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年上のひと

相剋

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 シーナが休んだ。
 ヤエガキのひとことがきっかけで微妙な空気が私たちの間に流れていた昨日の今日ということもあって、先生から体調不良という理由を聞かされても腑に落ちなかった。
 しかしそれはあっさり解消されることになる。
 昼休み。
 今日はどうしようか思案していると、ヤエガキが近づいてきた。
「クシナ、今日こそ・・遊びに行こうよ」
 自信たっぷりな誘いに訝っていると、ヤエガキのくちびるがいつもより大きく醜い動きを見せた。
「それともショックで寝込んでるシホウドウのお見舞いに行くから断るわけ?」
 言葉の意味を慎重に探っていると、不快になるほど勝ち誇った笑みを見せる。
 何かを知っている。でも、それを聞いたら思うつぼ、なのだろう。
「これから一緒にお昼しようよ。で、どこに遊びに行くか話し合わない? ついでにシホウドウのことも、さ」
 ついでの話がメインディッシュなのは見え見えだった。
「ツボミもどう?」
 ヤエガキの誘いに当の本人は無言で教室を出ることでもって答えていた。
 今日はティナと口を利いていない。そんな雰囲気ではなかったし、仮に話しかけてもどういう対応かは昨日の昼休みを思えば想像もつく。
「ツボミには振られちゃったなあ」
 想定済みなのだろう、特に残念そうには見えない。
「今日はどこで食べる?」
 決定事項のように人の腕を取って歩き出す。今の胸の中を覆っている心情も相俟って鈴生りになっているヤエガキのバネ髪・・・が余計、鬱陶しく感じる。
「そんなに怖い顔しないでよー。私、本当にクシナとは上手くやっていきたいんだからさ」
 嘘ではないだろう。だからこそ普段のヤエガキの言動には腹立たしいものがある。
「シーナに何したの」
 窓から差し込む日光の照り返しが眩しいフロアを見つめながら極力、声に力を込めずに問うと、待ってましたとばかりにうすい笑い声が聞こえてきた。忸怩たる思いというのはこういうことなのか、苦々しいものを口の中に感じながら、答えを待つ。
「何かをした、っていうのは適当じゃないなー。あれは……偶然、シホウドウが見かけたってことだから」
 ヤエガキは心底、楽しげだった。ここまで彼女にまとわりつくのを許し、黙って話を聞くのは初めてだと思う。本当、腹立たしい。
「昨日さ、ナスコンにニノマエ君が遊びに来たんだ。知ってるでしょう、ニノマエナナギ君。で、見送るときにシホウドウがちょうど斜向いにいて」
 その単語を聞いて、血が逆流するかのような錯覚に陥った。
「クシナも来ればよかったのに」
 一ナナギに限ってそれはないだろうという思いは確かにあった。なのに今、私の腕を専有中のヤエガキの憎々しげな顔を見るにつけ、不安はいや増幅し、意味もなく苛立たせる。
 ナスコンというのはヤエガキたちのたまり場のことだ。居華芸いかげ町にあるマンションでそこで学校も学年も違う生徒たちが集まっていろいろと楽しいことをしているそうだ。以前から誘われているけれど、怪しいし、なによりヤエガキとは関わりたくないので、ずっとスルーしていた。ヤエガキの取り巻きたちがドラッグ量販店で大量の避妊具を買っていたのを見かけたティナ曰く、男子たちとよろしくやってるんだろう、とのことだった。
 シーナの家、通学路を考えればナスコンの前を通りかかったことはけっして不思議なことではない。だけど、よりによってヤエガキが一ナナギと一緒に、というシチュエーションが厄介すぎる。
「シホウドウには刺激が強すぎたかなー」
 アタマの中で不穏で不快な情報を必死に整理している最中も、ヤエガキは優越感を隠そうともせずに淀みなく言葉をぶつけてくる。
「ニノマエ君って想像してたよりずっと素敵だよねー。あなたたちがしょっちゅう話題にしてるのも分かる」
 ヤエガキが誘導した先は、屋上でも中庭でも食堂でもなく、教室棟と部活棟を繋ぐ渡り廊下だった。中庭の真上に架かっていることもあって、昼食の場所取り合戦の様子をはっきりと窺うことができた。
「そのときシーナに何したの」
 ベンチ争奪戦に漏れた一年生だろうか、しょげ返る背中を眺めながら感情的にならないように極力言葉を低める。
「いったじゃない、あれは偶発だって」
「シーナがそこを通ったっていうのはそうでも、シーナを見かけたあと・・に取ったあなたの行動は偶然じゃないんでしょう」
 ヤエガキの息づかいが尖った気がした。丁寧に仕上げられた眉もさぞかし釣り上がっていることだろう。指摘は当たっているらしい。
 元から昼食を共にする気も、遊びに行く気もなかったのだ。食欲はなかったけれど、何かを摂るべく踵を返した。
「逃げるわけ」
 当然のように声が追いかけてきた。息づかい同様、険が差している。
「誰だって嫌なことや嫌いな人間から逃げたいでしょ」
 最後通牒のつもりで、ヤエガキの顔を見やる。息づかいや声音で察した通り、余裕は消え、色を作していた。
 もしこれをきっかけにヤエガキ一派から目の敵にされ、露骨なはぶられた方をされたとしてもかまうものか。
 一度、込み上げた怒りはそうそう収まるものじゃないとティナはいっていた。一旦、火がついたらとことん燃え尽きるまで身を任せるのが心にはいいんだと。心にはいいかもしれないけれど、怒りの矛先を考えれば、最悪の事態にだってなるわけで、それに関してはティナには賛同できかねた。
 今、自分がどういう顔をしているのかはっきりとは知らない。ただ怒っていることは理解できた。ひたすら、目の前の対象を眼力で木っ端微塵に破壊するつもりで思い切り睨みつけてやる。リングで男子の顔面を拳で陵辱するみたいに。こんなことは初めてだった。
 ヤエガキは怒りからくるのか、潤んだ目で身体を戦慄かせると、面白くなさそうに顔を逸らしていた。
 たぶん初めての喧嘩だった。言葉も拳も使わない喧嘩。それに勝った。でも、だからなんだというのだろう。
 これではただのいじめと変わらない気さえしてくる。
 不愉快だった。
 とてつもなく不快で腹立たしかった。
 何に対してか、誰に対してか――。
 きっかけこそヤエガキそのもなのに、その根源の向かう先はすでに変わっていた。
 なぜかはわからない。
 それがいちばん憎らしい。
 今誰かに声をかけられたら、問答無用で拳を振るってしまうかもしれないくらいの不穏当で理不尽な生まれたての怒りをどこに持って行けばいいのか。
 立ち去ることも忘れて、ただ悔しそうに顔を歪めているヤエガキから今度こそ逃げるように足早に食堂へと向かった。

 ――卑怯者のように。
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