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1章 彼女たちとの出会い
#9-3.図書館にてたたずむ
しおりを挟む「大陸北部の伝統的な宗教観について調べたいんだけど」
「それでしたら、右側の壁列、一番奥にある歴史カテゴリの棚からお探し下さい」
ある夏の昼下がりの事である。
この日、エリーシャはグレープ王国王都にある王立図書館に来ていた。
大帝国の西にある小さなこの国は、数多くの著名な学者や魔法使いを輩出した賢者の国であると名高い。
国が擁するこの図書館も、大帝国の図書館とは比べ物にならないほどに巨大で、多くの蔵書を抱える。
「ありがとう」
金髪の女性司書の案内を受け、静かに礼を言い、目的のジャンルの棚へと向かう。
目的の棚はそう掛からず見つかり、何冊か吟味する。
「とりあえずこれと……あとはこれかな」
手にした本はひどく古めかしい手書きの歴史書と、比較的新しい、魔法文字で書かれた魔法文明に関しての本である。
この二冊だけで終わらせるつもりは無いが、その場でばらばらと読んだ末に、物事のとりかかりとするには十分な資料であると把握していた。
読む本が決まれば後は座る席の確保なのだが、この図書館は利用者が多く、どうにもすぐに座れそうな席は空いていなかった。
「困ったわね、どうしたものか――」
どこか空かないかな、と、ホールを見渡す。
ふと。そこで意外な人物が混じっていた事に気づいてしまった。
「旦那様、こちらの資料などいかがですか?」
「おお、それもよさそうだな、そこに置いておいてくれ」
黒いシルクハットをテーブルの上に、慣れた手つきで古い書物を読み漁る中年男が居た。魔王である。
金髪の可愛らしいアリスも人間サイズとなってそれを手伝い、彼が読み終えた本を戻したり、よさげな本を探しては持ってきたりしている。
あるいは侍女のように魔王の後ろに控え、可愛らしく澄ましていた。
エリーシャは、久しぶりに見かけたこの中年魔王の姿に溜息をつきながら、相変わらず出くわしてしまう自分の不幸さを呪っていた。
現代の世界でこんなに魔王と遭遇する人間は自分くらいなんじゃ、と思いながら。
親子揃ってやたらと魔王と縁のある人生を歩んでいる気がしてならない。
「ちょっと、何してるのよこんな所で」
見つけたら放っておけないのが勇者である。
野放しにしたところで別に今この場において危害はないだろうが、何をしているのかというのが問題ではある。
そこは気にしないといけない点だ。
「すまない、今忙しいのだ、後にしてくれたまえ」
「えっ、そ、そう……」
しかしながら、魔王はとりつく島もない。
声をかけたエリーシャのほうなど微塵も視線を向けず、ひたすら本を読み続けていた。
アリスも澄まし顔のまま特に反応はしてくれず、だんまりである。
嫌な沈黙が場に流れた。元々静かな図書館である為、余計に寂しい。
エリーシャは所在無くなり、他に座る場所も無いので、仕方なく魔王の前の席に座った。
机の上の書物があまりにも多く、一見すると貴族か金持ちにも思えるこの男が座っている為、誰も座りたがらないらしく空いていたのだ。
図書館からすれば実に迷惑極まりない客であるが、遠くに見える受付の司書はあまり気にしないらしく、そんな客であっても大らかに見守っていた。
「この本でもないな、アリスちゃん、片付けておいてくれ」
「かしこまりました」
一時間ほど経った頃である。
本から視線を外しアリスに手渡すと、魔王は溜息をつきながら、正面に視線を移した。
「すまなかったねエリーシャさん。話しかけてくれたのに」
「あ、読み終わったのね。気にしないで、読んでる最中って夢中になるものね」
エリーシャもただ待っているのも勿体無いからと手持ちの本を読んでいたのだが、魔王の静かな言葉に気が付いて中断した。
「こうして会うのも久しぶりか。随分大人びたお嬢さんになったじゃないか、やはり人は変わるものだなあ」
よくよく見れば、エリーシャは数年前に会った時と比べてかなり変わっていた。
美しい亜麻色のストレートヘアーはそのままに、だが化粧の仕方から着ている服の趣味まで、かなり大人びている。
初めて出会った頃は花も恥らう年頃の少女だったというのに、今はもう子供を連れていてもおかしくない美女だ。
「そりゃ老けるわよ。何年会ってないと思うのよ」
エリーシャも小さく笑う。まるで老けていないアリスを見て、ますますもって自分の年齢の加速を感じるのだ。
「前に会った時からほんの五年ほどだと思っていたが……」
「五年あればね、少女は年増になるのよ。私なんてもうおばさんよ、おばさん」
実際にはまだ二十歳を過ぎて少しばかりで、女性としてはまだまだ華は残っているはずなのだが、平均初産が18歳となる人間世界においては、やはり売れ残り感が酷い。
「エリーシャさんは、外見だけ見ればまだ十代後半で通じると思いますけど」
アリスのフォローもただ虚しいばかりである。
「外見だけで見てくれないからねぇ。明らかに子供を産める人数は減ってくる訳だし」
魔族との終わらない戦争が続き、人間が異性に対して求める最たる条件はそこである。
どれだけ美しかろうと金持ちだろうと、子を沢山産める若い女性には絶対に勝てない。
自身の一族の繁栄の為、その価値観は普遍のものであると言わんばかりに、世界のいたるところで連綿と受け継がれていた。
「魔法も、外道の域にまで達する事ができれば、若さを保つ術もあるらしいとは聞くが」
「そこまでいったらもうただの魔女じゃない。私、自分の若さの為に人でなくなるのは嫌だわ」
当たり前の返答である。当たり前でいられない若い女も多いらしいのだが、この辺りは流石に勇者である。
「というか君は、まだ勇者を続けているのかね」
「勿論よ。戦い続ける事こそが私の存在価値。一度走り出したこの道を、どうして止まる必要があるというの?」
魔王としては、できれば彼女に限り、勇者をやめて普通の娘となって欲しいなあと思っているのだが、そうもいかないらしい事情が彼女にはあるようだった。
「結婚して、一線を退く気はないのかね?」
「ないわね。多分、年老いて体が動かなくなったら、その時に戦地で死ぬんじゃないかしら」
それまで死ぬつもりは無いけど、と、自信ありげな微笑み。
確かに彼女は優秀であるし、恐らく今が一番脂が乗り切った、最も人間として強い時期なのだろうが、あくまでそれは短期的なことで、ピークを過ぎれば後はただ弱体化していくのみである。
そこまで解った上でそれを覚悟してやっているのだから、魔王はもうこれ以上言うつもりはなかった。
「おじさんは、こんな所で何を調べていたの?」
話が一区切りつき、また小一時間、互いに目的を果たす為読書に集中していたのだが、それもひと段落着くと、今度はエリーシャが話を持ち出す。
「先代魔王と、賢者についての関連を調べていた」
「賢者……? ていうか、先代魔王の文献なんて、その、そっちの方とかにはないの?」
どうせ趣味に関しての何かを調べていたに違いないと思っていたエリーシャであったが、意外な単語が出てきて考えを改める。
「あるよ。巨大な図書館があるし、ほぼ全自動で新たな書物が追加されていく、無限書庫のようなものだな」
魔王城の図書館は広大で、城の地下にあって誰でも利用が可能なのだが、広すぎるが故に迷子になる者も後を絶たない。
目的の書物を探すにも、図書館内には司書が居らず、自由に勝手に持っていけというスタンスの為にとても探し難い。
極めつけは、それら書物は魔族視点で書かれているものばかりの為、モノの見方がひどく偏っており、何かの参考資料とするには大よそ不十分であった。
「わざわざこっちにきて調べる必要ってあるの?」
「あるさ。こっちの書物は、比較的公平なものの見方で書かれている。客観的というか、そういう資料が欲しかったんだ」
単に歴史を尋ねるだけならラミアにでも聞けばそれで十分解る話なのだが、今回彼の調べているものはいささか不確かな部分も多く、魔王自身もラミアに問う意味は薄いと考え、わざわざ人間の図書館にきたという経緯があった。
「この書物はいいな。アリスちゃん、後に続く巻はどれくらいある?」
話しながら、魔王は目の前の本に笑う。
「全五巻ですわ。持って参りますか?」
「頼む。できるだけ早く読んでしまいたい」
魔王の言葉に「かしこまりました」とだけ答え、静かに取りに向かうアリス。
エリーシャとのわずかな二人きりの瞬間である。
「賢者って、大賢者エルフィリースについて調べてるのかしら?」
「そうだよ、知っているのかね」
「当たり前よ。エルフィリースは人類の希望とまで言われた英雄の一人だもの。多分、教育を受けていれば誰だって知ってる」
そんなに名の知れた英雄の像にしては、アプリコットの英雄像はあまりにも質素で、どこか寂しげな配置がなされていたようにも感じたが。
そのような違和感も、人の、短く早い時の流れによって変わってしまった価値観によるものなのではないかと魔王は思えてきた。
建てた当初こそは人々の希望のシンボルとなりえたそれら時代の遺物は、時間の流れと共に『あって当たり前のオブジェクト』と化してしまうのだろう。
それはどうにも寂しく感じる反面、過去を過去として切り捨て忘れる事の出来る人間の、羨ましい特性であるとも魔王には感じられた。
「まあ、英雄というなら、恐らく君の父上もそこに列すると思うがね」
「どうかしらね」
「現に、勇者ゼガのサーガやら冒険記やら、その娘エリーシャの近年の働きについてやらの書物があったよ。エルフィリースの隣の棚にね」
英雄ジャンルの列は時代ごとに棚が分けられており、その時代を代表する英雄や傑物を紹介する書物や、それら人物をモチーフにした英雄譚が揃えられていた。
流石の魔王もエリーシャの名をそこで見つけた時は『いよいよか』と胸を躍らせたものだが、その内容は少々稚拙で、脚色に富んだ壮大すぎる物語となっていた為、最初の数ページほど読んで棚に戻してしまったのは口には出さない。
「ちょっと、何よそれ、聞いてないわよ」
寝耳に水な事態だったらしく、エリーシャは驚きを隠せないでいた。ものすごく複雑そうである。
「まあ、今後に期待だね」
彼女が勇者として活躍し続ければ、今以上に名も売れ、いずれは英雄と呼ばれるほどの存在にまで昇華できるかもしれない。
それはそのまま直結して、彼女が魔王軍との戦いで命を落とすリスクの高さを跳ね上げさせるのは解っていたが、反面魔王には、彼女の書かれた書物を読んでみたいという気持ちも湧いていた。
「失礼ながら、エリーシャ殿ですな?」
読書ながらに雑談も交えていたのだが、その最中、鎧を身に着けた男が数名、魔王達の周りを囲んでいた。
正確には、エリーシャの周りを、の方が正しいのだろうか。男達はいずれもエリーシャに視線を向けていて、魔王等見向きもしない。
その違和感、鎧のこすれる音を気にしてか、周りの読客も視線を向けるようになる。
「ええ、そうよ。貴方達は……教会の人よね。テンプルナイツ?」
図書館という場に大よそ相応しくない彼らにじと目を向け、静かに答えるエリーシャ。
「いかにも。『女神の祝福教会』所属のテンプルナイツ。ナイトリーダーのバルバロッサと申します」
周りの客やエリーシャの視線など微塵も気にせず、「以後お見知りおきを」等と礼をする。
「悪いけど、カチャカチャと鎧がうるさいわ。私に用事があるのなら、外で話しましょ」
「我らとしても、その方が助かります。では、申し訳ないが――」
と、ここで初めてバルバロッサは、魔王のほうに向き直った。
「貴方がたにも来て頂きたい。隠していらっしゃるつもりか解りませんが、その膨大な魔力、只者では無いと感じました」
あくまで無機質に、淡々と話すバルバロッサであるが、後ろに控えるナイツの面々は、腰元の剣の柄に手を伸ばし、警戒していた。
「ふむ……まあ、ここで騒ぎ立てる事もなかろう。解った、同行させてもらうよ。だが、少し待って欲しい。この本を借りたいのだ」
「解りました。ですがつまらない真似はなさらぬように」
逃げるな、と釘を刺し、鋭い視線を隠す事無くぶつけていた。最早敵とみなしての事だろうが、魔王は動じない。
「エリーシャさんも、本を借りに来たのだろう。もうすぐ退館時間だ。借りていく方が良いと思うが?」
「あ……ええ、そうね。バルバロッサ殿――」
「無論です。どうぞご自由に」
こちらにはさほど頓着しないのか、そのまま受け流していた。
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