異能専科の猫妖精

風見真中

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贖罪編

望まない光の下に

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 冷たい寝床で横になっていると、人の足音が近づいてきた。
 妙だ、と思う。
 この監獄の中にいるのは自分だけのはずだし、自分の食事は先ほど与えられたばかりだ。
 日付や時間の感覚はずいぶん前に麻痺してしまっているが、腹具合から考えてそんなに時間が経っていることはない。
 身体を洗ったのは確か昨日のはずだし、誰かがここに来る用なんてないはずだ。
 思考する、ということがずいぶんと久しぶりだった為、ただ漠然と呼吸するだけだった自分にはこの足音一つが程よい刺激になった。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、ガチャ、と重い音が響き、銀色の鉄格子がゆっくりと開かれた。
 入ってきたのは、刑務官の女性。
 自分の食事を用意したり、格子越しに身体を濡れタオルで拭いてくれる役の人だ。
 しかし、ここでも妙だと思う。
 食事の受け渡しは鉄格子の横の小窓からだったし、記憶にある限り自分がこの監獄に入れられてから、この鉄格子は一度として開かれたことはない。
 そして、その女性が発した言葉はこれ以上ない程の衝撃を自分に与えた。
「東雲八雲、出なさい」
 刑務官の女性はそう言って、手に持っていた鍵でまずは口周りの拘束を解いた。
「……え?」
 声の発し方をすっかり忘れてしまった喉から、そんな音が漏れた。
 シノノメヤクモとは、確か自分の名前だったはずだ。
 適当に付けた地名性に、八番目の蜘蛛という意味の当て字。もう誰にも呼ばれないと思っていた、記号のような名前。
 しかし、デナサイ、とは、どういう意味だろう?
 訳がわからず呆然とする自分の身体を刑務官は抱え起こし、次いで手錠と足枷が外された。
「釈放よ。さあ、立って」
 シャクホウ?
 シャクホウとは、釈放の事だろうか?
 つまり自分は、この監獄から外に出されるということ?
 再び太陽の下を歩き、毎日お風呂に入り、自分の好きな物を食べて、誰かとお話しをする?
 そんな、人間の真似事をするというのか?
「うっぷ……⁉」
 想像しただけで、吐き気がした。
(違う……)
 そんなこと、あってはいけない。
(違う……違う違う‼)
 これ以上はいけない。
(そんなこと、望んでない‼)
 せり上がってくる吐き気を押し留め、刑務官の言う通り立ち上がった。
 今ここで吐瀉すれば、この人に面倒を掛けることになる。
 それは、いけない。
 この刑務官は食事を与える際も、身体を洗う際も、自分を労わるような言葉を掛けてくれていた。
 虫の自分にも優しく接してくれる、博愛主義者。
 そんな人にこれ以上自分の世話をさせるのは忍びない。ただそれだけの理由で吐き気を飲み込み、この人の言う通りに動いた。
 言われるまま立ち上がり、覚束ない足取りで監獄の廊下を進む。
 やがて、広い部屋に通された。
 そこには数人の刑務官と、長机と数脚の椅子。
 机の上に置いてあるバッグは、見覚えがあるような気がする。
「ここに座って、少し待っていて。今まで、よく頑張ったわね」
 女性刑務官はそう言って部屋を出て行った。
(頑張ったって、何がだろう?)
 自慢ではないが、ここに来てから自分は一度たりとも頑張った事なんてない。
 与えられた餌を貪り、言われるがまま、されるがままに過ごしてきた。
 あの人に褒められるようなことは、何一つしていない。
 ただ漠然と、息をしていただけだ。
 何をするでもなく椅子に座っていると、部屋の外、自分が来たのとは違うドアの向こうから誰かが近づいてくるのに気付いた。
 状況から見て、誰かが自分に会いに来たのだろう。
 誰だか知らないが、自分に会う為に貴重な時間を割くだなんて、申し訳なさを通り越して怒りが湧いてくる。
 人生は有限。人の一生は短い。
 そんなことも分かっていないのだろうか?
「失礼します」
 そんな声が響き、ドアが開け放たれた。
 入ってきたのは……
「おいおい、お前痩せたな、東雲……」
 困ったように眉をひそめ、目つきの悪い顔を心配そうに歪める。
 半袖のシャツと裾の広いズボンを履き、首には黒い革製のチョーカー、腕の中には黒いモコモコの毛玉を抱えている。
 その人物を見た瞬間、押し留めていた吐き気が決壊したダムのように溢れた。
「久しぶりだな。迎えに来たぜ、東雲」
 大神大地と、彼の混ざった異能生物のリル。
 他でもない、自分が監獄に入るきっかけになった事件の、被害者。
 東雲八雲が原因で、命を落としかけた人たち。
「あ……ああ……⁉」
 視界が歪む。
 指先が震える。
 耳鳴りがする。
「会長がお前らの部屋から着替えと荷物、見繕ってくれたぜ。ネコメにはサプライズだとかで内緒なんだけど……」
 彼の言葉が、一挙手一投足が、腹の底に沈んでいた感情をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
 頭の中をゴキブリが這い回るような不快感。
 重りを持って海に沈むような無力感。
 内臓をミキサーでかき混ぜられるような圧迫感。
「あ……いや……いや……」
 一緒にご飯を食べた。
 一緒に授業を受けた。
 一緒に笑った。
 彼の顔に落書きなんかもした。
 全て、偽りの自分が。
「おい、どうしたんだよ東雲⁉ 顔真っ青だぞ⁉」
 彼が焦った様子で手を伸ばす。
 その手が、温かいその手が自分の冷たい手に触れた瞬間、私は耐えられなくなった。
「いやぁ‼」
 彼の手から逃れるように、椅子から転げ落ちた。
 床にへたり込み、そのまま胃の中身を全てぶちまけた。
「う……うぇ……えぉ‼」
 激しくえずき、吐瀉物と涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにする。
「東雲⁉ 大丈夫か、東雲⁉」
 彼が、自分に近づいてくる。
(嫌だ……やめて……来ないで……‼)
 ぐちゃぐちゃになった顔で、私は懇願する。
「ごめんなさい‼」
 汚れた手を組んで、床の上に頭を擦り付け、祈る。
 震えながら、えずきながら、ただ祈る。
「ごめんなさい‼ ごめんなさい‼ 許して下さい……‼」
 違う。
 そうじゃない。
 許して欲しいんじゃない。
「許さないで下さい……。私を……私を……‼」
 そう、許さないで欲しい。
 私を、裁いて欲しい。

「私を……殺してください……‼」


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