族に変貌させてしまう事によって戦力を維持したままの行軍が可能となった。
あまり魔法耐性が高くない為、魔法攻撃を受ければ容易く滅びてしまう彼らではあるが、数が減っても人間やグール、ゾンビを感染させればまた数が増えるので、即席戦力としては十二分であるのも強みである。
吸血族が抱えていた軍団としての難点は、亡魔族を組み込む事によりほぼ全てが解消された形となり、結果的に人間側からは亡魔もアンデッドの一つであると数えられるようになった。
これらは特に顕著な成功例に過ぎないが、軍全体としても各分野の専門教育を受けた者がそれに合った件別に対処する等、それまで区分けが曖昧だった部分をきちんと区別し、最適化を図っている。
その為部署も増え、当然その分だけ指揮官が増えた為、それまでの十人隊、百人隊等の大きな部隊区分を撤廃し、新たに分隊、小隊等の部隊区分が設置される事となった。
分隊が隊長含め3~5人で行動し、小隊は3分隊一組、その上の中隊が3小隊一組……といった感じに構成されていったのだが、これにより指揮系統も一新された。
十人隊時代は一人の指揮官が十人全員を見ていたのだが、今の時代において、それでは到底指揮官の目が届かない、という事態が頻発していた為、見直される事となったのだ。
また、部隊の要員たる魔物兵や下級魔族の種族別の得意分野を活かせるように要員の配置変更を行った為、それらの特性を活かせる指揮官、つまり同族やそれに近い種族同士での運用を求められていたのもあった。
これにより従来の縛りありきの、種族特性を無視した十把一絡げなそれより一歩進んだ、柔軟な作戦展開が可能となっており、作戦時の混乱もより少なく抑えられる効果が期待された。
つまり、それまで指揮官層にいなかった魔物兵が、最小単位とはいえ隊の隊長として指揮を任せられるようになったのだ。
元々経験を重視されがちな戦場において、彼らは後方から回される新任の魔族指揮官と比べ、現場の状況判断に慣れており、ただ戦っていただけでなく相応に生き残る為の知恵を持っていた。
マクロな戦場の見方は解らなくとも、目の前の戦場というミクロな単位でならば彼らの指揮能力は相応にあってもおかしくないはずで、実際分隊は魔物兵からの叩き上げが隊長をこなしても問題なく機能していた。
要するに、上から来る指示に対して適切に動き、部下にそれをきちんと通す事が出来れば指揮官など誰がなっても問題なかったのだ。
むしろ自分の欲望に忠実な魔族が指揮を執るよりも命令に忠実で役立つという事で、分隊単位ならば魔物兵で十分という新たな常識が誕生した。
超範囲魔法発動の為の人身御供にされていた頃とは大違いの待遇の変化であり、これにより魔物の地位は大いに向上した。
結果的に、ただ戦えれば良いというだけの扱いだった頃と比べ、ある程度知性を求められるようにもなり、需用に基づき魔物でありながら魔族並に知性を持つ個体も徐々にではあるが現れ始めた。
前線の兵が知性を持つというのは、時として下克上やクーデターなどの脅威が増すという事に他ならないが、人間同様、本来槍や剣や鈍器で暴れる位しか脳の無い下級兵士が、弓や多くの魔法を扱えるようになるという利点も持っている。
種族によっては人以上に目の利く者、夜であっても昼と変わらず見通せる者などがおり、また、水上や上空という人間の行動範囲外からの射撃も可能になる為、一般兵層にこれらの技能を身につけさせることは戦力の大幅増強と共に作戦の幅の拡大に大きく影響を与えた。
このように、魔王軍としてはかなり大規模な構造改革が超短期間で推し進められたのだが、発端がそれら変革を一番阻害していたラミア本人であるというのが大きかったのか、そもそもそれら構造に無理を感じていた者も上層部に多かったようで、
多少の混乱はあったものの比較的スムーズに実行に移されて行った。
他の四天王も、黒竜翁は無関心、吸血王は自分の軍団にマシな部下がついて上機嫌のまま賛同、悪魔王は元々思うところがあったのか両手放しで受け入れる、といった具合に反対意見無しで、変革自体に抵抗はあるものの、四天王が反対しないならばという事で受け入れた者も少なからずいた。
これらが実際に機能して軍として大規模な戦闘が出来るようになるまではまだ少し掛かるが、現段階でも魔法と諜報に関しての研究・教育はかなり進んでおり、既に一定の成果が上がり始めていた。
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