異能専科の猫妖精

風見真中

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贖罪編

怒りの神狼

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 この気持ちは、どこに向ければいいのだろう?
 思考が読めるとはいえ、偶発的にできた隙を突かれた以上、トシを責めるのはお門違いだ。
 味方になれないと言い切った諏訪先輩か?
 助っ人でありながら俺たちに戦闘を任せたマシュマロか?
 全ての元凶である藤宮か?
 直接手を下した奈雲さんか?
 それとも、稚拙な作戦で無謀な戦いに挑んだ俺自身を責めればいいのか?
 分からない。
 ただ、全ての要因が積み重なり、結果として惨劇は起こった。
「や、くも……⁉」
 奈雲さんの節足に首を貫かれ、八雲は動きを止めた。
 気道、喉笛、脊髄、血管、ありとあらゆる急所の詰まった箇所への一撃。
 明らかな、致命傷だ。
「これで、三人」
 言葉を失う俺たちを見回し、藤宮はニヤリと笑ってトシを見据える。
「残ったのは戦えないサトリの異能。これで終わりね」
 満足気に語る藤宮と、その隣で二人の体を節足からぶら下げる奈雲さんを見て、俺は思考が真っ黒に染まっていくのを感じた。
 突き立てられた銀のナイフの痛みも忘れて、腹の底から沸いてくるドス黒い感情に翻弄される。
(八雲……)
 生きているのか、死んでいるのか?
 動かない、死んでるかもしれない。
 諏訪先輩ならまだ助けられる?
 いや、間に合うわけない。
 マシュマロに凍らせてもらう?
 いや、現実的じゃない。
 足が抜かれてないから、血は出ていない?
 時間の問題かもしれない。
 呼吸は出来るのか?
 脊髄の損傷は?
 あれじゃあ、
 もう、
 助からない?
(八雲が、死んだ?)
 死んだ。
 殺された。
 八雲が。
 嫌だ。
 だって、
 まだ、
 約束が、
 これから、
 奈雲さんを、
 助けて、
 それから、
 もっと、
 いままでの分、
 やっと、
 本当に、
 友達に、
 なれたのに、
 それなのに、

 目の前で、八雲を殺された?

「あぁ……」
 視界が赤く染まる。
「ああッ‼」
 銀のナイフを口に咥え、抜く。
「ああああああッ‼」
 憤怒と憎悪に身を任せ、俺は立ち上がった。
「だ、大地……?」
 戸惑うトシの声が聞こえる。
「大地、君……?」
 呆然とするネコメの声が聞こえる。
『ダイチ』
 頭の中で、リルの声が聞こえる。
「……リル」
『うん』
「力を、寄越せ」
『危ないよ?』
「構わねえ」
『……分かった』
 ドクン、と心臓が跳ねた。
 せき止められていた力が、ダムの放水のように一気に俺の中に流れ込む。
 初めてリルの名を呼んだ時のような、衝撃と快感。
 あの時を遥かに上回る、強烈な異能の奔流。
 その中に、確かに感じる憎悪。
「ふじ、みや……‼」
 憎悪の感情は真っ黒な炎のようなイメージで、俺の中を、心を燃やし尽くしていく。
 メラメラと、轟々と、感情の全てを黒に変えていく。
「藤宮ァ……‼」
 片耳が無い。気にならない。
 指の骨が全部折れてる。気にならない。
 胸部の鈍痛。痛くない。
 スタンガンのショック。もう忘れた。
「藤宮‼」
 痛みも苦しみも、全てを忘れて歯をくいしばる。
 一筋だけ流れた涙を最後に、俺の中身は完全に埋め尽くされた。
「殺してやる、藤宮ァ‼」
 俺は溢れ返った殺意のままに、リルから根こそぎ力を奪い取った。
「こ、殺しなさい奈雲‼」
 銀の毒を跳ね除けた俺に、藤宮は動揺していた。
 命令を受けた奈雲さんは空いている最後の節足を俺の顔めがけて伸ばすが、俺はそれを避けず、開いた左手で受け止める。
 節足が貫通した手を握って抜けないように固定し、力の限り引き寄せる。
「ッ⁉」
 ぬかるんだ地面に溝を作りながら奈雲さんの体を引き寄せ、空いた右手で節足の出所、奈雲さんの腹部に手刀を入れる。
 もともと指が折られていたせいでねじ込んだ手刀はぐちゃぐちゃに歪んでしまったが、力ずくで深く食い込ませ、まず八雲を貫いている節足を捻じ切る。
「ッ‼」
 節足を一本失った奈雲さんだが、痛がる様子もなく口から大量の糸を吐きつけてきた。
 俺は即座に左手を節足から抜き、ぐちゃぐちゃで使い物にならなくなった左腕で糸を受け、次いでネコメを吊り下げている節足を右腕で抱えるようにして、二本纏めて引き千切る。
「あ……ッ‼」
 そこで初めて奈雲さんは声を漏らし、腹部から流れる血を見て狼狽した。
 今の奈雲さん自身にはどの程度の自我があるのか、痛みは感じているのか、気にはなったが、止まれない。
 ただ今は、さっさと沈んでくれ。
 これ以上、邪魔をしないでくれ。
 俺はもう、藤宮を殺すことしか考えられないんだ。
「だ、大地君、ありが……」
「退いてろネコメ。八雲を連れて下がるんだ」
 ネコメはもう完全に戦えない。もともと完治していなかった足に重症を負ったのだ。
「大地君……」
 戸惑いながらも体を起こすネコメを下がらせ、俺は奈雲さんから目を逸らさない。
「そこを、退けぇ‼」
 残った最後の節足を掴み、力の限り奈雲さんを投げ飛ばす。
 山奥の闇に飛んでいった奈雲さんだが、周りの木に糸を吐きつけて減速する。
 俺は奈雲さんに構わず、孤立した藤宮に肉迫する。
「このッ‼」
 咄嗟にスタンガンを構えた藤宮だったが、痛覚が麻痺している今の俺にはそんなもの効きはしない。
 当てられたスタンガンを叩き落とし、踏んで破壊する。
「往生しやがれッ‼」
 右腕を振り上げ、狙いを定める。
 狙う場所は、首。
 八雲と同じ苦しみを味わわせてやる。
「大地、後ろッ‼」
「ッ⁉」
 右腕を振るった瞬間にトシの声が聞こえ、間髪入れずに肩に衝撃が走る。
 右肩を貫通した奈雲さんの節足が、頰を裂いた。
 背後から肩を貫いた奈雲さんの節足のせいで軌道がブレてしまい、振るった右手は藤宮の首の皮膚を僅かに掠めただけだった。
「邪魔、すんなぁ‼」
 肩に刺さった節足を抜こうともがくと、ゴキン、と鈍い音が体内から聞こえた。
 どれだけ気合いを入れても右腕が上がらず、ダラリと力なく垂れ下がったままだ。
「ッ⁉」
 肩が外れた?
 いや、関節の骨を節足で砕かれていたんだ。
「クッソがぁ‼」
 肩から突き出ている節足の先端を左手で掴もうとするが、もう原型をとどめていない手では掴むことさえできない。
 節足を折りながら接近してきた奈雲さんが低い位置の回し蹴りを放ち、両足の骨が砕かれる。
「クッソォ‼」
 左手は使い物にならず、右腕は上がらない。そして今、両足が砕かれた。
 それでも俺は、暴れるのをやめない。
「ッ⁉」
 右肩に刺さったままの最後の節足に噛み付き、全力で首を捻る。
 奈雲さんの腹部から鮮血を撒き散らしながら、最後の節足を千切り取った。
 そして、闇に舞う血風の中に、
(何だ、アレは⁉)
 血の飛沫に混ざって、いくつもの石が辺りに散らばった。
 黄色と黒の縞模様の、小さな石。
 ぬかるんだ地面に倒れこんだ俺は、目の前に落ちていた石の一つに注視する。
(異能、結晶⁉)
 先日諏訪先輩に見せられた物と色合いは違うが、その石は間違いなく後天的に異能の力を与える石、異能結晶だ。
 奈雲さんの腹部に埋め込まれていた異能結晶が、全ての節足を引き千切ったことで溢れたらしい。
「あ……あぁ……‼」
 奈雲さんは苦しそうに呻き声をあげると、ガクッと膝を折って地面に手をついた。
 眼帯で覆われていない左の瞳からは、異能を示す赤が失われている。
(異能が、弱まったのか?)
 奈雲さんは異能結晶で異能を強化されていた。その異能結晶がいくつか失われたことで、本来の弱い異能に近づいたということか。
(これなら、何とかなるッ‼)
 奈雲さんはどう見てももう戦えない。
 戦闘能力の低い藤宮一人が相手なら、怪我を負っているネコメと戦闘向きでないトシだけでも何とかなるはずだ。
 そんな風に楽観していると、
「……やってくれたわね」
 倒れた俺と膝を折った奈雲さんの間に、藤宮が歩み寄って来た。
 首だけを動かして視線を向けると、藤宮は先ほど俺が付けた首筋の傷をさすりながら、憤怒の表情で俺を見下ろしている。
「残念だわ。ここで使い捨てることになるとはね……」
 そう言って藤宮は、ポケットから錠剤の瓶のようなものを取り出した。
 極彩色の飴玉のように瓶の中に詰まっているのは、奈雲さんから溢れたものと同じ、異能結晶。
 藤宮は瓶の蓋を開け、ジャラジャラと手のひらの上に山盛りの異能結晶を乗せる。
「や……めろッ‼」
 まさか、と思ったのもつかの間、藤宮は手に乗せた大量の異能結晶を、出血する奈雲さんの腹部にねじ込んだ。
「あがぁ……‼」
 傷口から大量の異能結晶を埋め込まれた奈雲さんは、悲鳴を上げながら大きく仰け反り、ビクン、と体を震わせた。
 仰け反って剥き出しになった腹部の傷が、まるで逆再生するように塞がっていき、ほんの数秒で完治してしまう。
「うそ……だろ……?」
 そして、膝をついて空を見上げていた奈雲さんの体が、音を立てて変質していく。
 腹部からはやっとの思いで千切り取った節足が再び四本生え、両腕と両足がゴキゴキと異音を上げながら長く、硬く、鋭い節足へと変わっていく。
「ぃがぁッ……‼」
 不気味な声と共に俺の方に向いた顔は、口元だけだった異形が更に顔の半分程まで侵食し、左目が不気味な蜘蛛の目に、右目は付けていた眼帯が外れ、人間のものでありながら強い異能を感じさせるものに変質していた。
 あの右目は、恐らくキョンシーにされた異能者、飯島が持っていたという魔眼と呼ばれる異能だろう。
「奈雲、さん……?」
 左右非対称な赤い瞳と、八本の節足。
 奈雲さんは、完全に人間とはかけ離れた姿になった。
「蜘蛛は単眼の虫、複眼を持つ昆虫と比べて獲物を目で追うのが苦手なのよ。でも、魔眼があればそれも解決する」
 手の中でジャラジャラと異能結晶の入った瓶を弄びながら、藤宮は狂気の笑みを浮かべる。
「蜘蛛の機動力を最大限に活かせる究極の異能混じりが、今ここに完成したわ‼」
 笑う藤宮に、俺は瞠目した。
 これが、これが仮にも国を憂いで行動を起こした人間の姿なのか?
 ただ強い異能者を生み出すことだけを目的にしたこいつに、本当に大義なんてあるのか?
「まあ、あと何日も動かないのは明白だけどね。さあ奈雲、この犬コロを殺して」
「あ……あぁ……」
 奈雲さんは異形の口から声にならない呻きを上げながら、ゆっくりと節足を持ち上げる。
 矛先は恐らく、頭。
 確実に絶命するであろう箇所に、鋼のような硬度の節足が狙いを定める。
(ここまで……なのか?)
 俺はただ、八雲を救いたかった。
 囚われている奈雲さんを助けて、姉妹で一緒に過ごさせてやりたかった。
 そのためにトシとネコメを巻き込んで、リルに無理をさせて、謹慎も命令も無視して藤宮にカチコミを掛けた。
 それが、このザマかよ?
(そんなの……そんなの……‼)
 姉妹が一緒にいるなんて、当たり前の事なのに。
 友達が助けて欲しいと言ったら助けるなんて、当然の事なのに。
 たったそれだけのことも、俺はできないのか?
(何が異能者だ……‼ 何が霊官だ……‼)
 悔しい。
 悔しくて、悔しくて、たまらない。
(何が、神狼の異能混じりだよ……⁉)
 無様に悔恨の涙を流す俺に、節足が振り下ろされる。

 その一撃から俺を守ったのは、もう一人の蜘蛛だった。

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