四人の令嬢と公爵と

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婚礼

逆鱗

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  神殿内を木霊する声に、アレッサは目が点になった。

 自分に向けられた声であるはずだが、その発信源がわからない。全く聞いたこともない、地の底から這い上がるような不気味な声は、そのまま続ける。


「さっきからいれば、自分が美しいだの他は底辺などほざきやがって。身の程を弁えるのはお前の方だ」


 グツグツと熱し続けられた湯を被せてくるような声に、アレッサは身震いする。
 先ほどから自分に向けられている鋭利な気。深々と刺さるそれが、何処から来ているのかわかったからだ。

 わかってしまった。

 わかりたくなかった。



「男が靡いたのはお前の体目当てで中身じゃないくせに。全部完璧だと思い込んでるお前が滑稽すぎて笑えない。何を食べたらそんなに馬鹿になれるんだ?」


 そう言って……ラトーニァはアレッサを睨みつけた。



 ラトーニァの周りを浮いていた茨は、棘を伸ばしより鋭利になり、いつにも増して暴れ回っている。
 アレッサを睨みつけている双眸……から生えている角は、紺色から黒に染まり、めきりと音を立てて枝分かれしている。まるで幹のようにそれは未だ拡張を続け、禍々しいものとなっていた。

 彼の顔も、その目を除いて怒り狂っているのが見てわかるほどに、酷く歪んでいた。
 綺麗に並んでいた歯をゴリゴリと擦り合わせ、口端はどちらも下に落ちている。表情も怒り以外全く読めず、顔全体がぐしゃぐしゃになるほどの青筋で埋め尽くされていた。

 そして、気のせいだと思っていたが、ラトーニァの細い体が明らかに大きくなっている。頼りなさそうな背は広がり、か細かった手足は筋肉を増して膨張する。着ていた服は、今にもはち切れんばかりに悲鳴をあげていた。

 目の前にいる彼は、御伽噺に出てくるような怪物そのものであった。

 隣にいたルーナも、初めて見る彼の姿に驚く。
 恥ずかしがり屋で、いつも優しく笑ってくれる彼の姿は、何処にも無かった。


「視れば視るほど醜い。吐き気がする」


 いつもよりもだいぶ低くなった声を鳴らし、ラトーニァはアレッサを見下ろしている。

 目の角に捉えられたアレッサは、恐ろしさのあまりにただ口をはくはくとさせるだけで声を発することはできなかった。

 全身から血の気が引き、心臓を鷲掴みされるような感覚に何度も襲われる。
 早く逃げないといけないという警告が頭の中には既に浮かんでいたが、体は正直で目の前の恐怖になす術なく意思を喪失していた。
 もう動けないのだ。
 立ち上がろうにも腰は抜け、這いずろうにも手は棒のように固まっている。
 金縛りよりも酷かった。


「ルーナは、お前のことを心の底から悲しんでくれていた。憎んで当然なお前を、彼女はそうしなかった。ただ純粋に、お前のことを心配してくれていた。なのに、お前はその眼差しすらも拒絶したな」


 ゴトリルよりも低く、重い声はアレッサに容赦無く降りかかる。異常なまでの圧が、彼女を襲った。


「『自分が一番美しい』?『完璧なあたし』?そんなわけない。自分の非も認めず罪の無い者を妬むお前こそ一番醜い!!」


 茨が、荒れ狂う。


「醜いくせに今までのうのうと生きてきたお前が私は妬ましい!!」


 ラトーニァの周りに、暗雲が立ち込める。



「妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましいお前が心底妬ましい!!!!!」



 つんざくような、悲鳴のような叫びが神殿を覆う。
 硝子の破片を擦り合わせたような不快な音をしたそれは、反響を重ねてその場にいた全員の耳を伝い脳に直接響く。国民達は皆頭を抱え、姉妹達も公爵達に耳を塞がれて難を逃れていた。
 しかし、姉妹達はラトーニァが気が気でならなかった。



 ラトーニァの周りで漂う黒い影は、かさを増して今にも破裂しそうな雰囲気を匂わせている。

 目の前で繰り広げられるありえない事象に、アレッサは本当の涙を流していた。
 恐怖することすらも許されないのか、アレッサを前にしたラトーニァはその涙を忌々しそうに睨みつけている。

 膨張した闇が、破裂しそうになったその時。





「ラトーニァ様!!おやめください!!」



 ルーナの一声で、闇が霧散した。



 先ほどまでの禍は何処へやら。神殿内を埋め尽くしていた音は途絶え、外では小鳥が囀っているのが聞こえる。神殿も、朝日が差す神々しさを取り戻していた。

 アレッサも、刹那で起こった出来事に目を丸くしていた。



 そこには、いつものか細いラトーニァが佇んでいたのだから。


「闇の精霊を呼び出すなんてどういうおつもりですか!?周りの皆様にまで被害が及んでしまったら、大変なことになるのですよ!?それは貴方様が一番理解していることでしょう!?」


 隣にはルーナがおり、彼に向けて叱りつけるように言葉を投げている。

 あの黒い霧はどうやら、精霊の類のようであった。生物の管理をしているラトーニァなら精霊の一体や二体呼び出すことなど雑作無いのだろう。
 しかし、先ほどは一体どころではなかった気がする。

 ラトーニァはというと、いつものおどおどとした態度で、ルーナの言葉にビクついていた。


「ご、ごご、ごめんなさい!で、でも、でもっ、許せなくて……君のこと、醜いだなんて」


 角も茨も、体格も元に戻ったラトーニァは怯えているものの、アレッサに向ける気迫だけは相変わらず鋭い。今も動けばたちまちに殺してきそうな雰囲気である。


「ラトーニァ様!!」

「ひっ!」


 しかし、ルーナはその気に気付いたようで、ラトーニァに怒鳴っていた。


「お気持ちはわからなくもありません。私も、家族や友人が貶されれば怒りもします。ですが!一線は越えてはなりません!ましてや精霊をそのような理由で穢すのは、貴方様自身も望まれないではありませんか!!」


 ルーナは、ラトーニァが庭で生き物の世話をしていた時、一番生き生きとしていたのを見ていたから知っている。
 そんな彼が、ありとあらゆる精霊達に優しく接していたところも何度も見た。

 自分の職務を、触れ合うもの全てを大切にしている彼が、その大切にしているもので誰かを傷付けてしまうのが、ルーナには許せなかった。



 その想いを視たのだろう、ラトーニァは落ち込んだ様子で、しかしルーナに顔を合わせていた。


「ごめんね。心配させちゃって、本当に、ごめんなさい」


 怒られた子供のような、泣きそうな声で彼はそう述べた。

 彼がこんなところで嘘をつかないことも知っているルーナは、何も言わずに微笑んだ。



 許しの言葉は発せられていないにも関わらず、ラトーニァはその微笑みに笑い返していた。
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