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編入編
異能具
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ネコメの話を聞き終えて生徒会室に戻ると、東雲と諏訪先輩に迎えられた。
東雲はシャワーを浴びてきたらしく、ネコメが持って来ていた部屋着のパーカーに着替えている。
「……話は終わった?」
カチャ、と手に持っていたティーカップを置き、諏訪先輩が問いかける。
「ああ」
俺は短く頷き、ネコメも次いで頷いた。
俺たちの返答に諏訪先輩は「そう」と短く頷き、車椅子のタイヤを回して俺の横に寄ってきた。
「ネコメ、八雲、今日はもう休みなさい。私はもう少し、大地と話があるから」
諏訪先輩の言葉に、ネコメは怪訝そうに首を傾げた。
「お話ですか?」
「ええ。今日の仕事を見て、ちょっと思うところがあってね」
今日の仕事、妖蟲退治のことか。
ネコメのことが衝撃的過ぎて忘れかけていたが、そもそも今日の最初の異常はあの鬼だ。
今後も霊官の研修員として働くなら、諏訪先輩の話は聞いておいたほうがいい気がする。
それに、今はちょっと東雲と一緒に居辛い。
「…………」
東雲はまだ俺に対しての怒りが収まっていない様子で、険しい視線を向けてきている。
「今日の話なら、私達も同席して……」
「いーじゃん、ネコメちゃん。かいちょーが帰っていいって言ってるんだし」
東雲はスキップするようにネコメに駆け寄り、ぐっと背中を押して退室を促す。
「や、八雲ちゃん……」
「大神くんとかいちょーの蜜月だよ? 邪魔しちゃ悪いって」
「な⁉」
ついでのようにネコメをからかい、その背中を押しながら東雲は足早に生徒会室から出て行こうとする。
そしてすれ違いざま、
「……次にこの子を傷つけたら、あたしは君を許さないよ」
底冷えする低い声で、東雲はそう言った。
聞こえていたらしいネコメは慌てた顔で「や、八雲ちゃん……」と狼狽えているが、出入口のドアのところでくるっとターンしてこちらを向くと、その顔はいつもの東雲だ。
「それじゃ、大神くん、かいちょー、おやすみなさーい」
ビシッと右手で敬礼の真似事をし、東雲はドアから出て行った。
「か、会長、失礼します」
東雲に手を引かれるネコメも慌てて先輩に挨拶し、次いで俺の方を向く。
「おやすみなさい、だ、大地君……」
「お、おう、おやすみ、ネコメ」
少し気恥ずかしそうに俺の名を呼ぶネコメに、俺もぎこちなく返す。
女子のことを下の名前やニックネームで呼ぶなんて、随分と久しぶりだ。
一時期を除けば中学時代の俺の周りは、生徒指導の教師か、俺とつるむ物好きな奴しかいなかったからな。
謎の照れ臭さを覚えながら諏訪先輩の方に向き直ると、先輩はニタニタと笑いながら俺のことを見ていた。
「大地君に、ネコメねぇ~。随分と仲良くなったじゃない?」
俺たちの呼び方の変化を指摘する諏訪先輩。とても楽しそうだ。
なんだろう、別に何にも後ろめたい事なんてないはずなのに、弱みを握られたような気分になる。
「悪いっすか、友達のことアダ名で呼ぶのが?」
あえて堂々とそう言うと、先輩は「いいえ」とゆっくり首を横に振った。
「でも、聞いたと思うけど、あの子は暗いものを抱えてるわ」
神妙な顔でそう言う先輩に、俺は気になっていたことを問いかけることにした。
話とやらの前に、はっきりさせておきたい。
「先輩、あんたの技術なら、ネコメの背中の傷を消せるんじゃないか?」
俺に作ってくれた義手と義足は、元の物と区別がつかないくらい良く出来ている。
縫合の痕跡も分からない程にだ。
その技術があれば、あの傷を消すくらい簡単なことに思える。先輩の麻痺と違って重要器官をいじるって訳でもないし。
俺の問いかけに先輩はゆっくりと、確かに頷いた。
「……確かに私なら、あの程度の傷は簡単に消せるわ。ネコメの肌の色に合わせた人工皮膚に張り替えるだけで済むんだから」
やっぱり、先輩にとっては難易度の低い治療なんだ。
「じゃあ……」
「でも出来ないわ」
キッパリと、先輩は断った。
「……金か?」
俺の手足のように、ネコメにも莫大な治療費を請求するってことなのか?
「ち、違うわよ!」
先輩は心外だと言わんばかりに語気を強めて否定した。そして、予想もしなかった言葉を口にする。
「断られたのよ。ネコメに」
「え?」
ため息とともに口から出た言葉に、俺は混乱する。
「断ったって、傷を消すことをか?」
「やんわりと、だけどね。どうやらあの子、傷を消したくないみたいなの」
意味が分からない。傷を消すことを断って、ネコメになんの得があるっていうんだ?
「何で⁉ あんなに隠したがってるのに」
「分からない?」
「分かんねえよ!」
分かる訳がない。
自らの暗い過去、虐待された記憶の象徴である傷痕。
ひた隠しにしたがっているそれを消したくないなんて、どういうことだ?
混乱する俺に、先輩はゆっくりとその答えを、ネコメの心情を語り出した。
「……あの子は母親に、おおよそ最低限の贈り物もされていない。満足な愛情も、食べ物も、名前さえも。そんなあの子にとって、あの傷はね、母親と過ごした唯一の記憶なのよ」
「ッ⁉」
なんだよ、それ?
傷つけられたことが、虐待されたことが、母親との思い出だとでもいうのか?
「……あの傷を消してしまえば、母親の記憶はどこかへ行ってしまう。あの子はそれを恐れているのよ」
「…………」
蹲り、傷を負わされ、ただ耐えるだけの地獄。そんな過去も含めて、消したくないってことなのか?
「歪んでしまっているのよ、あの子も。普通にしていると分からないかもしれないけど」
悲しげに目を細め、憐れむように呟いた先輩の言葉が、俺の耳に残響する。
深く、深く、心の奥に残った。
・・・
「飲みなさい。落ち着くわ」
ソファーに体を預けて半ば放心する俺の前、ガラステーブルの上にティーカップが置かれた。
中を覗き込むと、薄く黄色味がかった液体が満たされている。
強い香りに眉をひそめながら口に含むと、花畑に倒れこんだような、むせ返る花の匂いが鼻腔を通り抜けた。
「なんすか、これ」
飲めない訳ではないが、匂いがキツすぎて少ししんどい。味も何というか、お茶なのかどうか分からない未知の味だ。
「ラベンダーのハーブティーよ。大地は鼻が良すぎるから飲みづらいかもしれないけど、リラックス効果があるわ」
なるほど、言われてみれば確かに、これはラベンダーの香りっぽい。ラベンダーなんて実物の匂いを嗅いだことがあるか定かではないが。
「花の色って訳じゃないんだな」
勝手なイメージだが、ラベンダーのハーブティーなんて花と同じ紫色だと思っていた。
「私のオリジナルブレンドだからね。紫色のものもあるわよ」
先輩は自分でお茶をブレンドしたりもするのか。本当に好きなんだな。
しかし先輩の言う通り、このお茶にはリラックス効果があるようで、俺は先ほどの動揺や混乱が治まっているのが分かる。
「……それで、話ってなんなんすか?」
ネコメのことも気にかかるが、落ち着いて考えてみればそれは俺がどうこうできる問題ではない。
ネコメ自身の問題だ。友人とはいえ、口を出すのははばかられる。
「大地、あなた今日、妖蟲を退治したわよね?」
「え? まあ、退治したけど……」
随分と今更な話に、俺はぎこちなく頷く。
今日、といってもすでに日付は変わっている。カレンダー上では昨日のことだが、まぁそこは些細な問題だろう。
「……ごめんなさい。まさか初日に、あなたが妖蟲と戦うことになるとは思わなかったの」
スッと頭を下げ、謝罪の言葉を口にする先輩。
俺は、驚愕に目を見開く。
今まで散々、傍若無人に俺をいたぶってきた先輩が、俺に頭を下げ、あまつさえ謝罪の言葉を口にするなんて‼
「怪我もさせちゃったわね。本当にごめんなさい、私の思慮不足だったわ……」
辛そうに目を細め、今にも泣き出してしまいそうな先輩。
人に責められることに耐えられる人間でも、自責の念に押しつぶされてしまうことがある。
どれだけしたたかな人でも、自分で自分を責めてしまえば、それを許せるのは自分だけ。
先輩はきっと、そういうタイプの人なんだ。
「き、気にしてないっすよ!」
俺は慌てて声を張る。
この人がこんなに落ち込んでいるのは、なんというかバツが悪い。
「怪我はもう治してもらったし、この通りなんともないですよ」
先ほど藤宮先生に治してもらった手を見せつけ、もう何ともないことをアピールする。
しかし先輩の顔は晴れず、目尻に涙を溜めて顔を背ける。
「でも、痛い思いをさせてしまったし……」
「あのくらい何ともないっすよ! 全然気にしてないですから!」
「そう? じゃあこの話はお終いね」
先輩は涙をひっこめ、ケロッとした顔で手を叩いた。
「…………」
そのあまりの変わり身の早さに、俺はこの人の涙を一生信用しないことを心に誓った。
そもそも自分の采配に後ろめたさがあるなら、保健室で傷の治療くらいしてくれてもいいはずだよな。迂闊だった。
「まあ冗談はこのくらいにしておいて、妖蟲と戦ってみてどうだった?」
「どうだったって……」
デカかったとか、硬かったとか、気持ち悪かったとか、そういうことだろうか?
「楽じゃなかった?」
「あ……」
楽、そうだ、楽だ。
予想よりはるかに、妖蟲の退治は容易かった。
以前河川敷で襲われたときとは違い、今の俺には異能が、戦える力がある。
異能者としてなら、妖蟲の相手は決して困難なことではなかった。それは戦いながらも思っていたことだ。
「確かに、楽ではあったけど……」
妖蟲を踏み潰すだけならいくらでも出来るが、今の俺には足りないものがある。それは、
「武器、よね?」
先輩は見透かしたように、俺の言葉を先取りした。
そうだ、武器だ。
ネコメの爪、東雲の糸、鎌倉の鎌。
そういった武器が無ければ、俺は妖蟲の退治をするたびに手を怪我する羽目になる。
それに、あの鬼。
あの鬼がどういう存在なのかは分からないが、もし今後もあんなやつが現れるのだとしたら、殴る蹴るでどうにかなるとは思えない。
今より強い力が、武器が必要だ。
「欲しい。武器が、戦うための力が欲しい」
俺の答えに、先輩は満足したように頷いた。
「ええ、作りましょう。大地の異能の武器、あなただけの異能具を」
異能具、ネコメの爪のような、異能者専用の異能の武器か。
「じゃあ、刀がいい! 烏丸先輩みたいな、日本刀が‼」
ここぞとばかりに俺は身を乗り出し、自分の要求をアピールする。
男たるもの武器に対する憧れは誰でも持っているものだ。これは間違いない!
どんな武器に憧れるかは人によるだろうが、俺が特に強く惹かれるのは日本刀だ。
興奮気味の俺は先輩のデスクに近づいて刀を要求し、首輪を引っ張られてデスクに顔を叩きつけられた。
「どこの世界に刀を使う狼がいるのよ。この駄犬」
何度目とも知れない痛みに呻きながら、俺は起き上がって首をかしげる。
「いや、だって、武器って……」
せっかくの武器なのだから、自分の好みのものが欲しいと思ったのに、何か間違っていただろうか?
「刀は無理よ。これ見なさい」
そういって先輩は、車椅子のポケットから棒状の金属を取り出し、デスクの上に置いた。
その金属は、元々施されていた塗装が剥げ、所々が錆び付いている。
薄い鉄板をL字型にしたもののようだが、一部が大きくひしゃげている。
何かの残骸のようだが、どこかで見たような気もする。
「これは?」
「あなたが粉々にした、朝礼台の脚よ」
「あっ‼」
そうだ。この錆びた脚は、鬼を殴りつけるために俺が使った、あの朝礼台の脚だ。
たった一撃で粉々になってしまったが、まさかこれの弁償もしろとか言われるのか?
朝礼台っていくらするんだろう、と俺が内心ビビっていると、先輩はひしゃげた部分を指差して「ここを見なさい」と言った。
「このひしゃげた部分、あなたが握り潰したのよね?」
「えーっと、多分?」
あの時は必死だったのでよく覚えていないが、確かに手の中で何かが潰れるような感触があったような気がする。
「狼の異能者、ウェアウルフは脳内物質である種の興奮状態になるわ。その結果、痛覚の麻痺だけじゃなくて、脳のリミッターが外れて尋常じゃない筋力が出ることもある」
先輩の言葉を、俺は頭の中で噛み砕く。
人間の脳というのはリミッターが掛かっており、普段は本来の力の三割程度しか扱えないというのを聞いたことがある。
それは常に限界の力を出してしまえば体の方が耐えられないからで、緊急事態に際してはそのリミッターが外れることがある。火事場の馬鹿力とか言われるものだ。
狼の異能者、ウェアウルフである俺は、確かに朝礼台を持ち上げる時にそういう状態にあったかも知れない。
「でも、だからって何で刀はダメなんすか?」
「刀っていうのは、刀身以外にも、柄、鍔、鯉口、目釘、色んなパーツを組み合わせて出来ているのよ。金属を握り潰すような握力で扱えば、あっという間にバラバラになってしまうわ」
なるほど、つまり俺は、力が強すぎて刀を扱えないということか。
残念だが、そういうことなら仕方ない。鬼に斬りかかったところで刀が空中分解すれば、待っているのは目も当てられない惨劇だ。
「そもそも剣道経験すらないあなたが、訓練も無しに刀を扱える訳ないでしょ」
それもまぁ、納得の理由だな。
「でも、だったらどういう武器ならいいんですか? 鉄パイプとか?」
あと他に俺が扱ったことのある武器なんて、角材とか、自転車のチェーンをバンテージの代わりに手に巻いたりとか、そんな感じだ。
「バタフライナイフとか使わなかった?」
「使うかよ、そんな危ない物」
先輩は「鉄パイプを引き合いに出しといて……」とボヤき、思案するように背もたれに体重をかける。
「まず大切なのは壊れないことね。単一の金属で出来たもので、パーツ類が無いものが好ましいわ」
複数の金属で構成されていれば、その継ぎ目から壊れてしまう。確かに一つの金属で出来ていれば壊れ難いだろうな。
「大地、戦闘スタイルは?」
「スタイルって言われても、それこそ殴る蹴るしか……」
格闘技の類を習ったことは無いし、ケンカのときはその辺にある物を即席で武器にしたりしていた。
これといって得意な戦い方がある訳じゃ無い。
「そうなると、拳をガードするものかしら……」
単一の金属で、拳をガードする武器……。
「メリケンサックとかどうかしら?」
「なんか嫌だな……」
メリケンサック、握り込んで使う武器だ。
指を入れる穴が空いており、拳が負傷しないためのガードと、握りこむことで力が伝わりやすくなる、二つの役割を備えている。
人間の拳とは普通に握っても隙間が空いてしまい、力が十全には伝わらない。
そのため何か拳に収まる物を握りこむことで、隙間が埋まって力が伝わりやすくなるものだ。
確かに理には叶っているが、異能と戦うための武器がメリケンサックというのは……。
「まあいいわ。ここで話し合うより、あなたに合った武器を作ってくれる職人に会った方が話は早いし」
俺が頭を抱えていると、先輩はそう言ってデスクの引き出しから封筒とルーズリーフを取り出した。
「なにやってんすか?」
見ると先輩は、スラスラとルーズリーフに何かを書き留めている。
どうやら手紙らしきそれを三つ折りにし、封筒に収めて渡してくる。
「これは紹介状よ。明日、会ってきなさい」
・・・
翌日、日曜日。朝食を終えた俺は、私服姿で学校を出た。
先輩に書いてもらった紹介状を手に、一時間に一本しかない鬼無里からのバスに乗る。
ガラガラに空いているバスの一番後ろの席に陣取り、リルの入ったキャリーケースを座席の下に置いて紹介状を眺める。
「どんな人なんだ、この日野さんって」
紹介状の宛名に記されている『日野甚助』という名前を見て、隣のネコメに話しかける。
ネコメは制服とは違う水色のワイシャツ、白いカーディガン、チェック柄のスカートという私服姿にハンチングを被り、バスの隣の席に座っている。
「異能具専門の職人さんで……」
「変な爺さんだよ。どう見ても変わり者」
ネコメのセリフを奪いながら、東雲がチョコプリッツェルの箱を差し出してくる。
俺のお目付役でもある二人は当然のように同行しているのだが、貴重な日曜日を俺のために浪費させてしまうのは少し申し訳ない。
東雲は黄色いティーシャツにデニムのオーバーオール姿で、手に持った袋には大量のお菓子を詰め込んで来ている。
まるで昨夜のことなど無かったかのように普段通りの様子だが、東雲のようなタイプは真意が分かりづらくて困る。ひょっとしたらまだ俺に対しての怒りが収まっていないのかもしれないしな。
俺は差し出されたプリッツェルを一本貰い、食べながら首をひねる。
「変わり者の爺さん?」
そんな人が、異能具専門の職人なのか?
「ダメですよ、八雲ちゃん。そんな言い方したら」
立派な人なんですから、と言いながらネコメもプリッツェルを一本齧る。
「私の爪も、日野さんに作って頂いたんですよ」
「へー」
ネコメの言葉に相槌を打ちながら、俺は密かに心を踊らせる。
俺だけの武器、異能具。
一体どんな武器を作ってもらえるのか、少しワクワクしていた。
・・・
バスで市内の駅に向かい、在来線を乗り継いで二時間。すっかり腰が痛くなった辺りで、ようやく目的の場所にたどり着いた。
鬼無里よりさらに田舎、県の北西部に位置する山奥に、その家はあった。
「やっと着いたのか……」
あまりの移動時間の長さに俺はゲンナリし、目の前の建物を眺める。
変色した屋根に、手作り感満載の木造の小屋。
ほぼ廃墟に見えるが、これが日野甚助さんの家らしい。
足元のリルはすっかり疲弊した様子で、東雲に抱っこをせがんでいる。
「まあ確かに遠いけど、何も私たちだけに異能具を提供してる訳じゃ無いからね」
「忙しい方ですしね」
東雲はリルを抱えながらそういい、ネコメがリルの顎を撫でてやる。
「ともかく行こうぜ。もう俺疲れた……」
異能具を作ってもらうこともそうだが、とりあえず座って休みたい。
俺たちは廃墟のような小屋に向かい、ガラスにヒビの入った引き戸をノックする。
「ごめんくださーい、日野さーん」
ガンガン、とドアを叩くと、ガコン、ドアが外れた。
「……ここ、ホントに人住んでるのか?」
「失礼ですよ、大地くん!」
俺は外れたドアを抱え、なんとか元の形に直そうとするが、上手くいかない。
「あー、放っておけ。そのうち直す」
ドアをガコガコ揺らしてはめ込もうとしていると、しゃがれた声が入り口の奥から聞こえた。
ドアを傾けて声のした方を見ると、そこには一目で変わり者のと分かる老人がいた。
薄汚れてボロボロの作務衣を着て、ボサボサの白髪を輪ゴムで纏めている。
深いシワの刻まれた顔に、ニタリと笑う口元には歯が一本もない。
オマケに手には日本酒の一升瓶が握られている。
一目で分かる、ヤバいジジイだ。
「…………」
硬直する俺を他所に、ネコメと東雲は外れたドアを通って小屋の中に足を踏み入れる。
「お久しぶりです、日野さん」
「ご無沙汰してまーす」
揃って頭を下げる二人に、ヤバいジジイは歯のない口をニタリと歪めた。
「ネコ娘に、クモ娘、ヒヒッ。そっちの狼と小僧は、新顔じゃな?」
外れたドアを小屋の壁に立て掛ける俺に視線を向け、ジジイは一升瓶の中身を一口あおる。
(このジジイ、目が……)
ジジイ、日野甚助の両目は、真っ白に濁っていた。恐らく白内障だ。これではマトモに見えないだろう。
しかも手に持った一升瓶からも口からも、アルコールの匂いは一切しない。ただの水だろう。一体どういうつもりでこんなもん持っているんだか。
胡散臭さの塊のようなジジイに俺が警戒心をむき出しでいると、ジジイは見えないはずの目で俺を品定めするように見て来る。
「ホォ、面白い混ざり方をしとるのう」
視線を俺から東雲の腕の中のリルに変え、おもむろに手を伸ばす。
『オン!』
ガブ、リルがジジイの手を噛んだ。
「り、リルさん⁉」
「ちょ、なにしてるの‼」
東雲が慌ててリルを引き離そうとするが、リルはガッツリ噛み付いていて離さない。
当のジジイは自らの手に噛み付くリルに、面白そうに笑い声を上げる。
「ヒッヒッ、大した気概じゃのう。どれ……」
ジジイは噛まれたままの手をもぞもぞとリルの口内で動かし、直後、リルが悲鳴を上げた。
『キャイン⁉』
「リル⁉」
リルはジジイの手を離し、口からポタポタと血を流している。
「ヒヒ、まぁこれでいいかのう」
引き抜いたジジイの手には、小さな白い欠片、リルの歯が握られていた。
リルの口内で、引っこ抜いたってことか?
確かに噛みついたリルに非があるかもしれないが、それにしてもこれはやり過ぎだ。
「ッテメェ‼」
カッとなった俺は即座に異能を発現させ、ジジイに掴みかかる。
「ヒヒッ!」
ジジイは俺の手をひらりと躱し、手に持った一升瓶で俺の顔を殴打する。
「ッがぁ⁉」
顔に走る衝撃に呻き、俺は一歩後退する。
即座に顔を上げてジジイを睨みつけるが、顔を上げた瞬間に再び一升瓶で殴打される。
「こっの……⁉」
口の中に嫌な異物のような感触が生じ、血の混じった唾液ごと異物を吐き出す。
コロっと床に転がったのは、折れた奥歯だった。
「ジジイ……‼」
自分の歯がないからって、俺やリルの歯を折って何が楽しいんだ!
「ぶっ殺して……!」
「ストップです、大地くん!」
ネコメの声に、縛り付けられるように俺の動きが止まる。
視線を向けるとネコメは異能を発現させて、俺の動きを制限していた。
「な、んで止めやがる⁉」
ギリッと歯をくいしばる俺を見て、ジジイは不快な笑い声を上げる。
「ヒヒヒヒッ、取ーれた取れた」
そう言ってしゃがみ込み、俺が吐き出した歯を拾い、摘み上げる。
「これで作ってやるぞ、お前さんらの異能具」
手のひらに載せた二つの歯を弄びながら、ジジイはそう言って高らかに笑った。
「ああ⁉」
何が起きたのか分からない俺は、やり場のないムカつきを込めた声を上げるだけだった。
東雲はシャワーを浴びてきたらしく、ネコメが持って来ていた部屋着のパーカーに着替えている。
「……話は終わった?」
カチャ、と手に持っていたティーカップを置き、諏訪先輩が問いかける。
「ああ」
俺は短く頷き、ネコメも次いで頷いた。
俺たちの返答に諏訪先輩は「そう」と短く頷き、車椅子のタイヤを回して俺の横に寄ってきた。
「ネコメ、八雲、今日はもう休みなさい。私はもう少し、大地と話があるから」
諏訪先輩の言葉に、ネコメは怪訝そうに首を傾げた。
「お話ですか?」
「ええ。今日の仕事を見て、ちょっと思うところがあってね」
今日の仕事、妖蟲退治のことか。
ネコメのことが衝撃的過ぎて忘れかけていたが、そもそも今日の最初の異常はあの鬼だ。
今後も霊官の研修員として働くなら、諏訪先輩の話は聞いておいたほうがいい気がする。
それに、今はちょっと東雲と一緒に居辛い。
「…………」
東雲はまだ俺に対しての怒りが収まっていない様子で、険しい視線を向けてきている。
「今日の話なら、私達も同席して……」
「いーじゃん、ネコメちゃん。かいちょーが帰っていいって言ってるんだし」
東雲はスキップするようにネコメに駆け寄り、ぐっと背中を押して退室を促す。
「や、八雲ちゃん……」
「大神くんとかいちょーの蜜月だよ? 邪魔しちゃ悪いって」
「な⁉」
ついでのようにネコメをからかい、その背中を押しながら東雲は足早に生徒会室から出て行こうとする。
そしてすれ違いざま、
「……次にこの子を傷つけたら、あたしは君を許さないよ」
底冷えする低い声で、東雲はそう言った。
聞こえていたらしいネコメは慌てた顔で「や、八雲ちゃん……」と狼狽えているが、出入口のドアのところでくるっとターンしてこちらを向くと、その顔はいつもの東雲だ。
「それじゃ、大神くん、かいちょー、おやすみなさーい」
ビシッと右手で敬礼の真似事をし、東雲はドアから出て行った。
「か、会長、失礼します」
東雲に手を引かれるネコメも慌てて先輩に挨拶し、次いで俺の方を向く。
「おやすみなさい、だ、大地君……」
「お、おう、おやすみ、ネコメ」
少し気恥ずかしそうに俺の名を呼ぶネコメに、俺もぎこちなく返す。
女子のことを下の名前やニックネームで呼ぶなんて、随分と久しぶりだ。
一時期を除けば中学時代の俺の周りは、生徒指導の教師か、俺とつるむ物好きな奴しかいなかったからな。
謎の照れ臭さを覚えながら諏訪先輩の方に向き直ると、先輩はニタニタと笑いながら俺のことを見ていた。
「大地君に、ネコメねぇ~。随分と仲良くなったじゃない?」
俺たちの呼び方の変化を指摘する諏訪先輩。とても楽しそうだ。
なんだろう、別に何にも後ろめたい事なんてないはずなのに、弱みを握られたような気分になる。
「悪いっすか、友達のことアダ名で呼ぶのが?」
あえて堂々とそう言うと、先輩は「いいえ」とゆっくり首を横に振った。
「でも、聞いたと思うけど、あの子は暗いものを抱えてるわ」
神妙な顔でそう言う先輩に、俺は気になっていたことを問いかけることにした。
話とやらの前に、はっきりさせておきたい。
「先輩、あんたの技術なら、ネコメの背中の傷を消せるんじゃないか?」
俺に作ってくれた義手と義足は、元の物と区別がつかないくらい良く出来ている。
縫合の痕跡も分からない程にだ。
その技術があれば、あの傷を消すくらい簡単なことに思える。先輩の麻痺と違って重要器官をいじるって訳でもないし。
俺の問いかけに先輩はゆっくりと、確かに頷いた。
「……確かに私なら、あの程度の傷は簡単に消せるわ。ネコメの肌の色に合わせた人工皮膚に張り替えるだけで済むんだから」
やっぱり、先輩にとっては難易度の低い治療なんだ。
「じゃあ……」
「でも出来ないわ」
キッパリと、先輩は断った。
「……金か?」
俺の手足のように、ネコメにも莫大な治療費を請求するってことなのか?
「ち、違うわよ!」
先輩は心外だと言わんばかりに語気を強めて否定した。そして、予想もしなかった言葉を口にする。
「断られたのよ。ネコメに」
「え?」
ため息とともに口から出た言葉に、俺は混乱する。
「断ったって、傷を消すことをか?」
「やんわりと、だけどね。どうやらあの子、傷を消したくないみたいなの」
意味が分からない。傷を消すことを断って、ネコメになんの得があるっていうんだ?
「何で⁉ あんなに隠したがってるのに」
「分からない?」
「分かんねえよ!」
分かる訳がない。
自らの暗い過去、虐待された記憶の象徴である傷痕。
ひた隠しにしたがっているそれを消したくないなんて、どういうことだ?
混乱する俺に、先輩はゆっくりとその答えを、ネコメの心情を語り出した。
「……あの子は母親に、おおよそ最低限の贈り物もされていない。満足な愛情も、食べ物も、名前さえも。そんなあの子にとって、あの傷はね、母親と過ごした唯一の記憶なのよ」
「ッ⁉」
なんだよ、それ?
傷つけられたことが、虐待されたことが、母親との思い出だとでもいうのか?
「……あの傷を消してしまえば、母親の記憶はどこかへ行ってしまう。あの子はそれを恐れているのよ」
「…………」
蹲り、傷を負わされ、ただ耐えるだけの地獄。そんな過去も含めて、消したくないってことなのか?
「歪んでしまっているのよ、あの子も。普通にしていると分からないかもしれないけど」
悲しげに目を細め、憐れむように呟いた先輩の言葉が、俺の耳に残響する。
深く、深く、心の奥に残った。
・・・
「飲みなさい。落ち着くわ」
ソファーに体を預けて半ば放心する俺の前、ガラステーブルの上にティーカップが置かれた。
中を覗き込むと、薄く黄色味がかった液体が満たされている。
強い香りに眉をひそめながら口に含むと、花畑に倒れこんだような、むせ返る花の匂いが鼻腔を通り抜けた。
「なんすか、これ」
飲めない訳ではないが、匂いがキツすぎて少ししんどい。味も何というか、お茶なのかどうか分からない未知の味だ。
「ラベンダーのハーブティーよ。大地は鼻が良すぎるから飲みづらいかもしれないけど、リラックス効果があるわ」
なるほど、言われてみれば確かに、これはラベンダーの香りっぽい。ラベンダーなんて実物の匂いを嗅いだことがあるか定かではないが。
「花の色って訳じゃないんだな」
勝手なイメージだが、ラベンダーのハーブティーなんて花と同じ紫色だと思っていた。
「私のオリジナルブレンドだからね。紫色のものもあるわよ」
先輩は自分でお茶をブレンドしたりもするのか。本当に好きなんだな。
しかし先輩の言う通り、このお茶にはリラックス効果があるようで、俺は先ほどの動揺や混乱が治まっているのが分かる。
「……それで、話ってなんなんすか?」
ネコメのことも気にかかるが、落ち着いて考えてみればそれは俺がどうこうできる問題ではない。
ネコメ自身の問題だ。友人とはいえ、口を出すのははばかられる。
「大地、あなた今日、妖蟲を退治したわよね?」
「え? まあ、退治したけど……」
随分と今更な話に、俺はぎこちなく頷く。
今日、といってもすでに日付は変わっている。カレンダー上では昨日のことだが、まぁそこは些細な問題だろう。
「……ごめんなさい。まさか初日に、あなたが妖蟲と戦うことになるとは思わなかったの」
スッと頭を下げ、謝罪の言葉を口にする先輩。
俺は、驚愕に目を見開く。
今まで散々、傍若無人に俺をいたぶってきた先輩が、俺に頭を下げ、あまつさえ謝罪の言葉を口にするなんて‼
「怪我もさせちゃったわね。本当にごめんなさい、私の思慮不足だったわ……」
辛そうに目を細め、今にも泣き出してしまいそうな先輩。
人に責められることに耐えられる人間でも、自責の念に押しつぶされてしまうことがある。
どれだけしたたかな人でも、自分で自分を責めてしまえば、それを許せるのは自分だけ。
先輩はきっと、そういうタイプの人なんだ。
「き、気にしてないっすよ!」
俺は慌てて声を張る。
この人がこんなに落ち込んでいるのは、なんというかバツが悪い。
「怪我はもう治してもらったし、この通りなんともないですよ」
先ほど藤宮先生に治してもらった手を見せつけ、もう何ともないことをアピールする。
しかし先輩の顔は晴れず、目尻に涙を溜めて顔を背ける。
「でも、痛い思いをさせてしまったし……」
「あのくらい何ともないっすよ! 全然気にしてないですから!」
「そう? じゃあこの話はお終いね」
先輩は涙をひっこめ、ケロッとした顔で手を叩いた。
「…………」
そのあまりの変わり身の早さに、俺はこの人の涙を一生信用しないことを心に誓った。
そもそも自分の采配に後ろめたさがあるなら、保健室で傷の治療くらいしてくれてもいいはずだよな。迂闊だった。
「まあ冗談はこのくらいにしておいて、妖蟲と戦ってみてどうだった?」
「どうだったって……」
デカかったとか、硬かったとか、気持ち悪かったとか、そういうことだろうか?
「楽じゃなかった?」
「あ……」
楽、そうだ、楽だ。
予想よりはるかに、妖蟲の退治は容易かった。
以前河川敷で襲われたときとは違い、今の俺には異能が、戦える力がある。
異能者としてなら、妖蟲の相手は決して困難なことではなかった。それは戦いながらも思っていたことだ。
「確かに、楽ではあったけど……」
妖蟲を踏み潰すだけならいくらでも出来るが、今の俺には足りないものがある。それは、
「武器、よね?」
先輩は見透かしたように、俺の言葉を先取りした。
そうだ、武器だ。
ネコメの爪、東雲の糸、鎌倉の鎌。
そういった武器が無ければ、俺は妖蟲の退治をするたびに手を怪我する羽目になる。
それに、あの鬼。
あの鬼がどういう存在なのかは分からないが、もし今後もあんなやつが現れるのだとしたら、殴る蹴るでどうにかなるとは思えない。
今より強い力が、武器が必要だ。
「欲しい。武器が、戦うための力が欲しい」
俺の答えに、先輩は満足したように頷いた。
「ええ、作りましょう。大地の異能の武器、あなただけの異能具を」
異能具、ネコメの爪のような、異能者専用の異能の武器か。
「じゃあ、刀がいい! 烏丸先輩みたいな、日本刀が‼」
ここぞとばかりに俺は身を乗り出し、自分の要求をアピールする。
男たるもの武器に対する憧れは誰でも持っているものだ。これは間違いない!
どんな武器に憧れるかは人によるだろうが、俺が特に強く惹かれるのは日本刀だ。
興奮気味の俺は先輩のデスクに近づいて刀を要求し、首輪を引っ張られてデスクに顔を叩きつけられた。
「どこの世界に刀を使う狼がいるのよ。この駄犬」
何度目とも知れない痛みに呻きながら、俺は起き上がって首をかしげる。
「いや、だって、武器って……」
せっかくの武器なのだから、自分の好みのものが欲しいと思ったのに、何か間違っていただろうか?
「刀は無理よ。これ見なさい」
そういって先輩は、車椅子のポケットから棒状の金属を取り出し、デスクの上に置いた。
その金属は、元々施されていた塗装が剥げ、所々が錆び付いている。
薄い鉄板をL字型にしたもののようだが、一部が大きくひしゃげている。
何かの残骸のようだが、どこかで見たような気もする。
「これは?」
「あなたが粉々にした、朝礼台の脚よ」
「あっ‼」
そうだ。この錆びた脚は、鬼を殴りつけるために俺が使った、あの朝礼台の脚だ。
たった一撃で粉々になってしまったが、まさかこれの弁償もしろとか言われるのか?
朝礼台っていくらするんだろう、と俺が内心ビビっていると、先輩はひしゃげた部分を指差して「ここを見なさい」と言った。
「このひしゃげた部分、あなたが握り潰したのよね?」
「えーっと、多分?」
あの時は必死だったのでよく覚えていないが、確かに手の中で何かが潰れるような感触があったような気がする。
「狼の異能者、ウェアウルフは脳内物質である種の興奮状態になるわ。その結果、痛覚の麻痺だけじゃなくて、脳のリミッターが外れて尋常じゃない筋力が出ることもある」
先輩の言葉を、俺は頭の中で噛み砕く。
人間の脳というのはリミッターが掛かっており、普段は本来の力の三割程度しか扱えないというのを聞いたことがある。
それは常に限界の力を出してしまえば体の方が耐えられないからで、緊急事態に際してはそのリミッターが外れることがある。火事場の馬鹿力とか言われるものだ。
狼の異能者、ウェアウルフである俺は、確かに朝礼台を持ち上げる時にそういう状態にあったかも知れない。
「でも、だからって何で刀はダメなんすか?」
「刀っていうのは、刀身以外にも、柄、鍔、鯉口、目釘、色んなパーツを組み合わせて出来ているのよ。金属を握り潰すような握力で扱えば、あっという間にバラバラになってしまうわ」
なるほど、つまり俺は、力が強すぎて刀を扱えないということか。
残念だが、そういうことなら仕方ない。鬼に斬りかかったところで刀が空中分解すれば、待っているのは目も当てられない惨劇だ。
「そもそも剣道経験すらないあなたが、訓練も無しに刀を扱える訳ないでしょ」
それもまぁ、納得の理由だな。
「でも、だったらどういう武器ならいいんですか? 鉄パイプとか?」
あと他に俺が扱ったことのある武器なんて、角材とか、自転車のチェーンをバンテージの代わりに手に巻いたりとか、そんな感じだ。
「バタフライナイフとか使わなかった?」
「使うかよ、そんな危ない物」
先輩は「鉄パイプを引き合いに出しといて……」とボヤき、思案するように背もたれに体重をかける。
「まず大切なのは壊れないことね。単一の金属で出来たもので、パーツ類が無いものが好ましいわ」
複数の金属で構成されていれば、その継ぎ目から壊れてしまう。確かに一つの金属で出来ていれば壊れ難いだろうな。
「大地、戦闘スタイルは?」
「スタイルって言われても、それこそ殴る蹴るしか……」
格闘技の類を習ったことは無いし、ケンカのときはその辺にある物を即席で武器にしたりしていた。
これといって得意な戦い方がある訳じゃ無い。
「そうなると、拳をガードするものかしら……」
単一の金属で、拳をガードする武器……。
「メリケンサックとかどうかしら?」
「なんか嫌だな……」
メリケンサック、握り込んで使う武器だ。
指を入れる穴が空いており、拳が負傷しないためのガードと、握りこむことで力が伝わりやすくなる、二つの役割を備えている。
人間の拳とは普通に握っても隙間が空いてしまい、力が十全には伝わらない。
そのため何か拳に収まる物を握りこむことで、隙間が埋まって力が伝わりやすくなるものだ。
確かに理には叶っているが、異能と戦うための武器がメリケンサックというのは……。
「まあいいわ。ここで話し合うより、あなたに合った武器を作ってくれる職人に会った方が話は早いし」
俺が頭を抱えていると、先輩はそう言ってデスクの引き出しから封筒とルーズリーフを取り出した。
「なにやってんすか?」
見ると先輩は、スラスラとルーズリーフに何かを書き留めている。
どうやら手紙らしきそれを三つ折りにし、封筒に収めて渡してくる。
「これは紹介状よ。明日、会ってきなさい」
・・・
翌日、日曜日。朝食を終えた俺は、私服姿で学校を出た。
先輩に書いてもらった紹介状を手に、一時間に一本しかない鬼無里からのバスに乗る。
ガラガラに空いているバスの一番後ろの席に陣取り、リルの入ったキャリーケースを座席の下に置いて紹介状を眺める。
「どんな人なんだ、この日野さんって」
紹介状の宛名に記されている『日野甚助』という名前を見て、隣のネコメに話しかける。
ネコメは制服とは違う水色のワイシャツ、白いカーディガン、チェック柄のスカートという私服姿にハンチングを被り、バスの隣の席に座っている。
「異能具専門の職人さんで……」
「変な爺さんだよ。どう見ても変わり者」
ネコメのセリフを奪いながら、東雲がチョコプリッツェルの箱を差し出してくる。
俺のお目付役でもある二人は当然のように同行しているのだが、貴重な日曜日を俺のために浪費させてしまうのは少し申し訳ない。
東雲は黄色いティーシャツにデニムのオーバーオール姿で、手に持った袋には大量のお菓子を詰め込んで来ている。
まるで昨夜のことなど無かったかのように普段通りの様子だが、東雲のようなタイプは真意が分かりづらくて困る。ひょっとしたらまだ俺に対しての怒りが収まっていないのかもしれないしな。
俺は差し出されたプリッツェルを一本貰い、食べながら首をひねる。
「変わり者の爺さん?」
そんな人が、異能具専門の職人なのか?
「ダメですよ、八雲ちゃん。そんな言い方したら」
立派な人なんですから、と言いながらネコメもプリッツェルを一本齧る。
「私の爪も、日野さんに作って頂いたんですよ」
「へー」
ネコメの言葉に相槌を打ちながら、俺は密かに心を踊らせる。
俺だけの武器、異能具。
一体どんな武器を作ってもらえるのか、少しワクワクしていた。
・・・
バスで市内の駅に向かい、在来線を乗り継いで二時間。すっかり腰が痛くなった辺りで、ようやく目的の場所にたどり着いた。
鬼無里よりさらに田舎、県の北西部に位置する山奥に、その家はあった。
「やっと着いたのか……」
あまりの移動時間の長さに俺はゲンナリし、目の前の建物を眺める。
変色した屋根に、手作り感満載の木造の小屋。
ほぼ廃墟に見えるが、これが日野甚助さんの家らしい。
足元のリルはすっかり疲弊した様子で、東雲に抱っこをせがんでいる。
「まあ確かに遠いけど、何も私たちだけに異能具を提供してる訳じゃ無いからね」
「忙しい方ですしね」
東雲はリルを抱えながらそういい、ネコメがリルの顎を撫でてやる。
「ともかく行こうぜ。もう俺疲れた……」
異能具を作ってもらうこともそうだが、とりあえず座って休みたい。
俺たちは廃墟のような小屋に向かい、ガラスにヒビの入った引き戸をノックする。
「ごめんくださーい、日野さーん」
ガンガン、とドアを叩くと、ガコン、ドアが外れた。
「……ここ、ホントに人住んでるのか?」
「失礼ですよ、大地くん!」
俺は外れたドアを抱え、なんとか元の形に直そうとするが、上手くいかない。
「あー、放っておけ。そのうち直す」
ドアをガコガコ揺らしてはめ込もうとしていると、しゃがれた声が入り口の奥から聞こえた。
ドアを傾けて声のした方を見ると、そこには一目で変わり者のと分かる老人がいた。
薄汚れてボロボロの作務衣を着て、ボサボサの白髪を輪ゴムで纏めている。
深いシワの刻まれた顔に、ニタリと笑う口元には歯が一本もない。
オマケに手には日本酒の一升瓶が握られている。
一目で分かる、ヤバいジジイだ。
「…………」
硬直する俺を他所に、ネコメと東雲は外れたドアを通って小屋の中に足を踏み入れる。
「お久しぶりです、日野さん」
「ご無沙汰してまーす」
揃って頭を下げる二人に、ヤバいジジイは歯のない口をニタリと歪めた。
「ネコ娘に、クモ娘、ヒヒッ。そっちの狼と小僧は、新顔じゃな?」
外れたドアを小屋の壁に立て掛ける俺に視線を向け、ジジイは一升瓶の中身を一口あおる。
(このジジイ、目が……)
ジジイ、日野甚助の両目は、真っ白に濁っていた。恐らく白内障だ。これではマトモに見えないだろう。
しかも手に持った一升瓶からも口からも、アルコールの匂いは一切しない。ただの水だろう。一体どういうつもりでこんなもん持っているんだか。
胡散臭さの塊のようなジジイに俺が警戒心をむき出しでいると、ジジイは見えないはずの目で俺を品定めするように見て来る。
「ホォ、面白い混ざり方をしとるのう」
視線を俺から東雲の腕の中のリルに変え、おもむろに手を伸ばす。
『オン!』
ガブ、リルがジジイの手を噛んだ。
「り、リルさん⁉」
「ちょ、なにしてるの‼」
東雲が慌ててリルを引き離そうとするが、リルはガッツリ噛み付いていて離さない。
当のジジイは自らの手に噛み付くリルに、面白そうに笑い声を上げる。
「ヒッヒッ、大した気概じゃのう。どれ……」
ジジイは噛まれたままの手をもぞもぞとリルの口内で動かし、直後、リルが悲鳴を上げた。
『キャイン⁉』
「リル⁉」
リルはジジイの手を離し、口からポタポタと血を流している。
「ヒヒ、まぁこれでいいかのう」
引き抜いたジジイの手には、小さな白い欠片、リルの歯が握られていた。
リルの口内で、引っこ抜いたってことか?
確かに噛みついたリルに非があるかもしれないが、それにしてもこれはやり過ぎだ。
「ッテメェ‼」
カッとなった俺は即座に異能を発現させ、ジジイに掴みかかる。
「ヒヒッ!」
ジジイは俺の手をひらりと躱し、手に持った一升瓶で俺の顔を殴打する。
「ッがぁ⁉」
顔に走る衝撃に呻き、俺は一歩後退する。
即座に顔を上げてジジイを睨みつけるが、顔を上げた瞬間に再び一升瓶で殴打される。
「こっの……⁉」
口の中に嫌な異物のような感触が生じ、血の混じった唾液ごと異物を吐き出す。
コロっと床に転がったのは、折れた奥歯だった。
「ジジイ……‼」
自分の歯がないからって、俺やリルの歯を折って何が楽しいんだ!
「ぶっ殺して……!」
「ストップです、大地くん!」
ネコメの声に、縛り付けられるように俺の動きが止まる。
視線を向けるとネコメは異能を発現させて、俺の動きを制限していた。
「な、んで止めやがる⁉」
ギリッと歯をくいしばる俺を見て、ジジイは不快な笑い声を上げる。
「ヒヒヒヒッ、取ーれた取れた」
そう言ってしゃがみ込み、俺が吐き出した歯を拾い、摘み上げる。
「これで作ってやるぞ、お前さんらの異能具」
手のひらに載せた二つの歯を弄びながら、ジジイはそう言って高らかに笑った。
「ああ⁉」
何が起きたのか分からない俺は、やり場のないムカつきを込めた声を上げるだけだった。
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