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真吾との出会い
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OA機器販売会社の営業をしている片瀬真吾とは大学時代のバイト先で出会った。同い年だけど頼りがいがあり、バイト仲間のリーダーだった真吾。地味で大人しい私にも明るく接してくれて、当時からいい印象を持っていた。
お互い社会人になって会うこともなくなっていたのだけれど、三年前に街で偶然再会してから時々会うようになり、自然に付き合い始めた私たち。
最初は毎週のように会っていた。でも真吾は交友関係が広く私以外とも遊ぶことが多かったから、最近は月に一度くらいしか会っていなかった。そういうところも浮気される理由だったのかもしれない。
(真吾の家には怪しいものなんて無かったと思うし……彼女の家で会ってたのかな)
ふうとため息をつきながら玄関を開ける。
「ただいまあ」
「おう、おかえり。今日はぶり大根だぞ」
台所から甘辛い匂いが漂っている。父の得意料理だ。
「ありがと。手を洗ってくるね」
祖母の部屋に顔を出し言葉を交わしてから食卓についた。父と祖母は既に食事を済ませている。
11年前に両親が離婚してから、私は父方の祖母と父と三人で暮らしてきた。家事は定年を迎えた父が主にやりつつもお互いに助け合ってやっているし、母と姉がいなくて困ることは何もない。むしろ、精神の安定にはとてもいい環境になった。
(親の離婚を見てるから結婚に幻想は抱いていなかった。それでもしたくなっちゃったのは、おばあちゃんにひ孫を見せてあげたかったから。真吾はお母さんみたいに声を荒らげたり不機嫌で場を支配したりしない。きっとお父さんみたいな優しい父親になるって思ってたんだけどな……)
真吾は私ではない別の人が産んだ子供の父親になる。そのことを考えるととても辛かった。
(また、私は選ばれなかった。大人になっても変わらないのね……)
お風呂の中で声を殺して泣いた。
その週末、私は母と姉が暮らすマンションに出向いた。私が社会人になってからはこうして時々母に呼ばれることがある。そんな時はたいてい、お金の無心だ。私も余裕があるわけではないけれど、断り切れずにいつも三万ほど渡している。
ずっと専業主婦だった母は離婚後にスーパーでパートを始めた。離婚の際、父は家族で住んでいた家を売却したお金を半分渡しているし、年金分割も父がちゃんと手続きをしている。パート代と合わせれば暮らせないことはないと思うのだけど、姉の陽菜が全然お金を入れないので生活費が少し足りないのだという。
「ほら、陽菜は可愛いから服やお金に気をつかわなきゃいけないでしょ。月葉はそういうの無頓着だからその分お金余ってるじゃない。家賃もいらないんだし」
いつもの言い訳を聞きながら封筒に入れたお金を渡す。お父さんには黙っててね、と言われるのもいつものこと。
母はルッキズムの塊のような人で、昔から私は姉と比べられてきた。母にそっくりで目が大きく人形のように可愛らしい姉を母は猫可愛がりし、父に似た地味な顔つきの私のことは連れて歩きたがらなかった。子供心にも傷ついてきたし、今でもそうだ。
それでも、こうして呼ばれると応じてしまうのはなぜなのだろう。いまだに無意識に母親の愛情を求めているのかと思うとぞっとする。
「ただいまー。月葉、来てるのー?」
仕事を終えた姉が帰ってきた。姉の陽菜は私の二歳上、今年30歳だ。旅行代理店に勤めている。
帰るなりテーブルの上の箱を何も言わずに開ける。私が姉に指定された店で買ってきたケーキだ。
「あ、頼んでおいたケーキじゃないじゃん! 私、チョコのやつって言ったよねえ?」
「売り切れてたのよ。その代わりその店で人気ナンバーワンのマロンにしたんだけど」
「チョコの気分だったんだってば。他の店のでもいいから買ってきてくれたらよかったのに、気が利かないなあ」
「そうよねえ。月葉は言われたことしかできないものねえ、昔から。顔も性格も、ほんとお父さん譲りなんだから」
そっと心の中でため息をつく。私は昔からこの二人のことが苦手だった。
父はずっと母からモラハラを受けていた。お見合いで結婚した父のことを顔も性格も陰気だと言って母はとても嫌っていた。姉は母と一緒になって父を嫌い完全に無視。家の中はいつも冷たい雰囲気だった。
父方の祖父が亡くなり祖母が一人暮らしすることになったのをきっかけに、父は離婚して祖母と同居することを決意。私は大好きな父についていくことを選んだ。
私も父もそれ以来、美味しい空気が吸えるようになった。この人たちと暮らすことは、私たちにとって海の中で暮らすようなものだったから。
「そういえばさあ、月葉、彼氏と仲良くやってるう?」
文句を言ったはずのケーキに手を出しながら陽菜が言う。
真吾と会わせる気なんて全くなかったのに、以前デート中にばったり遭遇してしまって仕方なく紹介したことがあった。そしたらその場で真吾本人に職場や年収などいろいろ質問し始めて、恥ずかしかったのを覚えている。
「ああ……最近別れたの」
すると陽菜は目を輝かせて近づいてきた。
「まじ? やっぱね、ああいう雰囲気の男は浮気するだろうと思ってたのよ」
(浮気って……私、何も言ってないのになんでそう思うのかな)
楽しそうにケーキを頬張る陽菜。私の不幸が相変わらず好きみたいだ。
「月葉もさ、もう少し見た目に気をつかったほうがいいわよ。男が浮気したくなるのは、女に魅力がないからじゃん。もう若くもないんだからさ」
「そうよ、月葉。陽菜と違ってあんたは顔も可愛くないし愛嬌がないんだから。せめて着飾るくらいしないと」
母まで一緒になって説教をし始めた。こうなると長くなる。私はローテーブルに手をついて立ち上がった。
「忠告ありがとう。じゃあ、私もう帰るわね」
「そうやってすぐにイライラするから振られるんじゃない? とにかく見た目も性格も直さないと続かないわよ。ま、次があれば、だけど」
二個目のケーキを食べながら、背を向けてひらひらと手を振る陽菜。やっぱり、私はこの姉が苦手だ。
お互い社会人になって会うこともなくなっていたのだけれど、三年前に街で偶然再会してから時々会うようになり、自然に付き合い始めた私たち。
最初は毎週のように会っていた。でも真吾は交友関係が広く私以外とも遊ぶことが多かったから、最近は月に一度くらいしか会っていなかった。そういうところも浮気される理由だったのかもしれない。
(真吾の家には怪しいものなんて無かったと思うし……彼女の家で会ってたのかな)
ふうとため息をつきながら玄関を開ける。
「ただいまあ」
「おう、おかえり。今日はぶり大根だぞ」
台所から甘辛い匂いが漂っている。父の得意料理だ。
「ありがと。手を洗ってくるね」
祖母の部屋に顔を出し言葉を交わしてから食卓についた。父と祖母は既に食事を済ませている。
11年前に両親が離婚してから、私は父方の祖母と父と三人で暮らしてきた。家事は定年を迎えた父が主にやりつつもお互いに助け合ってやっているし、母と姉がいなくて困ることは何もない。むしろ、精神の安定にはとてもいい環境になった。
(親の離婚を見てるから結婚に幻想は抱いていなかった。それでもしたくなっちゃったのは、おばあちゃんにひ孫を見せてあげたかったから。真吾はお母さんみたいに声を荒らげたり不機嫌で場を支配したりしない。きっとお父さんみたいな優しい父親になるって思ってたんだけどな……)
真吾は私ではない別の人が産んだ子供の父親になる。そのことを考えるととても辛かった。
(また、私は選ばれなかった。大人になっても変わらないのね……)
お風呂の中で声を殺して泣いた。
その週末、私は母と姉が暮らすマンションに出向いた。私が社会人になってからはこうして時々母に呼ばれることがある。そんな時はたいてい、お金の無心だ。私も余裕があるわけではないけれど、断り切れずにいつも三万ほど渡している。
ずっと専業主婦だった母は離婚後にスーパーでパートを始めた。離婚の際、父は家族で住んでいた家を売却したお金を半分渡しているし、年金分割も父がちゃんと手続きをしている。パート代と合わせれば暮らせないことはないと思うのだけど、姉の陽菜が全然お金を入れないので生活費が少し足りないのだという。
「ほら、陽菜は可愛いから服やお金に気をつかわなきゃいけないでしょ。月葉はそういうの無頓着だからその分お金余ってるじゃない。家賃もいらないんだし」
いつもの言い訳を聞きながら封筒に入れたお金を渡す。お父さんには黙っててね、と言われるのもいつものこと。
母はルッキズムの塊のような人で、昔から私は姉と比べられてきた。母にそっくりで目が大きく人形のように可愛らしい姉を母は猫可愛がりし、父に似た地味な顔つきの私のことは連れて歩きたがらなかった。子供心にも傷ついてきたし、今でもそうだ。
それでも、こうして呼ばれると応じてしまうのはなぜなのだろう。いまだに無意識に母親の愛情を求めているのかと思うとぞっとする。
「ただいまー。月葉、来てるのー?」
仕事を終えた姉が帰ってきた。姉の陽菜は私の二歳上、今年30歳だ。旅行代理店に勤めている。
帰るなりテーブルの上の箱を何も言わずに開ける。私が姉に指定された店で買ってきたケーキだ。
「あ、頼んでおいたケーキじゃないじゃん! 私、チョコのやつって言ったよねえ?」
「売り切れてたのよ。その代わりその店で人気ナンバーワンのマロンにしたんだけど」
「チョコの気分だったんだってば。他の店のでもいいから買ってきてくれたらよかったのに、気が利かないなあ」
「そうよねえ。月葉は言われたことしかできないものねえ、昔から。顔も性格も、ほんとお父さん譲りなんだから」
そっと心の中でため息をつく。私は昔からこの二人のことが苦手だった。
父はずっと母からモラハラを受けていた。お見合いで結婚した父のことを顔も性格も陰気だと言って母はとても嫌っていた。姉は母と一緒になって父を嫌い完全に無視。家の中はいつも冷たい雰囲気だった。
父方の祖父が亡くなり祖母が一人暮らしすることになったのをきっかけに、父は離婚して祖母と同居することを決意。私は大好きな父についていくことを選んだ。
私も父もそれ以来、美味しい空気が吸えるようになった。この人たちと暮らすことは、私たちにとって海の中で暮らすようなものだったから。
「そういえばさあ、月葉、彼氏と仲良くやってるう?」
文句を言ったはずのケーキに手を出しながら陽菜が言う。
真吾と会わせる気なんて全くなかったのに、以前デート中にばったり遭遇してしまって仕方なく紹介したことがあった。そしたらその場で真吾本人に職場や年収などいろいろ質問し始めて、恥ずかしかったのを覚えている。
「ああ……最近別れたの」
すると陽菜は目を輝かせて近づいてきた。
「まじ? やっぱね、ああいう雰囲気の男は浮気するだろうと思ってたのよ」
(浮気って……私、何も言ってないのになんでそう思うのかな)
楽しそうにケーキを頬張る陽菜。私の不幸が相変わらず好きみたいだ。
「月葉もさ、もう少し見た目に気をつかったほうがいいわよ。男が浮気したくなるのは、女に魅力がないからじゃん。もう若くもないんだからさ」
「そうよ、月葉。陽菜と違ってあんたは顔も可愛くないし愛嬌がないんだから。せめて着飾るくらいしないと」
母まで一緒になって説教をし始めた。こうなると長くなる。私はローテーブルに手をついて立ち上がった。
「忠告ありがとう。じゃあ、私もう帰るわね」
「そうやってすぐにイライラするから振られるんじゃない? とにかく見た目も性格も直さないと続かないわよ。ま、次があれば、だけど」
二個目のケーキを食べながら、背を向けてひらひらと手を振る陽菜。やっぱり、私はこの姉が苦手だ。
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