異能専科の猫妖精

風見真中

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贖罪編

生徒会の白雪姫

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 背中に受けた衝撃に、俺はネコメを庇った姿勢のまま前のめりに倒れこんだ。
 テーブルの砕ける音と共に、体の内部から鈍い音が聞こえる。
(クソ……ヤベェ……‼)
 鬼の凄まじい筋力で投げられたテーブルをマトモに受け、恐らくは背骨を損傷してしまった。
 倒れこむ俺をネコメが抱き支えてくれるが、俺は痛みと衝撃のせいで動けない。
「大地君⁉ 大地君⁉」
 耳元で俺の身を案じてくれるネコメも、足を負傷しているせいでしゃがんだ姿勢のまま動かないでいる。俺を引きずって移動するのは困難だろう。
「リ……ルッ‼」
 俺は痛みを堪えながらリルに話しかける。残念ながら帰ってきたのは、心許ない細声だ。
『ダイチ……痛い……』
「俺だって痛えよ、コンチクショウ……‼」
 せめてこの背中の痛みさえ何とかなれば、動くことはできそうだ。
 そうすればネコメを連れて離脱することも可能だろう。
「リル……加減が効かなくてもいいから、ありったけの異能を、俺によこせ……‼」
 ウェアウルフの異能さえマトモに機能すれば、俺は痛覚を感じずに行動できる。そう思っての提案だったが、一向にリルから異能を感じない。
「リル? おい何やってんだよ⁉」
『ダメ……。力が、入らない……』
 リルの声はか細く、力を求めているというのに逆に異能が弱くなっている感じさえする。
「リルッ……‼」
『ダメ……』
 その言葉を最後に、俺の耳と尻尾は消え、リルは床に弾き出されてしまった。
「そんな……」
 異能が強制的に解かれたせいで、俺の体の至る所に激痛が走った。
 わずかにでも機能していた脳内物質の分泌が止まったこともあるが、本人の意思に関わらない異能の強制解除というのは、体に少なくない負担をかけるらしい。
 角が掠った腹部の傷に、ズタボロの背中。痛くない箇所が無いほどに全身を痛めつけられ、力が入らなくなった俺は異能具を手放してしまう。
 食堂の床に金属の落ちる音が響き、その音を契機にしたように鬼が迫る。
『オォ‼』
 眼前に構える二体の鬼。その牙が、その爪が、俺とネコメの体を切り刻もうと振り上げられたその時、

「やめろ」

 静かな声が食堂に響き、鬼の凶行は止まった。
 否、阻まれた。
 鬼共の首や腕を這うように冷気を漂わせる氷が巻き付き、その動きを完全に止めていた。
「二人とも、大丈夫?」
 動きを止めた鬼と俺たちの間に割って入り、マシュマロこと雪村ましろがそっと膝を折った。
「雪村先輩……」
 安堵したネコメの声を聞きながら、俺はまず困惑した。
 食堂の出入口には未だに身動きが取れないほどの人集りが出来ており、マシュマロは食堂内に入れなかったはずだ。
「マシュマロ、どうやって……?」
「ん」
 膝を折った姿勢のまま示すマシュマロの指先を辿ると、食堂の出入口には氷の彫像が出来ていた。
 人混みの上を渡る、氷の橋。
 食堂の外から異能の冷気を使ってあの橋を作り、その上を伝って食堂に入ったのか。
「ごめん。湿度が、足りなくて、時間が、かかった」
 小さく謝りながらマシュマロは俺たちの体を見回す。靴下を赤く染めたネコメの足に、裂けて血の滲んだ俺の腹や背中。腕の中でぐったりするリル。
「ごめんね……。本当に、ごめん……」
 俺たちの傷を見て、マシュマロは悲しげに表情を曇らせた。
 出遅れたせいで戦闘に参加出来なかったのを謝っているのだろう。
「いや……単純に力不足だった……」
「はい。情けないです……」
 自分たちの不甲斐なさを嘆く俺たちだったが、マシュマロはゆっくりと首を振った。
「私こそ、ごめん。でも、もう、大丈夫だよ」
 そう言って折っていた膝を伸ばして立ち上がり、無事だったテーブルの上に手を伸ばす。
 テーブルに乗っていた水の入ったグラスを手に取り、その中身を鬼に向かってぶちまけた。
『グォ⁉』
 鬼に向けて撒かれた水は、まるで寒冷地のびっくり映像のように空中で凍りつき、無数の細氷となって宙を舞う。
「私の、友達に……」
 室内灯の光を受けて煌めく細氷の中で、マシュマロは両手を鬼に向けた。
 空気中の水分さえ凍らせるほどの冷気は、マシュマロの指先から可視化されて白く立ち上る。
 宙に舞う氷の白と、立ち上る冷気の白。そんな中で、その双眸だけが、業火のように赤かった。
「怪我、させたなッ‼」
 鬼に向けた両手の指をバッと開き、その手の中に白い冷気が集まっていく。
 腕をスライドさせるように動かした後、マシュマロの手には氷の杖が握られていた。
 白く煌めく、長さ一メートルほどの氷の杖。
 マシュマロはその杖を大きく振りかぶり、未だ氷の拘束を施されている鬼の一体に向けて叩きつけた。
 そして、杖が砕けた。
「ちょ、オイ、マシュマロさん⁉」
 あれだけ格好良く助けに入り、手品のように武器まで出したというのに、その武器があっさり壊れてしまった。
「……どーしよ、勝てない、かも」
 マシュマロは困った顔でこちらを向いた。
 いや、勝てないかもって、あんたさっき『もう大丈夫』とか言ってたじゃん⁉
「つーか確かあんた武器持ってなかったっけ⁉ 前に生徒会室に行ったときなんかあったじゃん⁉ あれはどうしたんだよ⁉」
 俺の記憶が確かなら、初めて生徒会室に行ったときにマシュマロは布に包まれた長物を机に立てかけていたはずだ。
 恐らくは槍か、それに準ずる異能具。
 でもマシュマロがあれを持ち歩いている姿は見たことがない。
「……あれは、重いから、持ち歩きたく、ない」
「意味ねえ⁉」
 何だったんだよ今の啖呵は⁉
 アホなやりとりをしている間に、二体の鬼は氷の拘束を砕いてしまう。
 食堂内は冷房が効いているが、それでも冷蔵庫内のような温度ではない。そもそも鬼が壊したせいで窓が割れているし、氷の拘束がいつまでも維持できる温度のはずがない。
「破られたぞ⁉」
「ああ、もう‼」
 マシュマロは憎らしそうに表情を歪め、今度はテーブルの上にあった水の入ったピッチャーを鬼に向かって投げつけた。
 たちまちぶちまけられた水は凍っていき、片方の鬼に、今度は先ほどよりも頑強そうな拘束が施された。
 マシュマロはテーブルのグラスを手に取り、再び氷の槍を作ってその手に握る。
 一体を拘束しておき、その間にもう一体を倒す作戦にシフトしたらしい。
「マシュマロ、何でわざわざ水を使うんだ? 氷が出せるのに……」
 先ほどもそうだったが、マシュマロはグラスの水を撒いてから異能を使った。
 氷が出せるのに、どうしてわざわざ水を凍らせるんだ?
「雪村先輩は、氷を出せるわけじゃありません。大気中や体内の水分を凍らせるだけで、異能でできるのは冷気を操ることです」
「冷気を、操る?」
 それはつまり、俺たちが異能を使って超人的な身体能力を発揮すれば体内のカロリーを消費するように、マシュマロが異能を使えば体内や大気中の水分が枯渇するってことか?
「無から有は生まれません。異能でもそれは同じです。だから雪村先輩は、水分がないと異能を使えないんです」
「そういえば、初めて会った時は……」
 マシュマロと初めて会った時、俺と烏丸先輩が戦うためのリングを作る前に加湿器のスイッチを入れていた。
 あれは空気中に十分な水分を行き渡らせるためのものだったのか。
「少量でも水があれば、それを介して大気中の多くの水分を凍らせることができます。でも、屋内では……」
 鬼の拘束に使われた氷の量は、グラスやピッチャーの中身とは釣り合わない。あれは中身の水そのものを凍らせているわけではなく、それと凝結する大気中の水分を凍らせていたって訳だ。
「確かに、今の時期じゃ除湿されてろくに水分は無いか……。じゃあ、鬼共をあの窓から外に出せばどうだ?」
 鬼が壊した窓は、当然外と繋がっている。外は雨が降ってるし、水分には困らないはずだ。
「それなら、雪村先輩は十全に異能を行使できるはずです。でも、今の私たちじゃ……」
 鬼を外に出す、たったそれだけのことも、負傷したネコメと異能を扱えない俺では到底不可能ってことか。
「クソッ、何か方法は……⁉」
 このままでは俺もネコメも、マシュマロの足手まといにしかならない。
 どうしたものかと思案していた、その時、破壊された窓の外から、声が響いた。
「鬼はぁ、外ぉ‼」
 そのセリフ自体は間抜けだったが、効果は凄まじかった。
『ゴァ⁉』
 拘束されていた一体の鬼が、掛け声と共に大きく吹き飛ぶ。壊された窓を突き破り、雨の降りしきる屋外へと。
「彩芽、ないす、あしすと」
「もう一丁行くわよ。離れなさいましろ‼」
 窓の外からの声、諏訪先輩の言葉に、マシュマロは持っていた氷の杖を鬼に向かって投げつつ、バックステップでその場を離れた。
 鬼は投擲された杖を防ぐために手を出し、そのままもう一体の鬼同様に吹っ飛んだ。
 鬼がいなくなり見通しの良くなった窓の方に目を向けると、そこにはトシと、車椅子に乗った諏訪先輩がいた。
 どうやら出入口の混雑から食堂に入るのは無理だと考え、外に回ったらしい。
 鬼が外に出たことを確認したマシュマロは、俺たちに一瞥をくれてから鬼を追って外に出た。
「大地君、私たちも」
「ああ」
 ネコメの言葉に頷き、俺は左腕にリルを抱え、右肩を足を負傷したネコメに貸しながら立ち上がった。全身くまなく痛むが、歯を食いしばって我慢だ。
 よたよたと覚束ない足取りで壊れた窓から外に出ると、そこでは幻想的な光景が繰り広げられていた。
「ここなら、わたし、強いよ」
 今度こそ自身満々に、マシュマロはそう宣言した。
 生徒会役員、雪女との混血、雪村ましろ。
 その力の一端を、俺たちはここで垣間見る。
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