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1章 彼女たちとの出会い
#10-2.誘拐事件勃発
しおりを挟む一週後の週末日。
皇帝シブーストは、皇女に引き続き、かねてより婚約関係にあったシフォン皇子とジュレの領主の娘ヘーゼルの結婚を進める事を発表した。
これにより、落ち着きを取り戻しかけた民衆は再び熱狂し、リンゴの花が飛ぶように売れた。
次期皇帝である皇子の結婚の発表は、アプリコットのみならず、大帝国領土のあらゆる街や集落に活気を呼び起こした。
この日、エリーシャは祝いの為に再びグローリアリーチに登城していた。
「とうとう結婚されるそうで、おめでとうございます」
玉座にて皇帝やシフォンへの挨拶を済ませ、今エリーシャが話すのはシフォンの妻となるヘーゼルである。
表編みに編み込まれた栗色の髪を手でそっと分けながら、ヘーゼルは嬉しそうに「ありがとう」と返す。
「私は、エリーシャ様にシフォン様を取られないか心配で仕方なかったのです」
今だから言いますが、と、眉を下げ申し訳なさそうに言う。
「あなたの気持ちを知っていたらそんな事しないわよ」
「そう言っていただけて嬉しいですわ。えぇ、エリーシャ様、私達はきっといい関係で居られますわ」
ヘーゼルがシフォンを慕っていたのは初めて会った時からなんとなしに察していた為、エリーシャは意図的にシフォンは避け、トルテと接するようにしていた。
しばらくすると父は旅立ち、以降は村へと戻り、父の死を知るまでは普通の村娘として暮らしていたエリーシャだが、その間にヘーゼルの気持ちは皇帝の知るところとなり、彼女の家柄やひたむきさもあって、少しずつ外堀は埋められていったのだ。
肝心のシフォンの気持ちは完全に無視された形だが、シフォンもヘーゼルならばと素直に受け入れ、これにより見事ヘーゼルの想いは成就した形となったのだという。
「シフォン皇子ももう23だものね。ヘーゼル様は20だったかしら?」
「えぇ。沢山の子供を産むことはできないかもしれないけれど、できるだけがんばるつもりですわ」
トルテが17で結婚したことを考えると、この二人は相当遅れていたことになるが、これも世の中の状況の不味さなどが重なった結果である。
ヘーゼルが適齢年齢になった辺りでちょうどデフレーションが発生し、世界は未曾有の危機に陥っていた。
皇帝のみならずシフォンも皇帝の右腕として政務に取り組む事となり、結婚どころではない状況になってしまう。
教会からも圧力が増しており、例えば先日のエリーシャのように、皇帝にも教会よりの使節が来ては、他宗教に関わらぬようにとありがたくもないお説教が繰り返されたりもした。
そんな時代である。
ヘーゼルは残念がったが、それでも我侭は言わず、国や皇子の近辺が落ち着くまではとひたすら耐え忍んだのだ。
そんな彼女にもようやく幸せの瞬間がやってくるのだ。喜びもひとしおだろうとエリーシャは思う。
「幸せになれそうね、あなたは」
婚姻を間近に、ヘーゼルはとても善い笑顔であった。
そんな彼女を見て、やはりエリーシャも気分がよくなる。
――しかし、そんな至福の時間ほど、案外容易く壊されてしまうものなのだ。
「エリーシャ様、ヘーゼル様、大変です!!」
突然現れた皇帝の侍従。
乱暴に開けられた扉は開けたままにされ、侍従が声量も考えず、かすれた声で叫ぶ。
「皇女様が……トルテ様のご一行が、行方知れずに――」
「なんですって!? どういうことなの!?」
一番に反応したのはエリーシャである。侍従が何を言っているのか理解するや、怒鳴り声になるのも気にせず聞き返した。
「それが……ご一行がサフラン王国を通過していた所までは解るのですが……その後が」
「そ、そんな……」
横で聞いていたヘーゼルは顔面蒼白になり、一歩、二歩、と後ずさっていく。
「あ、ヘーゼル様っ」
「タルト様が……あぁ、こんなことって――」
目元に右手を当て、ぐらり、と揺れた。
倒れそうになったのをエリーシャが抱きかかえるが、その瞳は絶望に溢れていた。
「ヘーゼル様、しっかりっ!!」
「なんてことなの……私は、私は、幸せになってはいけないの……?」
既にエリーシャなど見ていなかった。
涙がとめどなく流れ、ヘーゼルは何も見ていない瞳で、うわごとのように呟いていた。
「……ごめんなさい。陛下に話を聞きたいわ。彼女をお願いしても?」
「はっ、かしこまりました」
今の彼女には何をしても無駄だと考え、状況の把握を急ぐ事にした。
そんな自分をろくでもない女だと思いながら、抱きかかえたヘーゼルを侍従に任せた。
「皇帝陛下、皇女の身に一体何が……」
「解らん……ラムクーヘンからの早馬が来たのだ。『花嫁がまだ来ていないのはどういう事なのか』とな」
急いで向かった玉座では、皇帝もひどく狼狽していた。
額に汗を流し蒼白な顔は、普段の剛健さとはまるで違った色を見せていた。
「急いで足取りの確認をさせたが、サフランで完全に消えてしまった……賊に襲われたか、あるいは――」
「ただの賊に護衛の兵を倒せるとは思えません。もしやこれは、何者かの策略なのでは」
考えられる事は色々あるが、とりあえず一番可能性の低いものは排除していく。
最後に残った一番可能性の高いものを追えばいい。何より今は効率が重要だった。
「魔族の襲撃を受けた可能性は考えられないか? ドラゴンならば、あの程度の軍勢は蹴散らせてしまうかもしれん」
「ですが陛下、ドラゴンに襲われたというなら、恐らくその場所は特定できるのでは?」
凶悪なドラゴンならば確かに護衛戦力を全滅させる事も容易いだろうが、もっともそれらしい考えも、別の矛盾によって打ち消されてしまう。
「だとするなら、これはこの事件を元に、帝国を混乱させようとしている輩がいるというのか?」
「解りません。ですが、護衛の兵や従者達を含めて全員が行方知れずになるなど、いくらなんでも異常ですわ」
何者かの襲撃を受けたというのなら、一人二人生き延びていてもおかしくないはずだ。
皆殺しにされたのだとしても、それならば死体の山がどこかに築かれているはずで、やはり違和感は拭えない。
「軍勢もろとも、全員が行方知れずになるなど、どういう事なのだ……」
両手で顔を覆う皇帝は、くたりと玉座にへたりこんで、世を嘆いていた。
「エリーシャよ……俺はどうすればいい? サフランを攻めるか? 犯人を捜しつきとめ、滅ぼすか?」
「落ち着いてください。何者の死体も見つからない以上、他の者はともかく、タルト様はまだ生きてらっしゃる可能性もあります」
何者かの策略によって、皇帝や帝国を貶める為にこの事件が発生したのだとしたら。
その動機にもよるかもしれないが、わざわざ全員を痕跡の残らないように行方知れずにしたほどの相手である。
みすみすトルテ一人を殺すだろうか?
仮に殺すとしても、それならその場で殺せばいいだけのはずで、それをしないという事は、殺されるまでに何がしか猶予があるに違いないとエリーシャは考える。
あくまで楽観である。もしトルテが生きていたとしても、二目と見られぬ事になっている可能性すらある。
だが、そんなものはかなぐり捨てた。
「陛下、私がタルト様の足取りを探して御覧に入れます。どうぞ、なにとぞ、自棄を起こされぬように」
「……エリーシャ、すまん。やはり俺には、お前くらいしか頼れる者がいないのだ」
「私は、そんな陛下だからこそ、力になりたいと思ったのです」
力なく懇願する皇帝に、エリーシャは唇をかみ締め、凛々しく見つめた。
「どうぞ私にお任せを。ええ、必ずやタルト様を」
「頼んだぞ勇者エリーシャ。お前だけが頼りだ」
時は一刻を争う。それが解るエリーシャは、急ぎサフランの街へ向かう事にした。
――かくして、それが元でこうして対峙しているのである。
「まさか、君にまた、こうして剣を向けられるとはね」
「私も、できれば向けたくなかったわ」
朱色の鎧と黒の外套。
悲しい事実である。ただの偶然かもしれなかった。しかし、あまりにも出来すぎた偶然だった。
サフランの街を抜けた先の森。西部と中央部を繋ぐちょうど境界線である。
ここで、エリーシャは魔王と対峙していた。
「一応、訪ねるが。そのタルトという皇女、どうなったと思うのかね?」
突然の遭遇にも、その相手に剣を向けられた事にもさほど動揺しない魔王は、しかし一応は真面目な面持ちで、剣を向けたエリーシャに問う。
「得体の知れない何者かに誘拐され、どこかに監禁されてると思うわ」
「なるほど、なら私に剣を向ける必要は無いじゃないか」
魔王は構えすらしない。傍に控えるアリスも、相変わらず澄まし顔である。
まるで戦う事の無意味さが解りきっているかのように。
「正直に答えて欲しいからよ。ここで何をしていたの?」
「得体の知れない何者かを調べていたのさ。なに、ちょっとした趣味の延長上の事でね」
エリーシャにあわせてか、本気か。はぐらかすように言葉をシルエットに包み込み、魔王は語る。
「真面目か否かと言われれば真面目な理由だがね。君に話しても正直意味があるとは思えん」
言葉どおりに。故に、魔王はとても真剣にエリーシャを見ていた。
「エリーシャさん。深入りはしないほうがいいよ。森はとても怖い所だ。入り込みすぎると、迷子になってしまう」
「私はその迷子達を探しているのよ。森だろうと山だろうと崩してでも見つけてやるわ」
魔王の警告はどこか自分の状況を皮肉っているように感じて、エリーシャには苛立ちを感じさせた。
「そうか。なら一つだけ教えてあげよう。そのタルトという皇女、恐らく用済みになったら殺されるぞ」
「……!!」
魔王の言葉に、エリーシャは動揺してしまう。
握る剣に入る力がずれ、かたかたと振るえる音が伝わる。
「それから、これは君自身に対しての通告だ。人間の勇者で居たいなら、さっさと引き返して、皇女の死を主に伝えたまえ」
「皇女はまだ死んでないって、今言ってたじゃない!!」
魔王の言葉には矛盾があったように感じられたが、その指摘はまるで的外れであるかのように、魔王に苦笑される。
「剣を向けなければ真実を認められない相手の言う言葉を、何故君は信じられるのかね?」
魔王の目は笑っていなかった。
そのような表情を見たことがなかったエリーシャは、改めて目の前のこの男が魔族なのだと思い知らされる。
「……弱い人間が自分より強い相手を前に強気でいるには、武器は必要だわ」
言いながら、しかしエリーシャは、静かに宝剣を下ろす。鞘にしまい込み、殺気を鎮める。
この魔王が何かよからぬことを企んでいる可能性も考えられないでもないが、ただ偶然そこにいたからと剣を向けるのは、あまりにも浅はかではなかったか。
そもそも人間一人が敵として対峙していい相手ではないのは以前の戦いで理解していたはずだった。
「その皇女、君にとって大切な何かなのかね?」
剣を下ろしたのを見て、魔王は幾ばくか表情を和らげていた。
「妹みたいなものよ。私の事を姉と慕ってくれていた娘だもの」
旅立つ直前のその笑顔を思い出しながら、エリーシャは胸の前で手を握った。
「解る」
ここにきて魔王は、ようやっと人のいい、にかりとした笑顔に戻った。
後ろのアリスも微笑んでいる。
しかし、今一その態度が気に入らないエリーシャは、不機嫌になる。
「何がわかるって言うのよ。私の大切な人なのよ?」
「私も昔は大切な人を探していた。それは妹ではなかったが……自分の目の前からそういった者がいなくなるのは、とても辛い事だと思う」
エリーシャのそんな態度に怒りもせず、魔王は目を瞑り、搾り出すように過去を振り返る。
遥か遠い昔の話。そんな事もあったくらいの気持ちで。
「あなたにこういう事を問うのは横着すぎると思うんだけど――」
嘘か本当か解らない言葉で煙に巻こうとしてるように感じたエリーシャは、その言葉には耳を傾けず話を進める。
「今回の件って、魔族が関係してるんじゃないでしょうね?」
「解らん。だが関係している可能性もないではない」
曖昧すぎる答えだった。どうせなら否定して欲しかったと思う程度には。
エリーシャとしては解りきっていたが、この魔王は自分では解らないことはかなり曖昧にぼかすきらいがある気がしていた。
「それを知るため、私はここに来たのだ」
言いながら、魔王は自分の後ろ、森の奥を見やった。
「この森に何があると言うの?」
「『ゲート』がある。転送魔法陣のようなものだ。並の人間には認識できんだろうが、君くらいの魔力を持っている者なら見えるかも知れん」
言いながら、顎でエリーシャに歩くように促し、森に向かって歩き出す。
エリーシャも察してか、それについていく。
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