緋色の魔女と帝国の皇子

月(ユエ)/久瀬まりか

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 鏡で見ると、うっすらとリアナの指の跡が首に付いているような気がする。
 白粉をはたいて誤魔化せる程度の色だったのは幸いだった。念のためスカーフを巻くことにする。旅支度として不自然ではないし、一週間の旅の間に綺麗に消えてしまうだろう。

 朝食の席でリアナはどんな態度を取るだろうかと身構えて食堂に向かったエレナだが、あまりにもいつも通りで拍子抜けしてしまった。

「おはよう、エレナ。今朝も早いのね」
「え、ええ、おはようリアナ……」

 愛らしい笑みを浮かべて食卓につくリアナ。彼女が今朝のオムレツの出来について侍女と楽しく語らっているのもいつものこと。そして父母が入ってきて、リアナにだけキスをするのも同じ。

(もしかしてゆうべのことは夢だったの……?)

 誕生日パーティーの疲れで嫌な夢を見たのだろうか。それにしてはリアルだったし、首の跡の説明がつかない。

(わからないけれど……でももういいわ。私はこの後すぐ出発するのだし)

 父母は最後の食事の間もリアナとばかり話して、エレナに話し掛けることはなかった。
 食事を終えるとエレナは席を立ち、父母の前で挨拶をした。

「お父様お母様、そしてリアナ。十六年間お世話になりありがとうございました。私はこれより辺境へ出発します」

 リアナと楽しく話していたのを邪魔されたためか、父は小さく舌打ちをした。そして胸ポケットから一通の手紙を取り出しエレナに渡す。

「これは修道院の紹介状だ。もし男爵に気に入られず追い出されるようなことになってもこの家には帰ってこないように。話をつけてあるから、ここで余生を過ごすのだ。わかったな」

(そんなところまで用意周到に……本当に私のことが嫌いなのですね)

 母を見ると相変わらずエレナをチラッとも見ようとしない。リアナはニコニコと微笑んで、でも何も言わなかった。

「では失礼いたします」

 エレナが頭を下げると父が軽く右手を上げた。それで別れは終了だ。
 食堂を出て行くエレナの背中に、三人の楽しそうな話し声が泡のように弾けて消えた。




「あなたが旅の御者?」

 初めて見る男にエレナは戸惑った。馬車もいつもよりさらにみすぼらしく、平民と変わりないものになっていた。

「お屋敷の御者たちが誰一人手を挙げなかったそうでなぁ、代わりに雇われたんでさぁ。あんた、随分と嫌われてるんだなぁ」

 欠けた歯を見せながらケラケラと笑われてエレナは傷ついた。せめていつもの馬車と御者で送ってくれるものと思っていたから。
 荷物は小さな鞄一つだけ。向こうでの服は男爵に用意してもらえと言われて旅の間の着替えが一着。それと下着や手巾。宿代と食事代が入った布袋、それでおしまい。大好きな本も一冊も持ち出しが許されなかった。

(これではまるで、そう……監獄に行く時のよう……)

 結局誰からも見送られることなく馬車は出発した。仮にもこれから花嫁になるというのに、男性御者と二人きりの旅。男爵に疑いを持たれないのだろうか。もしかしたら受け入れられないのではないか。
 エレナはこの旅に暗雲が立ち込めてくるのを感じていた。
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