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第十七章 傀儡の影

第193話 チュートリアル:特別な――

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 明りを灯すシャンデリア。

 店内の雰囲気を崩さない緩やかなBGM。

 不思議と他の客の談笑が聞こえない構造。

 それらはすべて、二人の邪魔をしない様に宛がわれた仕様の様だった。

「――命を助けてくれたあなたに、そして共に切り抜けたノブヒコに」

「――エルフェルトに」

「「乾杯」」

 ――キン

 触れ合ったグラスが音を出す。

 テーブルには高級レストランたらしめる一口を楽しめる小さな品。トマトのキャビア添えの前菜に加え、トリュフ風味のコンソメスープも。

 グラスを回して一瞬香りを楽しみ、スッと少量を口にしたエルフェルト。

 煌びやかな雰囲気、グラスを傾ける仕草、ワインを口にする唇。ドレス姿ともあって非常に様になっていると感じる西田。

 エルフェルトの様子を見ていた西田は少し遅れてワインを口にした。

(……ワイン、分かんねぇ)

 瞼を閉じて鼻に通るワインの豊潤な香りを楽しむ仕草。少し噛んだりしたがよくわからずそのまま飲み込んだ。
 上品に嗜むエルフェルトの真似をしてはみた西田。他人から見ると不格好に見える。

「うん、美味い」

 嘘ではない。

 舌触りが良く、鼻に抜ける豊潤な甘さを感じ、素直に美味しいと西田は感じた。

 しかし西田が見たのは眉をハノ字にし困った顔のエルフェルト。

「ど、どうした」

 ――何かマズったか。

 ワインのことは分からないなりにいい表情を作ろうと思った西田だが、美味しいと感じたのは本当。表情も自然なものだった。
 だからこそ、困り顔のエルフェルトの反応に西田は内心焦る。

「ノブヒコ、もしかして口に合わなかったか……?」

「え、いや、そんな事ない! 美味しい美味しい! ――ンク」

 駆けつけ一杯と言わんばかりに大口を開けワインを流し込む西田。

 鼻に抜けるワインの香りが少しばかり強い。

 眼を合わせて飲み切ったが、エルフェルトの表情は変わる事はなかった。

「ノブヒコ、無理して私に合わせている様に見える」

「そんなこと――」

「ノブヒコ」

「――あります。はい……」

 意気消沈する西田。

「私に合わせてくれるのは嬉しいが、無理に合わさせるのは私の本意ではない。……せっかくこうしてディナーを楽しむ仲になったんだ、気兼ねなくしたい」

 エルフェルトの真っ直ぐな気持ち。悲しみの想いを含ませながらも対等に楽しみたい。そんな思いを感じた西田は自分が恥ずかしくなった。

「……実はさ、慣れてないんだ、こういった雰囲気」

 ぽつりと語る。

「こうして席に着き、綺麗なエルフェルトを前にしても、まだこれが現実なんだって感覚が薄いんだ」

 手持ち無沙汰だと、両膝の上で親指を同時に回す。

「気を紛らわすために無理して合わせたのは俺の失態だ。でも、このワインが美味しかったのは本当……。正直ワインはあまり飲まないから驚いた」

 偽りで塗り固まれた西田の無理。それを吐露し、今言った言葉が本心なんだとエルフェルトは顔を綻ばせた。

「あまり口にしないワイン。それなのに私の好きなコレを美味しいと言ってくれて、私は嬉しい」

「そ、そう? ッへへ」

 笑顔のエルフェルトをやっと見れた西田は自然と顔が笑顔になる。

「たまに飲むのよね、ワイン」

「ああ。おもにサイゼのワインだな」

「さいぜ?」

 疑問を口にする。

「日本のイタリアンレストランだな。安いのに美味さ爆発! 日本の誉ぜよ!」

 楽しそうに説明する西田に対し、さいぜなるレストランに関心を抱いたエルフェルト。

「あなたがそこまで言い切るレストラン。日本行く機会があれば、ノブヒコが案内してくれる?」

「ぉおおいいぞ! 俺が連れてってやる」

「ふふ」

 口に手を当て笑う。

「はむ――。おっと。あくまでも学生から家族連れとがよく通うレストランだ。ココみたいに高級レストランじゃないからな」

 一口サイズの楽しみを口にしてからそう言った西田。品に手を着ける程に西田の緊張感が和らいだと判断したエルフェルト。

 安心した表情でワインを口にした。

「楽しみだ、ノブヒコ」

「ッ」

 屈託のない微笑みを向けられ、心臓の鼓動が早くなる。

 それからは笑顔が止まないほど談笑が続き、メインディッシュであるランプ肉のポワレを舌づつみ。

「ウンまっ!? 赤身肉パネェ!?」

「気に入ってもらえて何よりだ」

 ワインをほどほどにアメリカのビールを楽しむ西田は陽気になり、そんな彼に負けないくらい、エルフェルトは頬を緩ませた。

 提供される品々もデザートを残すのみ。

 高級レストランより居酒屋でがっつり行く派の西田。少量で大丈夫かと心配したが、酒もあり思いのほか満足した腹持ちになった。

 その表情を見たエルフェルトはグラスを傾けワインを飲む。

「――――ノブヒコ」

 グラスを置いて彼を呼んだ。

 彼は柔らかな表情を彼女に向ける。

「実は、こうした特別な日に開けようと思っていたワインが私の家にあるんだが――その――」

 下唇を噛み。

「――一緒に飲まないか」

 言った。

 言い切った。

 勇気を振り絞って、言ってやった。

 速い鼓動を感じたのはあの日の洞窟以来。

 着ているドレスは何着も試着して選び抜いた一押し。

 普段は付けない口紅を付け、香水も一振り。

 自分はハッキリ言えただろうか。

 自分の顔は赤くなっているのだろうか。

 自分は今、魅力的なのだろうか。

「――」

 自信はない。

 しかし精一杯を出したつもり。

 初めて胸に抱いた感情に従いここに来た。

 酒を飲んだ彼の答えは。

「エルフェルトん家? いいよ!」

 気持ち良くなった笑顔で心の良い返事。

 これにはエルフェルトもスマイル。努力は無駄ではなかった。

 助けてくれたお礼だと会計は彼女が持ちカード払い。

 外で待機していた黒服が待つ高級車に乗り込み、一言。

「私の家まで」

 車は進んでいく。夜の顔を覗かせるニューヨークの街を。

 車内では会話が弾む……ことは無く、互いに無言。

 ――無言でいい。

 車の走行音が聞こえるだけの車内。静かだからこそ、小指が重なる感覚が好きになるエルフェルト。

 しかし、エルフェルトの心境とは裏腹に、内心焦りまくった男が一人。

 運転手の黒服。いや、違う。

(――!?!?!?!?!?)

 酔いが冷めていき思考が回復した男。ヤマトサークル所属――西田信彦。その人だ。

(え、俺今からエルフェルトに家に行くの……? エクストラスの実家じゃなくてエルフェルトの家に? え、どうしてこうなった……?)

 互いに借りた酒の力とは言え、あまりにも早い展開に脳の処理が追いつかない西田。

 そんな西田でも、ニューヨークの明りが遠のくに連れ、窓ガラスに写るのは段々と一人の男の顔へとなる彼だった。

 ゆっくり止まる車。そこは閑静な住宅街だった。

「ありがとう遅くまで」

「いえ、仕事ですので。では、よい夢を」

「あなたもね」

 黒服の拘束時間を解くエルフェルト。彼女の側には頭を下げる西田の姿が。

 車が発進するのを見届け、日本の一軒家が小屋に見える程の住宅街の一棟に進む二人。

 扉を解錠し、ドアを開け家へと入る二人。

 経験上あまり感じない柑橘系の爽やかな香り。それを鼻に感じた途端――

「――ん」

 西田の唇が塞がれた。

 それは一秒にも、二秒、十秒にも感じる長いキス。

 息継ぎに唇を離すエルフェルトの瞳は濡れ、今にもこぼれそうで。

「――ん――んん」

 啄む様に、吸う様に、敏感な唇を互いに奪い合う。

「――ちゅぷ」

 唇を離すエルフェルト。濡れた瞳で愛おしそうに彼を見つめる。

「――ご褒美。無事に戻ってこれたでしょ」

 親指で彼の頬を撫でる彼女。

 消えてしまいそうな彼女の声に彼は。

「――こんなんじゃ足りない」

 真っ直ぐな視線を向け、彼女の顎を持ち上げ唇を奪った。

「――んん――むちゅ――んん――」

 舌を絡め合いながら誘導される様に寝室へ。

 廊下には彼の着ていた服が跡を残すよう乱雑に脱ぎ捨てられていた。

 そして寝室。

 下着姿でベッドに腰かける彼。

 ハラリと脱がれたドレスは足元に落ち、彼女は近づいて彼を押し倒し、生まれたままの姿で腰に跨った。

「――特別なワインは無い……。口実なんだ……」

 吐息交じりの言葉。濡れた瞳。濡れた唇。濡れて糸を引く――。
 月明かりに照らされながらそう言った。

「特別なワインは今いらない。今は、特別な女が欲しい――」

 二人の手が握り合う。


 閑静な住宅街。

 エルフェルトの家から少しはなれたところで高級車が止まっていた。

「……」

 車内で黒服が送信ボタンを押し、それから車を動かした。

 送信された端末が通知を知らせる。

「……ほう」

 送られてきたのは画像はレストランで楽しく食事する二人。

 車内の二人。

 そして玄関で互いの唇を塞ぐ二人。

 それらを見た彼は俯き、下を向いて頬を吊り上げ、不敵な笑顔でこう思った。

(計画通り……!!)

 エッジ・エクストラス。

 愉悦に浸るのだった。
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