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お見合い狂想曲

呉越

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 ホテル・アピアランスは瓊紅保駅のそばに最近できたばかりのシティホテルだ。外資系ファンドの子会社が運営してるとか聞いた気もするが正直、そんなことは今の自分には何の関係もないし興味もない。
 ここ数年で瓊紅保は我が於牟寺より都市開発が着々と進み、地元では見られないようなショッピングモールや飲食チェーン店などの誘致に成功している。そのため学生連中は平日休日問わずよく遊びに来ているようだ。もちろん俺も例外ではない。
 事前に訊いていた鬼門ともいえる問題の場所はペストリアンデッキとかいう聞き慣れない立体歩道橋を介せば駅からそのまま行くことができる。
 二階のエントランスをくぐってしばらく歩くと、なんだか公園の砂場を思わせる円形に縁取られたロビーラウンジが眼下に広がった。
 軽食を提供する空間でもあるそこにはテーブルと椅子、鉢植えが円形の内外を問わずに点在しており、すでに数組がお茶を楽しみにつつ歓談に興じていた。
 デートとかの待ち合わせにはさぞかし絶好の場所であろうが、忌々しいことに今日は傍観するしかない立場だ。
 吹き抜けのアトリウムから降り注ぐ闌春らんしゅんの日差しをたっぷりと吸い込んだ大理石の照り返しが起きて一時間ちょっとの惚けた脳と目に心地よい刺激を与えてくれる。
 なるべく近くで偵察したところだが、コンビニより若干広い程度の砂場・・だ。気づかれない方がおかしい。ここはぐっと我慢でこの階でめぼしい場所を探すことにする。
 開放感あふれるロビーラウンジに沿って回廊になっている二階には割烹や中華料理、高級惣菜など学生には無縁な店が居並び、昼食時を前に賑わいつつあった。
 一般客の俺はそれを横目に身の丈に合った――とはいえホテルだけあって少々お高い――喫茶店に向かう。店の前の通路にはオープンスタイルのスペースも取られており、ロビーラウンジを見下ろすにはこれ以上ないロケーションであった。
 いくつか空いていたテーブルの椅子に手をかけ、着席しようとしたときだった。
 やはり同じテーブルに腰掛ける気配を真向かいに感じた。
 女。それも若い、俺と同じくらいの……女子高生といった感じ。なんだかイヤな方向に見覚えのあるその顔立ちをじっと観察し、それが誰であるのか答えを導き出した瞬間、その女の不愉快そうな声が小さく響いた。
「……どうしてあなたがここにいるの?」
 今、なぜ、ここにこの女がいるのかという疑問よりも、こっちがいいたかったセリフを先にいわれたことの方に腹が立った。
 いかにも春物といった感じの薄手のショート丈ジャケットにミニスカート、足元をウエスタンブーツで固めた羽二生カヤノは攻撃的なまなざしを隠そうともせずにこちらを睨み続けている。そういやこの女の私服姿なんて初めて見るな。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 いい返す代わりにレズノ・・・よりはやく席に着いてテリトリーを主張する。
「……ちょっと、なにしてるのよ。ここは私が座ろうとしていたの、別の席に移動してくれないかしら」
 無視。
「……………!」
 ロビーラウンジに視線を固定していると、微かに怒気を孕んだ呼吸を感じた。
 優越感に浸っていると、移動するべく身を翻したのか、靴音が鳴った。
 多少、不快な思いはしたものの、これで心置きなく観察に集中できる。
 と、ほどなく誰かが椅子を引く音がした。
 顔を向けると去ったはずのレズノが澄ました顔で着席している。
「……おい、なに座ってんだよ」
「………」
 さっきの仕返しのつもりか、何も答えない。
「ここは俺が先に座ったんだ、他へ行けよ」
 沈黙。
 無視は自分がする分にはいいが、されるとムカつく。
「……そんっっっっっなに俺のそばがいいのか? 好きになるのは勝手だが、お前なんかぜんぜんタイプじゃねえからな、いっとくけど」
 予想通り、レズノは澄まし顔を崩して空気を震わせるような声で噛みついてきた。
「思い上がりもいい加減にして! あなたみたいな品ない人はこちらからお断りよ。今度そんなふざけたこと口にしたら、ただじゃ済まさないんだから!」
「じゃあ、なんでここに座るんだ」
 レズノは他がもう座るところがないからと口惜しそうにいった。
「そうでもなければ、誰が好き好んであなたみたいな下品な人と……」
 なるほどさっきまではちらほら空いていた席が見事に埋まっている。
 さらに皮肉をかましてやろうかと思案していると、店員さんが注文を取りにきたのでアイスカフェオレを頼んだ。
 レズノは「セントジョーンズワート」という何かの呪文みたいな言葉を吐き、食い入るようにロビーラウンジを見つめている。
 店員さんとの会話からおそらく紅茶なのだろうがそんな種類があるのだろうか。
「ハーブティーよ。あなたみたいな人がそばにいるから頼んだの」
 そのハーブとやらの詳しい効用はよく知らないが、おそらくバカにされているのだろう。さっきまで精神的リードから一転、完全に形勢逆転な状況が俺を苛立たせる。
「どうしてここが分かったんだよ」
 ハーブの話をごまかすわけでもないが、成り行き上、相席になったんだしどうでもいいことではある。が、ここは一応聞いておこう。
「一君に教えてもらったに決まってるでしょう」
 さも当たり前のように仰る。
 ……なんで教えたんだよ、ナギのやつ。まあ、どうせナナミさんのこととなると手段を選ばない百合女レズノだ、あまりのしつこさにナギも屈してしまったってところか。
 本来ならば、実弟として姉であるナナミさんの見合いについていくくらいの気概を見せて欲しかったのだが、用があるとかで今日は不参加だ。
 シギヤにも声を掛けたのだが、あいつも用があるとかで断られた。ちょうど同じ日に用があるというのでふたりでよろしくやるのかと期待したが、シギヤは八百板やおいたさんと遊ぶという。
 八百板さんはシギヤの幼稚園以来の親友らしいのだが、小学校以降は別の学校へ行ったとかで俺はよく知らない。シギヤとつき合いの古いナギですら、数回会った程度らしい。
 中学のとき一度だけ会った八百板さんはポニーテールの似合う活発な感じの女子だった。シギヤによると同性によくモテるとかで本人は困惑しきりらしいのだが。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、レズノがあっという小さな声を上げた。
 引っ張られるように砂場に目を向けると、待ち焦がれた女性の姿が飛び込んできた。
 清麗で優美な空気を纏わせた遠目にもはっきりと分かる雪を欺くような透明感あふれる肌をしたナナミさんは夜会巻きといわれるアップスタイルにしており、丈の短い黒のストライプジャケットにスカートというスーツ姿だった。
 家でどうか知らないが、俺の知る限りナナミさんはうなじを見せるような髪型をしたことはない。未だかつて見たことのない新鮮なヘアスタイルにこれから行われる理不尽な出来事のことなど忘れてテンションも上がる。
 ナナミさんは中央寄りの4人がけのテーブルに腰を下ろすと辺りを眺めていた。
 その横顔にはいつものやわらかい笑みを湛えており、今このときを楽しんでいるかのようにも思えた。
 端末で時間を確認すると指定の時間まではまだ若干余裕はあった。とはいえ、女を、いやナナミさんを待たせるとか何様なんだ。
 アイスカフェオレも半分ほど消化した頃、若い女を三人従えたスーツ姿の男がやって来て、ナナミさんの前で止まると、深々と頭を下げた。
 グレーでストライプのそれはスーツに無縁な俺にも上質だと分かる仕立てだった。
 呼応するようにナナミさんが立ち上がり、会釈を返す。
 どうやらこいつのようだ。しかし女連れで見合いとは何考えてるんだ。……いや、男の方は付添い人が来るとかナギがいっていたような気もする。
 にしても普通、若い女を三人も連れて見合いに来るだろうか。妹たちなのかもしれないが、女どもは俺たちくらいにも見える。
「……んんん?」
「あれって……」
 ほぼ同時だった。男について来た女たちが誰なのか俺とおそらくレズノも理解した。
 あれは左衛門三郎のお嬢様と三次、そして三苫ちゃんだ。
「何で左衛門三郎のお嬢様がいるんだよ」
「状況的に考えて、相手方の関係者だと思うけど」
 無関係な人を連れて来るわけないでしょう、とレズノがいう。言辞に嘲弄の響きは感じられなかった。
 左衛門三郎のお嬢様はナナミさんといくつか言葉を交わすと、従者コンビとともにそそと退去した。
 どこからどう見ても温室育ちのお坊ちゃん然とした相手の男はこういう場に慣れていないのか、うやうやしくオーダーを取りに来たウエイターを相手にうろたえているように思えた。
 見るに見兼ねたナナミさんが代わりにオーダーを伝えると、男は立ち上がって何度も頭を下げていた。
「何やってんだ、あれ」
 思い切り鼻で笑ってやると、レズノの小さな嘲笑が漏れてきた。こいつも可笑しいらしい。
 と思いきや、
「じゃあ、あなたは慣れているとでもいうの?」
 いちいち癇に障るヤツだ。
「女の前で注文も満足に出来ないとか男じゃないだろ」
「そういう男性がいいっていう人だっているでしょう」
「お前、そういうのがタイプなのか」
「そういう人もいるだろうっていってるの。大体、女性の前で注文ができるできないで男を語られても、ね」
「何がいいたいんだ」
「何も。あなたの前では特に」
 本当、ムカつく女だ。
 オーダーの件で分かったことだが、男はこういう場というか、女そのものに免疫がなさそうで、主導権は明らかにナナミさんにあった。
 話しかけるのはナナミさんで、男はただそれに答えるだけであった。果たしてこういうのを見合いと呼べるのだろうか。
 話の内容などもちろん、知りようもないが、ナナミさんの笑顔を見ている限りつまらないわけではなさそうだ。もっとも俺の知るナナミさんは年中笑顔の女性ひとなんだが。
 ただ見守るしかない現状にやきもきと組んだ指をせわしなく動かしていると、通路に複数の人の気配を感じた。
 振り返ると、ついさっきまで砂場にいた、よく見知った三人がいる。
「こちらで何をなさっているのですか」
 ウエストにドレープというのかシワが寄ったシンプルな、でもきっとお高いものであろうワンピースと肩にショールを引っ掛けた左衛門三郎のお嬢様は冷徹な外貌を隠そうともせずにこちらをみていた。
 いつもの能面ぶりでこちらに関心などなさげな直立不動でお嬢様の左隣に佇む三次は、ピンストライプのパンツスーツ姿も手伝って本物の要人警護官にも見えた。長めのサイドテールが唯一、若さを感じさせる。
 驚いたのは三苫ちゃんだ。伏し目がちにお嬢様の右隣で身を隠すようにじっとしている彼女はダブルのライダースにフリルのミニスカートという、普段からは考えられないなかなか扇情的な格好であった。意外と大胆な一面もあるのだろうか。
「すごいな、三苫ちゃん。今日はまたずいぶん過激っつうか、パンツ見えそうじゃん」
 俺の軽口に頬をさらに染め上げた三苫ちゃんは世辞抜きで可愛かった。
「三苫ちゃんのファンって意外に多いんだぜ。自信持ちなって」
 ちょっとした嬉しさを覚えてそんなことを口走った途端、刺すような視線が飛んできた。
 発信源は三次。
「そんな下劣な目で三苫を見るんじゃない」
 必要最低限の言葉しか発しない三次の肉声は貴重ではある。もっとも左衛門三郎のお嬢様と授業等で先生たち以外に向けられる言葉はこんな感じで攻撃的なのだが。
「下劣な目ってどんな目だよ」
「化粧室に行って鏡を覗いてみるといい」
 本ッッッ当に可愛げのないヤツだ。
「わざわざ喧嘩を売りに来たのか。こっちは忙しいんだ」
 品のない発言のとき、話に乗ってくるかとも思ったが、レズノは三人を認めたあとは一切、関わることを拒否したようにロビーラウンジを凝視している。
 そういや、レズノと左衛門三郎のお嬢様は俺たちとずっと同じ学校だったはずだが、このふたりはあまり接点がない気がする。ナギやシギヤがそうなように、親睦会に参加したことがないはずだ。
 まあ女子は何かというと細々と派閥を形成しては分裂、再集結を繰り返すような生き物だ。男が感知し得ない微妙な力関係が存在するんだろう。
「もう一度お訊きします。ここで何をなさっているのですか」
 三苫ちゃん以下のやり取りなどなかったように左衛門三郎のお嬢様がいう。語気や表情に険は確認できない。
「……いや、お茶を、な」
 適当な受け答えすら満足にできずにしどろもどろになる自分にうんざりする。
「おふたりでさきほどからどこを見ていらっしゃるのですか」
 いいたいことはもちろん、分かってる。
「いや、たまたまロビーラウンジ見てたらさ、ナナミさんいるから驚いてたんだ。そこにお嬢様まで現れて二度びっくりって感じで」
 左衛門三郎のお嬢様の双眸は疑心であふれていた。
「それにしても」
 俺とレズノを見比べてると、目を閉じ、ツンとあごを上げてお嬢様は続けた。
「おふたりがおつき合いなさっているとは驚き入りました」
 ………は? 何をいい出すんだ、このお嬢様は。
 俺のことはもちろん、左衛門三郎のお嬢様一行の存在を無視してずっとナナミさんを見ていたレズノまで振り返る。
「冗談でもそういう発言はやめてください。何が悲しくてこんな男とつき合わなくちゃいけないんですか。何も関係ありません」
「そりゃあ、こっちのセリフだ」
「休日にホテルの喫茶店で仲良く、ではなさそうですが、同じテーブルでお茶を頂いていて、何の関係もないといわれても説得力はありません」
 いいながら左衛門三郎のお嬢様は後方へ移動した。
 いつの間にか前のお客が席を立ち、店員さんがテーブルを片付けているところだった。
 空くのを待って三次が椅子を引くと、お嬢様はそのまま座った。
「何してるの」
 注文をし終えたお嬢様は見ての通りです、と返した。
「あなたがたが妙な行動を起こさないか、ここで監視させて頂きます」
 楚々とした居住まいを崩すことなく、そんなことをいう。
 見合いを壊すつもりなど毛頭ない、とはいえなくもないが、少なくともナナミさんに迷惑になるようなことなどするつもりはない。
 妙な流れに飲まれつつある現状に困惑する中、気になったことを訊いてみる。
「ナナミさんの見合い相手ってお嬢様とどういう関係なの?」
「それが六反園君とどういう関係があるのでしょう」
 ………そう来たか。
「あの」
 小さな声を出したのは三苫ちゃんだった。背を向けて座ってる彼女は小ぶりな顔をこちらに向けている。
「タケフさんはミカさんの親戚の方です」
 あの男はタケフというらしい。それにしても三苫ちゃんの気遣いっぷりはどうだ。男子の間で密かに人気があるのが分かる気がする。今日のライダースとミニスカのキュートでセクシーな姿など見たらさらにファンも増えることであろう。
「三苫、余計なことはいわなくていい」
 到底、血が通っているとは思えない三次の低音が隣の三苫ちゃんに浴びせられる。
 萎縮するミニスカ天使三苫ちゃんの華奢な背中に義憤が頭をもたげた。
「おい、そこの能面SP、三苫ちゃんをいじめるんじゃない」
 さっきの仕返しのつもりで挑発したのだが、女子高生要人警護官はまるで乗ってこない。ある意味本物だ。
 お嬢様軍団に気を取られている間もレズノのナナミさんウォッチングは続いていた。というか俺の本来の目的もそれなのだ。女SP相手に時間を潰している暇などない。
 相変わらずナナミさんのリードで話は弾んでいるように見えた。
 すっごく楽しそうだ。
 ちくしょう。
 どうにもならない苛立ちを舌に乗せて、じっとりと汗の引かない手のひらを俺は何度もこすった。
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