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その言葉通り、ソニアは変わった。
頭の中がいつまでも15の少女のままだった彼女は大人びた顔つきになり、家令からお墨付きをもらえるまでに成長した。リカルドが遠征に出ている間も立派に留守を守れるようになったのである。その時既にソニアは19歳。嫁いでから4年の月日が流れていた。
「ではソニア、今回は北方の駐屯地を見回ってくる。帰ってくるのは二週間後になるだろう」
「わかりました、リカルド様。気をつけて行ってらっしゃいませ」
もう冬が近い。雪で山を越えられなくなる前に北方へ旅立ったのだ。ソニアも、冬に備えて足りない物をリストアップし、仕入れておかねばならない。城にいる者たちを飢えさせたり寒がらせてはいけないのだから。
家令と共に忙しく働いていたある日、一人の客人が城を訪れた。燃えるように赤い髪、唇の端にあるホクロが魅力的な女性だ。
「私はコンチエッタ・アルバローニ。リカルドはいるかしら?」
「リカルド様は北方のセンツァに遠征なさっています。二週間後のお戻りになりますので、もう一度お訪ね下さいませ」
コンチエッタはジロジロと不躾な視線をソニアに送った。
「私はリカルドの学友なのよ。つまり彼の客人ってこと。帰ってくるまでこの城で待たせてもらうわ」
ズカズカと城に入って行くコンチエッタ。困惑するソニアだったが、リカルドの過去を知る侍女頭が確かに学友だと証言したため、客としての滞在を許可することにした。
夜は浴びるほどワインを飲み、昼過ぎまで眠る毎日。コンチエッタは徐々に態度を大きくしていった。
ある日の夕食の席で、既に酔いの回っていたコンチエッタはソニアに絡み始めた。
「私はね、リカルドと結婚するつもりだったのよ。それなのに親に勝手に結婚を決められて。相手は60歳の老いぼれよ? こんなに若く美しい私が! この10年間、地獄のような日々だった。ようやく死んでくれたけど、私はすぐに屋敷を追い出されたのよ。子供を産まなかったから何の遺産も渡されずにね」
グイッとワインをあおると据わった目でソニアを睨んだ。
「私はね! リカルドを愛してたの。リカルドもそうだったのよ。私が政略結婚させられたから、彼は傷ついていたはずよ。王命なんかが下らなければ彼はずっと独身のまま私を待っていたに違いないのよ。そうしたら……今、私と再婚できたのに……」
今度は涙を流しながらワインのお代わりを要求する。
「コンチエッタ様、もうそのくらいになさっては……」
「私に命令しないで!」
コンチエッタはワイングラスを床に叩きつけた。
「いい? 私の目はごまかせないわ。あなた、まだ女じゃないわね」
ギクリ、とソニアは痛いところを突かれ身体を固くした。
「顔は綺麗だけれどまるでお人形さん。女の色気も何もないわ。きっと、リカルドはあなたに欲情しないのよ。だから子供もできないんでしょ」
「私なら彼をすぐその気にさせられる。彼の子供を何人でも産んであげられるわ。だからあなた、城から出て行って。私とリカルドの愛を邪魔しないで!」
そう叫ぶと突然机に突っ伏していびきをかき始めた。ソニアは侍従に命じて彼女を部屋に運ばせ、侍女とともに食堂の後片付けをした。
「奥様、あの人いつまでいるんでしょうねぇ。お城のワインを飲み干してしまうつもりかしら」
「そうね……でもリカルド様の大事な方かもしれないから。お帰りになるまで待つしかないわね」
「それはそうですけど……酒癖も悪いしほんと嫌になります」
なんとか侍女を宥めソニアも自室に戻った。一人になるとさっきのコンチエッタの言葉が脳裏をよぎる。
『まるでお人形さん。女の色気も何もない』
あのパーティーの夜以降も、リカルドがソニアを抱くことはなかった。心を入れ替えたソニアが寝室を一緒にと申し出てそれだけは実現したが、彼は決してソニアに触れようとはしない。勇気を振り絞ってソニアから手を伸ばしてみたこともあるが、「無理をするな」と言われ優しく頭を撫でられただけだった。
(きっと、リカルド様にとって私は押し付けられた厄介者のままなのだわ。しかも最初に嘘をついて面目を潰したのだもの、信頼されなくて当然ね。そんな相手を妻として抱くなんてきっと、考えたくもないはず)
知らぬ間にソニアの目からは涙がこぼれ落ちていた。ここステッラで4年間を共に過ごし、彼の人となりを見てきた。無口だが無愛想ではなく、穏やかで優しくて頼りになる。誰からも愛され慕われるリカルドをいつしかソニアは心から愛していた。
(だけど、この気持ちを伝えてはならない。幼かったからといってあの過ちをなかったことにはできないもの。リカルド様がコンチエッタ様と一緒になりたいと思うのなら、私は……何も言わずここを去るべきだわ)
愛する男性と同じベッドにいながら触れることも叶わない、そんな状況を辛く思い始めていた矢先のコンチエッタの訪問。これは神のお導きなのかもしれない。
(リカルド様がお戻りになってコンチエッタ様と引き合わせたら……離縁状を置いて出て行こう……)
頭の中がいつまでも15の少女のままだった彼女は大人びた顔つきになり、家令からお墨付きをもらえるまでに成長した。リカルドが遠征に出ている間も立派に留守を守れるようになったのである。その時既にソニアは19歳。嫁いでから4年の月日が流れていた。
「ではソニア、今回は北方の駐屯地を見回ってくる。帰ってくるのは二週間後になるだろう」
「わかりました、リカルド様。気をつけて行ってらっしゃいませ」
もう冬が近い。雪で山を越えられなくなる前に北方へ旅立ったのだ。ソニアも、冬に備えて足りない物をリストアップし、仕入れておかねばならない。城にいる者たちを飢えさせたり寒がらせてはいけないのだから。
家令と共に忙しく働いていたある日、一人の客人が城を訪れた。燃えるように赤い髪、唇の端にあるホクロが魅力的な女性だ。
「私はコンチエッタ・アルバローニ。リカルドはいるかしら?」
「リカルド様は北方のセンツァに遠征なさっています。二週間後のお戻りになりますので、もう一度お訪ね下さいませ」
コンチエッタはジロジロと不躾な視線をソニアに送った。
「私はリカルドの学友なのよ。つまり彼の客人ってこと。帰ってくるまでこの城で待たせてもらうわ」
ズカズカと城に入って行くコンチエッタ。困惑するソニアだったが、リカルドの過去を知る侍女頭が確かに学友だと証言したため、客としての滞在を許可することにした。
夜は浴びるほどワインを飲み、昼過ぎまで眠る毎日。コンチエッタは徐々に態度を大きくしていった。
ある日の夕食の席で、既に酔いの回っていたコンチエッタはソニアに絡み始めた。
「私はね、リカルドと結婚するつもりだったのよ。それなのに親に勝手に結婚を決められて。相手は60歳の老いぼれよ? こんなに若く美しい私が! この10年間、地獄のような日々だった。ようやく死んでくれたけど、私はすぐに屋敷を追い出されたのよ。子供を産まなかったから何の遺産も渡されずにね」
グイッとワインをあおると据わった目でソニアを睨んだ。
「私はね! リカルドを愛してたの。リカルドもそうだったのよ。私が政略結婚させられたから、彼は傷ついていたはずよ。王命なんかが下らなければ彼はずっと独身のまま私を待っていたに違いないのよ。そうしたら……今、私と再婚できたのに……」
今度は涙を流しながらワインのお代わりを要求する。
「コンチエッタ様、もうそのくらいになさっては……」
「私に命令しないで!」
コンチエッタはワイングラスを床に叩きつけた。
「いい? 私の目はごまかせないわ。あなた、まだ女じゃないわね」
ギクリ、とソニアは痛いところを突かれ身体を固くした。
「顔は綺麗だけれどまるでお人形さん。女の色気も何もないわ。きっと、リカルドはあなたに欲情しないのよ。だから子供もできないんでしょ」
「私なら彼をすぐその気にさせられる。彼の子供を何人でも産んであげられるわ。だからあなた、城から出て行って。私とリカルドの愛を邪魔しないで!」
そう叫ぶと突然机に突っ伏していびきをかき始めた。ソニアは侍従に命じて彼女を部屋に運ばせ、侍女とともに食堂の後片付けをした。
「奥様、あの人いつまでいるんでしょうねぇ。お城のワインを飲み干してしまうつもりかしら」
「そうね……でもリカルド様の大事な方かもしれないから。お帰りになるまで待つしかないわね」
「それはそうですけど……酒癖も悪いしほんと嫌になります」
なんとか侍女を宥めソニアも自室に戻った。一人になるとさっきのコンチエッタの言葉が脳裏をよぎる。
『まるでお人形さん。女の色気も何もない』
あのパーティーの夜以降も、リカルドがソニアを抱くことはなかった。心を入れ替えたソニアが寝室を一緒にと申し出てそれだけは実現したが、彼は決してソニアに触れようとはしない。勇気を振り絞ってソニアから手を伸ばしてみたこともあるが、「無理をするな」と言われ優しく頭を撫でられただけだった。
(きっと、リカルド様にとって私は押し付けられた厄介者のままなのだわ。しかも最初に嘘をついて面目を潰したのだもの、信頼されなくて当然ね。そんな相手を妻として抱くなんてきっと、考えたくもないはず)
知らぬ間にソニアの目からは涙がこぼれ落ちていた。ここステッラで4年間を共に過ごし、彼の人となりを見てきた。無口だが無愛想ではなく、穏やかで優しくて頼りになる。誰からも愛され慕われるリカルドをいつしかソニアは心から愛していた。
(だけど、この気持ちを伝えてはならない。幼かったからといってあの過ちをなかったことにはできないもの。リカルド様がコンチエッタ様と一緒になりたいと思うのなら、私は……何も言わずここを去るべきだわ)
愛する男性と同じベッドにいながら触れることも叶わない、そんな状況を辛く思い始めていた矢先のコンチエッタの訪問。これは神のお導きなのかもしれない。
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