異能専科の猫妖精

風見真中

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その名は

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「お前は、人の命をなんだと思ったんだ‼」
 叫ぶ。
 あらん限りの声で、俺は叫ぶ。
 許せなかった、プラモデルのような感覚で人を作ると豪語したこの女が。
 しかし、藤宮は俺の言葉が理解できないといった表情で溜息をついた。
「やっぱり、いつの時代、どこにでもいるのね、大局を見れない愚か者が」
 藤宮は咥えていたタバコを手に取り、地面に転がる俺目掛けて指で弾いた。
 タバコは石崎が出していた見えない壁に阻まれ、地面に落ちる。
「八雲はこれからの世界のパワーバランスを変える、革命の子なのよ? 大体、資質の高い人間を攫ってきて無理矢理異能混じりにするよりは人道的じゃない?」
「そんな訳あるか‼ 異能混じりにする為に……戦争の道具に、人を殺すために人間作るなんて、そんな革命があってたまるか‼」
 倫理とか人道とか道徳とか、そんな綺麗事で語れることじゃない。
 戦争が経済を回すのが正論でも、この国が衰退しているのが事実でも。
 それでも、
「テメェは人間のクズだ、藤宮ァ‼」
 叫ぶ。
 力の限り、叫ぶ。
 喉が張り裂けても、口を塞がれても、叫んでやる。
 間違ってるって、何度でも叫んでやる!
「それが大局を見れてないっていってんのよ! 国が傾けば人道もクソもない、無抵抗にこの国が蹂躙されていくのを私は見てきた! これ以上そうならない為に革命を起こすのよ‼」
「ッ‼」
 ダメだ。この女とは永遠に話が合うことはない。
 こいつは何よりも自分の考えを優先し、その正しいと思うイカれた信念で動いている。
「東雲、そんな奴に従うことねぇだろ‼ ネコメを助け起こせよ‼ 俺たちの糸を解けよ‼」
 東雲は、本心から藤宮に従っているようには見えない。
 生みの親という鎖に縛られて、嫌々藤宮のために動いているようにしか見えなかった。
 ここで寝返ってくれれば、という俺の淡い希望は、呆気なく否定された。
「……大神くんさ、お父さんと仲悪かったんだよね? ネコメちゃんはお母さんに酷いことされてて、鎌倉くんは異能生物に家族を殺された」
 ポツポツと呟かれる東雲の言葉は、次第に熱を帯びていく。
「でもそんな昔のことが何だっていうの⁉ 今の鎌倉くんはクラスで威張って、ネコメちゃんと大神くんはドンドン仲良くなって、あたしから見たらみんな好き放題やってるよ⁉」
 ギュッと両手を握り、東雲の異能が強まる。
 髪は黒と赤茶色の縞模様に、瞳は血のような真紅に染まり、その瞳から一筋の涙を零した。
「あたしは生まれた時からどう生きるのかが決まってた‼ 自分で選べることなんて何も無かった‼ 蜘蛛と混ぜられて、この学校に入れられて、霊官になって、ただ言う通りに生きてきた‼」
 東雲は、泣いた。
 泣きながら、叫んだ。
「これから先もずっとそう‼ どう生きてどう死ぬかまで、あたしはもう決まってる……‼」
 ずっとその胸に秘めて来た思いの丈を。
 言いたくても誰にも言えなかった悔恨を。

「あたしも、好きに生きたかった‼」

(東雲……‼)
 それが、東雲の真意。
 俺が読めないと思っていた、本当の東雲八雲なのか。
 パァン、と乾いた音が響いた。
 東雲の頬を平手で殴った藤宮は、その顔に怒気を込めて、冷たく言い放つ。
「口が過ぎるわよ、八雲。わきまえなさい」
 その一言で、東雲は一気に勢いを失い、「ごめんなさい……」と小さな声で呟いた。
「うちの娘に、余計なこと吹き込むんじゃないわよ」
 そう言って藤宮は俺達の方を見て、スッと手を挙げた。
 すると、
「な、何だよオイ……」
「嘘でしょ……」
 校庭の隅の茂みから、ぬっと姿を現わす巨大な影。
 新たにニ体の鬼が現れた。
「そのチンケな壁も、壊れないものじゃないでしょ?」
 言いながら藤宮は手で鬼に指示を出す。新たに現れたニ体の鬼の内の片方が、もともと東雲が連れていた鬼と一緒に俺たちを囲う。
(あの鬼、違う……⁉)
 藤宮が側に残した一体の鬼には、他の二体とは違い額に角が二本あった。体も一回り大きく、明らかに『質』が違う感じだ。
(特別製って訳か……)
 その特別製も含めて合計四体の鬼に射竦められ、俺たちは絶体絶命だった。
 糸で手足を拘束され、周りは敵だらけ。
 壁の外で倒れ臥すネコメは、未だに毒で体が動かない。
 万事休す、と言う他なかった。
 二体の鬼は俺たちの壁の周りに立ち、藤宮の指示を待っている。
 しかし藤宮が命令を下したのは鬼たちではなく、顔に涙の跡を残して俯く東雲だった。
「八雲」
「はい」
「あなたは悪いことを言ったわ」
「……はい」
「悪い子には、バツが必要よね?」
「…………はい」
 藤宮は東雲の答えに満足そうに頷き、倒れ臥すネコメを指して言った。
「アレを殺しなさい。あなたに悪い遊びを教えた、悪い子だわ」
 そう言った。
 東雲に、ネコメを殺せと。はっきりとそう口にした。
 真紅の瞳を見開き、口をパクパクさせる東雲に、藤宮は重ねる。
「できるわよね、八雲?」
 その言葉に、東雲は静かに、ゆっくりと頷いた。
 幽鬼のような足取りで東雲はネコメに近寄り、空中に張っているであろう糸を支点に、ネコメの首に糸を回した。
 グッと吊り上げられる、ネコメの小さい体。
 ゆらゆらと不規則に揺れるのは、動かない体を無理矢理動かそうと対抗している証か。
「ごめんね。でも、毒で苦しくないよね」
 それがせめてもの救いとばかりに、東雲は薄く笑った。
「バイバイ、ネコメちゃん……」
 東雲の指がネコメの首を締めようと糸を引き絞る、その瞬間、
「あ、うも、ちゃん……」
「ッ⁉」
 ネコメが、呂律の回らない口で東雲の名を呼んだ。
 その言葉が自分の名前だと分かったとき、東雲の真紅の瞳が揺れるのを、俺はハッキリ見た。
「東雲ぇ‼」
 俺は叫んだ。
 その瞳の揺らぎの中に、確かに俺たちの知る東雲八雲を見たから。
「お前、俺がネコメを覗いちまったとき、メチャクチャ怒ったよなぁ‼」
 こんな状況だと言うのに突然そんなことを言った俺に、女性の敵とばかり里立が「そんなことしたの……」と軽蔑の混じった言葉を投げかけてくる。
「あの時のお前すっげえ怖かったけど、俺はお前がいい奴だって思ったんだよ‼」
 無様に手足を縛られ、地面に転がされて、それでも俺は叫ばずにはいられなかった。
「お前は友達のために本気で怒れる、本当にいい奴だって思ったんだよ‼」
 バァン、と見えない壁に大きな衝撃が響く。
 チラリと視線を向ければ、俺たちを取り囲んでいたニ体の鬼のうちの一体が壁を殴りつけていた。
「余計なことを吹き込むな!」
 鬼に指示を出した藤宮が怒声を浴びせるが、無視する。
「お前はさっき、俺に嫉妬したみたいなこと言ってたけど、お前らすっげえ仲良いじゃねぇかよ!」
 アレは嘘だ、なんて東雲は言っていたが、全部が全部嘘だったなんて俺には思えない。
「黙れって言ってるのよ‼」
 藤宮の怒声と共に再び壁に衝撃が響く。
「お前がネコメを殺すハズねぇ……お前とネコメは友達だろ、東雲八雲‼」
「……ッ‼」
 俺の言葉が届いたとき、ドサっと、ネコメの体が地面に落ちた。
 次いで東雲がその場にペタンとへたり込み、ぐしぐしと両手で目を拭い出した。
「できないよ……」
 そして、東雲はひくっとしゃくり上げ、いつもの色に戻った瞳から、大粒の涙を零す。

「できるわけ、ないよ……。ネコメちゃん‼」

 東雲は、泣いた。
 ボロボロと、拭うのが追いつかないほどに大粒の涙を零し、子どものような大声で、ひたすら泣き続けた。
 泣き止むことのない東雲の頭に、そっとネコメが手を伸ばした。
 麻痺の残る手で、ぎこちなく、東雲の頭を撫でてやった。
「仕方ない、子ですね、八雲ちゃんは……」
「ネコメちゃ……‼」
 俺の位置からはネコメの表情を伺うことは出来ないが、その顔はきっと笑っていると、俺は確信した。
 母のような、姉のような、あるいはただの友達のように、笑っているのだと。
(そうだよ、東雲……)
 ネコメと友達になって、俺にイタズラ仕掛けて、笑っていた東雲。
(お前だって、好きに生きてるんだよ)
 東雲はネコメの体を抱き起こそうとして、慌ててその手を離した。
 そしてネコメを庇うように大きく腕を広げ、直後、振り抜かれた鬼の腕に吹き飛ばされる。
 ゴシャッ、という轟音が辺りに響き、吹き飛ばされた東雲は地面を何度もバウンドして、動きを止めた。
 後には力なく横たわるネコメ、腕を振り抜いた姿勢の二本角の鬼、そして、鬼と同じ体勢の藤宮が呼吸を荒げていた。
「はぁ……まさか、あなたも失敗作だったなんてね。ガッカリしたわ」
 遥か遠くの地面でピクリとも動かない東雲を見て、藤宮は吐き捨てるようにそう言った。
「藤宮、テメェ……‼」
 グッと腹の底から怒りが込み上げてくるが、未だ拘束されたままの俺にできるのは藤宮を睨んでやることくらいだ。
「クソッ、イライラするやね……」
 苛立ちを隠せない藤宮はポケットからタバコを取り出すが、中身が空だったらしく、ぐしゃ、と乱暴に箱を握り潰した。
(タバコ……タバコ⁉)
 その様子を見て、俺の頭にイナズマのような閃きが走る。
「茶番はここまでよ、死ねガキども‼」
 藤宮が一斉に命令を下し、一本角の二体の鬼が一斉に壁を殴り始めた。
「お、おい、どうすんだよ、これ……」
 狼狽える鎌倉に詰め寄り、俺は臭いを確認する。
「鎌倉、お前タバコ持ってるな⁉」
 俺の突然の問いに鎌倉は「はぁ⁉」と目を丸くした。
「この状況で何言ってんだテメェ⁉」
「没収しようってんじゃねぇ‼ タバコあるならライターもあるだろ‼」
「そ、そりゃあるけど……」
 やった、それなら何とかなる!
 思い返せば東雲は、唐揚げなんかの肉の揚げ物を好んで食べていた。
 あれが異能に必要な栄養素を補給していたのだとしたら、辻褄は合う。

「蜘蛛の糸はタンパク質と脂質で出来てる! つまり、火で溶けるんだよ‼」

 そうだ、どんなに頑丈でも、絡新婦の糸は蜘蛛のそれと同種のはず。
 ならば、火で溶けないはずがない。
「な、なんだと⁉」
 目を見張った鎌倉は、慌てて拘束された手を自分のポケットに回そうとするが、上手くいかない。
「どっちのポッケだ⁉」
 俺は後ろ手に回された手を鎌倉の方に向けるが、ポケットがよく見えない上に鎌倉の手が邪魔だ。
 俺たちが手間取っている間にも、石崎の壁は鬼の猛打による衝撃に今にも崩れそうなほどのダメージを受けている。
 壊されれば、張り直してる暇はなさそうだ。
「こっちの……ああチクショウ……‼」
「急いで!」
 動揺する鎌倉に、悲鳴を上げる里立。
「光生君!」
 そこに、目黒の声が響いた。
「め、目黒⁉」
 その姿に、俺はギョッとする。
 目黒の顔には、無数の『目』が開いていた。
 本来人間の顔に二つしかないはずの目が、顔中に存在している。
 ニヤリと笑う目黒が後ろに縛られた手をこちらに向けると、その手の中には小さなライターが握られていた。
「ナイスだモモ‼」
 鎌倉は冷や汗を浮かべながらもニッと笑い、目黒からライターを受け取る。
「目黒、お前それ……?」
「人の持ち物をくすねる妖怪。『百々目鬼どどめきってんだよ」
「ど、どめき?」
 聞いたことない妖怪だが、人の持ち物をくすねるということはこのライターは鎌倉の物なのだろう。
 思い返せば土曜日の一悶着の後、ネコメは没収したタバコを鎌倉が持っていた事について、なぜか目黒を咎めていた。
 あれは没収した後、目黒がネコメからタバコをくすねていたって事だったのか。
「早く、もう保たない!」
 壁を維持していた石崎が悲鳴を上げ、鎌倉が素早くライターに火を灯し、小さな火を俺の手の糸に当てる。
「よしっ‼」
 予想通り、あっという間に糸は溶け、俺は自由になった手でライターを受け取る。
 大急ぎで足の糸も溶かし、次いで全員の糸も溶かす。
「走れ! 東雲のとこまでだ‼」
 叫んだ瞬間、轟音を立てて見えない壁が砕けるのを感じる。
 鎌倉は咄嗟に里立を抱きかかえ、俺は麻痺の残るネコメと足元のリルを抱いて走った。
 緩慢な鬼の間をすり抜け東雲の位置まで走ると、再び石崎に壁を張らせる。
「目黒、東雲を抱えろ!」
 石崎が張った特大の壁の内側で、鎌倉が里立を、俺がネコメを抱え、目黒が東雲を抱き起す。
 たった今すり抜けて来た二体の鬼の側では、藤宮が憎しみを込めた目で俺たちを睨んでいる。
「おし、逃げるぞ!」
 全員に向け、俺は高らかにそう宣言した。
「に、逃げられるのかよ⁉」
 鎌倉は目を見張ってそう言うが、俺には逃げられるだけの算段があった。
 まずあの鬼は足が遅い。動けないネコメと東雲、女子の里立を男三人で抱えながら走っても、ギリギリ逃げ果せられるはずだ。
 それに、あの鬼の力では石崎の壁を破るのに多少の時間がかかることは、今しがた実証された。
 石崎を除く三人で女子を抱えながら逃げ、石崎は壁で鬼の行く手を阻みながら全員で後退する。
 学校には人気が皆無だが、寮の方まで行けば人目もあるし、霊官の奴だっているはずだ。
 負傷者を抱えた状態で、鬼と戦うことはない。
 逃げ切れば、俺たちの勝ちだ。
 しかし、そんな俺の都合のいい想像は、たった一撃で打ち破られた。
『ゴォォォォォッ‼』
 絶叫と共に振り抜かれる、巨大な腕。
 俺の想像より遥かに素早い動きで接近していた二本角の鬼のたった一発のパンチで、石崎の壁は破壊され、俺達は衝撃の余波で後方に吹き飛ばされた。
「なっ⁉」
 空を仰ぐ一瞬のうちに、理解不能な事態に俺は混乱した。
(なんで、あんなに早いんだ⁉)
 あの鬼は、遅い。
 それは一昨日の夜から分かっていたことだ。
 ネコメより遥かに劣り、異能を使っていない俺でも短距離走なら負けることはない、その程度のスピードだったはずだ。
 それだけが、俺達の勝機だった。
 しかし、あの二本角だけは違った。
 ドサっと地面に投げ出され、すぐに体勢を立て直そうと起き上がる。
 辺りを見回すと、どうやら石崎の壁のおかげで全員大したことは無いらしい。
「全く、本当にイライラさせてくれるわ」
 言葉通りの怒気を含ませた声に振り向くと、藤宮は鬼と同じ拳を振り抜いた姿勢で俺達を睨んでいた。
「その子だけは他の鬼とは別物よ。私の護衛の、特別製」
 言いながら藤宮がスッと右手を上げると、鬼も同じように右手を上げた。
(動きが、リンクしてる⁉)
 そういえば先ほども藤宮と鬼は同じ体勢を取っていた。
 藤宮が移動していないことを考えると、歩く動作まで同じではないようだが、少なくとも腕の動き、すなわち手による攻撃は藤宮の完全なコントロールが効くようだ。
 藤宮が上げていた手を振りかぶったのを見て、俺は思わず前に出る。
 鬼の一番近くに倒れていたネコメを、乱暴だが側にいた石崎の方へ放り投げる。
 チラリと視線を巡らすと、鎌倉は里立と共に結構遠くまで離れており、小柄な目黒は東雲を運ぶのに苦労しているようだが、何とか鎌倉たちに追いつこうとしている。
「石崎、ネコメを連れてけ!」
 ネコメを抱えた石崎にそう叫びながら、俺は全開で異能を発現させる。
 扱いきれるかは分からないが今はそんなことを言っている場合ではない。
 現状ではネコメと東雲は起き上がれず、里立と目黒は戦える異能ではない。
 俺と鎌倉、石崎の三人で三体の鬼と藤宮を相手にするより、やはりここは逃げるべきだ。
 しかし、壁を張れる石崎を中心にして後退するにしても、戦える俺か鎌倉のどちらかがあの二本角の鬼を引きつけておかないと、追いつかれて全滅する。
 ならばここは、あの鬼と戦ったことのあるオレが残るべきだ。
「石崎、ネコメに怪我させんなよ!」
 二本角の鬼を見据え、俺は叫ぶ。
 腹をくくり、覚悟を決める。
「行くぞ、リル‼」

 ・・・

『アウ‼』
 俺の呼び掛けに答えるように、リルから異能が流れ込んでくる。
 昨日の夜、熊の妖獣を倒した時のような力が出れば、あるいはこの鬼にも太刀打ちできるかもしれない。
 そう思った俺は、右腕を振りかぶった鬼に向かって思い切って接近する。
「まずはお前ね」
 ニヤリ、と笑う藤宮を横目に、俺は鬼の懐に入り込む。
 鬼は体が大きく、身体の近くは目が届かない場所も多いはずだ。
 死角を求め、何とか背後に回り込もうとした俺の頭に、鬼の左肘が迫る。
「ッ⁉」
 完全に不意をつかれた肘鉄を、俺は体を沈めることでギリギリ避ける。
(しまった‼)
 俺は思い違いをしていたことを、今更ながらに痛感した。
 目の前の二本角と対峙していようとも、いくら鬼の隙を突くような動きをしようとも、鬼を操る藤宮からは俺の姿が丸見えだ。
 藤宮は遠くから俺の動きをよく見て、鬼の腕を動かす角度をほんの少し変えるだけでいい。
(なら、先に‼)
 先に藤宮本人を狙うしかない、そう思って方向転換をするが、俺と藤宮の間には二体の一本角の鬼が肉壁となって立ちはだかっていた。
「くっ‼」
 これでは藤宮を狙えない、と俺が硬直した瞬間、
「大神‼」
 鎌倉が俺を呼ぶ声が聞こえ、直後、背後で振り下ろされた二本角の腕が、俺の体を掠めた。
 ゴォンッ‼
 トラックに跳ねられたような衝撃を受け、俺の体は大きく弾き飛ばされた。
 口の中に血と砂の味が満ちる中、軋む四肢に力を込めて起き上がろうとするが、そこに鬼が追撃の構えを取る。
「死ね、クソガキ‼」
 藤宮は右手を振りかぶり、横薙ぎに一線する。
「大神‼」
 戦慄し、動けないでいた俺の前に、石崎の壁が出現した。
 轟音を響かせて激突する鬼の腕に、なんとか立ち上がった俺が逃げ出すのも束の間、壁は砕かれて、衝撃で俺は吹っ飛んだ。
「がっ‼」
 再び地面に強かに打ち付けられ、俺は意識を手放しそうになる。
「大神、後ろ‼」
 鎌倉の声が聞こえるが、脳が揺れているようで起き上がることができない。
 手をついて何とか体を起こそうとするが、間に合わない。
「ショウゴ‼」
 再び鎌倉の声が聞こえ、直後、頭の上で轟音が響いた。恐らく石崎が作った壁と鬼の拳のぶつかる音だが、もう顔を上げてそれを確認することもできない。
 壁は呆気なく砕かれ、トドメとばかりに俺の体は地面を滑る。
(ここまで……なのか?)
 体中が痛い。頭が揺れる。口の中は血の味しかしない。
 俺はボヤける視界、朦朧とする意識の中で、ずりずり、と体を引っ張られるような感覚を覚える。
 視線だけを動かしてその方向を見ると、リルがチョーカーの繋がりを利用して、その小さい体で俺を引っ張っていた。
「リ……ル……」
 リルの体は、傷だらけだった。
 思えばリルは、異能を発現させた俺が引っ張るせいでいつでも苦しそうにしていた。
『ア……ウ……!』
 俺は犬が大嫌いだったはずなのに、たった数日でコイツのことを憎からず、いや、かなり好きになっている事に、今更ながら驚いた。
「リル……逃げろ……」
 俺は震える手で、首のチョーカーに触れる。
 このチョーカーを外してやれば、ひょっとしたらリルは俺と離れることができるかもしれない。
『ダメ……!』
「え?」
 チョーカーを外そうと引っ張ったとき、幼い子どものような声が聞こえた。
『外すんじゃ、ダメ。壊すんだ』
「誰だ……?」
 聞き覚えのあるような、無いような、不思議な声。
『ダイチと、ボク、もっと、強く……繋がる』
「…………リル?」

『名前を、呼んで』


 ・・・

 毒で上手く動かない体を抱えられ、それでもネコメは笑った。
 自分を敵視していたはずのクラスメイトが、必死になって自分を庇おうとしてくれていることが、たまらなく嬉しかったのだ。
 周りには傷ついた仲間、遠くには友人の少年。
 そしてその近くには、強大な敵がいた。
 それでも、ネコメの顔には自然と笑みが浮かぶ。
「昔、ずっと昔……」
 麻痺が薄れてきた口で、ネコメはポツポツと語り出した。
「あるところに、とても強い力を持った異能者達が居ました……」
 唐突に昔話を始めるネコメに、周りの仲間達は怪訝な顔を浮かべる。
「お、オイ、何言ってんだ猫柳?」
「後の世で『神』と云われるその異能者達は、大きな過ちを、戦争を起こしてしまいます」
「頭やられちまったのか、猫柳⁉」
 心配とも罵倒とも取れる鎌倉の言葉を、ネコメは微笑み一つで受け流し、昔話を続ける。
「邪な心を持ち、後に邪神と呼ばれる一人の異能者は、自らの手足となるべく、何体もの異能生物を生み出しました」
「だから、何を言って……!」
「うっさい、鎌倉君!」
 この状況で何を言っているんだ、と思い声を荒げていた鎌倉だが、自分の腕に抱かれる少女の一喝で押し黙る。
 少女、里立四季は「続けて」とネコメを促し、鎌倉の腕の中でその話を反芻する。
「その中の一体は、その強大な力故に強力な異能具で縛られていましたが、敵対する異能者との戦いの際には、相手のリーダー、主神と呼ばれるほどの異能者を飲み込んだとされています」
 ネコメの話が進むにつれ、里立だけでなく、鎌倉も石崎も目黒も、徐々にその話の壮大さを理解していった。
「おい、それってまさか……⁉」
「その異能生物って……‼」
 皆の反応に満足するように、ネコメは微笑みながら話を締めくくる。
「その異能生物は、後に主神の子に打ち倒されました。でも、その異能生物にもまた、子どもがいたんです。その子どもは子孫を残し、遠い遠い現代に至るまで、その血を絶やさずに受け継いできました。そして、まるで先祖の生まれ変わりのように、あの仔はその力を受け継いで生まれた……‼」
 異能専科に通う生徒ならば、この伝説は皆知っている。
 神話などと呼ばれる大昔の出来事も、異能者の間ではただの歴史の一つ。
 ならばこれは別世界のようなおとぎ話ではなく、ただの地続きの物語に過ぎない。
「名前の意味は、『大地を揺らすもの』」
 きっとこれは偶然ではない。ネコメはそう確信していた。
 大地の名を持つ彼と、彼と繋がった小さな獣。
 自分はあの夜、壮大な神話の一ページを垣間見たのだと、ネコメは確信していた。
「その名は……」
 神話は、紡がれる。

 ・・・

「リル……!」
 呼ぶ。言われるがまま、その小さな獣の名を呼ぶ。
『違う……!』
 否、その名ではないと、幼い声は否定する。
「リル……‼」
 呼ぶ。自らの半身の名を。
『違う……‼』
 否、もう一つの名を、祖先が神に賜りし名を獣は希う。
「お前の、名前は……‼」
『僕の、名前は……‼』
 神話は、紡がれる。

「フェンリル‼」


 ・・・

「あぁ……」
 ドクンッ、心臓が脈打つ。
「あぁ…………」
 ジワッ、血が体を巡る。
「あは…………」
 バキンッ、首のチョーカーが砕ける。
「あは、あははは……」
 ジュワッ、全身を、かつてない感覚が襲う。
「あっははははははは‼」
 笑う。気が触れたように、笑う。
 ああ、これが笑わずにいられようか。
 俺は立ち上がり、迫っていた鬼の拳を両腕をクロスさせて受け止める。
 皮膚が裂け、骨が軋み、足を置く地面はわずかに沈み込んだ。
 しかし、その痛みさえも、今は心地良かった。
 瀕死だった体に力が満ち、頭はすっきりと冴え渡る。
 ボロボロのチョーカーが首から落ち、夜風がさらりと前髪を搔き上げる。
 足りなかったパーツが見つかったような、ズレていた歯車がハマったような、不思議な感覚。
 ピクンと耳が動く。
 千切れんばかりに尻尾が踊る。
 未だかつて体感したことのない多幸感と、全能感。
 脳内ではドバドバと快感物質が分泌されているのを感じる。
 二本角の鬼に一発回し蹴りを見舞うと、鬼はその巨躯を大きく揺らした。
 二度、三度と蹴り飛ばすと、鬼は大きく後退する。
 蹴った足が痛い。いや、快感の方が強いかもしれない。
 夜空を仰ぎ、俺はうっとりと口を開いた。

「気持ちいいィ……‼」

 恍惚の笑みを浮かべ、眼前の敵を見据える。
 二本角の鬼と、その向こうに二体の一本角の鬼。
 そしてその奥にいる藤宮に向け、手で首を搔き切る動作をする。
「ステイは終いだ、藤宮ァ‼」
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13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

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