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突然の別れ話
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「月葉、今日話したいことがあるんだけど」
週半ば、水曜日の昼休みに突然真吾から送られてきたLIME。彼から連絡があることは珍しい。いつも会う約束を取りつけるのは私のほうだったから。
「いいよ。今日は定時で上がれるから」
すぐに返信したものの、内心はもやもやした不安でいっぱいだ。わざわざ平日に改まって話があるだなんて、いい話には思えないもの。
(あーあ、やっぱり先月のあれがよくなかったのかなあ……)
パソコンの画面を見つめながら私はため息をついた。
私は英月葉、28歳。中堅どころの商社『平野商事』の経理部で働いてもう6年になる。年末や決算時は忙しいものの、仕事にも慣れて問題はない。
同い年の真吾とは付き合って三年。私は特に結婚願望が強いわけではなかったけれど、アラサーになって少し前向きに考え始めた。先月同僚の結婚式に参加したこともあり、ちょっとだけ探りを入れるつもりで聞いてみた。
『真吾、結婚っていつ頃したいか考えたことある?』
なるべく押しつけがましくないよう、明るい調子で。
だけど真吾から返ってきたのは
『うーん、まだ全然。20代で結婚って、考えるの早すぎない?』
だった。
『先輩たちも30代になったら結婚し始める感じだしさ。それからでいいんじゃないかな』
そして彼はすぐにスマホに目を落とし、それ以上の話はうっすら拒否する姿勢を見せたのだ。
(あの会話で、私が結婚したがってると思って真吾は負担に感じてしまったのかも。だったら、気にしないでいいよって言うべきなのかな)
私は真吾と楽しく付き合えればそれでいいんだから。とにかく別れ話は回避しようって思いながら会社を出た。
そして待ち合わせの喫茶店に到着した。いつも二人でデートする時に使うカフェではなく、大きなソファにゆったり座れる全国展開の珈琲チェーン店だ。お洒落な店にばかり行きたがる真吾にしては珍しい。
カランと音を鳴らしてドアを開けると店員さんが何名様ですかと声を掛けてくれた。待ち合わせです、と言って店内を見回すと真吾が手を挙げる。
「あ、いました」
そう告げて真吾に向かって歩いている途中で、私は今日の話が何であるかを理解した。いや、させられた。
なぜなら真吾の横には若くて可愛い女の子が、目にハンカチを当てて座っていたから。
「月葉、突然ごめん。どうしても会って話したいことがあって……」
(こういう修羅場見たことある。漫画やドラマの中だけど……本当にあるんだ)
女の子は真吾にぴったりと寄り添っていて、私に場所を空けようとしなかった。腹が立つけどとりあえずブレンドを頼み、平静を装って正面に座る。水をひとくち飲んで気持ちを落ち着けようと深呼吸した。
「で、話って何?」
落ち着こうとすればするほど、怖い口調になってしまう。女の子はビクッと肩を震わせ、ハンカチで口元を押さえた。
「あ、いやあ、その……実は彼女、美音っていうんだけど」
いつも明るくて話上手な真吾が、しどろもどろ説明を始めた。それによると彼女の名前は滝上美音、23歳。旅行代理店に勤めている。真吾とは一年ちょっと前に知り合い、彼女から告白されて付き合い始めたのだという。
「付き合ってどのくらいなの?」
「ちょうど一年になるかな……」
「じゃあこの一年間、隠れてずっと二股してたの?」
「二股っていうか……まあ、結果的には」
私は思わず天を仰いだ。まったく気がつかなかった自分の鈍さ加減にあきれ果てて。
「じゃあ今日の話っていうのは、私と別れたいってことなのね」
「うん……いや、俺は本当は別れたくないんだけど……」
すると彼女の大きな瞳から涙が零れ落ちる。
「ひどい、真吾さん……! 私と、結婚してくれるって言ったでしょう?」
泣きじゃくる彼女を静かに、と小声で必死に宥める真吾。
涙を流しながらも彼女は私に真っ直ぐな視線をぶつけてきた。
「お願いします。真吾さんと別れてください。私のお腹には、真吾さんの赤ちゃんがいるんです」
「え……」
(妊娠? 嘘でしょう)
「今日一緒に病院に行って確認してきました。妊娠5週目です」
本当に、『開いた口が塞がらない』ことってあるんだ……と頭の中でぼんやり考えていた。真吾はというと俯いて目を伏せている。完全に逃げの姿勢だ。
思いもよらない衝撃の告白だった。ただの浮気だと思ったら子供まで作っていたなんて。子供は一人で作れるものではない。つまり、出来てもいい、真吾はそう思って行為に及んだということだ。
(私とはきっちり避妊していたのに、彼女とはそうしなかったんだ……)
「ごめん、月葉……お前のことが嫌いになったわけじゃないんだ。でも命を授かった以上、放り出すわけにはいかない。だから、許してくれ」
しばらく沈黙が流れた。彼女が鼻をすする音だけが響く。
「いいわ」
ずっと俯いていた真吾が顔を上げる。
「月葉……」
「別れましょう」
そう言うと同時にコーヒー代を置いて席を立つ。立ち上がろうとした真吾の腕を彼女の手が掴み、行かせないというようにもう一度座らせた。
自分でも驚くほど冷たい目でその様子を見ながら私は出口へと向かう。一刻も早くこの場を立ち去りたくて。
カランという音とともに外へ出た。そのまま、足早に駅へ向かう。頭の中にはさっきの二人の様子がぐるぐると渦巻いていた。
(23歳? 5歳も年下なんだ。やっぱり若い子のほうがいいの? 妊娠している子をわざわざ同席させるなんて、自分ひとりでは別れ話もできないってわけ? そんな情けない男だと思わなかった。別れて正解よ)
溢れる怒りと裏腹に勝手に流れてくる涙を手の甲で拭いながら、私は人混みに紛れていった。
週半ば、水曜日の昼休みに突然真吾から送られてきたLIME。彼から連絡があることは珍しい。いつも会う約束を取りつけるのは私のほうだったから。
「いいよ。今日は定時で上がれるから」
すぐに返信したものの、内心はもやもやした不安でいっぱいだ。わざわざ平日に改まって話があるだなんて、いい話には思えないもの。
(あーあ、やっぱり先月のあれがよくなかったのかなあ……)
パソコンの画面を見つめながら私はため息をついた。
私は英月葉、28歳。中堅どころの商社『平野商事』の経理部で働いてもう6年になる。年末や決算時は忙しいものの、仕事にも慣れて問題はない。
同い年の真吾とは付き合って三年。私は特に結婚願望が強いわけではなかったけれど、アラサーになって少し前向きに考え始めた。先月同僚の結婚式に参加したこともあり、ちょっとだけ探りを入れるつもりで聞いてみた。
『真吾、結婚っていつ頃したいか考えたことある?』
なるべく押しつけがましくないよう、明るい調子で。
だけど真吾から返ってきたのは
『うーん、まだ全然。20代で結婚って、考えるの早すぎない?』
だった。
『先輩たちも30代になったら結婚し始める感じだしさ。それからでいいんじゃないかな』
そして彼はすぐにスマホに目を落とし、それ以上の話はうっすら拒否する姿勢を見せたのだ。
(あの会話で、私が結婚したがってると思って真吾は負担に感じてしまったのかも。だったら、気にしないでいいよって言うべきなのかな)
私は真吾と楽しく付き合えればそれでいいんだから。とにかく別れ話は回避しようって思いながら会社を出た。
そして待ち合わせの喫茶店に到着した。いつも二人でデートする時に使うカフェではなく、大きなソファにゆったり座れる全国展開の珈琲チェーン店だ。お洒落な店にばかり行きたがる真吾にしては珍しい。
カランと音を鳴らしてドアを開けると店員さんが何名様ですかと声を掛けてくれた。待ち合わせです、と言って店内を見回すと真吾が手を挙げる。
「あ、いました」
そう告げて真吾に向かって歩いている途中で、私は今日の話が何であるかを理解した。いや、させられた。
なぜなら真吾の横には若くて可愛い女の子が、目にハンカチを当てて座っていたから。
「月葉、突然ごめん。どうしても会って話したいことがあって……」
(こういう修羅場見たことある。漫画やドラマの中だけど……本当にあるんだ)
女の子は真吾にぴったりと寄り添っていて、私に場所を空けようとしなかった。腹が立つけどとりあえずブレンドを頼み、平静を装って正面に座る。水をひとくち飲んで気持ちを落ち着けようと深呼吸した。
「で、話って何?」
落ち着こうとすればするほど、怖い口調になってしまう。女の子はビクッと肩を震わせ、ハンカチで口元を押さえた。
「あ、いやあ、その……実は彼女、美音っていうんだけど」
いつも明るくて話上手な真吾が、しどろもどろ説明を始めた。それによると彼女の名前は滝上美音、23歳。旅行代理店に勤めている。真吾とは一年ちょっと前に知り合い、彼女から告白されて付き合い始めたのだという。
「付き合ってどのくらいなの?」
「ちょうど一年になるかな……」
「じゃあこの一年間、隠れてずっと二股してたの?」
「二股っていうか……まあ、結果的には」
私は思わず天を仰いだ。まったく気がつかなかった自分の鈍さ加減にあきれ果てて。
「じゃあ今日の話っていうのは、私と別れたいってことなのね」
「うん……いや、俺は本当は別れたくないんだけど……」
すると彼女の大きな瞳から涙が零れ落ちる。
「ひどい、真吾さん……! 私と、結婚してくれるって言ったでしょう?」
泣きじゃくる彼女を静かに、と小声で必死に宥める真吾。
涙を流しながらも彼女は私に真っ直ぐな視線をぶつけてきた。
「お願いします。真吾さんと別れてください。私のお腹には、真吾さんの赤ちゃんがいるんです」
「え……」
(妊娠? 嘘でしょう)
「今日一緒に病院に行って確認してきました。妊娠5週目です」
本当に、『開いた口が塞がらない』ことってあるんだ……と頭の中でぼんやり考えていた。真吾はというと俯いて目を伏せている。完全に逃げの姿勢だ。
思いもよらない衝撃の告白だった。ただの浮気だと思ったら子供まで作っていたなんて。子供は一人で作れるものではない。つまり、出来てもいい、真吾はそう思って行為に及んだということだ。
(私とはきっちり避妊していたのに、彼女とはそうしなかったんだ……)
「ごめん、月葉……お前のことが嫌いになったわけじゃないんだ。でも命を授かった以上、放り出すわけにはいかない。だから、許してくれ」
しばらく沈黙が流れた。彼女が鼻をすする音だけが響く。
「いいわ」
ずっと俯いていた真吾が顔を上げる。
「月葉……」
「別れましょう」
そう言うと同時にコーヒー代を置いて席を立つ。立ち上がろうとした真吾の腕を彼女の手が掴み、行かせないというようにもう一度座らせた。
自分でも驚くほど冷たい目でその様子を見ながら私は出口へと向かう。一刻も早くこの場を立ち去りたくて。
カランという音とともに外へ出た。そのまま、足早に駅へ向かう。頭の中にはさっきの二人の様子がぐるぐると渦巻いていた。
(23歳? 5歳も年下なんだ。やっぱり若い子のほうがいいの? 妊娠している子をわざわざ同席させるなんて、自分ひとりでは別れ話もできないってわけ? そんな情けない男だと思わなかった。別れて正解よ)
溢れる怒りと裏腹に勝手に流れてくる涙を手の甲で拭いながら、私は人混みに紛れていった。
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