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篠原

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第四章 あの日 以降 ~3人の物語~

第四章 ⑤

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その後、俺は、大急ぎで市内の
病院に自転車で向かった。

母は、銭湯の女湯の掃除中に
倒れたのだった。
一緒に掃除していた若いアルバイトの
女子大生がすぐに気づいてくれたから
良かった。
すぐに119番され、搬送されたのだ。
あとで、兄嫁から聞いたが、
「あと1、2分通報が遅ければ、
危険でした」と救急隊員に言われたそうだ。


2、3日は付きっきりで家族が
交代で看病した。
3日目には、意識障害もなく、
ちゃんと会話もでき、笑顔も見せた。
医師は、
「脳出血の中では軽い症状の方です」と
言った。
容態も落ち着いていて、俺も父も
兄夫婦もホッとした。
だが、そこからが試練の始まりだった。
なんと、重い病気を併発してしまい、
数日間意識不明になってしまった
のだった。
しかも、併発に医師や看護師が
気づくのがかなり遅れてしまい、
気づいた時は、ほぼ手遅れだった。
あの、医師や看護師が右往左往し、
母を乗せたタンカーがICUに
運ばれていく光景を今でも思い出し、
ゾッとする。
神なんか信じていなかったが、
仏でもご先祖でも何でも良いから
すがりたくなった。

母が集中治療室に入ってからの数日間、
俺らは人生のどん底だった。
母が、意識不明なのに俺ら家族には
何もできない……!
ただ、医師や看護師を見つめるだけだ。
集中治療室に入れてもらうことも
できなかった!
もどかしい、絶望……。
父は、黙って、集中治療室への
扉を見つめていた。
兄嫁は、かなり憔悴してしまった、
当然だ……。
兄は、
「こんな状態だ……。とても仕事に
なんかならない。
銭湯は臨時休業にしよう」と
言い出したが、父は、一言、
「義治。お前がやってくれ。
母さんもそれを望んでるはずだ」と
言った。
兄は、仕事場と病院を往復することに
なり、兄嫁と俺と父が3人交代で
病院に詰めた。

1週間位して、母の意識が戻って、
母が目を開き、俺たちの言葉に
かすかだが、頷いた。
あの時は、病院の中と言うことも忘れて、
中学生の俺は大泣きした。
父と兄が、「落ち着け、落ち着け」と
言うのだが、涙も泣き声も止める
ことが出来なかった。
隣で、兄嫁も泣きじゃくっていた。
兄嫁のそんな姿、初めて見た。




俺らは話し合った。
明らかにこの病院の設備、
医師の体制等は不十分だった。
母のことも、言うなら医療ミスだ。
重い病気の併発にもっと早く
病院側が気づけば、母は意識不明に
なっていたかどうか……。
父と兄夫婦と俺の総意で、
父が動き出した。
知り合いや懇意にする議員達に
連絡を始めた。
そして、母のような症状を専門的に
扱う病院を、父はある友人から
教えてもらったのだった。
神奈川にある病院だった。
まさに、その時の母の状況に
ピッタリと思えた。

母の体には重大なダメージ、
障害が残ってしまっていた……。
だからこそ、母のリハビリにも
最適な環境のその病院への転院が
必要だった。

父は、いすみ市の病院の医師、
それに友人に紹介してもらった
例の神奈川の病院の医師と相談して、
母を転院させることに決めた。
いすみ市から遠い、神奈川県川崎市の
専門病院だった。
そこに、母は特別に転院できる
ことになった。
もちろん、途中何度か壁に当たったが、
父の知り合いの政治家が、
たまたまその頃、厚労省の副大臣を
やっていた。
その副大臣の秘書が動いてくれて、
転院への道がどんどん開いて行った。
父の人脈の広さに、その時は素直に
感動した。
ただ、母が最期まで渋っていた。
俺や兄夫婦や父は、転院を勧めたが、
母は最後までウンと言わなかった。
母は、「ヤダよ。みんなから遠く
離れるなんて。寂しいわ。
しかも、私のこの症状じゃ、
いつその川崎市の病院を
退院できるのか分からないわ……。
家族と遠く離れるのは、嫌よ!」と
言うのだった。




でも、母は、静かに決心したようだ。
そして、父も一大決心を表明した。
「義治たちも、もう一人前で銭湯を
任せても大丈夫だと思う……。
だから、俺もあっちの病院の近くに
アパートを借りて、あっちで暮らすよ。
で、毎日、母さんの病院に通うよ」
母は、泣き出した。
「あなた……」と、両手で顔を覆う
母を見ながら、幸せな夫婦だと思った。
兄も「大丈夫。俺ら二人で何とか
なるから!何なら、バイトを増やせば
良いしな。
母さんは、安心して、
リハビリしておいで。銭湯は俺らが
守るから!!」と言い切った。
兄嫁も、
「そうね。一緒に頑張ろう。」と
兄に言っていた。
相思相愛の兄夫婦を見つめて、
俺は思った。
「兄ちゃん。良い人と結婚したなぁ」
兄が、結婚していなかったら、
多分こうは行かなかっただろう。
兄嫁の存在は、本当に我が家
にとって大きいと思った。

俺も、言いたかったことを
思い切って言った。
「俺も、川崎に行くよ。
父さんだけじゃ、一人暮らしで
大変だろ。
一緒に行って、いろいろ手伝うよ」
父は最初、
「お前は、こっちに残って、
義治の家に世話になれ。
第一、学校はどうすんだ、
学校は⁉」と言ったが、
結局は、俺は神奈川県の中学校に
転校することになった。
父も、俺の決心が、本当は
嬉しかったらしい。
後になって、父が、照れながら俺に
打ち明けてくれた。

そして、俺と父は、母が転院した
病院に車で15分のアパートで
生活し出した。
父は、毎日、病院の母のもとに
通った。
俺も、週に2、3度は病院に通った。
やっぱり転院できて、良かったと、
俺は思った。
母の体はどんどん良くなっていた。




父は、週に1度は、車で、
銭湯の様子を見に行ったり、
所有するアパートや土地の状況を
確認しに行った。
そして、夜には、いつも満足気に
戻ってくるのだった。
「やはり、あの二人は大したもんだ。
銭湯のこともちゃんと
やってくれている。あいつら二人の
結婚は大当たりだったな」と言って、
両手には、ビニール袋を持って……。
そのビニール袋の中には、兄嫁の
手作り料理がいっぱい詰められた
大きなタッパーが入っていた。
いつもは、俺が悪戦苦闘して作る
出来の悪い料理だが、その日だけは、
俺と父の食卓は明るくにぎやか
だった。
「やっぱ、義姉さんスゴイや!
旨すぎる!!」と、毎回思うの
だった。


母の病院には、教会の牧師さんが
何度も何度も、わざわざ千葉から、
見舞いに来てくれていた。
親戚の紹介で来るように
なったその牧師さんは、
帰り際に、いつも母にこう
言ってくれたそうだ。
「必ず治りますよ。よくなりますよ」
母は、その言葉で力づけられ、
勇気を取り戻していたそうだ。
だが、母の症状、併発した病気の方は
完治にはなかなか至らなかった。
だから、長いこと、退院できなかった。

そんな中で、母が一番焦り、
不安だっただろう。
でも、牧師さんの言葉が大きな慰め
だったらしい。
結局、母が完治して、その病院を
退院したのは、俺が中3の秋の
ことだった。
俺が中1になったばかりに脳内出血で
倒れ、緊急搬送され、重い病気を
併発し、転院して、結局転院先の
病院を退院したのが、
俺が中3の秋……。
母も俺らも予想していなかった程の、
長期闘病となった。


俺は、この母の闘病中に、
クリスチャンと言われる人たちに
出会った。
一人は、さっきも言った、
船橋市から月に2度は通ってくれた
あの牧師さん。
そして、西町久太郎、歌伊さんと
言う老夫婦だった。
このご夫妻も母の親戚の紹介で
ある時から見舞いに来てくれる
ようになった。
長身で目じりが垂れていて、
いつでも親しみやすい雰囲気の
西町さんは言ってくれた。
「ここは、いすみ市からは
遠いでしょう。
栄さんがいすみ市に行かれてて、
義時君が学校にいる……。
そんな時に、何かあったら、
いつでも私たちに連絡して
くださいよ、病院から……。
私たち老夫婦は、時間だけは
いっぱいありますからね、
いつでも、駆け付けますよ」。
母と父が涙ぐんでいた。
俺も本当に感動した。

実は、西町さんは多忙な人だった。
川崎市の教会の役員もしていた。
また、歌伊さんもある女子高で
非常勤の講師をしていた。
そして、何より、西町さんは、
洋菓子店を何店も経営する
多忙な実業家だった。
それでも、週に最低1度は、
夫婦で母を見舞ってくれた。
この二人を見ていると、
神の存在がなんとなく分かるような
気がした。




母の退院の日には、いすみから
兄夫婦も来た。
兄嫁に手を引かれ、病院を出る
母の姿……。
今、思い出しても感動で涙が出る。
その後、家族全員で、
アパートで祝杯を挙げた。
兄嫁の心づくしの料理が
テーブルに並んでいた。
母が、食事の前に、長々と祈って、
最後に「アーメン」と静かに唱えた。
俺は、驚いた。
兄夫婦も目を丸くしていた。
父だけは、平然としていた……。










(著作権は、篠原元にあります)
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