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1章 彼女たちとの出会い

#7-1.変化していく戦争

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 ある冬の終わり頃。魔王は未だ眠ったまま、ベッドの上に横たわっていた。
暑く辛い季節は去り、その間に魔王城は平穏を取り戻していたのだが、その一方で人間との戦争はより激化していった。

 そんな中起きた事件である。
人間世界から少数での魔界突入を試みた人間の勇者が数名。
本来ならば発見され次第即座に駆除されていたそれら招かれざる賓客らは、しかし今回のみ、どこかの偉い人がフリーパスを与えた所為で魔王城まで到達してしまったのだ。
それぞれの地域を支配する地方魔族達は侵入者に気づいてはいたものの、こんな時ばかりは忠実に魔王の「放っておけ」という命令に従っていた。
わざわざ強いであろう人間の勇者と戦って痛手を被るのもばかばかしいと考え、上からも怒られないのだからとあえて無視する事にしたのだ。
その時は城に控えていたウィッチら上級魔族が瞬時に葬り去ったのだが、この時彼女達はどうにも嫌な予感がしていた。

 往々にして、嫌な予感というのは当たるものである。
それだけで終わる事はなく、魔王城に到達する人間達は増え始め、数名から数十名、少数精鋭が団体で来るようになり、その都度対処していた魔王城詰めの魔族達は疲弊していった。
挙句にはどこで調べたのか魔王城の構造を利用したトラップまで仕掛けられ始め、その城で生活しているはずの魔族が人間の仕掛けた罠に掛かるという珍事まで巻き起こしていた。
これには城を預かるラミア達も頭を悩ませ、対応策を色々考えてはいたのだが、古くに高度な魔法技術によって張られた転送魔法陣を下手に弄る訳にも行かず、結局根本的な対処はままならないまま、後手後手の防衛戦がその都度展開されるようになっていた。
地方の魔族達は魔王の命令を良い事に勇者の見張りもろくにせず、素通りされ魔王城に辿り着く人間が、既に勇者どころかどこぞの国の兵隊やら賞金稼ぎやらにまでなってきた辺りで、いよいよもって魔王城の防衛戦力は限界を迎えようとしていた。


 そんな魔族世界の危機とは反対に、人間世界は今、空前の祝勝ムードに沸き立っていた。
ある精鋭勇者のパーティーが偶然、魔王城への到達ルートを発見したのだ。
しかも様々な魔族の領地を通り抜け、それぞれの領地に展開された魔法陣を経由して突入するという危険極まりない侵攻方法であるにも拘らず、そのルートで抜けた場合のみ、魔族達に一切察知されずに魔王城に辿り着けるのだという。
今まで多くの軍勢を率いて力ずくで魔族の領地を奪ってようやく使う事のできた魔法陣だが、このルートを使えば誰でも魔王城に容易く辿り着ける。
時間こそ掛かるが、軍団単位での突入も可能とあって、魔王城陥落も間も無くかという噂が広まり、城の兵隊達もそれが事実であるかのように自国の軍団を称えた。

 怪我を負った男が自分を魔王城に突入した勇者だとのたまい、それに釣られた壮年の女性から幾ばくかの金銭を貰い受ける。
戦地に向かった恋人の為に祈る若い娘達も居れば、逆にどの勇者が生き残るかと賭けに精を出す男達も居た。
まるで祭であるかのように昼間から酒を飲み馬鹿笑いする中年男、こんな時ばかりと好みの娘に声をかけてまわる若い男。
子供は意味もわからずはしゃいで回り、いつかは自分も勇者に、あるいはその奥さんになりたいと元気に笑う。
商人達がここぞとばかりにセールを謳い、詩人が人間賛歌のフロットーラを歌って人々を盛り上げる。
誰もが人間の勝利を疑わない。
長く続いた戦争の終わりを自分達が体験できるという高揚感は、人間世界全体にかつて無い程の希望を溢れさせていた。


 アップルランド帝都・アプリコット――
様々な政府機関や警察組織、軍事の中枢、そして数多くの学園が集まる中心部は、帝都らしからぬ賑わいを見せていた。
普段ならば観光客が押し寄せ、平和な小世界を見せていたその街角は、今や魔族との戦争終結を感じた人々の熱気でにぎわっている。
そんな帝都のティーショップで、一人お茶を親しむ勇者が一人。
亜麻色のストレートを赤いリボンで飾り、いつもの軽鎧ではなく礼装の赤いふちの白い鎧を纏っていた。
肩には同じく礼装の朱のマント。腰には美しく輝く宝石のついた鞘に納まった宝剣。
銀色の刺繍がなされた土色のスカートは膝下まで隠れ、細い足を色々なものから守っている。
――いつもと違う装いながら、やはりその人はエリーシャであった。
「……魔王討伐、ねぇ」
カップに唇をつけながら、手にした藁紙を見やる。街で帝国の衛兵が配っていた配布物だ。
これによれば、魔王を討伐する事が出来た者は英雄として称え、末代までその名声は世界に轟くらしい。
更におまけとして0がいくつも後ろについた金額の報奨金が帝国を含めた複数の国から合同で支払われ、後の生活も保障するというもの。
文字だけでなく、上手いのか下手なのかよく解らない、描き込みがやたら深い絵柄で『ドール・マスター』と名づけられた魔王の絵が載せられていた。
だが、それを見たエリーシャは思わず苦笑してしまう。
ついお茶を噴きそうになって。手の平で唇を押さえる羽目になった。
「どうしよう、全然似てないわ」

 人間の想像する魔王像というのは、例えば先代のマジック・マスターの様な六翼を持ち角を頭に生やした悪魔であったり、そうでなければおどろおどろしい色んな魔族の恐ろしい所ばかりを混ぜあわせ作られたキメラ的なものが一般的なのだが。
自分も幼い頃はそうであった分、事実を知ってしまっているとそれが可笑しく感じてしまう。
多分に漏れず紙の中の『魔王』は、ヤギのような厳つい角が二本、威厳に満ちた悪党面で、口元はヴァンパイアのように鋭い牙が生えている。
一応見れば人間らしき部分もある顔だが、そのいずれもが魔王その人にまるで似ていない。
本人を知る者が見れば、一体これは誰なのかと画者の正気を疑いかねない代物だ。
人の想像力というのは、時として事実と異なる想像をそのままリアルに表現してしまうものなのだった。
彼女の知る中年魔王は、そんな人間の感性をこそ羨ましいと思っていたらしかったが、人間であるエリーシャにとっては複雑この上ない。
「こんなの討伐しようとしたら、関係ない魔族が狙われそうね」
魔族に何ら容赦の無いエリーシャではあるが、流石にあの魔王の巻き添えで死ぬのは可哀想なのではないかと慈悲を向ける。
本当にそれだけで、敵対すれば無慈悲に斬り殺すくらいは当たり前のようにやるのだが。

 人間と魔族の戦争は未だ終わりが見えない。
だが、世の中に今流れている浮ついた空気は、そんなものを微塵も感じさせていなかった。
戦没者は日々増えている。
負傷兵は街を歩き、民に戦争のむごたらしさを間接的にではあるが思い知らせていたはずだというのに。
「……大丈夫なのかしら」
ティーショップから彼女が眺めていたのは、変化に色めく民衆である。
賑わう街角は、しかし、不穏さに塗れていた。
些細な事が元で起きた変化。それによって今、世界は大きく変わりつつある。
それが、エリーシャには不安でならない。

 確かに魔王が討伐されれば、魔族に大打撃を与えられるかもしれない。
場合によっては魔族そのものをそのまま討伐して、人間側の大勝利で戦争を終結させられるかもしれない。
だが、長きに渡る歴史の中で、そのような事はただの一度も起こらなかった。
数億年という有史以来の気の遠くなるような時代の流れの中、戦に倒れた魔王も居ない訳ではなかったというのに。
魔族という、未だ人間にとって未知の部分の多い仇敵は、人間よりも数が少ないはずなのに、決して滅亡しなかったのだ。
もし今、その仇敵が討ち倒せたら。討ち滅ぼせてしまったら。
人間世界に起こる変化はどうなるのか。
討ち滅ぼせなかったとしても、その後に起こる変化は人間世界にとってとても都合の悪いモノとなるに違いない。
だが、倒せたとしても同じなのではないか。
人々の緩みきった笑顔は、決して見ていて悪い気がするものではない。
だが、エリーシャは心中、一株の不安によって自分の予感が悪い方向に育っているのではないかと感じている。
それもまた、新しいものに対する恐怖なのかもしれない。
だが、それを素直に受け入れられるほど、エリーシャは幼くはなかった。

「お待たせしました、エリーシャ殿」
難しい顔のまま窓の外をじっと見ていたエリーシャに、不意に声をかける若い男が二人。
どちらも歳若く、見れば中々の美形であるが、決して軟派な理由で声をかけた訳ではないのは、その服装を見れば誰もが察する。
金ぶち入りの白いジャケットは、帝国の上級文官のみに許された稀少な品。
腰に下げられている儀礼用の杖剣も、何ら殺傷能力を持たない見た目のみの武器である。
見るからに知的な面持ちの彼らだが、見た目どおりに帝国の皇室付きの高級官僚である。
「ああ、いいえ。大丈夫です。皇帝陛下はお手すきに?」
難しい顔は元の涼やかな勇者の顔に戻り、努めて丁寧に、丁重に目の前の男達に問う。
「はい。先ほど遅めの昼食を済まされましたので、エリーシャ殿をと」
「ですが、まだお茶がお済ではないようでしたら、少しくらいなら待っても良いと……」
男達は慇懃に、自分達より歳若い娘に礼を尽くす。
わずかばかりでも機嫌を損ねないように。少しでも印象を良くしようと。
彼らにとっては割と切実な問題で、勇者がここで機嫌を悪くして皇帝との謁見をキャンセルでもすれば、その責は呼び出しに出た彼らに降りかかるのだ。
死刑とまではいかずとも、エリート街道をひたむきに走り続けた彼らにとっては死よりも残酷な降格、そして出世レースからの退場というあんまりな未来を逃れる為、彼らは彼らなりに努力していた。
「気にしないで。時間つぶしにお茶してただけだから。すぐに行きましょう」
そんな努力を知ってか知らずか。元々そんなにあくどい性格はしていないお人よしなエリーシャは、彼らを「いつも大変そうねぇ」程度に心の中でねぎらいながら、素直に従う事にしていた。


 ほどなくエリーシャは官僚達に連れられ、皇帝が座する謁見の間へと通される。
帝都の中にあって尚その城の存在感は群を抜いており、謁見の間ほどになると流石に装飾も豪奢である。
金糸を用いて編まれた手編み、手染めの絨毯は、踏むのも申し訳なく感じるほどに美しく、これ一枚で砦が建つほどの贅沢品だ。
玉座は良い香りのする貴重な香木が元となっているらしく、主を静かに癒す。
傍に付く従者の数も両手の指では足りないほどで、そのいずれもが老若関わらず美男美女。
服飾も豪奢で贅沢、それでいて品がある。
「すまねぇなエリーシャよ、今日は謁見の希望がいつもより多かったのだ」
玉座に君臨するは皇帝・シブースト。あごひげを蓄えた太った赤髪の中年男である。
とても大帝国を率いる皇帝とは思えない人のよさそうな面構えだが、これでいて周辺諸国をまとめる大盟主であり、剛剣遣いとしても名高い歴戦の猛者でもある。
「いいえ、こうしてまた、陛下との謁見がかないましたのは、私にとっては僥倖ぎょうこうですわ」
流石にこれほどの相手を前に緊張してか、エリーシャは座礼の姿勢を崩さず、皇帝の顔を見上げながら話す。
「そう堅くするな。俺はそういうのは好かん。もっと柔らかくしてくれ」
立ち上がり、困ったように頭をポリポリと掻く皇帝。
その様に、周りの従者も笑いがこぼれてしまうらしく、静まり返っていた空間は、少しだけ元の温かみを見せていた。
「全く。おい、お前ら、そんなに俺の言う事が面白いのか?」
皇帝が見回し、従者達に一言。そんなに不機嫌そうでもなく呟く。
「失礼ながら」
年配の男従者が一歩進み出て、皇帝ににやりと笑い返す。
途端に他の従者からも笑いが漏れる。
「たっ、全く、これではまるで俺に威厳がないみたいではないか!!」
忠臣であるはずの従者達の笑いに、皇帝は突き放すように言いながらも、やはり笑っていた。
「エリーシャ、お前くらいだぞ。俺相手にこんなに礼儀を尽くしてくれるのはな」
まるでそれすらただの演技であったかのように、皇帝は一歩、二歩と進み出て、エリーシャの肩を軽く叩く。
「はい。私は、そんな陛下だからこそ、礼を尽くしているのです」
皇帝の言葉ににこりと笑いながら、エリーシャは礼儀を崩さないようにそっと立ち上がる。
自分を勇者として認めてくれた大恩も勿論あるのだが、それ以上に、この皇帝の人柄が心地よくて、エリーシャは国に仕える事にしたのだ。
「……すまんなあ。お前のような勇者は、俺としても大切にしてやりたいと思う」
眉を下げ、どこかしょげたようにエリーシャの顔を見ていた皇帝は、申し訳なさそうに小さく溜息をつき、玉座に戻っていく。

「俺はなエリーシャ、どうも今のこの世界の流れが、気に喰わん」
再び玉座に座すると、今日の本題を打ち明ける。
エリーシャも再び膝をつき、主の次の言葉を真剣に聞き入る。
場は静まり返り、従者達の表情もキリリと真剣みが増していく。
空気がピシリ、と入れ替わったのを、エリーシャは感じた。
「この世界の流れ、と申しますと?」
「魔王城への討伐隊が、各国から次々に投入されているのは知っているな?」
「ええ、多くの国が、多少に関わらず精鋭を魔族世界に向けていると……」
魔王城への突入路が見出された今、我先にと魔王の首を狩らんと各国の軍が突入している。
その都度撃退されているし被害も甚大なのだが、それでも魔王を討ち取った国という名声欲しさに、無謀極まりなく映るこの特攻は繰り返されていた。
最近ではそれに飽き足らず、傭兵や賞金稼ぎ、冒険者の類まで使ってどうにか頭数を増やそうとしているのが現状だ。
その結果、各国の軍事バランスは今、少しずつではあるが崩れつつある。
「その通りだ。わが国からもお前ほどではないがそれなりに名の知れた勇者数名と、兵士を三千程回している」
「三千……思ったよりも少ないのですね」
大帝国と呼ばれるほどの権勢を誇るアップルランドの軍事力を考慮するならば、桁が二つほど少なくは無いか。
それが無謀な攻撃であるとは解ってはいても、それでもその少なさにエリーシャは驚きを隠せない。
「端から、魔王の討伐などさせるつもりはない。少しでも魔族世界の情報を得られたら、と思ってな」
「皇帝陛下は、魔王の討伐が無意味であると……?」
「無意味とまでは言わんが。討てる保証も無い。何より、今のこの城下の空気。これすらも、魔族の罠なのではないかと感じてしまう」
腕を組み、機嫌悪そうに歯を軋ませる皇帝は、最早先ほどの人のよさなど微塵も感じさせず。
一人の覇者として、威厳ある皇帝として、この場に君臨していた。
従者らもそれを感じ、先ほどの様な砕けた雰囲気はしまい込み、緊張したような面持ちで皇帝の話に耳を傾ける。
「何もかも都合がよく行き過ぎている。民衆は踊らされているがな、諸国の王室は、いずれも危機感を募らせておる」
「私も、今のこの空気には良くないものを感じました」
民衆の背後には、目に見えない何かが蠢いている。
それが魔族によるものか、それとも全く別のものによるものなのかは解らない。
だが、その気持ち悪い何かは、民衆を異常な熱気へと誘い、無防備な懐に入り込んでしまっているように感じていた。
「だからこそ正念場ぞ、エリーシャよ。お前ほどの者なら、市井の中に何かを感じるかも知れん」
「それを探し出し、解決するのが私の役目ですか?」
負傷によって軍の指揮を外されたエリーシャは、快気して尚、帝都にて皇室の指示に従う日々であった。
それは人々の役に立つようなものから、何の為にやっているのか解らない事務的な作業に至るまで様々であったが、この皇帝が指示する事ならば意味のある事に違いないと思い続けていた。
特に疑問も抱かなかったが、それが少しだけ解決されたように感じて、思わず笑みがこぼれる。
「良い面構えだ。解ってるではないか。その通りだ。上手くやってくれ」
「お任せを。ええ、必ずや陛下のお役に立ちますわ」
深く頭を下げ、主への礼を尽くす。
「ああ、頼んだ。俺のもとにはな、もうお前くらいしか信用できる勇者が居らんのだ」
そんなエリーシャに、元の人のよさそうな顔で笑う皇帝は、どこか寂しそうに影を見せていた。
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