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「アビー、明日はいよいよ入学式だな」

ウエスト男爵はパンをちぎりながらアビゲイルに話し掛けた。

「ええ、そうよ。制服もなんとか仕上がってきて良かったわ」

アビーもパンに手を出しながら答える。バターはごく薄く塗る。本当はたっぷり塗りたいところだけれど。

「この子ったら今年また背が伸びたから、制服の採寸がギリギリになってしまったのよ」

そう言って母は小さく切った肉を優雅に口に運んだ。

「どうせ一年も経ったらまた丈が短くなるって」

兄が愉快そうに笑うのでアビーは脚を伸ばして向こう脛を蹴ってやった。あまり大きくないウエスト家のダイニングテーブルだからこその攻撃である。

「いてっ」

「不吉なこと言うのやめてくれる? もうこれ以上伸びなくていいんだから」

アビーは兄に向ってふくれっ面をしてからパンを思い切りかじった。

「こら、アビー。もっと優雅に食べなさい。そんなんじゃ、家庭教師にはなれないわよ」

「大丈夫。ちゃんと、やる時はやるから」

アビゲイル・ウエストは十五歳。明日から王立学園に入学する。彼女には目標があった。半年前、家族にこう宣言したのだ。

「私、結婚は諦めた」

「アビー? 急にどうしたの」

「身長が伸びすぎたわ。これじゃあ、ほとんどの男性を見下ろしてしまうじゃない。わざわざ、自分よりデカい男爵令嬢を嫁にもらおうと思う人はいないもの」

「そんなことないわよ、アビー。人は見た目だけで結婚するわけではないでしょう」

「もちろんそうだけど、かなり険しい茨の道だわ。結婚もしないままここにずっといるわけにもいかないんだし、職を持とうと思うの」

「職って……。」

「王宮や上位貴族の家庭教師か、パーラーメイドね。家庭教師なら一生働けそうだし、接客担当のメイドなら背が高くても採用ありそうだし」

「いいじゃん、そうしろよ。俺が当主になった時、働かない妹に家でゴロゴロされてたら嫌だもんなあ」

兄の軽口にムッとしながらもアビーは続けた。

「だから、学園で過ごす二年間は勉学に励み、家庭教師になれるよう頑張るわ。そしてあわよくば上位貴族の令嬢と仲良くなって将来雇ってもらうのよ」

「すげえ、こんな野心を持って学園に行くやつもいるんだな」

「兄さま、茶化さないでよね。兄さまは将来が決まってるからいいけれど、私は切実なの。こんな背高のっぽでもいいと言ってくれる人を探すより、一人でも生きていける術を身に付ける方が絶対確実だわ」

「よく言った、アビゲイル。お前は本当に強い子だ。とにかく、幼い頃から体が大きくて力も強かったからなあ。マイクが小さくて弱々しかったから、二人が逆だったらと何度思ったことか」

自分に鉾先が向いてきた兄が反論する。

「なんだよ、ちょっと成長が遅かっただけだろ。今はアビーより高いじゃないか」

「ほんのちょっとだけね」

今度は兄がムッとしていた。

「ほんとにねえ、昔は取っ組み合いの喧嘩でアビーが勝ったりしてたものねえ。三つも年が違うというのに」

「まあ、さすがに今は兄さまの方が力が強いけど、乗馬は私の方が上手いわね」

「くそう。言い返せない……」

乗馬が不得手な兄は悔しがった。

この会話が半年前のこと。あれからまたアビーは身長が伸び、既に成長が止まった兄を追い抜いてしまった。この国の男性の平均身長よりかなり高い。

(もちろん、貴族の中にも背が高い男性はたくさんいるわ。でも、身分が高いわけでもない大女とわざわざ結婚しようなんて人はいないでしょ)

だからアビーは十五歳にして一人で生きていく決意を固めているのだった。明日からの学園生活、真面目に頑張ろうと改めて心に誓いながら眠りについた。

翌朝、アビーは制服を着て鏡の前で入念にチェックした。

「スカートの丈、良し」

チェックのスカートは上品なミモレ丈で、ペチコートでふんわりとさせている。編み上げブーツを合わせるととても可愛い。ブーツのヒールは低めにしているけれど。

「リボンタイ、良し」

紺色の上着は軽く身体にフィットする形で、大きな白い襟が付いている。胸元に結んだリボンタイは男爵を表す茶色だ。

「髪型、良し」

アビーの髪は地味な茶色ではあるが、艶があり自然なウェーブがお気に入りだ。だが、勉強の邪魔になるからと自慢の髪は下ろさずきっちりと編み込んだ。

「じゃあ、行って参ります」

始業時間より早めに着くように出発したアビーだったが、教室にたどり着いたのはかなり遅くなった。

「まさか馬車止めで渋滞に巻き込まれるとはね。しかも身分の高い人から降ろされるんだもの」

ブツブツ言いながら教室へ向かう。新入生の女子クラス、今年は十人だと聞いている。

ドアの前で一旦深呼吸をした。中から、キャッキャと話す声が聞こえている。

「あら? 最後の方がいらしたみたいよ」

「どんな方かしら。楽しみだわねえ」

注目が集まっているらしい事を感じながらアビーはドアを開けた。すると、教室の前方に女子がひとかたまりになっていて、その全員がこちらを見ていた。

一瞬の沈黙の後、輪の真ん中にいた女子が、甲高い声で言った。

「いやだわ、また大女じゃない」

すると周りにいた女子が一斉に笑った。

「本当ですわ、二人もいるなんて珍しい」

「食べられちゃいそうで怖いわあ」

(何コイツら。人の事を巨人みたいに)

アビーはムカツいてはいたが、

「おはようございます」

とお辞儀をしてから集団の横を通り過ぎた。皆、クスクスと笑いながらアビーの動きを目で追っていた。

「大女をお仲間にするのはやめておきましょうね。ここにいる七人の方に、これから二年間、仲良くしていただきたいわ」

輪の中心にいる女子は公爵家を表す青色のリボンタイを結んでいた。身長は小さく、華奢な身体に濃い金色の髪が見事な縦ロールとなって揺れていた。

周りにいる女子達は皆喜んで、

「よろしくお願いいたしますわ、レベッカ様」

と、キャッキャウフフしていた。

(アホらしい。こんな人達とは関わらずに勉強に集中するべきね)

そう思いながら窓際に視線を移すと、一番後ろの席に座った女子がウルウルとした涙目でアビーを見つめていた。

座っていてもわかるその身長。この女子生徒が、もう一人の大女だとアビーは理解した。

彼女もまた公爵家の青いリボンタイをつけていた。淡い金色の柔らかな巻毛をハーフアップにしてふんわりと下ろしたその姿は、身長さえ高くなければ守ってあげたい女子ナンバーワンになってもおかしくない可愛らしさだ。

アビーは一礼して隣に座った。身分差ゆえこちらから話し掛けることは出来ないのだ。

「あのう……。私、パトリシア・バイロンと申します。お名前を伺っても?」

おずおずと、彼女の方から声を掛けてくれた。

「私はアビゲイル・ウエストと申します。よろしくお願いいたしますわ、パトリシア様」

すると彼女はにっこりと笑った。

「私と同じくらいの身長の方と出会ったのは初めてですわ。すごく嬉しい。私と、お友達になって下さる?」

「もちろんです、パトリシア様。光栄です」

アビーは心からそう答えた。こんなに感じのいい人に今まで会ったことはない。

それから二人はいつも一緒にいるようになり、いつしか「アビー」「トリシャ」と愛称で呼び合うようになっていた。

トリシャは大きな身体に似合わず大人しくて気が小さい。同じ公爵という身分で対等である筈のレベッカは、何故かパトリシアを敵視していて、常に大女だデカ女だと嫌味を投げつけてくる。

周りの取り巻き達も、レベッカに気に入られようとして一緒になって悪口を言ってくる。

「どうして言い返さないの?」

「だって、怖いんだもの。それに、大きいのは本当だし」

そう言って涙目で耐えているのだ。アビーは代わりに言い返してやりたかったが、トリシャがそれを望んでいないので仕方なく黙っていた。
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