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13.別々の大学に慣れた頃
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平日、夕方。
早めに一日の予定が終わり、椎名の通う女子大の門前で待つ事30分。
合間合間で出てくる女の子からちらちらとした視線を送られたり、笑顔で手を振られたり、からかい気味に「さよなら~」とか声を掛けられるのももう慣れた。慣れたのだ。
最初は「誰の彼氏だろう」とか噂する声もあったが、なんだかんだ毎週のように顔を出しているうちに「あれは椎名の彼氏さん」と覚えられるようになっていった。
そんな経緯もあって、今では集団に玩具にされる事もなく、スルーしてくれる子がほとんどである。
風が涼しい。もうすぐ夏なのだろう。
「――おおー、今日は来てくれてたんだね。良い日だなあ♪」
のんびりと待つつもりでキャンパス周りの景色なんかを眺めようとしていた矢先、待ち人が現れる。
腰くらいまで伸びた黒髪。俺の彼女である。
「なんか早くね?」
「門の前で彼氏さんが待ってると聞いたので」
聞いたので急いできたのだろうか。彼氏冥利に尽きる。
というか急げたのだろうか。急いでよかったのだろうか。
椎名がこの時間に入る講義は、いつも時間ギリギリまでかっちりやるものだと聞いていたのだが。
「まだ講義終わってなくね?」
「大丈夫大丈夫」
大丈夫だったらしい。
何が大丈夫なのかは解らないが、椎名は満面の笑みである。
「えっとね、今日は教授が居ないからレポート制作して提出したら、後は各自帰っておっけーってなってて」
「なるほどな」
「それで、空いた時間友達とお茶をしてたら『彼氏さん来てるよー』って」
「いい友達じゃないか」
「おかげでめっちゃからかわれたけどね」
「幸福税って奴だ」
「幸福税じゃ仕方ないねー」
最初のうちは周りからからかわれるだけで赤面していたものだが、人は慣れるものである。
今では雑談の一つとして俺の話が上がるくらいには定番になりつつあるらしい。
そういうのは往々にしてバカップルの浮ついた話として周りからは呆れられるものだと思っていたが、椎名の周りはそんな事もなく、皆恋愛話に興味津々なのだとか。
女子大生は恋に飢えているのかもしれない。
「それじゃ、いこっか」
「おう」
当たり前のように手を繋ぐ。とても自然だった。
そのままの流れで肩を抱こうとしたが、それはぐ、と手で押さえられる。
「……恥ずかしいから、それは後で」
これはまだ駄目らしい。相変わらず、椎名は恥ずかしがり屋だった。
のんびりと歩くのは、椎名の家までのちょっとした区間。
間に公園があったり商店街があったりと寄り道候補に困る事もなく、カップルがうろつくにはそれなりに楽しめる。
「なんかねー、教授、今実家に帰ってるらしいよ?」
「ほー……お前んとこの教授って、他の銀河の人なんだっけか?」
「そうそう。なんか大規模な宇宙戦争が起きようとしてるから家族を連れてこっちに引っ越すつもりなんだってー」
「そりゃまたハードな……戦争なんてまだやってるところがあるのか」
「不経済だよねー」
「ほんとにな」
のほほんとしながら余所の銀河の心配をする晩春の午後。
まあ、争いごとなんてばかばかしいのは全宇宙共通だ。
戦争なんてやってるのは蛮族扱い。
俺らが住んでるこの星だって、そんなバカげたことをいつまでもやめられなかったから、他の星の人らから『あいつらは野蛮過ぎる』と相手にされなかったのだから。
「時代によっては、戦争によって経済を活性化させようとした政治家もいたらしいねー」
「ああ、実際それで一時的には潤ってた例もあったらしいな。信じられないけど」
「人が死ぬのがなんでそんなにお金になるんだろうね? 生きてた方が絶対にお金沢山生まれるのに」
「生きてるだけの奴が多かったんだろ。活かせなきゃなあ」
ただ生きてるだけの人間は、無駄に金がかかるし無駄に面倒ごとを起こす。
そんなだから、昔の人間はそういう人を生かす為にも戦争をやらなきゃいけなかった、という側面もあったのだと、最近の史学レポートで書いたのを思い出した。
あれは何の資料を基に書いたんだったか。
……改めて、恋人と話すにはハードすぎる気がする。
いや、硬すぎるというか。
「私は割と生きてるだけで幸せだけどなあ」
「今はまあ、なあ」
人間の無駄もそうだが、それだけでは戦争は起こらない。
食糧事情だの経済の衰退だの宗教問題だの、様々な要因が元で争いは生まれ、戦争に発展する。
だけど、一番その中で大きかったのは、『相手の気持ちを考えない事』。つまり相互理解の乏しさにあったのだ。
これが解消された今の世の中は、とても平和で、皆仲良し。
たまに喧嘩くらいはするが、それはあくまでイデオロギーの違いでしかなく、そんなものは『人は人自分は自分』という考え方が出来て『それでも自分とは違う考え方の人が居てもいい』という寛容さを持つことが出来れば、争いにまでは発展しないのだ。
何百年も昔。人は諍いによって発展し、戦争によって文明を進歩させたのだと言われていた。
だが、戦争のない今の世界は、かつての戦争のあった世界よりずっと平和で、幸せで、そしてはるかに進歩している。
短期的に見た発展が、実は後々の大きな発展を阻害し続けていた事の証左で……ああ、終わりだ終わり。つまらないなこの流れ。
「彼女と一緒に考える事じゃないな」
「じゃあどんな事考える?」
ん? と、試すように首を傾げ俺を見上げる。
身長差は縮まる事はなかったが、顔だちは高校の時に比べれば幾分、本当にわずかだが大人びてきているように見えて、どきりとさせられる瞬間だった。
考える振りをして、その唇をちら見する。
「椎名をめちゃくちゃにしたい」
「ハードすぎる」
流石にいきなり過ぎたらしい。
もうちょっと段階を踏まないとダメだろうか。
このいたいけな彼女を俺の手でめちゃくちゃにしたいというサディスティックな願望はダメだろうか。
駄目っぽいからこの路線はやめておこうか。ウケも取れなかったし。
「私はいちゃいちゃしたいの。すごくあまあまでラブラブでいちゃいちゃな」
「おのれ少女趣味め」
「恋する少女でしたから」
今は違うけどね、と、それとなく腕を絡めてくる。可愛い。
ちょっと照れてるのもいい。
「この間出てた新刊買ったぞ。めっちゃイチャラブモノじゃん」
「うわ、買っちゃったの? 恥ずかしいなあ」
「悲恋がメインじゃなかったのか椎名先生?」
「趣味で書いてたイチャラブものが編集さんにばれて出す羽目になったんだよう……しかもメインより売れてるし」
「お前に悲恋は向かないって事だな」
「とほほ……皆甘い恋愛に飢えてたんだねえ」
悲劇のヒロインも、今は幸せ絶好調らしい。
市場とは変化するもの。
だが、恋に夢を見る乙女たちにとっては、やはり幸せになれる夢を抱きたい、という事だろうか。
俺の隣に居る彼女も、そういう少女だったのだろうから。
「そんで」
「うん?」
「どうしたいんだ?」
「うーん……」
俺は一度答えたので、回答権を椎名に譲る。
ひとしきり悩むのだが、可愛らしく微笑んでぎゅ、と俺の腹に顔を埋め始めた。
「こうやって……まったりしたいかなあ」
「よーしホテル行くか」
「なんでそうなるんだよーっ!」
適当にどっかでいちゃつきたいというは解ったので、敢えて反対側を狙ってみた。
思った通りのツッコミがきてとても気持ちいい。
「いやか?」
「だってそれは……なんか」
「いやか?」
「か、身体ばっかりなのはちょっと……」
「本当に?」
「……どうしても?」
「椎名が嫌なら仕方ないな」
「あっ、で、でも別にそこまで嫌と言うほどでも……あうあう」
よし、言質は取った。
赤面してまた顔を埋めてしまうが、これは椎名的におっけーの意だ。
これ以上追及すると逆に「なんでそんな事聞くの、解ってよ」と怒り出すので聞く必要はない。
「……?」
黙っていると、どうしたの、と、顔を上げる。
この流れならそのままお持ち帰りしても怒らないのに、と、ちょっとがっかりしたような顔だ。
なので、にやりと笑って返す。
「どっきりしただろ」
「あーっ!!」
からかわれていたのだと気づき、はっとした顔で俺からばっと離れる。
それから頬を膨らませて涙目になって「ひどいひどい」と抗議めいた視線を送ってくるのだ。
実に表現豊か。愛らしい彼女だった。
「もうっ、イシイ君っ、ひどいっ、酷すぎるっ! 彼女いじめがひどいよっ!!」
「だって俺の彼女純情すぎるからな、エロい事言うとすぐ真っ赤になるし」
「そ、それは普通っ」
「でも押しにはめっちゃ弱いよな」
「そ、それは……惚れた弱みというか」
「惚れた弱みならからかわれるのも仕方ない?」
「し、しかたな……くはないよ!? 普通にイチャイチャしたいし!」
「よーしじゃあイチャイチャするか―」
「ふえっ、あっ、ちょ――」
別に俺だって彼女といちゃつくのは嫌ではない。渋ってる訳でもない。
こいつが心からそれを望んでるのは知ってるし、解ってる。
ただ、だからとそれをすぐに与えてしまうのはもったいない気がしたのだ。
まあ、存分に可愛い椎名を堪能した。
後はもう、望むものを与えてやる方が良いに違いない。
手を引いて近くのベンチに。最初に腰かける。
「むむ……なんだか強引な」
「さあどうぞお嬢様」
隣に座ろうとする椎名に、ぽん、と自分の太腿の上を叩いて見せる。
「……う?」
「どうぞ」
座ろうとした姿勢のまま固まる椎名に再度自分の太腿をぽん、と叩き、待つ。
「どうぞって……?」
「どうぞ」
三度ぽん、と叩き、ようやく意味を理解したのか、俺の彼女殿は赤面した。
「いや、そのっ……それは恥ずかしくないですか?」
「何故に敬語」
「だって、太腿の上にとか……その……」
「まあまあそう言わずに。百聞は一見に如かずというだろう?」
「百どころか一も聞いてないよ?」
「まあまあ」
椎名は押しに弱い。
本当に嫌な事を除けば、大体はこうやって言い続けていればだんだんそんな気になってきて従ってしまう。
今までよく悪い男に引っ掛からなかったものだと心配になるが、よくよく考えれば俺がその悪い男だった気もする。
「う……まあ、他に人もいないし」
夕方の公園は、人気も乏しい。
通りかかる人も少ないので、見られることはあまりないだろう。
だからとそれを理由に、彼氏の上に腰かけるというのは相当に恥ずかしいとは思うのだが。
まあ、バカップルならやるよなあ、とも思う。
おずおずと俺の太腿の上に腰かけてくる椎名。
すぐにふにゃっとした感覚とちょっとした圧が全太腿に伝わる。
重みはそんなにない。華奢な彼女一人、膝の上に置いてもなんてことなかった。
「ん……これで満足?」
「いやいや」
振り向いて抗議めいた視線を向けてくる椎名に、「これで終わりな訳がない」と、ぐ、と更に胸元まで引き寄せる。
「ふわっ、あっ……う……」
一瞬驚いたように目を見開くが、胸元に頭を押し付けるようにして、そのままぎゅ、と、抱きしめる。
腿の上に座らせ、後ろから抱き締め、顔を頭の上において身動きを取れなくする椎名拘束の術。これにて完成である。
実にバカバカしいことながら風呂の中で思いついた必殺技だった。椎名なら多分死ぬ。主に思考能力が。
「う……ぁ……」
突然の事なのもあり、想定通り椎名はフリーズしてしまっていた。
相変わらずというか、こうやって身体同士が密着する姿勢だと何も考えられなくなるらしい。
これを利用した痴漢プレイとかできそうな気がするが、まあそれは置いておいて。
鼻先から伝わる椎名の髪のいい匂いに強い癒やしを感じながら、抱き締める力を強める。
付き合うようになって分かったことながら、椎名は「痛いくらいに抱き締められる方が好き」らしい。
なので、容赦なく強く抱きしめる。
前からだと腹の下に当たる柔らかい感覚が、今は右の掌一杯に伝わる。また育ったか。
それでいて左腕は細めのウェストに触れていて、薄手の服の所為で肌の感覚が布越しに伝わりドキリとさせられる。
腿の上の柔らかい感覚も素晴らしい。
俺は今、全身で椎名を感じているのだ。変態すぎた。
まあ、俺が狂ったのもこいつの所為だ。全く罪な女だった。
「あの、イシイ、君……これ、恥ずかし……」
ようやくわずかばかりに元に戻ろうとしていた椎名の戯言にも耳を貸さず、抱き心地を堪能する。
「でも嫌じゃない」
「あう……」
「むしろ嬉しい?」
「それは……っ、その……うん」
「それは良かった」
「……はう」
俺は、椎名が全力で嫌がる事は絶対にしない。
これだって、俺の願望全開に見えて、椎名の願望を満たす事もできるからこうしているだけだ。
イチャラブとはこういうものだと俺は思う。
そりゃもちろん、椎名の恋愛小説のカップルみたいに「好き」とか「愛してる」とかストレートに好意をぶつけあってもいいだろうが。
そういうのはちょっと……俺達には向かない気がした。
好意なんて口にする必要はない。既に伝わってる。溶け込んでる。
だから、こうやって抱き締めて、抱き締め続けていればいい。
「……もう」
それだけで、俺の彼女は幸せそうに俺に背中を預け、されるがままになってくれるのだから。
俺達の恋愛は、きっとこんな風に、人とはちょっと違う形で進むんじゃないだろうか。
それがどういう形で落ち着くのかはまだ解らないが、きっと、幸せに違いない。
幸せにしてみせるくらいの気概は見せたいが、果たしてそれを口にしたら、こいつはどんな顔をするだろうか。
椎名の涙目はとても可愛いし愛しいが、マジ泣きされるのはまだちょっと先に回したいな、と、うっすらそんな事を思った。
早めに一日の予定が終わり、椎名の通う女子大の門前で待つ事30分。
合間合間で出てくる女の子からちらちらとした視線を送られたり、笑顔で手を振られたり、からかい気味に「さよなら~」とか声を掛けられるのももう慣れた。慣れたのだ。
最初は「誰の彼氏だろう」とか噂する声もあったが、なんだかんだ毎週のように顔を出しているうちに「あれは椎名の彼氏さん」と覚えられるようになっていった。
そんな経緯もあって、今では集団に玩具にされる事もなく、スルーしてくれる子がほとんどである。
風が涼しい。もうすぐ夏なのだろう。
「――おおー、今日は来てくれてたんだね。良い日だなあ♪」
のんびりと待つつもりでキャンパス周りの景色なんかを眺めようとしていた矢先、待ち人が現れる。
腰くらいまで伸びた黒髪。俺の彼女である。
「なんか早くね?」
「門の前で彼氏さんが待ってると聞いたので」
聞いたので急いできたのだろうか。彼氏冥利に尽きる。
というか急げたのだろうか。急いでよかったのだろうか。
椎名がこの時間に入る講義は、いつも時間ギリギリまでかっちりやるものだと聞いていたのだが。
「まだ講義終わってなくね?」
「大丈夫大丈夫」
大丈夫だったらしい。
何が大丈夫なのかは解らないが、椎名は満面の笑みである。
「えっとね、今日は教授が居ないからレポート制作して提出したら、後は各自帰っておっけーってなってて」
「なるほどな」
「それで、空いた時間友達とお茶をしてたら『彼氏さん来てるよー』って」
「いい友達じゃないか」
「おかげでめっちゃからかわれたけどね」
「幸福税って奴だ」
「幸福税じゃ仕方ないねー」
最初のうちは周りからからかわれるだけで赤面していたものだが、人は慣れるものである。
今では雑談の一つとして俺の話が上がるくらいには定番になりつつあるらしい。
そういうのは往々にしてバカップルの浮ついた話として周りからは呆れられるものだと思っていたが、椎名の周りはそんな事もなく、皆恋愛話に興味津々なのだとか。
女子大生は恋に飢えているのかもしれない。
「それじゃ、いこっか」
「おう」
当たり前のように手を繋ぐ。とても自然だった。
そのままの流れで肩を抱こうとしたが、それはぐ、と手で押さえられる。
「……恥ずかしいから、それは後で」
これはまだ駄目らしい。相変わらず、椎名は恥ずかしがり屋だった。
のんびりと歩くのは、椎名の家までのちょっとした区間。
間に公園があったり商店街があったりと寄り道候補に困る事もなく、カップルがうろつくにはそれなりに楽しめる。
「なんかねー、教授、今実家に帰ってるらしいよ?」
「ほー……お前んとこの教授って、他の銀河の人なんだっけか?」
「そうそう。なんか大規模な宇宙戦争が起きようとしてるから家族を連れてこっちに引っ越すつもりなんだってー」
「そりゃまたハードな……戦争なんてまだやってるところがあるのか」
「不経済だよねー」
「ほんとにな」
のほほんとしながら余所の銀河の心配をする晩春の午後。
まあ、争いごとなんてばかばかしいのは全宇宙共通だ。
戦争なんてやってるのは蛮族扱い。
俺らが住んでるこの星だって、そんなバカげたことをいつまでもやめられなかったから、他の星の人らから『あいつらは野蛮過ぎる』と相手にされなかったのだから。
「時代によっては、戦争によって経済を活性化させようとした政治家もいたらしいねー」
「ああ、実際それで一時的には潤ってた例もあったらしいな。信じられないけど」
「人が死ぬのがなんでそんなにお金になるんだろうね? 生きてた方が絶対にお金沢山生まれるのに」
「生きてるだけの奴が多かったんだろ。活かせなきゃなあ」
ただ生きてるだけの人間は、無駄に金がかかるし無駄に面倒ごとを起こす。
そんなだから、昔の人間はそういう人を生かす為にも戦争をやらなきゃいけなかった、という側面もあったのだと、最近の史学レポートで書いたのを思い出した。
あれは何の資料を基に書いたんだったか。
……改めて、恋人と話すにはハードすぎる気がする。
いや、硬すぎるというか。
「私は割と生きてるだけで幸せだけどなあ」
「今はまあ、なあ」
人間の無駄もそうだが、それだけでは戦争は起こらない。
食糧事情だの経済の衰退だの宗教問題だの、様々な要因が元で争いは生まれ、戦争に発展する。
だけど、一番その中で大きかったのは、『相手の気持ちを考えない事』。つまり相互理解の乏しさにあったのだ。
これが解消された今の世の中は、とても平和で、皆仲良し。
たまに喧嘩くらいはするが、それはあくまでイデオロギーの違いでしかなく、そんなものは『人は人自分は自分』という考え方が出来て『それでも自分とは違う考え方の人が居てもいい』という寛容さを持つことが出来れば、争いにまでは発展しないのだ。
何百年も昔。人は諍いによって発展し、戦争によって文明を進歩させたのだと言われていた。
だが、戦争のない今の世界は、かつての戦争のあった世界よりずっと平和で、幸せで、そしてはるかに進歩している。
短期的に見た発展が、実は後々の大きな発展を阻害し続けていた事の証左で……ああ、終わりだ終わり。つまらないなこの流れ。
「彼女と一緒に考える事じゃないな」
「じゃあどんな事考える?」
ん? と、試すように首を傾げ俺を見上げる。
身長差は縮まる事はなかったが、顔だちは高校の時に比べれば幾分、本当にわずかだが大人びてきているように見えて、どきりとさせられる瞬間だった。
考える振りをして、その唇をちら見する。
「椎名をめちゃくちゃにしたい」
「ハードすぎる」
流石にいきなり過ぎたらしい。
もうちょっと段階を踏まないとダメだろうか。
このいたいけな彼女を俺の手でめちゃくちゃにしたいというサディスティックな願望はダメだろうか。
駄目っぽいからこの路線はやめておこうか。ウケも取れなかったし。
「私はいちゃいちゃしたいの。すごくあまあまでラブラブでいちゃいちゃな」
「おのれ少女趣味め」
「恋する少女でしたから」
今は違うけどね、と、それとなく腕を絡めてくる。可愛い。
ちょっと照れてるのもいい。
「この間出てた新刊買ったぞ。めっちゃイチャラブモノじゃん」
「うわ、買っちゃったの? 恥ずかしいなあ」
「悲恋がメインじゃなかったのか椎名先生?」
「趣味で書いてたイチャラブものが編集さんにばれて出す羽目になったんだよう……しかもメインより売れてるし」
「お前に悲恋は向かないって事だな」
「とほほ……皆甘い恋愛に飢えてたんだねえ」
悲劇のヒロインも、今は幸せ絶好調らしい。
市場とは変化するもの。
だが、恋に夢を見る乙女たちにとっては、やはり幸せになれる夢を抱きたい、という事だろうか。
俺の隣に居る彼女も、そういう少女だったのだろうから。
「そんで」
「うん?」
「どうしたいんだ?」
「うーん……」
俺は一度答えたので、回答権を椎名に譲る。
ひとしきり悩むのだが、可愛らしく微笑んでぎゅ、と俺の腹に顔を埋め始めた。
「こうやって……まったりしたいかなあ」
「よーしホテル行くか」
「なんでそうなるんだよーっ!」
適当にどっかでいちゃつきたいというは解ったので、敢えて反対側を狙ってみた。
思った通りのツッコミがきてとても気持ちいい。
「いやか?」
「だってそれは……なんか」
「いやか?」
「か、身体ばっかりなのはちょっと……」
「本当に?」
「……どうしても?」
「椎名が嫌なら仕方ないな」
「あっ、で、でも別にそこまで嫌と言うほどでも……あうあう」
よし、言質は取った。
赤面してまた顔を埋めてしまうが、これは椎名的におっけーの意だ。
これ以上追及すると逆に「なんでそんな事聞くの、解ってよ」と怒り出すので聞く必要はない。
「……?」
黙っていると、どうしたの、と、顔を上げる。
この流れならそのままお持ち帰りしても怒らないのに、と、ちょっとがっかりしたような顔だ。
なので、にやりと笑って返す。
「どっきりしただろ」
「あーっ!!」
からかわれていたのだと気づき、はっとした顔で俺からばっと離れる。
それから頬を膨らませて涙目になって「ひどいひどい」と抗議めいた視線を送ってくるのだ。
実に表現豊か。愛らしい彼女だった。
「もうっ、イシイ君っ、ひどいっ、酷すぎるっ! 彼女いじめがひどいよっ!!」
「だって俺の彼女純情すぎるからな、エロい事言うとすぐ真っ赤になるし」
「そ、それは普通っ」
「でも押しにはめっちゃ弱いよな」
「そ、それは……惚れた弱みというか」
「惚れた弱みならからかわれるのも仕方ない?」
「し、しかたな……くはないよ!? 普通にイチャイチャしたいし!」
「よーしじゃあイチャイチャするか―」
「ふえっ、あっ、ちょ――」
別に俺だって彼女といちゃつくのは嫌ではない。渋ってる訳でもない。
こいつが心からそれを望んでるのは知ってるし、解ってる。
ただ、だからとそれをすぐに与えてしまうのはもったいない気がしたのだ。
まあ、存分に可愛い椎名を堪能した。
後はもう、望むものを与えてやる方が良いに違いない。
手を引いて近くのベンチに。最初に腰かける。
「むむ……なんだか強引な」
「さあどうぞお嬢様」
隣に座ろうとする椎名に、ぽん、と自分の太腿の上を叩いて見せる。
「……う?」
「どうぞ」
座ろうとした姿勢のまま固まる椎名に再度自分の太腿をぽん、と叩き、待つ。
「どうぞって……?」
「どうぞ」
三度ぽん、と叩き、ようやく意味を理解したのか、俺の彼女殿は赤面した。
「いや、そのっ……それは恥ずかしくないですか?」
「何故に敬語」
「だって、太腿の上にとか……その……」
「まあまあそう言わずに。百聞は一見に如かずというだろう?」
「百どころか一も聞いてないよ?」
「まあまあ」
椎名は押しに弱い。
本当に嫌な事を除けば、大体はこうやって言い続けていればだんだんそんな気になってきて従ってしまう。
今までよく悪い男に引っ掛からなかったものだと心配になるが、よくよく考えれば俺がその悪い男だった気もする。
「う……まあ、他に人もいないし」
夕方の公園は、人気も乏しい。
通りかかる人も少ないので、見られることはあまりないだろう。
だからとそれを理由に、彼氏の上に腰かけるというのは相当に恥ずかしいとは思うのだが。
まあ、バカップルならやるよなあ、とも思う。
おずおずと俺の太腿の上に腰かけてくる椎名。
すぐにふにゃっとした感覚とちょっとした圧が全太腿に伝わる。
重みはそんなにない。華奢な彼女一人、膝の上に置いてもなんてことなかった。
「ん……これで満足?」
「いやいや」
振り向いて抗議めいた視線を向けてくる椎名に、「これで終わりな訳がない」と、ぐ、と更に胸元まで引き寄せる。
「ふわっ、あっ……う……」
一瞬驚いたように目を見開くが、胸元に頭を押し付けるようにして、そのままぎゅ、と、抱きしめる。
腿の上に座らせ、後ろから抱き締め、顔を頭の上において身動きを取れなくする椎名拘束の術。これにて完成である。
実にバカバカしいことながら風呂の中で思いついた必殺技だった。椎名なら多分死ぬ。主に思考能力が。
「う……ぁ……」
突然の事なのもあり、想定通り椎名はフリーズしてしまっていた。
相変わらずというか、こうやって身体同士が密着する姿勢だと何も考えられなくなるらしい。
これを利用した痴漢プレイとかできそうな気がするが、まあそれは置いておいて。
鼻先から伝わる椎名の髪のいい匂いに強い癒やしを感じながら、抱き締める力を強める。
付き合うようになって分かったことながら、椎名は「痛いくらいに抱き締められる方が好き」らしい。
なので、容赦なく強く抱きしめる。
前からだと腹の下に当たる柔らかい感覚が、今は右の掌一杯に伝わる。また育ったか。
それでいて左腕は細めのウェストに触れていて、薄手の服の所為で肌の感覚が布越しに伝わりドキリとさせられる。
腿の上の柔らかい感覚も素晴らしい。
俺は今、全身で椎名を感じているのだ。変態すぎた。
まあ、俺が狂ったのもこいつの所為だ。全く罪な女だった。
「あの、イシイ、君……これ、恥ずかし……」
ようやくわずかばかりに元に戻ろうとしていた椎名の戯言にも耳を貸さず、抱き心地を堪能する。
「でも嫌じゃない」
「あう……」
「むしろ嬉しい?」
「それは……っ、その……うん」
「それは良かった」
「……はう」
俺は、椎名が全力で嫌がる事は絶対にしない。
これだって、俺の願望全開に見えて、椎名の願望を満たす事もできるからこうしているだけだ。
イチャラブとはこういうものだと俺は思う。
そりゃもちろん、椎名の恋愛小説のカップルみたいに「好き」とか「愛してる」とかストレートに好意をぶつけあってもいいだろうが。
そういうのはちょっと……俺達には向かない気がした。
好意なんて口にする必要はない。既に伝わってる。溶け込んでる。
だから、こうやって抱き締めて、抱き締め続けていればいい。
「……もう」
それだけで、俺の彼女は幸せそうに俺に背中を預け、されるがままになってくれるのだから。
俺達の恋愛は、きっとこんな風に、人とはちょっと違う形で進むんじゃないだろうか。
それがどういう形で落ち着くのかはまだ解らないが、きっと、幸せに違いない。
幸せにしてみせるくらいの気概は見せたいが、果たしてそれを口にしたら、こいつはどんな顔をするだろうか。
椎名の涙目はとても可愛いし愛しいが、マジ泣きされるのはまだちょっと先に回したいな、と、うっすらそんな事を思った。
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存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
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どうぞご勝手になさってくださいまし
志波 連
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