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姉の居ぬ間に
水着
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まさかプールに入るのに遊園地なみのお金を取られるとは思わなかった。
「市民プールじゃないんですから」
ネオンイエローのいわゆるブラジルビキニのティナさんがくすくすと笑う。手首にはやはりネオンカラーのごついバングルがいくつも連なっている。ただでさえビキニは生地の面積が少ないのに、ティナさんの水着は名称通りの過激さで下はTバックゆえヒップが剥き出しだった。なによりその巨乳は反則レベルだ。
一方のシーナさんは上下とも紐で結ぶいわゆるシンプルな三角ビキニだった。ヘアバンドと合わせたらしい白いそれはとても似合っていた。パッと見、同じビキニではあったけれど、シーナさんの下はフルバックゆえティナさんほどの過激さはない。とはいえ、カタチのいい双丘が生み出すビキニのシワがそこはかとなくエロティックであった。こういう感じのビキニは姉も持っていた気がする。
「今日は誘っていただいて、その、あ、ありがとうございました」
扇情的な水着と体躯で人目を引くティナさんとは別の意味で目立つシーナさんがもじもじと身体をよじる。その背丈は多くの男性に混じっても引けを取らない、というか彼女よりも大きな人を見つけること自体が困難なことのように思える。
プールに行く話は昨日、仲がいいのか悪いのかいまいちよく分からない女子たちが一戦を交えたあとに実現した、遅めの昼食時に飛び出した。
*
「全然連絡していないみたいじゃない」
種をくり抜いたアボカドに海老を詰めたお洒落な一品を馴れた手つきで口に運びながら、上四元クシナはいった。木の葉型のお皿の脇に添えられたコールスローもおいしそうだ。
「ティナ、怒ってたわよ」
「………えっ」
ふたつめのクラブハウスサンドに伸ばした手がとまる。
「冗談よ」
伝説のハリウッド女優もお気に入りだったらしいオニオングラタンスープの表面をつつきながら笑う。その横で十鳥さんはメカジキのグリル膳をもくもくを消化していた。ふだん外食をしないという彼女は――僕も似たようなものだけど――メニューに散りばめられた写真をしばらく物珍しげに眺めていた。数えるくらいしか経験のない外食で千円以上のメニューを頼んだのはこれが初めてらしい。ちなみにお値段、税込み1344円。
「アドレスもナンバーも教えたのに一向に連絡がないから、本当に教えたのかって責められる私の身にもなってくれない?」
「ご、ごめん」
とはいえ、どういう連絡を入れればいいのか正直、よく分からない。シギやロクを誘うのとは勝手が違い過ぎる。
「考えすぎなのよ。今どきの学生は異性を遊びに誘うくらい日常茶飯事じゃない」
そうだろうか。
「ね、十鳥さん」
ほどよい焼き加減のメカジキをきれいな箸使いでほぐしていた手がとまった。醤油や生姜、あとバターだろうか複雑でほんのり刺激的な和風ベースのソースが食欲をそそる。
「初めてあなたと会ったときのことをいっているのかしら」
姉の見合いのあった日、十鳥さんの買い物に付き合ったときのことが思い出される。あそこでニカイドウさんと再会したんだった。
「ええ、そうよ。どう見てもあれはデートだったもの」
「日時や場所を決めて男女が会う、という概念から判断するのならあなたの指摘はあながち間違ってはいないわね」
いかにもふたりらしい会話を不思議な気持ちで眺めながらフライドポテトを頬張る。舌に乗った熱さは目の前で展開されている何気ないふたりのやり取りみたいに心地よかった。
「ふたりを誘ってあげてよ」
ふいに上四元クシナがこちらを見た。咀嚼途中のポテトでむせそうになった。
「さ、誘うって」
「どこでも。どうせなら前にもいったけどふたりのスパーリングの相手をするとか。ふたりとも実力あるからやり応えあると思うわよ」
噂によるとティナさんは凄腕のパンチャーだそうだから身体が持ちそうにない。
「よくいうわよ。あなたもじゅうぶんすごいじゃない。ねえ、どう? これが本当のパンチDEデートってことで」
ツボに入ったのか、十鳥さんがクスッと笑った。意味は分からなかったけれど、彼女を笑わせたのはなにげにすごい。
「季節柄、プールなんてどうかな」
ティナさんの殺人パンチから逃れたかったわけでもないけれど、無難な提案をしてみた。本来だったら海水浴に行っていたはずという裏事情もなくはない。
「ティナたちの水着が目当て?」
「………そ、そういうわけじゃないけれど」
ちょっと意地の悪い視線から逃れるようにサンドイッチを齧ったけれど、上四元クシナはむしろそっちの方が喜ぶかなとつぶやき、隣りで静かに和膳を消化している十鳥さんに微笑みかけた。
「ねえ、十鳥さんも行かない?」
「行かない」
即答だった。いい関係を築けていたようでそうでもないらしい。
「行きましょうよ、一君だってあなたの水着姿が見たいと思うわよ」
「一君をだしに使わないで」
必要最低限の口の動きで従容と膳に取りかかっている十鳥さんは実に優雅だった。
「それに」
ふた切れめのメカジキをほぐしていた手をとめる。
「私、水着を持っていないもの」
女子がよく使う本心を隠したエクスキュースには思えなかった。
「学校で使わないの?」
於牟寺では選択授業なのでプールを一度も経験せずに卒業する生徒もめずらしくない。
「そうなんだ。こっちは強制なのに」
丁寧につついて小さくしたスープをたっぷり吸ったパンを口に運びながら、上四元クシナはそれなら水着を買いに行くのつき合うわよと継いだ。
「けっこうよ」
「遠慮はいらないわ」
「あなたに遠慮をしているつもりはないわね。その必要もないもの」
男性客が通路を行き来するたびにチラチラと上四元クシナを見遣る。その容姿に加えて肩を出したトップスにミニスカートということもあってよく目立つ。人目を引くのは知っていたけれど、日頃からこんな感じなんだろうか。海やプールなどに行ったら、引っ切りなしに色目を使われまくりそうだ。
けっきょくこの日、十鳥さんを説得することはできなかった。
*
チョイスしたのは瓊紅保市の南端に位置するレジャーランド。ここは冬期以外は営業している老舗の娯楽施設らしい。プールが主体ということもあり、今のシーズンは書き入れ時、一日も休むことなく営業しているという。
広大なロッカー室を出て左手には競泳用と小さなプールが縦に並んでおり、そこをぐるりと囲むように定番ともいえる流れるプールがある。そのさらに奥にはここの目玉だという様々なウォータースライダーが宮殿みたいな体で聳え立っている。
「ところで上四元さんは一緒じゃないんですか?」
「有料席を取りに行くっていってました」
シーナさんによれば、なんでもここにはお金を払えば、労せずにくつろぐ場所を陣取ることができるらしい。
「じゃ、あっちか」
右手にある波のプール、ロッカー室に隠れるように存在するという有料席にティナさんを先頭に向かう。
プールサイド、ファミリー、ペアにシングルとメンバー構成によって選べるらしいけれど、いちばんリッチなのはスペシャルシートとやらで入場料の倍ちかくもするらしい。
「いたいた」
プールの奥にある東屋みたいな建物の二階に彼女はいた。柵から乗り出すように目の前に広がるプールを眺めている上四元クシナはピンクのビキニ姿で佇んでいた。
本来、彼女は来ないはずであった。
「シーナたちと楽しんできて」
昨日、別れるときにそういい残して彼女は帰った。だけどシーナさんたちにメールを送った際、上四元さんも誘って欲しいと添えていた。深い意味があったわけではなかったけれど、いきなり彼女たちだけで遊ぶのと上四元クシナが加わるので心持ちもはまったく違ってくる。そして今日、果たして彼女はやって来た。
「けっこう強引ね」
ロッカー室で別れるとき、彼女にそう囁かれたけれど、不機嫌というようでもなかった。
「ずいぶん奮発したじゃない」
ついてすぐ、ティナさんは嬉々とデッキチェアに身をゆだねた。間近で見る上四元クシナのビキニはシーナさんと同じ紐のタイプだった。こういうシンプルな水着の方がむしろ彼女の魅力を引き立てている気がする。足元のアンクレットもほのかな色気を演出、いいアクセントになっていた。
パラソルの付いた丸テーブルに腰掛けた上四元クシナは飲み物を勧めてきた。
「これもセットなのよ」
テーブルには4本のペットボトルがあった。
「見晴らしいいね~」
シーナさんは真正面に広がるプールを前に感嘆していた。スレンダーなその後ろ姿を眺めながら、この間上四元クシナが口にした言葉を思い出した。
「シーナはイタリア人の血が入ってるの」
曽祖父母のどちらかが外国の人ということらしいけれど、見た目はそんなことを感じさせない。ひょっとしたらその血は恵まれた体型に振り分けられているのかもしれない。
「ほっほっほっ、シーナのセクシィーなヒップに一さんがメロメロよん」
ティナさんの稚気に富んだ声が上がると、びくんと細い肩が反応し、長い黒髪がおそるおそる振り向いた。その顔は赤い。おそらく僕も。
「えっ、いや、そういうわけでは……」
「ええー、シーナのヒップは見惚れる価値もないっていうんですかあ」
完全にティナさんのペースだった。
「やめなって。彼、そういうのに馴れていなんだから。ね、一君?」
上四元クシナは引率の先生みたいな言動でもって助け舟を出してくれた。
「きっとシーナにイタリアの血が流れているのを不思議に思っていたんじゃない?」
こういうとき、彼女の心を読む能力は有難く感じられる。
「一さん、知ってたんだ」
「この間教えたの。シーナのことだけじゃないわよ。ティナのこともそれはみっちりと」
「……ちょっと、どこまでリークしたわけ? 一さん、クシナがどういう話をしたのか分かりませんけど、話半分に聞いておいてくださいね」
あいにく、いや幸いというべきか、ティナさんのエピソードは開陳されてはいない。
「それとも本当にシーナのヒップに夢中だった?」
焦るティナさんを捨て置きながら、上四元クシナはにやっと口をゆがめた。普段からシーナさんはこんな風にいじられているのだろうか。
「に、一さんの水着、変わってますね。チノパンツみたい」
恥ずかしさをごまかすためか友人たちにやり込められている僕を助けてくれたのか、シーナさんが声をかけてきた。
「ナナミさんの見立ててでしょ」
上四元クシナはなんでもお見通しだ。本格的な夏を前によかったら穿きなさいと渡してくれた街中でも着れるサーフトランクスとかいう水陸両用の水着。もっとも泳ぐには適していないみたいでせいぜい浜辺をぶらぶらするのが無難みたいだった。かなづちな僕向きともいえるし、姉もそこを見越してあえてこれを選んだもかもしれない。
「ナナミさん、一さんのお姉さんってすっごい美人ですよねえ」
ティナさんがむくりと上半身を起こしてきた。顔に出たのか上四元クシナがフォローする。
「ティナもシーナも会ったことはないけど、写真は見てるから」
なるほどアツミさんは当然、友人である姉の写真を持っていても別におかしくはないし、それを妹である彼女が友人たちに見せることもあるだろう。
「美術館で働いてらっしゃるんですよね。きれいだしすごくやさしそうなお姉さんでうらやましいです」
シーナさんはそう素直に羨望しているけれど、不定期で弟相手にスパーリングをするのが大好きなんですと教えたら彼女たちはどういう顔をするのだろうか。
「そういえば一さん、クシナもだけどお姉さんたちと海に行かなかったんですね」
立ち上がったティナさんがペットボトルを開ける。手首を回した瞬間、たわわな胸がぶるんと揺れる。ぷるん、なんて可愛い表現では足りないのがすごい。
「ひょっとして」
ひと口飲んだあと、ふいに手が止まる。エキゾチックな顔立ちの中でもとりわけ魅力的なぽってりとした厚めのくちびるがどこかエロティックだった。
「私たちを誘うから、断ったとか」
普段は芯が強いイメージのある瞳に陰が差した。
「違います、違いますよ。海水浴は元から行くつもりはなかったんです」
いい過ぎな気もしたけれど、ティナさんたちのことが関係ないことは事実だ。ただ、誘ったのは上四元クシナの口添えだと知ったらどんな顔をされるんだろうか。
「よかった」
心の底からホッとしたように笑うと、ティナさんは僕の手を取った。
「せっかく来たんだし、遊び尽くしましょうよ。ほら、シーナも」
クシナも行こうよ、とティナさんは継いだけれど、美貌の親友はアタマを横にやわらかく振るだけだった。
「私はここで留守番してる。三人で楽しんできて」
笑顔で送り出す上四元クシナはしかし、どこか心ここに在らずといった感じの寂しさを漂わせているようで、ひとりにしておかない方がいい気がした。
「じゃあ、あとで何か買ってくるね」
ご機嫌なティナさんに引っ張られるうち、しかしその憂慮もうやむやになっていった。
「市民プールじゃないんですから」
ネオンイエローのいわゆるブラジルビキニのティナさんがくすくすと笑う。手首にはやはりネオンカラーのごついバングルがいくつも連なっている。ただでさえビキニは生地の面積が少ないのに、ティナさんの水着は名称通りの過激さで下はTバックゆえヒップが剥き出しだった。なによりその巨乳は反則レベルだ。
一方のシーナさんは上下とも紐で結ぶいわゆるシンプルな三角ビキニだった。ヘアバンドと合わせたらしい白いそれはとても似合っていた。パッと見、同じビキニではあったけれど、シーナさんの下はフルバックゆえティナさんほどの過激さはない。とはいえ、カタチのいい双丘が生み出すビキニのシワがそこはかとなくエロティックであった。こういう感じのビキニは姉も持っていた気がする。
「今日は誘っていただいて、その、あ、ありがとうございました」
扇情的な水着と体躯で人目を引くティナさんとは別の意味で目立つシーナさんがもじもじと身体をよじる。その背丈は多くの男性に混じっても引けを取らない、というか彼女よりも大きな人を見つけること自体が困難なことのように思える。
プールに行く話は昨日、仲がいいのか悪いのかいまいちよく分からない女子たちが一戦を交えたあとに実現した、遅めの昼食時に飛び出した。
*
「全然連絡していないみたいじゃない」
種をくり抜いたアボカドに海老を詰めたお洒落な一品を馴れた手つきで口に運びながら、上四元クシナはいった。木の葉型のお皿の脇に添えられたコールスローもおいしそうだ。
「ティナ、怒ってたわよ」
「………えっ」
ふたつめのクラブハウスサンドに伸ばした手がとまる。
「冗談よ」
伝説のハリウッド女優もお気に入りだったらしいオニオングラタンスープの表面をつつきながら笑う。その横で十鳥さんはメカジキのグリル膳をもくもくを消化していた。ふだん外食をしないという彼女は――僕も似たようなものだけど――メニューに散りばめられた写真をしばらく物珍しげに眺めていた。数えるくらいしか経験のない外食で千円以上のメニューを頼んだのはこれが初めてらしい。ちなみにお値段、税込み1344円。
「アドレスもナンバーも教えたのに一向に連絡がないから、本当に教えたのかって責められる私の身にもなってくれない?」
「ご、ごめん」
とはいえ、どういう連絡を入れればいいのか正直、よく分からない。シギやロクを誘うのとは勝手が違い過ぎる。
「考えすぎなのよ。今どきの学生は異性を遊びに誘うくらい日常茶飯事じゃない」
そうだろうか。
「ね、十鳥さん」
ほどよい焼き加減のメカジキをきれいな箸使いでほぐしていた手がとまった。醤油や生姜、あとバターだろうか複雑でほんのり刺激的な和風ベースのソースが食欲をそそる。
「初めてあなたと会ったときのことをいっているのかしら」
姉の見合いのあった日、十鳥さんの買い物に付き合ったときのことが思い出される。あそこでニカイドウさんと再会したんだった。
「ええ、そうよ。どう見てもあれはデートだったもの」
「日時や場所を決めて男女が会う、という概念から判断するのならあなたの指摘はあながち間違ってはいないわね」
いかにもふたりらしい会話を不思議な気持ちで眺めながらフライドポテトを頬張る。舌に乗った熱さは目の前で展開されている何気ないふたりのやり取りみたいに心地よかった。
「ふたりを誘ってあげてよ」
ふいに上四元クシナがこちらを見た。咀嚼途中のポテトでむせそうになった。
「さ、誘うって」
「どこでも。どうせなら前にもいったけどふたりのスパーリングの相手をするとか。ふたりとも実力あるからやり応えあると思うわよ」
噂によるとティナさんは凄腕のパンチャーだそうだから身体が持ちそうにない。
「よくいうわよ。あなたもじゅうぶんすごいじゃない。ねえ、どう? これが本当のパンチDEデートってことで」
ツボに入ったのか、十鳥さんがクスッと笑った。意味は分からなかったけれど、彼女を笑わせたのはなにげにすごい。
「季節柄、プールなんてどうかな」
ティナさんの殺人パンチから逃れたかったわけでもないけれど、無難な提案をしてみた。本来だったら海水浴に行っていたはずという裏事情もなくはない。
「ティナたちの水着が目当て?」
「………そ、そういうわけじゃないけれど」
ちょっと意地の悪い視線から逃れるようにサンドイッチを齧ったけれど、上四元クシナはむしろそっちの方が喜ぶかなとつぶやき、隣りで静かに和膳を消化している十鳥さんに微笑みかけた。
「ねえ、十鳥さんも行かない?」
「行かない」
即答だった。いい関係を築けていたようでそうでもないらしい。
「行きましょうよ、一君だってあなたの水着姿が見たいと思うわよ」
「一君をだしに使わないで」
必要最低限の口の動きで従容と膳に取りかかっている十鳥さんは実に優雅だった。
「それに」
ふた切れめのメカジキをほぐしていた手をとめる。
「私、水着を持っていないもの」
女子がよく使う本心を隠したエクスキュースには思えなかった。
「学校で使わないの?」
於牟寺では選択授業なのでプールを一度も経験せずに卒業する生徒もめずらしくない。
「そうなんだ。こっちは強制なのに」
丁寧につついて小さくしたスープをたっぷり吸ったパンを口に運びながら、上四元クシナはそれなら水着を買いに行くのつき合うわよと継いだ。
「けっこうよ」
「遠慮はいらないわ」
「あなたに遠慮をしているつもりはないわね。その必要もないもの」
男性客が通路を行き来するたびにチラチラと上四元クシナを見遣る。その容姿に加えて肩を出したトップスにミニスカートということもあってよく目立つ。人目を引くのは知っていたけれど、日頃からこんな感じなんだろうか。海やプールなどに行ったら、引っ切りなしに色目を使われまくりそうだ。
けっきょくこの日、十鳥さんを説得することはできなかった。
*
チョイスしたのは瓊紅保市の南端に位置するレジャーランド。ここは冬期以外は営業している老舗の娯楽施設らしい。プールが主体ということもあり、今のシーズンは書き入れ時、一日も休むことなく営業しているという。
広大なロッカー室を出て左手には競泳用と小さなプールが縦に並んでおり、そこをぐるりと囲むように定番ともいえる流れるプールがある。そのさらに奥にはここの目玉だという様々なウォータースライダーが宮殿みたいな体で聳え立っている。
「ところで上四元さんは一緒じゃないんですか?」
「有料席を取りに行くっていってました」
シーナさんによれば、なんでもここにはお金を払えば、労せずにくつろぐ場所を陣取ることができるらしい。
「じゃ、あっちか」
右手にある波のプール、ロッカー室に隠れるように存在するという有料席にティナさんを先頭に向かう。
プールサイド、ファミリー、ペアにシングルとメンバー構成によって選べるらしいけれど、いちばんリッチなのはスペシャルシートとやらで入場料の倍ちかくもするらしい。
「いたいた」
プールの奥にある東屋みたいな建物の二階に彼女はいた。柵から乗り出すように目の前に広がるプールを眺めている上四元クシナはピンクのビキニ姿で佇んでいた。
本来、彼女は来ないはずであった。
「シーナたちと楽しんできて」
昨日、別れるときにそういい残して彼女は帰った。だけどシーナさんたちにメールを送った際、上四元さんも誘って欲しいと添えていた。深い意味があったわけではなかったけれど、いきなり彼女たちだけで遊ぶのと上四元クシナが加わるので心持ちもはまったく違ってくる。そして今日、果たして彼女はやって来た。
「けっこう強引ね」
ロッカー室で別れるとき、彼女にそう囁かれたけれど、不機嫌というようでもなかった。
「ずいぶん奮発したじゃない」
ついてすぐ、ティナさんは嬉々とデッキチェアに身をゆだねた。間近で見る上四元クシナのビキニはシーナさんと同じ紐のタイプだった。こういうシンプルな水着の方がむしろ彼女の魅力を引き立てている気がする。足元のアンクレットもほのかな色気を演出、いいアクセントになっていた。
パラソルの付いた丸テーブルに腰掛けた上四元クシナは飲み物を勧めてきた。
「これもセットなのよ」
テーブルには4本のペットボトルがあった。
「見晴らしいいね~」
シーナさんは真正面に広がるプールを前に感嘆していた。スレンダーなその後ろ姿を眺めながら、この間上四元クシナが口にした言葉を思い出した。
「シーナはイタリア人の血が入ってるの」
曽祖父母のどちらかが外国の人ということらしいけれど、見た目はそんなことを感じさせない。ひょっとしたらその血は恵まれた体型に振り分けられているのかもしれない。
「ほっほっほっ、シーナのセクシィーなヒップに一さんがメロメロよん」
ティナさんの稚気に富んだ声が上がると、びくんと細い肩が反応し、長い黒髪がおそるおそる振り向いた。その顔は赤い。おそらく僕も。
「えっ、いや、そういうわけでは……」
「ええー、シーナのヒップは見惚れる価値もないっていうんですかあ」
完全にティナさんのペースだった。
「やめなって。彼、そういうのに馴れていなんだから。ね、一君?」
上四元クシナは引率の先生みたいな言動でもって助け舟を出してくれた。
「きっとシーナにイタリアの血が流れているのを不思議に思っていたんじゃない?」
こういうとき、彼女の心を読む能力は有難く感じられる。
「一さん、知ってたんだ」
「この間教えたの。シーナのことだけじゃないわよ。ティナのこともそれはみっちりと」
「……ちょっと、どこまでリークしたわけ? 一さん、クシナがどういう話をしたのか分かりませんけど、話半分に聞いておいてくださいね」
あいにく、いや幸いというべきか、ティナさんのエピソードは開陳されてはいない。
「それとも本当にシーナのヒップに夢中だった?」
焦るティナさんを捨て置きながら、上四元クシナはにやっと口をゆがめた。普段からシーナさんはこんな風にいじられているのだろうか。
「に、一さんの水着、変わってますね。チノパンツみたい」
恥ずかしさをごまかすためか友人たちにやり込められている僕を助けてくれたのか、シーナさんが声をかけてきた。
「ナナミさんの見立ててでしょ」
上四元クシナはなんでもお見通しだ。本格的な夏を前によかったら穿きなさいと渡してくれた街中でも着れるサーフトランクスとかいう水陸両用の水着。もっとも泳ぐには適していないみたいでせいぜい浜辺をぶらぶらするのが無難みたいだった。かなづちな僕向きともいえるし、姉もそこを見越してあえてこれを選んだもかもしれない。
「ナナミさん、一さんのお姉さんってすっごい美人ですよねえ」
ティナさんがむくりと上半身を起こしてきた。顔に出たのか上四元クシナがフォローする。
「ティナもシーナも会ったことはないけど、写真は見てるから」
なるほどアツミさんは当然、友人である姉の写真を持っていても別におかしくはないし、それを妹である彼女が友人たちに見せることもあるだろう。
「美術館で働いてらっしゃるんですよね。きれいだしすごくやさしそうなお姉さんでうらやましいです」
シーナさんはそう素直に羨望しているけれど、不定期で弟相手にスパーリングをするのが大好きなんですと教えたら彼女たちはどういう顔をするのだろうか。
「そういえば一さん、クシナもだけどお姉さんたちと海に行かなかったんですね」
立ち上がったティナさんがペットボトルを開ける。手首を回した瞬間、たわわな胸がぶるんと揺れる。ぷるん、なんて可愛い表現では足りないのがすごい。
「ひょっとして」
ひと口飲んだあと、ふいに手が止まる。エキゾチックな顔立ちの中でもとりわけ魅力的なぽってりとした厚めのくちびるがどこかエロティックだった。
「私たちを誘うから、断ったとか」
普段は芯が強いイメージのある瞳に陰が差した。
「違います、違いますよ。海水浴は元から行くつもりはなかったんです」
いい過ぎな気もしたけれど、ティナさんたちのことが関係ないことは事実だ。ただ、誘ったのは上四元クシナの口添えだと知ったらどんな顔をされるんだろうか。
「よかった」
心の底からホッとしたように笑うと、ティナさんは僕の手を取った。
「せっかく来たんだし、遊び尽くしましょうよ。ほら、シーナも」
クシナも行こうよ、とティナさんは継いだけれど、美貌の親友はアタマを横にやわらかく振るだけだった。
「私はここで留守番してる。三人で楽しんできて」
笑顔で送り出す上四元クシナはしかし、どこか心ここに在らずといった感じの寂しさを漂わせているようで、ひとりにしておかない方がいい気がした。
「じゃあ、あとで何か買ってくるね」
ご機嫌なティナさんに引っ張られるうち、しかしその憂慮もうやむやになっていった。
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