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贖罪編
その帰りを求めるもの
しおりを挟む『……そう』
俺の報告を聞き終え、電話の向こうで諏訪先輩は神妙な声で頷いた。
市内の大型総合病院、隔離された入院病棟の廊下で、俺は仕事の進捗、東雲の様子を、先輩に報告していた。
特別な機器を置いていないことから、ケータイの使用に制限がないどころかフリーWi-fiまで完備されているこの場所は、俺やトシもお世話になったことのある霊官御用達の病院だ。
「……あのお調子者が、なんであんなことになってんだよ?」
脱獄した藤宮が狙うであろうネコメの護衛。俺ともう一人斡旋されたのは、俺たちのよく知る東雲八雲だった。
藤宮の起こした事件の渦中にいた人物の一人で、藤宮の共犯として逮捕されていた。
以前柳沢さんは、東雲には情状酌量の余地があり、すぐに会えるようなことを言っていた。
俺はそれを喜んだし、ネコメも友人に会えないことを寂しがっている様子だった。
しかし、いざ会ってみれば、まるで別人だ。
顔は青白く、目の下には酷いクマがあった。
頰も痩せこけていて、手入れの行き届いていた髪もパサパサになっていた。
何より、あいつから漂っていたむせ返るほどの甘い香りが、欠片も感じられなかった。
よく似た別人と言われれば信じてしまいそうなほど、今の東雲にかつての面影はない。
「一体何されたらあんな風になるんだよッ⁉ このひと月、東雲に何してたんだよ⁉」
俺の顔を見ただけで、俺が少し手に触れただけで、東雲は大きく取り乱し、吐瀉し、震えた。
床に伏し、俺に懇願して来た。
許して欲しいと。
許さないで欲しいと。
そして、殺して欲しいと。
一体何があれば、人はあそこまで怯えるんだ?
あんな完膚無きまで、心を折られるんだ?
「先輩は、東雲に会ってたんじゃなかったのか⁉」
『会ってはいないわ。それは許可されなかった。監視カメラ越しにあの子の様子を見ただけよ……』
「ッ……」
なんだよ、それ。
直属の上司だった諏訪先輩が会うことも許されないなんて、そんなにあいつは危険人物扱いされていたのか?
そんなに、東雲を悪者にしたいのかよ?
『でも、あの子がそこまで精神を病んでいるとは思わなかったわ……。私の見込みが甘かったわね……』
「そんなこと……」
いや、先輩のせいじゃない。
あの東雲が、あの明るい東雲八雲がここまでになるなんて、一体誰が想像できただろう。
しかし、考えてみれば東雲はずっと演技をしていた。
藤宮の命令でネコメに近づき、その異能を奪う為に動いていた。
つまり、俺たちは誰も、本当の東雲八雲を知らないんだ。
明るい東雲は言わば虚像。
東雲八雲が創り出した、誰とでも仲の良いクラスのお調子者の、『東雲八雲』という役を、あいつはずっと演じていた。
それも一日二日の話じゃない。
何年も、下手をすれば、生まれてからずっと。
そして今、あいつはその役を剥奪された。
残ったのは、ただの蜘蛛の異能混じりの少女。
その東雲が何を思い、何を感じているのかなんて、誰にも分からない。
分かることといえば、あいつが俺に対してとてつもない罪悪感を抱いているということ。
あの事件の責任を、一人で感じているということだけだ。
『……ともかく、話を聞く限り今の八雲じゃ護衛には相応しくないわ。そもそも、ネコメと会わせることも危険ね』
確かに、俺に会っただけであの取り乱し様だ。ネコメに会えば、どれほどの精神的負荷が掛かるか分からない。
でも、それでも俺は、東雲の心をなんとかできるのはネコメなのではないかと思う。
ネコメは、ずっと演技をしていた東雲が、唯一本当に友達だと思っていた相手だ。
東雲はネコメの為に、一度だけ本気で怒った。
ネコメを殺せという親の命令に、唯一背いた。
ネコメは殺せないと、そう言って泣いた。
ネコメとだけは、本気で友達だったはずだ。
危険な賭けだというのは重々承知しているが、それでも俺はネコメと東雲を会わせてやりたい。
ネコメの存在が東雲の心を癒すかもしれないし、何より東雲が居なくなってから、ネコメはずっと寂しそうにしていた。
ルームメイトだった東雲が居なくなり、一人取り残された部屋で東雲の私物からその面影を感じる。
表情に出すことは少なかったが、きっと部屋の中でのネコメは笑っていなかったはずだ。
だから俺は、ネコメと東雲、二人が笑い合える方に賭けたい。
「……先輩、俺は二人を会わせたい。少なくともネコメは、それを望んでるはずだ」
俺の意思を聞いて、電話の向こうの先輩は少し黙った。
きっと先輩の中でも葛藤があるのだろう。
『……それが』
やがて電話口から聞こえた声は、先ほどよりも更に強張ったものだった。
『それが、更に八雲を傷つけることになっても?』
「…………」
先輩の言葉は、重い。
今よりもっと心に傷を負えば、東雲は本当に壊れてしまうかもしれない。
そんなことは俺にも分かる。
でも、だからこそ、俺は二人を会わせてやらなきゃいけないんだ。
だって、二人は友達なのだから。
そのために、俺は諏訪先輩にハッキリと宣言する。
「……俺は、東雲を信じてみる。あいつは、そんなにヤワじゃない」
そうだ。東雲八雲は強い。
親の命令に背いて、泣きじゃくって。
それでも罪を受け止める覚悟のできる、心の強い奴だ。
だからきっと、東雲は立ち直れる。
「東雲だって、本当はネコメに会いたいはずだ。だってあいつは、ネコメを友達だと思ってるんだから」
心が疲れたとき、どうしようもなく辛くなったとき、一人で立ち直れる奴もいれば、そうでない奴もいる。
そんなときに支えて欲しい、そばにいて欲しいのは、家族や恋人、そして、友達だ。
だから東雲だって、ネコメに会いたがっているに違いない。
『……分かったわ。あんたの好きにしなさい』
俺の言葉に、先輩は渋々といった様子で頷いた。
『でも、大地の仕事はあくまでもネコメの護衛よ。そこを履き違えるんじゃ……』
「違うだろ」
上司としてそんなつまらないことを言う先輩に、俺は食い気味で言葉を被せた。
「俺の最初の仕事は、ネコメともう一人の護衛を、東雲八雲と引き会わせることだろ?」
『あんたね……』
先輩の嘆息気味の声を聞きながら、俺は心を決める。
ネコメは間違いなく、東雲に会いたがっている。
東雲の心を支えられるのは、他でもないネコメだ。
そんな二人を会わせるのが、俺の仕事。
ああ、全く、なんて簡単な仕事だろうな。
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