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2章 賢者と魔王
#4-2.先代魔王の置き土産
しおりを挟む場所は変わり、魔族世界の魔王直轄領・エルヒライゼンでは、魔王とラミアが視察に来ていた。
かねてより漆黒の森の管理に手を焼いていた魔族であったが、最近はそれとは全く別の問題が発生しているのだ。
「陛下、先に放った者達は、戻ってくる気配がありません……」
「うむ。やはり喰われたか……」
二人して木々の鬱蒼と茂る森を見やる。
その先にぼやけて見える光は魔樹木に寄生するキノコの物か。とにかく不気味であった。
「元々森の性質的に、生半可な魔力を持つ者では吸い尽くされて弱体化してしまいますから……」
途方も無い魔力を誇る上級魔族たる魔王とラミアは何とも無いが、魔力の総量が少ない下級魔族程度ではそこに立つだけで命の危機に陥ってしまうのだ。
しかしながら、魔王はそれとは関係なしに、森に潜む脅威の、その実力とやらを考えていた。
「キメラだと……?」
魔王がその話を聞いたのは、ぼんやりと玉座で寛いでいた時の事だった。
珍しく謁見者も少なく、報告してくるのも瑣末なものばかりで聞き流せる為実に楽な日だったのだ。ラミアが訪れるまでは。
「はい、先代の思いつきで生まれた生物達の事です」
報告するラミアも、戦況報告と比べ割と下らない内容なので、わずらわしげであった。
キメラとは、同種ないし異種の生物同士を掛け合わせたり錬金術・魔術的な要素によってパーツ毎に混ぜ合わせ作られた生物である。
多くの場合、素体として高い剛性を持つ野生動物を用いて作られるのだが、時間的なコストも馬鹿にならず、現代においてはあまり研究が進んでいない。
先代魔王の時代までには盛んに行われていたらしく、『キメラ学』と呼ばれる学問も存在していたほどには広まっている技術である。
「……それが一体どうしたというのだ?」
「最近にわかに繁殖し、その数を増やしているそうなのです。本来の生息区域以外の場所にまで出没するようになり、各地から被害報告が上がっております」
「すごくどうでもいいぞ……君が適当に対処したまえ」
魔王的に、実にどうでもいい報告だったので、無視しようとした。
押し付けようとした。投げっぱなしにするつもりだった。
しかし、そうはいかないらしく、ラミアは首を横に振る。
「お言葉ですが陛下、残念な事に、陛下の直轄領であるエルヒライゼンから起きた問題でして……」
「私の……? どういう事かね? 私はそんなの知らないぞ」
「ああ、やっぱりそうでしたか……」
とても残念そうに、ラミアは眼を瞑り首を振る。
その様にものすごく含みを感じ、魔王は少しだけ嫌な気分になった。
「なんなんだ。はっきりと言いたまえ」
「かしこまりました。これは昔話なのですが――」
ラミアは切々と話していった。
先代が可愛いもの好きだとかで、猫やら犬やらを愛でる趣味を持っている事は魔王自身も知っていたのだが、それは時として度を越していたらしい。
「ラミア、私思ったんだけど」
「なんでしょうか?」
ある日、先代魔王エルリルフィルスは、当時も側近であったラミアに声をかけた。
ラミアも恭しくそれに返す。
「魔界の犬ってあんまり可愛くなくない?」
「はぁ……まあ、犬は元々凶暴な生物ですから……」
魔界における犬とは、二本足の凶悪な哺乳類である。
知能が高く、群れで獲物に襲い掛かり、その猛毒の牙で自分の幾回りも巨大な獲物を倒す。
その外見はどこからどうみても絵に描いたようにしか見えず、不思議な事にどの方向から見ても線で描かれたようにしか見えない。2D的な生き物であった。
「人間世界の犬は可愛いのよ。すごく可愛いの。ふわふわしてるの」
魔界の凶暴なソレと比べ、人間世界に住まう犬は温厚で、主人に忠実な生物であった。
目もくりくりとしていて、触るとなんとも心地よい感触が返ってきたりする、癒し系哺乳類の代表的存在である。
まあ二足歩行で線画的な生き物な事に変わりは無いのだが、本気で噛み付いてきたりしないだけで全く違う生き物に感じてしまう代物である。
「魔界の犬ってそもそも誰かに飼われたりとかしないものね。たまに番犬にされてる位で」
「まあ、番犬としてはそこそこですからね。主にまで噛み付いてくるのは別としても」
魔界の犬は凶暴すぎるので庭に放たれていると泥棒避けとして抜群の効果を発揮する。
ただし、彼らには自分の主人と泥棒の区別などつかないので、どちらにも等しく噛み付くし殺しに掛かる。
狩りに関して使う頭はあっても、獲物かそうでないかの区別をつける頭は持ち合わせていないのだ。
比較的安価で手に入るとは言っても使い勝手が悪すぎで、長く生きるラミアであっても、犬が役に立っているのを見た事はほとんどなかった。
「猫は魔界でも可愛いわよね。ちょっと人見知り激しすぎるけど」
「はぁ、そうですか? 私はあんな毛玉の塊なんて、何が良いのか理解に苦しみますが……」
猫とは毛むくじゃらの蛇か芋虫のような哺乳類である。
手足は無く、蛇のように這ったり樹木に巻きついたりしている。
蛇と違い高い跳躍力を持ち、木から木へと飛び移ったりもする。
水は苦手で泳げないが、その癖水場に現れてぴちゃぴちゃとなめたりしている。
犬と比べて気難しい性格だがその外見は愛らしく、攻撃性も控えめな為、エルリルフィルスはどちらかといえば猫派であった。
「ほんと、魔族って動物が可愛いとか思わないわよね」
「『可愛い』という単語は、幼い女の子供に対して向ける庇護欲と言いますか、そういうのを抱く際に用いる表現だと思うのですが」
エルリルフィルスの常識は人間の持つソレであり、ラミアの常識は魔族のソレであった。故に噛み合わない。
魔界においてはラミアの持つ感覚が正しいので、エルリルフィルスはそれを受け入れられずに寂しい思いをしているのだが。
「よし、じゃあこうしましょう。可愛い犬を作るのよ。そして魔界に広めるの」
彼女は例によって突拍子も無い事を言い出し、ラミアを困惑させていた。
「それ、何の意味が……?」
「私が癒されるわ。すごく大切な事じゃない?」
癒しは大切だった。
「はぁ、まあ、そう言うことでしたら……」
何か反論を言わなくてはいけない気もするが、ラミアも「自分の主が癒されるならそれでもいいか」と投げる事にした。
この魔王は、下手に反発すると気まぐれでいきなり処刑されたりするから洒落にならない。
今もニコニコと自分の思いつきに酔って機嫌よさげに笑っているが、ふとした事が原因でヒステリックな怒りを露にする可能性もあると考えれば、素直に従っておくのが吉なのである。
この、『その時は長いものに巻かれても最終的に自分が生き残れば勝ち』という蛇女独特の思想は、魔王という、比較的凶暴で凶悪な存在の側近を長く続けるラミアが生き延びる為に、かなりの部分貢献していた。
こうして魔王エルリルフィルスの命の下、魔界の技師達が様々な努力の末新たに開発した『犬』をお披露目する事になったのだが、これが散々な出来であった。
「陛下、私が新たに作り出した新種の犬『ケルベロス』です。いかがですか」
錬金術師だという魔女族の女魔族は、三つ首の巨大な黒犬を連れ、主に見せた。
首輪には棘がついており、足には鋼の足かせがついている。
クツワをはめられている為に吼える事は出来ないが、その外見は元の犬ですら可愛く感じるほどに禍々しかった。
「いかがですも何も……全然可愛くないじゃない」
エルリルフィルスは頭を抱えていた。
「ですが強いですよ?」
「強くなくても良いのよ!? ていうか強さなんて求めてないのよ!!」
揃いも揃ってこの体たらくであった。
魔界の技師達による犬の品種改良実験は、『かわいさ重視』という前提条件を無視した上で、より凶悪なクリーチャーを開発してしまっていた。
「ではこちらの犬はいかがですか? なんと体躯が普通の犬の30倍です。人間を丸呑みできますよ。空も飛べます」
「しなくていいのよ!! 可愛い外見のを作ってよ!!」
「すみません、可愛い外見の犬だけ開発に失敗してしまって……」
よりにもよってそこだけは失敗していた。
「ですが陛下、我らキメラ研究室の成果は必ずや魔王軍の戦力増強に役立つはずです」
ものすごくどうでもいい成果だった。
「……貴方達、殺される前に出て行きなさい。もういいから」
主の様子を察してラミアが技師達を追い返すと、エルリルィルスは深く深く溜息をついた。
「やっぱり、魔族に可愛いものを作らせるのは無理なのかしら」
「まあ、陛下の仰る『可愛い』そのものが理解できない訳ですから、恐らくは……」
魔族と人間の感性は大きく隔たりがある。
これが人間同士なら通じる会話であっても、エルリルフィルスの求める可愛さと魔族の知っている可愛さは全く合致しないものなのだ。
「とりあえず陛下、この度作られたキメラ達ですが……いかがなさるおつもりですか?」
「……忘れてた、そうだわ、どうしよう」
元々可愛い犬を手元に置いて癒される予定だったエルリルフィルスであるが、まさかの展開で先の事を考えるのを忘れてしまっていた。
「とりあえず、新しく生まれた命に罪はないから、森にでも放してあげなさいよ。エルヒライゼン辺りなら安らかに眠れるでしょ」
「かしこまりました。ではエルヒライゼンに放すよう命じておきます」
「……という訳でして」
「その結果が今回のキメラ異変という訳か」
「はい。犬っぽいクリーチャーだらけになっております。しかも周辺の領主からは『また陛下が変な事をしたのか』と……」
酷い風評被害だった。魔王は悲嘆に暮れていた。
「今回私は何もして無いのに……ていうか、私が回されていた所にそんな化け物放逐するとかいろんな意味で酷すぎるな」
魔王は今までそんな事露ほども知らなかったから一人で来たりしていたが、よく襲われなかったものだと頬に汗する。
「まあまあ、民の憂いをどうにかするのも王の役目ですから」
ラミアの言う事は間違っていないが、半分くらいは止められなかったラミアの所為なんじゃないかと魔王は思った。
「全く、仕方ないな。とりあえず現地に行くか」
「それがよろしいかと。私も現場の状況を調べたいのでご一緒させていただきます」
結局、事態を打開するには行動するしかないと考えた魔王は、やむなく仕事をすることにしたのだった。
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